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2010年2月16日 (火)

騙して奪った小田原城~北条早雲の奇襲作戦

 

明応四年(1495年)2月16日、伊勢新九郎盛時が、扇谷上杉家の重臣・大森藤頼が守る小田原城を奪取しました。

・・・・・・・・

・・・と言いたいところですが、これには9月説もあり、翌年の明応五年説もあり・・・で、結局、今のところは「文亀元年(1501年)あたりまでには奪っていたであろう」というアバウトな雰囲気ではありますが、とりあえずは、今日、2月16日の日づけで書かせていただきます。

・・・で、この本日の主役・伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき・長氏)さんとは、あの北条早雲(ほうじょうそううん)の事です。

このブログでも何度か書かせていただいているように、北条氏が北条を名乗り始めるのは二代目の氏綱(うじつな)からですし、早雲という名も、出家後に名乗る号は(早雲庵)宗瑞(そうずい)なので、本人は一度も北条早雲とは名乗ってないわけなのですが、まぁ、その名が有名なので、とりあえず本日は早雲さんで通させていただきます。

そんな早雲さん・・・50歳を過ぎてから頭角をあらわした所から、中年の星とも言われる大器晩成とされていましたが、もともと誕生日もよくわからず、最近では、これまでの予想年齢よりは24歳若い説も登場・・・

名前も、以前は長氏が主流だったのが、最近では、冒頭の盛時と表記される事が多く、さらに、以前は、下克上の代表と言われた前半生の不遇の時代も、実は、もともと伊豆の素浪人などではなく、その母親の兄にあたるのが、あの応仁の乱のきっかけともなった伊勢貞親(さだちか)(1月21日参照>>)で、はなから室町幕府に代々仕える血筋であり、早雲も10代の頃から将軍の奉公衆として仕えていたというのが主流となりつつあります。

しかも、あの戦国の幕開けともされる堀越公方を破った伊豆討ち入り(10月11日参照>>)でさえ、「もはや公方は二人もいらん!」と考えた、幕府中央部の後押しによる成功とされ、ここに来て、その戦国武将としてのイメージは大きく変わりつつあるのですが・・・

・・・とは、言え、自らの武勇で領地を切り取って拡大した戦国大名の中で、最後に天下を取った徳川を除けば、5代=100年に渡って広範囲に君臨したのは北条氏くらい・・・あの斉藤道三だって、織田信長だって、豊臣秀吉だって、ここまで長くは続かなかったわけで、その初代となった早雲が、戦国屈指の人物である事には変わりないでしょう。

・・・で、この後、北条氏が代々本拠地にした小田原城・・・本来なら、この小田原城を奪取!なんていう重要事項は、早雲の人生の中で、1位・2位を争って特筆すべき事だと思うのですが、意外にスルーされる場合も多々あり・・・

・・・というのは、冒頭に書いた通り、その日づけどころか、時期すら曖昧で、その詳細となると、ほとんどわかっていないのが現状なのです。

なので、ノンフィクションとして北条早雲を紹介する場合には、この頃に、小田原城を手に入れたとしか言いようがないわけですが、そこは、やはり、軍記物で展開される戦国独特の手に汗握るストーリーも捨てがたいわけで、本日は、ひょっとして創作かも知れないという前提のもと、北条早雲の小田原奇襲作戦物語を・・・

・‥…━━━☆

・・・で、先に書かせていただいた延徳三年(1491年)、もしくは明応二年(1493年)10月11日に、堀越公方足利茶々丸を追放して伊豆を手に入れた早雲・・・(10月11日参照>>)

この頃の早雲は、関東管領の扇谷(おうぎがやつ)上杉家に与(くみ)していましたが、その当主である上杉定正は、あの太田道灌(どうかん)(4月8日参照>>)亡き後、西相模に大森氏頼(うじより)を配置し、東相模に三浦時高を配置して関東南西部を統治し、さらに勢力を拡大しつつありました。

しかし、明応三年(1494年)に入って、当主の定正どころか氏頼・時高と・・・次々とこの世を去ります。

どうやら、この三家での家督争いの激化が原因のようなのですが、そのチャンスを見逃さないのが早雲・・・氏頼の後を継いだ息子・大森藤頼(ふじより)に、せっせと贈り物を送り、よしみを通じて安心させます。

そして、ころあいを見計らって・・・
「ウチで、鹿狩りをしてたんやけど、どうやら、そっちの方に逃げ込んでしもたみたいですねん。
獣を追い出す人足を、そちらの箱根山にも入れたいんですけど、よろしおまっしゃろか?」

と、声をかけます。

自らがいる韮山城と藤頼のいる小田原城との間にある箱根山にも係りの者を配置しないと、獲物が逃げてしまう・・・というのです。

もちろん、これまでの交流で、安心しきっていた藤頼は、二つ返事でOK!

明応四年(1495年)2月16日・・・狩装束を身にまとい勢子(せこ・鳥獣を駆り立てる者)犬飼(いぬかい・猟犬担当者)に扮した武士が、1000頭の牛とともに箱根山に入ります。

一方で小田原近くの石橋米神湯本伏兵(ふくへい・潜ませた兵)を配置・・・夜になって箱根山の兵が、連れていた牛の角に松明(たいまつ)をくくりつけ、ともに連れて行った犬を放って、一斉に(とき)の声を挙げます。

犬におびえた牛は右に左に山中を駆け回り、暗闇を一掃せんがばかりの灯りが小田原城の背後に迫ります。

・・・と同時に、各地に配置した伏兵が町屋に火を放ち、一斉に小田原城下へと攻め寄せて、城下は大混乱に・・・。

さらに、一部の兵が城内に侵入して、中から城門を開け、怒涛の如き軍勢が城内になだれ込み、城内の大森様ご一行も大混乱におちいり、藤頼は命からがら・・・とるものもとりあえず、逃げるだけで精一杯だったのだとか・・・

こうして、わずか一夜にして小田原城を手に入れた早雲・・・その城郭は、この先、北条氏の拠点として華麗に変貌していく事となります。

ところで、この牛に松明・・・あの木曽義仲倶利伽羅(くりから)峠の合戦(5月11日参照>>)で実行したと言われる火牛の計(かぎゅうのけい)は、まさに軍記物の王道と言った感じで、実際に可能なのかどうなのかも微妙なところではありますが、古くは、中国の戦国時代にも登場するこの作戦を、早雲が知っていて、小規模ながらやった可能性もゼロではないわけで、今日のところは「ありえへん!!!(゚ー゚;」と一蹴せず、手に汗握る戦国ロマンに浸ってみようではありませんか。
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戦国・群雄割拠の時代」カテゴリの記事

コメント

こんにちわ~、茶々様。
今日の「小田原奇襲作戦」は有名ですが・・・本当なんでしょうか?まぁ、茶々様も書いていますが軍記物特有の『牛に松明』の奇襲作戦ですがあったとしても・・・後に5代にわたって改修された難攻不落とうたわれた小田原城が落ちるものなんですかね?藤頼さんの配下は何をやってたのかな・・・      ┐(´д`)┌ヤレヤレ
しかもその後 占拠された小田原城を落とせずに『関東の王』として北条家を君臨させることになるんですが・・・???
何かあったんですかね?

投稿: DAI | 2010年2月16日 (火) 13時49分

DAIさん、こんにちは~

牛に松明・・・
おとなしく、牛は火をつけさせてくれるんでしょうか?
気になります。

実際には、藤頼さんの配下もちゃんと戦ったでしょうね。
記録に残らなかっただけで・・・

投稿: 茶々 | 2010年2月16日 (火) 15時09分

だいたい…千頭の牛を集めるのが大変ですわなぁ。近隣の百姓の飼ってる牛を借りるなり買うなりするんですかね?それだけでも結構な軍資金が必要ですなぁ。

投稿: マー君 | 2010年2月16日 (火) 17時25分

牛に松明:約2200年まえにカルタゴのハンニバル将軍がこの戦術で勝利しています。その場所がカリギュラ峠(誤って伝わったと思はれます)

投稿: イヤミノビッチ スケヴェンスキー | 2010年2月16日 (火) 17時45分

マー君さん、こんばんは~

隣近所総動員で牛を集めるのが大変そうですww

投稿: 茶々 | 2010年2月17日 (水) 01時37分

イヤミノビッチ スケヴェンスキーさん、こんばんは~

約2200年まえと言えば、例の中国の戦国時代と同じ頃でしょうか・・・
洋を問わず、考える事は同じなんですね~
おもしろいです。

投稿: 茶々 | 2010年2月17日 (水) 01時40分

北条と今川が北条早雲の代から縁戚となる訳ですから、100年以上の縁ですね。
後に武田が加わる「三国同盟」。
武田・北条・今川の3家で、16世紀前半では北条が一番、経済力(農業面)があったと思います。
小田原城は江戸時代でも重要な位置付け(大久保本家の居城)ですね。

「ブログ登場800人目」が誰になるか楽しみです。

投稿: えびすこ | 2010年2月26日 (金) 08時56分

えびすこさん、こんにちは~

箱根を背負う小田原は要所ですからね~


>「ブログ登場800人目」が誰になるか

そこまで、気づいていただいてありがとうございます。
さて、誰になるんでしょう??

投稿: 茶々 | 2010年2月26日 (金) 10時58分

ホントのところが分からないのが、
面白うゴザル( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 記者 夢見がち | 2014年11月10日 (月) 15時43分

記者 夢見がちさん、こんばんは~

いろいろ妄想し出すと、止まらなくなりますね~
そこがオモシロイんです( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 茶々 | 2014年11月10日 (月) 17時11分

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