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2010年2月 2日 (火)

「龍馬伝」の龍馬にひとこと言いたい!

 

一昨日の今日で恐縮ですが、日曜日の大河ドラマ「龍馬伝」第5回・「黒船と剣」を見終えて思うところがあり、書かせていただきます。

・・・と言っても、番組批判ではありません。

ドラマを見て、人それぞれ感動する場所も「オャッ?」と思う場所も違うわけですから、あくまで、ワタクシ個人の感想で、「私は、こう思いましたが、皆さんはどう?」ってな感じでとらえていただくとありがたいです。

・‥…━━━☆

今回のあらすじとしては・・・
江戸にて剣術修行の毎日を送る龍馬が、海岸べりで噂の黒船を目の当たりにして、その大きさにただ驚き、腰もぬかさんばかりの衝撃受けて、「黒船相手なら剣など役に立たない・・・剣術を修行する意味があるのか?」と悩み始める
・・・という感じの内容です。

・・・・・・・・・・・

・・・で、番組の初版の部分では、未だその黒船を見ていない段階の龍馬が、故郷の父に手紙を送るのですが、その最後に・・・
「この先、戦になるかも知れませんが、そうなったら(自分は)異人の首を取って(それを手土産に)故郷に帰ります」
と書きます。

息子の頑張りに喜ぶ家族ですが、ただ1人・乙女ねーやんだけは
「お前が戦争をしたがってるとは思えん。あれはウソじゃろ?」
てな、手紙を送りかえしてきます。

・・・で、いつも書いております通り、私はいたって近代史が苦手・・・幕末も未だ勉強中で、龍馬の手紙に関しても、有名どころは拝見しておりますが、すべてを知っているわけではありませんので、番組を見ている時は、このシーンを見ても、「ふ~ん」っというだけで何も感じませんでした。

そんな中、見終わってから、色々と調べてみますと、あの「異人の首を取って・・・」と書いた勇ましい龍馬の手紙は、今も現存するホンモノとの鑑定を受けている龍馬最古の手紙だそうで、その返事として登場した乙女ねーやんの「ウソじゃろ?」というのは、現存しない・・・つまり、作家さんの創作という事を知りました。

それと聞くと、にわかに造り手の意図というかコンセプトのような物が見え隠れしてきます。

本来、歴史の世界では、ホンモノと鑑定された手紙に書かれている事は「本当の事である」との前提で考えていくのが一般です。

もちろん、そのため(古事記や日本書紀のよう)に見誤ってしまう事もあるのでしょうが、証拠となるべき物を、最初から疑がってかかっていては、お話が進んではいきませんから・・・

なので、この場合でいくと・・・この段階での龍馬は、「外国と戦って異人さんの首を取ってやる!」くらいの武士らしい精神を持っていたであろうと想像する事になるのですが、作家さんは、それを「ウソじゃろ?」と否定した・・・いや、否定したかったという事なのです。

私は、自身の描いた勝手なイメージで歴史人物を妄想したいがために、小説という物をほとんど読まないので、有名作家さんが、この頃の龍馬をどのように描いていらっしゃるのか?一般的にどのようなイメージなのか?という事を知りませんが、ワタクシ個人的には、先の龍馬の手紙を知る以前から、この頃の龍馬は武士道精神まっしぐらで、外国勢力に対してヤル気満々だったように想像しています。

それでないと「江戸への剣術修行」の意味が根底から崩れてしまいます。

しかし、このドラマでは、今回の手紙だけでなく、その前の「江戸で剣術頑張ってます!」の龍馬の手紙にも、乙女ねーやんは「お前は世の中を見るために江戸へ行ったんじゃろ!」と、その剣術まっしぐらの姿勢を批判するがごとき手紙を返していて、少々違和感を感じていたのです。

史実通りだと、この先、剣術では免許皆伝となり、千葉道場の後継者的な立場であった佐那子と婚約までする龍馬が(11月15日参照>>)、その剣術を、本気で修行する気もないのに、江戸に出たいがための道具として使ったのだとしたら、千葉道場にも剣術に対しても、これほど失礼な事はありません。

さすがの人たらしも、それをやっちゃぁいけないと思うのです。

いや、むしろ、それだと、人として尊敬に値しません。

個人的には、この頃の龍馬は、剣術&武士道まっしぐらで、「この腕で外国を蹴散らしてやる!」と思っている・・・もちろん、これは単なる殺戮好きではなく、日本を守りたい!という一心で・・・

そして、この先の様々な体験、様々な出会いで、徐々にその考えが変わっていくところこそが見どころのように思っていたのですが・・・

なんとなく、最初っから「戦争回避」「平和が一番」と思っていたような、結果論的な設定が、どうも気になるのです。

その個人的な思い込みの根拠となるのが、あの勝海舟との出会いです。

龍馬は海舟を殺すつもりで会いに行きながら、彼と話し込んでるうちに考えが変わり、いきなりの弟子入り・・・この有名な話が頭をよぎるのです。

この場面を、ドラマでどのように描かれるのかはわかりませんが、これを一貫性がないと言えば酷評となり、柔軟な性格なのだと言えば高評という事になるのですが、私は、この柔軟な姿勢こそが龍馬の魅力のように思います。

しかし、ドラマでは、あたかもこの先の「薩長同盟」「船中八策」が見えているがのごとく、平和主義」「戦争ギライ」の龍馬が最初からの一貫のように描かれているのが気になってなりません。

また、大きな黒船を見ただけで、「剣術修行の意義」が揺るぐところも、ちょっと気になります。

剣術修行とは、ただ強くなって相手を倒す事だけが目的ではないはず・・・そこには、他の柔道や合気道にもある精神的な修行も含まれているはずです。

・・・でないと、この平成の世の中で、剣道や柔道などの武道を習おうという人はいませんが、むしろ、「こんな世の中だからこそ、武道を通じて、精神的な強さを身につけたい」と思う人が、たくさんいるはずだと思うのです。

確かに、大きな大砲をいくつも備えた黒船に、刀で対抗する事は無謀なのかも知れませんが、それと修行の意義とは別のもの・・・それで、修行する意味がなくなるのだとしたら、それこそ剣術が単なる殺人の道具であると言ってるようなもので、剣術に失礼なのではないかと・・・

まぁ、この件に関しては、ドラマでも、おそらく、この後、千葉道場に戻る事になるであろう事が予想できます(桂小五郎にも怒られてたし)ので、それこそ、その柔軟な性格で、その失礼な部分は解決してくださるとは思いますが・・・

ただ、またぞろ天地人の白々しい平和主義愛の押し売りが展開されるのではないかと不安気味の今日この頃・・・

以上、本日は、私的な意見の披露におつきあいくださってありがとうございましたo(_ _)oペコッ
 .

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大河ドラマ・時代劇」カテゴリの記事

コメント

茶々さん、こんにちは!

前回の「龍馬伝」で、茶々さんが仰る様に剣術を否定する件りは観ていて「早すぎ!」と感じました(笑)

龍馬が心変わりするのは、勝海舟によって丸め込まれて以降(笑)なので、まだアカンやろ!っていうのが正直なところですね。

たぶん、ドラマの展開としてそんなモヤモヤした状態の龍馬の気持ちが最終的に勝海舟によって諭されていくんだろうなぁーと先読みしちゃてます。

最近の大河は後ろ(=分かっている結果)から描いている感じがするので、私としては物足りなさから録画もせず、ただ観ているだけの日々がここ何年もの間続いている状態です。

おそらく来年の大河「江」もそんな感じが続くでしょうから、もうシリーズとして終わってもいいのかもしれませんね!

投稿: 御堂 | 2010年2月 2日 (火) 11時51分

こんにちは
龍馬は平和主義的感じがちょっと露骨でしたよね。
私も見てて天地人思い出しました。

私が坂本龍馬が好きになれないところは、薩長同盟で武器の売買を手伝い、船で四境戦争の見学をしておきながら無血開城に手を貸したところです。
柔軟に適応しての事なら死んでいった兵士が可哀想。
途中で気が変わったと言ってもらえた方が納得です。
なので、ドラマでは龍馬の一貫性のなさ、もしくは柔軟さを納得させて欲しい物です。


投稿: 花曜 | 2010年2月 2日 (火) 15時10分

お邪魔します。
弥太郎の塾で、子供が‘これ(ペリー)は、鬼か?’、と、聞き、‘人間じゃ’。と、即答する。次に‘なんで、目が青いんじゃ?’、と、聞くと‘知らん’。と、ぶっきら棒に答えたところ ー ー ー 、私はドツボに嵌りました。
“そうそう そう。! !”って、感じ。
私が、我が目で一度に沢山の外人を見たのは、中学生の時、大阪の万博に行った時です。
もっと子供の頃は、テレビもなくて、外国人は珍しく、(私はやりませんだしたが)、万博会場に居る、観光客の一般外国人にサインをしてもらっていた子供が何人もいましたよ。
ドラマだし、つくっている、と云えばその通りですが、外人や黒船を見て奇異に感じる、又、恐いと感じる、その感覚は、私自身の遠い記憶にある感覚とピッタリでした。
刀なんて縫い針 ー ー 、それも、そうだなぁ、さすがは発想が自由な龍馬だなぁ と、感心しちゃいました。

投稿: 重用の節句を祝う | 2010年2月 2日 (火) 15時46分

はじめまして 私は学生時代スポーツ三昧で勉強してきませんでした 40過ぎて歴史もろもろ勉強してるところであります 「小説を読まない」と書いてありましたが どのように歴史を学んでいるのでしょうか?来年の江も読みましたが、作家によってこんなにも人物象が違うのかと驚きました・・・
何かお勧めの本がありましたら、教えてください

投稿: どらえもん | 2010年2月 2日 (火) 16時27分

「愛の押し売り」はさすがにないと思います。でも気になるのが「女性にモテた」所です。
今日の夕刊の朝日新聞のコラムで、「それにつけても女性にもてるうらやましさよ」の部分があります。今後は「プレーボーイとしての一面」を描写するのかしないのか?そこが焦点ですね。
前にも指摘しましたが、この作品を見ている「お~い、龍馬」の読者が坂本龍馬に幻滅しないか心配ですね。私が考えるに「二重の意味でイメージが崩れる」危険をはらんでいます。

余談ですが、明日の「成田山節分会」に主役の福山氏が参加しません。坂本龍馬の親族の役の俳優も参加しないんですよ。明日ロケや他所での節分などの行事、予定があるのなら構わないのですが…。もし、そうではないとすれば現在の坂本家に対し失礼ではないのか、と思います。言い過ぎたでしょうか?

投稿: えびすこ | 2010年2月 2日 (火) 16時38分

確かに先生の仰るとおりドラマには違和感を感じました
私もたぶん同じタイミングで
『勝の件はどうするんだ?』ってことです

しかし、剣道に関してはチョット意見が違います

竜馬が剣術に対して疑問を持った瞬間に
『剣道は人格成型の道であり剣術ではない!』
と一応、剣道の段位を頂き、
末席ながら子供たちを指導している立場として思ったのですが
すぐに『あっ!竜馬は剣道ではなくて剣術だった!』と
思い直しました

剣道は講道館の柔道を参考に1899年に
大日本武徳会が纏め上げたもので
剣道は『剣術を通じた人間形成』という、
人が生きる道を目的にしています
それまでの剣術は『如何に強くなるか』を目的としていますので
全く違うものとなります

また、千葉道場はご存知の通り『技の千葉』です
合理的に技術のみを追求するのが特徴です
と考えるとやはり竜馬が習っていたのは
『剣道』ではなくて『剣術』と考えるのが合理的です

剣術が良い!悪い!では無く
『剣道』と『剣術』では目的が違うのです

ちなみに私は北辰一刀流の水戸東武館に
出稽古に行ったこともありますし、
神道無念流の戸賀崎先生に教わってもいます!
よって理論的には桂小五郎や芹沢鴨、永倉新八などは私の兄弟子!
(^_-)vブイブイッ

投稿: 桃色熊 | 2010年2月 2日 (火) 16時57分

御堂さん、こんばんは~

私も、そこが気になるんです~
最後の最後にやる事を、あたかも知っているような、ねーやんの口ぶりが・・・

紆余曲折あっての幕末のような気がするので

投稿: 茶々 | 2010年2月 2日 (火) 20時42分

花曜さん、こんばんは~

本文にも書きましたが、良く言えば柔軟、悪く言えば一貫性のなさ・・・主人公なのだから、そこをいかにうまく描くかですよね~~

投稿: 茶々 | 2010年2月 2日 (火) 20時47分

重用の節句を祝うさん、こんばんは~

香川弥太郎さんのシーンは、いつもオモシロイです。
やっぱ演技派ですね~
すなおに笑えます。

投稿: 茶々 | 2010年2月 2日 (火) 20時49分

どらえもんさん、はじめまして~

そうですね~
作家さんによる違いなんかを感じながら読むと楽しいでしょうね。
小説が嫌いなわけじゃないんですが、ついついノンフィクションに目がいってしまいますww

歴史研究家や史学の教授陣の研究結果とかレポートとか・・・作家さんなら紀行文なんかが好きです。
あと、最近は、参考資料として博物館や大学が保有している文献史料が公開されてたりして、一般の人が閲覧できるケースもあるので、とても勉強になります。

投稿: 茶々 | 2010年2月 2日 (火) 20時59分

えびすこさん、こんばんは~

節分はよくわかりませんが、女性層を逃したくないため、プレイボーイぶりを描かないのではないかと予想してるんですが・・・

勝手に、女性のほうが好きになるパターンにするのではないかと不安です。

投稿: 茶々 | 2010年2月 2日 (火) 21時05分

桃色熊さん、こんばんは~

そうなんですか!
なにやら、稽古でも瞑想の時間的な事をやってたので、精神面でもバックアップするのか?と思ってました。

なるほど、強さを追求するのですね。

投稿: 茶々 | 2010年2月 2日 (火) 21時14分

実は年末の予告編で「憎しみからは何も生まれんぜよ」という福山龍馬のセリフを聞き、あれ?また天地人路線かな?とちょっと嫌な予感もしましたが、セット(大道具、小道具、役者さんのヘアメーク、衣装)や役者さんの演技に惹かれて見続けています。篤姫のときもそうでした。なんかもう大河はちょっとある程度あきらめているところもあるかもしれない。まぁ、まだ始まったばかりだから軽く期待はしています。(えらそうですね~)竜馬ってフレキシブルな感性だったんじゃないかな。人によってはいいかげんと思えるかもしれないけどこういう人も特に幕末には必要です。関係ないかもしれないけど残された血痕からB型だって判明したそうですね。な~るほど~・・・いえ、私もB型ですが妙に納得してしまいました。

投稿: Hiromin | 2010年2月 2日 (火) 22時08分

Hirominさん、こんばんは~

>「憎しみからは何も生まれんぜよ」

言ってましたか・・・
やっぱり、その路線なのかなぁ

衣装やセット・・・
確かに、画面がきれいですね。

投稿: 茶々 | 2010年2月 3日 (水) 00時00分

記事の中に「武士道まっしぐらで、外国への対抗精神」とありますが、この時代(ペリー来航前)の武士や庶民はほとんどが、外国人や外国文化を知らないので国粋主義的思想(大河ドラマなどで「お家のため」と言いますが、「お国のため」とは言わない。この時代の「お国」は故郷を指す。)はあまり感じていないと思います。「戦国末期」の安土桃山時代でさえ、積極的に「南蛮人」と呼ばれた西欧人と交流していました。この時代の殿様はあまり外国人を敵視していません。徳川家康の様に三浦按人を家臣にした人もいます。「外国への対抗精神的な一面」は明治時代に確立されたものらしいです。新政府誕生で幕政時代の閉鎖的外交体制を一新したのに、未曾有かつ急速な外国文化の輸入による、国産文化の衰退や軽視(断髪令発表時に大相撲の力士のマゲを残してほしい、と言う陳情が力士の間から起こり、好角家の多い明治政府の計らいで現役力士は断髪の対象からはずした。)に対するアンチテーゼです(ここまで近代史研究家の意見から引用)。むしろ、最初から「外国人を敵と感じていた」方に疑問です。ご存知と思いますが、「倒幕思想」は海外事情を知った人(武士)が、現状の幕政に危機感を持った事によります。
区別されていると思いますが、「武士道」と言っても、戦国時代と江戸時代中期以降、そして今日の武道の中の精神とは全然違います。
坂本龍馬自身は商家の家系ですから単純に考えると、商才もある程度兼ね備えていたと思います。私が考えるに個人としては攘夷だとか倒幕だとか勤皇だとかの、特定の政治思想は持っていないと言えます。岩崎弥太郎の方がまじめな性格で経営者タイプと言えます。実際の龍馬はもっと大らかで小さい事は気にしない人なんですよ。(余談。実は攘夷思想が強いあの新撰組の隊士も、武士階級以外からの「転身者」が多い。)

ところで2月1日の記事で補足投稿しましたが、ご覧になられました?

投稿: えびすこ | 2010年2月 3日 (水) 09時01分

えびすこさん、こんばんは~

>外国への対抗精神的な一面は明治時代に確立されたものらしい・・・むしろ、最初から「外国人を敵と感じていた」方に疑問です。ご存知と思いますが、「倒幕思想」は海外事情を知った人(武士)が、現状の幕政に危機感を持った事によります。

10月2日の【水戸学と尊王と倒幕と~】に書かせていただいている通り、攘夷が倒幕と一致するのは、幕末も最後の頃です。

また、その歴史家の方が、どのような史料からどのような展開で「外国への対抗精神的な一面は明治時代に確立されたもの」という見解になられたのかは存じませんが、それならば文政八年(1825年)の「外国船打ち払い令」をどのように位置づけておられるのかが気になるところではあります。

また三浦按針鎖国についても書かせていただいておりますが、戦国時代の外国との交流と幕末の姿勢は、まったく別の次元の物と解釈しております。

【さらば近藤勇】で書かせていただいたように、(新撰組など)本当の武士として扱ってもらえなかった彼らのほうが、武士道を重んじていたように思います。
坂本龍馬も下士なので、武士道を徹底的に叩き込まれたほうだと想像しているのですが・・・


投稿: 茶々 | 2010年2月 3日 (水) 18時34分

茶々さま

ご無沙汰しております。大阪龍馬会のosayanです。
「龍馬伝」についてのコメントを読ませていただき、「さすが」と思いました。
大河ドラマはどの作品も創作があり、真実の歴史を追いかける人たちにとっては、がっかりさせるところが多くて仕方がありません。
「龍馬伝」の創作。幕末維新に詳しくないとおっしゃっておられながら、どうしてどうして。しっかり調べられて意見を述べられておられます。わたしも、龍馬ファンとしてできるだけ事実に近い龍馬を描いて欲しいと思っています。
ドラマの根幹である岩崎弥太郎と龍馬ですが、二人の出会いは史料で確認できるのは慶応年間です。かの有名な「竜馬がゆく」もしかり「龍馬伝」もしかり、出会うのが早すぎるのです。広末涼子さんが演じる平尾加尾は実在の人物ですが、弥太郎の住む安芸まで通えるような距離ではありません。
ちなみに、まだドラマではどう描かれるのかはわかりませんが、通説となっている龍馬と勝海舟との出会いは明治期に勝海舟が言った大法螺です(「氷川清話」だったと思います)。つまり龍馬と千葉重太郎が海舟を斬りに行ったというのは、龍馬研究者の中では否定しています。
海舟日記によりますと、大坂出張の千葉重太郎と龍馬が、神戸にある海舟の寓居先「生島四郎別邸」を訪れたと書かれています。
千葉重太郎が人を斬りに行くなど、冷静に考えるとありえないですよね。
長くなりました。創作が多いことにフラストレーションがたまっていましたので、つい溜め口をしてしまいました。

これからも、楽しみに読ませていただきます。

投稿: OSAYAN | 2010年2月12日 (金) 23時41分

OSAYANさん、こんばんは~

>龍馬と千葉重太郎が海舟を斬りに行ったというのは、龍馬研究者の中では否定しています

なるほど・・・そうだったのですね。

確かに、勝海舟の回顧録はかなりのエエカッコが入ってますもんね。
以前から、咸臨丸のくだりなんて、福沢諭吉の言ってるのとはぜんぜん違う気がしてましたが、龍馬に関してもそうなんですね。

ありがとうございます、勉強になりました。

投稿: 茶々 | 2010年2月13日 (土) 01時48分

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