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2010年2月19日 (金)

戊辰の恨みを越えて~大山巌と山川捨松の愛[後編]

 

かくして、戊辰戦争の恨みを越えて、その恋を実らせた大山巌(おおやまいわお)山川捨松(やまかわすてまつ)・・・その結婚披露宴という形で、華々しく鹿鳴館デビューを飾った捨松。

★今回のお話は昨日の続きです・・・まだの方は、先に昨日のページ>>を読んでいただくとありがたいですm(_ _)m

・‥…━━━☆

未だ「女性は家を守る時代」の明治・・・日本人には好奇な目で見られる身のこなしも、外国人から見ると、むしろ洗練された立ち居振る舞いなわけで、得意の英語・フランス語・ドイツ語を駆使して外国人と積極的に会話する捨松は、アメリカ仕込みの社交ダンスも見事なものだったそうで、まさに鹿鳴館の華となります。

そんな中、アメリカ留学中に看護婦免許も取得していた捨松は、医療にも関心があり、ある時、共立病院へ参観に出かけます。

ところが、どの病室を見ても看護婦の姿が見えません。

その頃の日本には、まだ看護婦という職業もなかったわけですが、それならば、その看護婦を養成しなければなりません。

しかし、病院の高木兼寛博士が言うには、
「養成しようにも資金がありません」

「では、私が何とかします!」
と、持ち前の活発さで引き受けたはよいが、さすがに陸軍卿の妻でも、おいそれと、そんな大金が集まるはずもありません。

・・・で、flairピカ~ン! 捨松さんひらめきました。

アメリカで見聞きしたチャリティバザー・・・捨松の呼びかけで、日本で初めてのバザーが鹿鳴館にて開催されたのです。

その準備もさることながら、バザー当日も、彼女は自ら売り場に立ち、3日間の開催で得た金額は1万6000円・・・これは、当時の価値にして、もう一軒、鹿鳴館を建てる事ができるほどの金額だったと言います。

これらをすべて共立病院に寄付した捨松・・・その資金をもとに、2年後には日本初の看護学校が設立されています。

また、自らは軍人の妻となってしまった事で、教育の最前線に立てなくなってしまった捨松は、ともにアメリカ留学した津田梅子に、その夢をたくし、彼女が設立した英語塾を全面的にバックアップ・・・彼女らが理想とする女子教育を目指して、生涯に渡って協力し合う事となります。

しかし、そんな彼女にあらぬ噂が立てられます。

なんと、「お抱えの御者(ぎょしゃ・馬車で馬をあつかう人)と不倫をしている」と・・・

実は、コレ、彼女だけではありません。

いつの時代もスキャンダルは庶民の好物・・・「夜ごと開催される鹿鳴館の華やかな舞踏会において、男女入り乱れてのあんな事やこんな事を・・・」女性雑誌がこぞって書きたてたのです。

もちろん、中には事実もあったでしょうが、そのスキャンダルのほとんどは事実無根・・・しかし、活字という物は恐ろしい物で、書きたてられているうちに、いつしか本当の事のように見る人は思ってしまうもの・・・

これには、本来、不平等条約を改正させるために、外国に追いつき追い越せとやっていた鹿鳴館が、いつしか、庶民とは無縁の上流階級の遊び場と化してしまっていた事への批判も込められていたのでしょうが、結局、捨松は、この噂のために、自ら社交の場から身を退く事となります。

さらに、もう一つ、根も葉もない噂が彼女を襲います。

昨日のページにも書かせていただいたように、巌が捨松と結婚した時には、亡くなった先妻との間に、すでに3人の娘がありました。

その長女という人が、結核にかかり20歳の若さで亡くなってしまうのですが、その彼女をモデルとした小説が大ヒットするのです。

有名な小説なので、ご存知の方も多いかも知れませんが、徳富蘆花(とくとみろか)の書いた『不如帰(ほととぎす)という小説です。

その作品の中で、主人公の浪子は、若い身空で結核という病に犯され、最愛の夫とも引き裂かれ、実家に戻ればいじわるな継母にいじめられ、失意のままこの世をを去るのですが、もちろん、これは小説なので、そのストーリーは創作です。

実際に、その巌の長女にとって捨松は、なさぬ仲の継母ですが、その関係はいたって良好・・・調子の良い時はともに旅行にも出かけ、調子の悪い時はアメリカ留学でつちかった看護婦の知識を生かして精一杯の看病をしていたのです。

しかし、小説を読んだ読者の中には、それを本当の事だ思う人も少なくなく、彼女へのバッシングが始まります。

中には、誹謗中傷を書き込んだ手紙を送りつけて来る人もいたのだとか・・・

晩年の捨松は、この酷評に悩まされ続ける事になるのですが、当の作者は、まったくの知らぬ存ぜぬ・・・

結局、小説が発表されて19年も経った大正八年(1919年)になって、ようやく雑誌のインタビューにて「小説を、よりおもしろくするためには、継母を悪人に描くしかなかった」と、重い口を開いて謝罪したという事ですが、そのインタビューから、まもなくの大正八年(1919年)2月18日・・・捨松は、当時大流行していたスペイン風邪に倒れ、60歳の生涯を閉じたのです。

梅子とともに女子教育に、そして赤十字の発展にも尽力する一方で、あらぬ噂に翻弄された捨松・・・しかし、唯一の救いは、いつも、どんな時も、彼女を信じ、愛してくれた夫・巌の存在であった事でしょう。

捨松が、小説のようないじわるな継母でない事を、一番よく知っているのは夫である彼・・・

陸軍きっての実力者でありながら、出世欲がなかったと言われる巌は、彼女より3年早くに亡くなりますが、二人は、最後まで仲睦まじいおしどり夫婦だったようです。

その西洋好きから、日本人で初めてルイ・ヴィトンの顧客になった人と言われる巌さん・・・愛する奥様に何かプレゼントしてさしあげたのでしょうか?
 .

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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

こんにちわ、茶々様。
昨日から読ませて頂いた山川捨松・・・感動しました(ρ_\)
こんな素晴らしい女性がいた事さえも知らない私は(恥)
また教えない歴史の教科書に何の意味があるんですかね?

どんな人なのか知りたくてwikiで探しちゃいました。逸話話なんかを見ていると胸にこみあげてくるものがありました。写真からも信念のある端正な顔立ちにビックリ。(大山巌さん・・・肥えすぎでしょ・・・)

感動しました!

今日も茶々様に感謝です。

投稿: DAI | 2010年2月19日 (金) 13時59分

DAIさん、こんばんは~

ホント、捨松さん、魅力的な人です。
そして、生涯に渡って彼女を支えた巌さんも・・・
確かに、太りすぎですが・・・(笑)

歴史の教科書には、津田梅子さんは出てくるのでしょうか???
よくわかりませんが、やはり、ドラマでもいいから、多くの人に知っていただきたい人物ですよね。

投稿: 茶々 | 2010年2月19日 (金) 18時16分

こんな時代から‘有能な人間を下らない人間が足をひっぱって引きずり下ろす’なんてことがあったのですね。(週刊誌のスキャンダラスな見出しを丹念に目を通す私も十分くだらない人間なんですが。)でも鹿鳴館に代表される欧化政策って好きじゃありません。日本らしさを大切にしてもいいのにな、日本人としての誇りはないのか、と思ってしまいます。この欧化政策は不平等条約改正になんぞ役に立ったんでしょうか。でも!卑劣な手段で一所懸命世のため人のために尽くしている人を貶めるなんて許せません。ほんとに大河でなくてもいいからドラマ化してほしいですね。あ、いっそ大河の裏で連続ドラマにするってどうでしょう?捨松さんは・・・誰がいいかな・・

投稿: Hiromin | 2010年2月19日 (金) 21時56分

Hirominさん、こんばんは~

鹿鳴館は、アジアを格下に見る欧米から、何とか一人前に見てもらおうと必死だった頃の落し物みたいな感じでしょうか。

結局は、失敗に終りますが・・・

ドラマは見たいですね~
誰が良いでしょうか?
やっぱ、英語話せる感じの人かな?

投稿: 茶々 | 2010年2月19日 (金) 23時37分

こんばんは。
大山夫妻の直系の孫という方に、お会いしたことがあります。その方も故人ですけど。
大学の先生をされていました。
明治神宮のそばに住んでいられました。

『不如帰』モデルになった方の写真も、
見せてもらったことあります。
その方のお嬢さんに似ているようです。

投稿: やぶひび | 2010年5月10日 (月) 21時06分

やぶひびさん、こんばんは~

>大山夫妻の直系の孫という方に・・・

すばらしい体験をされましたね。
お写真も拝見してみたいです。

投稿: 茶々 | 2010年5月11日 (火) 00時18分

NHKの〔歴史秘話ヒストリア〕で取り上げられてから、なんとなく気になっていました。“女はサッサと結婚して子供産んで”な時代に、真逆な生き方をした捨松。悩みは相当深かったでしょう。その苦悩を分かった上で、妻になって欲しいと申し込んだ大山の器の大きさ、さすがです。初婚の捨松が、大山の3人の娘と上手くやっていけたのか気になっていましたが、上手くやっていたと聞いてホッとしました。捨松が語る、アメリカ生活で見聞きしたあれこれを、キラキラと目を輝かせて聞き入る娘たち。まだ見ぬ異国に憧れを膨らませて、もっともっとと話をせがみ、つられて捨松も話に熱が入ったことでしょう。そんな彼女達をにこやかにソッと見守る大山…。このブログを読んだ瞬間、そんな光景が私の頭の中に浮かびました。それにしても、〔不如帰〕の作者めー、こんちくしょーo( ̄□ ̄)!

投稿: クオ・ヴァディス | 2015年6月10日 (水) 21時07分

クオ・ヴァディスさん、こんばんは~

小説は小説で、ドキュメンタリーじゃ無いのはわかっていても、ついつい信じてしまう人は、今でもいますからね~

やっぱ「フィクションです」の一文は必要ですね。

投稿: 茶々 | 2015年6月11日 (木) 02時47分

茶々さん、こんばんは。
徳富蘆花は徳富家で厄介者で、兄の蘇峰がいつも助けていました。蘇峰の子供で蘆花の養子が蘇峰の悪口や蘆花を苛めたと言うのを聞いて怒ったそうです。
それくらいに世間は捨松同様に蘇峰の悪口を書いていました。
それだけ長生きした蘇峰は山あり谷ありの人生だったのでしょう。
捨松で思い出しましたが、実は海外から帰った時ですが、日本語教師として日本語を教えていましたが、台湾、インドネシアでは日常生活は英語で会話をしていたので日本語は勿論分かりますが、徳島の方言の阿波弁、関西の大阪弁は全然理解できなかったです。と言うくらいにしばらくは洋雑誌ばかり見ていました。私でもそうなので捨松、津田梅子だと全然理解できなくて当然と思いました。でもそれでもきちんと子育てをし、女子教育に注いだとは凄いです。ところで今の朝ドラの広岡朝子さんとはかかわりはあったのでしょうか?

投稿: non | 2016年2月 5日 (金) 18時15分

nonさん、こんばんは~

叔母がミネソダにいますが、以前、何十年ぶりかに帰って来た時には、やはり、日本語が微妙な感じでした。

まぁ、叔母は結婚して=大人になってからアメリカに渡った人ですので、数日もすれば思い出してカタコトでしゃべってましたが、女子留学生の彼女たちの年頃だと、すっかり忘れてしまうでしょうね。

あぁ、朝ドラは見て無いので広岡さんブームには乗り遅れてます((ノ)゚ω(ヾ))
また勉強しますデス

投稿: 茶々 | 2016年2月 6日 (土) 02時46分

茶々さん、おはようございます。
私の場合は元来話さなかった阿波弁、関西弁が海外に行って全然話せなくなり、後イントネーションが日本語教師をしていたので標準語になりました。それなので最近まで名古屋の知り合いとは名古屋、東京で会っていました。と言うくらいに関西が嫌いになっていました。
標準語で話すのといつもナイフフォークの方がお箸よりも使いやすいので今でも東京出身ですかと言われることが多いです。
今でも洋雑誌を見たりしていますので好きな相撲でも何故モンゴル人横綱という様に帰国してからの日本に違和感が今でも強いです。当初の予定通りにASEANからパリに行っていたら日本語よりも英語、フランス語の方が上手になったでしょうし、今以上に日本史を興味を持たなかったと思います。ジャカルタで病気になったのが幸いだったのかなと思ってきたりします。
広岡さんは関西弁と言うよりも船場の言葉でしょうけど・・・捨松、梅子に会ったとしたらお互いに違和感なく通じたかな?と思いました。捨松、梅子は日本語を話したとしても標準語でしょうから広岡さんの関西弁を理解できたのかなと思いました。

投稿: non | 2016年2月 6日 (土) 07時52分

nonさんmこんにちは~

ずっと地元に住み続けている私の友人は、今現在も船場言葉ですよ。
自分が大人になって別の場所に住むようになって、久々に話した時に、その事に気づきました。
子供の頃は何も感じなかったので、私の話す言葉が北河内弁に変わったんだと思います。

捨松&梅子さんは、標準語はあまりお得意では無かったかも知れませんね。
このお話の前編のページで書かせていただきましたが、捨松は旦那さんの大山さんとは、お互いに方言がキツすぎて英語で会話していたみたいですから…

投稿: 茶々 | 2016年2月 6日 (土) 14時55分

茶々さん、こんにちは。
頭痛が酷くて困っています。
ところで方言関係ですが、式子内親王のところでも書きましたが、父方は武家、母方は商家なので、文化が違います。父の影響が濃い私は標準語、母の影響の濃い妹は関西訛りです。それでよくお互いの話を理解できるなと思いました。
だから大山夫妻が英語で話すのもなるほどと思いました。
捨松、梅子は英語の話せない貴婦人とは標準語で話したのかなと思いました。広岡さんにもし会っていたら会話は別々でも通じるのではと思いました。捨松、梅子だけでなく広岡さんも日本人離れした考えの持ち主ですから・・・
ところで不如帰ですが、蘆花は恩ある山本家に迷惑をかけ、また山本家の知人の大山家に迷惑をかけるとはどういう根性なのでしょうか?よほど会津が憎悪しているのでしょうか?

投稿: non | 2016年2月 7日 (日) 11時10分

nonさん、こんにちは~

私の父は、瀬戸内海の島の出身で先祖海賊ですが、若い頃に大阪に出て来たらしく、私が物ごころついた時には、すっかり大阪弁でした。
母の家は、高松藩の士族でしたが、維新をキッカケに大阪で商売を始めたとの事で、完全に大阪弁でした。

投稿: 茶々 | 2016年2月 8日 (月) 16時03分

茶々さん、こんにちは。
首が曲がって違和感があります。
今日はゆっくり過ごします。
ところで広岡浅子さんと津田梅子さんは伊藤博文を通じて知り合いなのとクリスチャン仲間みたいです。
それなので幾松さんとも知り合いだったと思います。
実際に女子教育の先駆けである広岡さん、津田さん、大山さんは知り合って当然と思います。あと広岡さんのお嬢さんの先生が新島八重さんなので、4人ともお知り合いでしょう。多分東京で会ったでしょう。
ただその時に4人が会ったら何語を話したでしょうか?津田さん、大山さんは英語が堪能ですが、広岡さん、新島さんは英語が出来ないでしょう。そうなると候とかの古い日本語でしょう。
ところで広岡さんは良い結婚を願ったそうですが、お子さんがいない八重さん、梅子さんは別としても捨松さんはどう思っていたのでしょうか?

投稿: non | 2016年3月29日 (火) 13時08分

nonさん、こんにちは~

さぁ、どうだったんでしょうねぇ
ま、少なくとも、去年の「花燃ゆ」の最終回?の、鹿鳴館での奥様方の会話のような内容では無いだろうな~とは思いますが…

投稿: 茶々 | 2016年3月29日 (火) 17時38分

茶々さん、こんばんは。
多分そう思います。鹿鳴館みたいな会話でないでしょう。梅子さん、捨松さんは日本語が忘れているし、八重さんは会津弁、浅子さんは京言葉か難波言葉なのでちゃんぽんになったでしょう。でも多分知り合いと思います。4人とも教育家ですし、浅子さんの実家は三井も武士道を学んでいましたので話は通じると思いますよ。でも捨松さん、浅子さんは幸せな結婚ですが、お子さんのいないお二人はどうだったのかなと思ったりします。
でも同志社、津田塾、日本女子大と今に続く素晴らしい大学を築いた方々は素晴らしいです。

投稿: non | 2016年3月29日 (火) 18時14分

nonさん、こんにちは~

明治の頃に生まれた伝統のある学校はたくさんありますね。
これからも、ずっと残っていってほしいです。

投稿: 茶々 | 2016年3月30日 (水) 17時46分

茶々さん、不思議なのですが昔の資産家は教育に熱心ですね。
昭和に入りますが土光さんのお母さんが橘学苑を作りましたし、皆教育に熱心でした。土光家は今でも橘学苑にお金を注いでいますので生活は質素です。
こういうのが日本の本来の在り方かなと思います。
そう言えば英語とフランス語は一緒に勉強した方が効率が良いくらいにフランス語の文法を英語に取り入れています。そう言うのも捨松さん、梅子さんだと詳しいだろうなと思います。
何でも高度成長までの総理は英語などの外国語が上手だったらしいですが、それも明治の遺産かなと思いました。

投稿: non | 2016年4月29日 (金) 15時47分

nonさん、こんばんは~

近年の高度成長期以前の商売人の方々には「金は天下の回り物」という考えが定着してましたね。
それは封建社会の中での「何かを生産する労働は尊いけれど、物を右から左に渡すだけで何も生産しない商人は尊くない」という考え方と相まって、商人が手にするお金は、「天下(世間)から貰った物」だから「また天下に戻さねばならない」と、商人たちは考えていて、昔から、多くの資産家が、福祉事業を行ったり、後世に役立つ人材を育てたりという事に取り組むのがステータスとなっていたからでしょうね。

いつのほどからか、そういう考えがなくなってしまいましたね。

投稿: 茶々 | 2016年4月30日 (土) 03時28分

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