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2010年3月 4日 (木)

戦国武将と茶の湯の流行

 

元亀二年(1571年)3月4日、織田信長が京の町衆を集めて東福寺で茶会を開きました。

・・・という事で、本日は、戦国武将と茶の湯について、少し書かせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・

すでに、このブログでも書かせていただいております通り、お茶という物は、鎌倉時代の初めに栄西(えいさい)というお坊さんが、中国から持ち帰ったのが、最初というのが定番となっておりますが(2006年10月31日参照>>)、一方では、あの奈良時代の僧・行基(ぎょうき)(2月2日参照>>)が飲んだという伝説も伝わっているのだとか・・・

静岡県にある法明寺というお寺のご本尊は、その行基が彫ったとの話なのですが、その仏様を彫っている最中、何とも言えぬ睡魔に襲われた行基さん・・・「アカン!もう、寝てまう~」っと思ったとき、近くにいたおばあさんが、何かを煎じた物を持ってきます

それを一口飲むと、あら不思議・・・またたく間に目がさえて意識もはっきり!!

おかげで、行基は、その仏像を完成させる事ができたのですが、そのおばあさんが持ってきた物が、静岡に自生していたお茶だった・・・との事。

まぁ、あくまで伝説なので、アレですが、それがお茶でなかったとしても、同じような効果のある葉っぱを煎じて飲むという事は、昔からあったのかも知れません。

とにもかくにも、栄西さんが持ち帰ったお茶は、禅寺の僧の間で、目覚まし&覚醒の薬として伝えられていく事になるのですが、そんなお茶の一大転換期が、室町時代のはじめ=南北朝時代に大流行した闘茶です。

これは、お茶を飲んで、その産地を当てるという物で(くわしくは2008年10月31日参照>>)、要するに賭け事なわけですが、それまでは薬として飲まれていたお茶が、金銭がらみとは言え、飲むことを楽しむという風に変わった瞬間でした。

また、以前は貴族や権力のある武将など、一部の人だけの楽しみだったお茶が、徐々に庶民の間にも広まっていったのも、この頃からのようです。

京都東寺には、応永十年(1403年)と言いますから、南北朝も合一された第3代・足利義満の時代の記録という事になりますが、道覚(どうかく)という人が、東寺の門前で茶店を開く事を願い出て、許可されたという話が残っているのだそうです。

参拝に来る人相手に、一服いくらでお茶を出すお店・・・これが、商売として成り立つという事は、すでに、皆が手軽に飲んでいたという事ですからね。

・・・とは言え、このような庶民が気軽に飲むお茶と、もう一つ、別ルートでお茶が発展し、それが、茶道という文化芸術の域に達して大流行するという事も、ご存知の通りです。

禅の精神と融合し、それまでの高級な中国製の茶道具をやめ、同じ中国製でも、粗末な器に侘びさびの境地を追求する、いわゆる茶の湯の創始者として有名なのは村田珠光(しゅこう)という人物・・・

その後、その弟子の武野紹鷗(たけのじょうおう)の手によって発展し(10月29日参照>>)、さらに、あの千利休によって完成されるわけですが、そんな茶の湯は、まずは、堺の商人の間で流行し、その後、戦国武将の間で大流行します。

茶の湯に限らず、ものが流行する要因という物は、今も昔も様々にあるわけですが、あえて、代表的な理由をあげてみると、この茶の湯の場合は3つの要因が考えられます。

まず、一つめは、純粋に癒し・・・

あの豊臣秀吉「茶の湯は慰(なぐさ)みにて候」と言っているように、ホッとするし、落ち着くし・・・これは、現在でも、午後のティータイムなんて、大いに共感できるところでもあります。

二つ目は、ステータス・・・

戦国武将として、中国の歴史書や兵法を学ぶのは当たり前・・・でも、これはお互いの戦術を披露する事にもなるので、たとえ、その知識を自慢したくても、あまり相手に手の内を見せるわけにはいかない・・・

そこで、教養の高さを示すのに用いられたのが歌・連歌のうまさだったわけですが、それとともに、この茶の湯も、教養の高さ、センスの良さを自慢できるアイテムとなったわけです。

特に、戦国後半に多く登場する出自の怪しい武将にとっては、公家や都人に対するコンプレックスを跳ね除けるためにも、必要不可欠となります。

そして、最も重要な三つ目は、社交性・・・

多くの場合、茶会の後には、2次会とも言える酒盛りがセットになっているうえ、その合間には、囲碁や将棋が行われたりもしましたから、とにかく、そにに参加した武将同士が仲良く交流する事ができる。

しかも、同じ茶碗を回し飲みする茶の湯は、それだけで、連帯感が生まれる物ですし、その後の飲み会となると、親密感もハンパないわけです。

今は、そうでもなくなりましたが、少し前の一時期、ゴルフがサラリーマンのステータスとなった事を思い返しても、まさにピッタリ・・・

爽やかな風吹くグリーンを、ともに廻って癒され、一緒にお風呂に入って汗を流して連帯感を養い、その後の飲み会でグンと盛り上がる・・・しかも、ちょっぴり高級感のあるところまでそっくりです。

ただ・・・趣味に没頭するとなると、高価な道具が欲しくなるのも人の常・・・

それまで、鷹狩などの動的な趣味が中心だった織田信長などは、「天下を握る者が天下の名器を持つもの」とばかりに、近畿はもちろん、全国から、名器狩りとも言えるほどの凄まじさで「いい仕事」の品を集めました。

まぁ、もちろん、これは、単に欲しかったというよりは、「俺は、これを手に入れる事ができるんだゾ!」という周囲へのアピールでもあったわけで、こっちは、どちらかというと、ポルシェに乗ってる若社長ってな感じでしょうか。

私としてはカウンタックがイイです( ̄▽ ̄)タイガーマスクが乗ってたので・・・

茶の湯については【北野大茶会~秀吉と「茶の湯御政道」】もどうぞ>>
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戦国・安土~信長の時代」カテゴリの記事

コメント

こんにちわ~、茶々様!
なるほど・・・お茶が流行した訳ですか・・・。私はただ単に信長が教養を自慢するために始めたから家来がマネしていただけかと思い込んでいました。(まぁ、いつの時代でも流行に流されてるだけかと・・・)
しかし、お茶とゴルフ・・・なるほどです!
また勉強になりました。


>180万アクセスを達成しました!

お め で と う ご ざ い ま すヽ(´▽`)/

この茶々様のブログに出会い毎日の記事が私の活力となっています。
これからも体に気をつけて頑張ってください。

投稿: DAI | 2010年3月 4日 (木) 13時37分

DAIさん、いつも元気がでるコメントありがとうございます。

茶の湯は、やはり、交流を深める目的が一番であったのではないかと思います。

よく考えたら、今も同じですね。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2010年3月 4日 (木) 18時31分

「茶道はサラリーマンのゴルフの様な物」ですか。今はゴルフが「レジャー」と言うより、観戦スポーツになりましたね。
「社交」の面ではマージャンもそうですね。麻雀はやる人が減った様な気がします。「パソコンゲーム」でできますからね。
この間テレビでやっていましたが、古田織部の時代が茶道の発展期ですね。
茶道はやはり関東より近畿地方の方が愛好者が多いですか?

180万アクセスおめでとうございます。
年内には200万アクセスに届きそうですね。

投稿: えびすこ | 2010年3月 4日 (木) 22時59分

えびすこさん、コメントありがとうございます。

そうですね~
マージャンは、あまり取引先の初対面の人とはやらない気がして、どちらかと言えば、ゴルフのほうが近いかな?と・・・(;´▽`A``

投稿: 茶々 | 2010年3月 4日 (木) 23時22分

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