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2010年4月23日 (金)

柴田勝家&お市・最後の宴~北ノ庄城・炎上前夜

 

天正十一年(1583年)4月23日、先日の賎ヶ岳の合戦に敗れた柴田勝家の籠もる越前北ノ庄城を、前田利家を先鋒とする羽柴秀吉が包囲しました。

・・・・・・・・・

織田信長亡き後、その三男の神戸信孝を抱え込んだ織田家重臣・柴田勝家と、次男の織田信雄を抱え込んだ羽柴(豊臣)秀吉による事実上の信長・後継者争い賎ヶ岳(しずがたけ)の合戦・・・(4月21日参照>>)

勝家側として参戦するも、途中で戦線を離脱した前田利家を味方につけた秀吉は、彼を先鋒に据え、勝家の本拠地・越前(福井県)北ノ庄城に迫ります(2009年4月23日参照>>)

手痛い敗北を喰らって、途中途中で離脱者を出し、すでに全員合わせても約3000ほどの人員となっていた勝家軍・・・

天正十一年(1583年)4月23日北ノ庄城の広間に家臣を集めた勝家は、
「俺が戦場から逃げ帰って城に入ったんは戦の運であって、死ぬのが怖かったわけやないねや。
けど、このまま死んで、君らの親戚や家族が、臆病者の家臣として侮辱を受けたりするとしたら、柴田家にとってこれほど不名誉な事はないさかいに・・・」

と、家臣たちに秀吉へ降伏するように勧めました。

多くの家臣が離脱する中、やはり、一部の旧臣たちは、このまま最後まで勝家とともに行動する事を望みます。

城の四方を囲む敵兵の、灯りもほの暗いその夜・・・残ってくれた80名ほどの家臣を本丸天守に集めた勝家は、ありったけのお酒を以って最後の宴を催します。

「あの猿面冠者(さるめんかじゃ)のせいで、こないになってしもたんはくやしいけど、こうなった以上は、思う存分に酒を酌み交わして、明日は浮世に別れを告げて、夜明けの雲の露と消えようやないかい!」
家臣に語りかける勝家・・・

そこには、家臣のほかに、妻・お市の方3人の娘、女房や尼僧など、身分を問わずに同席して、若い妓女にお酌をさせ、楽器を奏でて舞いを舞う・・・

この世の見納めとばかりに、ド派手に踊り狂うさまは、まるで、戦勝祝いのようだったと言います。

やがて、家臣たちも酔いつぶれ、宴の余韻を引きながらも静かなひとときが訪れます。

結婚して、わずか7ヶ月・・・61歳の勝家と31歳?のお市。

「なぁ、君は信長さんの妹やねんから、あのアホ猿にとっても主君筋・・・きっと大事に扱ってくれるやろうから、このまま3人の姫を連れて、ここを出たほうがええと思うんやけど・・・」
と勝家は、お市の方を説得・・・

しかし
「去年の夏に結婚して、今、こうなったのも運命・・・もう、覚悟はできてます。
出て行くやなんて、考えもしません・・・けど、3人の娘はまだまだ未来がある身ですよって、逃がしてやりたいと思います」

この夜、お市の方が前夫・浅井長政との間にもうけた3人の娘たちは城を出されます。

長女=茶々・・・後の淀殿です。
次女=・・・後に京極高次の妻となります。
そして、
三女=小督・・・後に徳川秀忠の妻となる来年の大河の主役・お江さんです。

Katuieoiti 勝家夫婦辞世の和歌を詠ずる図(絵本太閤記より)

白々と明ける運命の夜・・・

無事に脱出した娘たちの将来に思いを馳せながら、お市の方は、死出の旅路への歌を詠みます。

さらぬだに (うち)ぬるほども 夏の夜の
 夢路をさそう ほととぎすかな  ♪

「それでなくても短い夏の夜が終わちゃった・・・ほととぎすが誘うから、そろそろ逝かなくっちゃ」

妻の歌に勝家が答えます

夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を
 雲井にあげよ 山ほととぎす  ♪

「アッと言う間やったけど、俺らの生きた証しとして、この名を高めてくれよ!ほととぎす」

そして勝家は、そばにいた留守居役の中村文荷斎(ぶんかさい)に、その歌を見せます。

文才のあった彼に、その返歌を求めたのです。

おもうどち (うち)つれつつも 行道(おくみち)
 しるべやしでの 山ほととぎす  ♪

「思うんですけど、お二人の行く先では、きっと、ほととぎすが道しるべとなってくれますよ」

(*ほととぎすは、黄泉の国へと導く鳥とされていました)
(*歌の訳には私的解釈が含まれてます)

その歌に満足したように深くうなずく勝家・・・ほのかに微笑むお市

やがて、静かなあけぼのを破るように、秀吉の総攻撃が開始されるのは午前4時の事でした。

完全に内容がかぶってますが(*´v゚*)ゞ、以前に【勝家&お市の方の最期】という記事も書いていますので、よろしければどうぞ>>
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戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

コメント

お市は享年31歳ですか?もう少し年が上と思いますが、生年にいくつか説があるんですか?信長が享年49歳だから、10歳前後下と思っていますが。
3姉妹が落ち延びる場面を、来年どう描かれるでしょうか?この時点では3人ともまだ10代前半なので、子役を起用するのかな?
そして、少し時間がたって成人後の役の俳優登場となる、はず?
来年はどこから始まるのかが焦点ですね。

投稿: えびすこ | 2010年4月23日 (金) 09時07分

この時代はだれにスポットを当てても劇的な人生を送ってますね。(頼むから変に脚色しないで、TV関係者様)大事に育てた娘が猿面冠者の側室になってその子もろとも大阪城で焼け死に、豊臣家瓦解の象徴になるとは。「かわいそう」というのは今の価値観で、戦国の世に生まれ育った姫君はそんな運命も受け入れる強さがあったんでしょうね。強く、美しく、聡明に描いていただきたいなぁ・・と、もう来年に期待します。勝家さん、いい人そうでよかった。お市さんもいい人と死出の旅ができたのがせめてもの慰めでしょうか。

投稿: Hiromin | 2010年4月23日 (金) 14時41分

えびすこさん、こんにちは~

お市の方は、生年不詳なので、享年も不詳という事になります。

文中に(?)をつけるべきかどうか悩んだのですが、やっぱりつけときます(笑)

来年の大河の場合は、子供の頃の出来事が見白押しなので、今回の「龍馬伝」のように、子役の出演が初回だけってわけにはいかないでしょうね。

「時宗」の時のように、幼児期と青年期の二人の子役さんのほうが自然かも知れません。

「時宗」の時は、「よく見つけてきたなぁ」と関心するくらい将来の役者さんにそっくりな中学生くらいの子たちが頑張ってましたね。

投稿: 茶々 | 2010年4月24日 (土) 10時29分

Hirominさん、こんにちは~

おっしゃる通り、政略結婚がかわいそうなどとのは、現代の私たちの感覚ですよね。

以前も、どこかのページで書かせていただきましたが、「家のためになる」「家族の役に立てる」というのは、戦国の女性にとった最大の幸せだったと思います。

個人的な意見ですが、お市さんが、あれだけ大好きだった浅井長政とは死なないで、勝家さんとの死を選んだのは、そこにあるような気がしてなりません。
極端に言えば「ここで、織田家は終った」と思っていたような気がします。

投稿: 茶々 | 2010年4月24日 (土) 10時42分

最近の大河ドラマは、主人公の子供時代の回が少ないと思いませんか?中には「子供時代なし」の作品もありました。
1月は幼年・少年(少女)期に当ててもいいと思いますが。
普通に考えると上野樹里さんは、15~17歳くらいの時期から登場するのがいいんですが、「幼年・少女時代」の配分を何回に設定するかもカギですね。
「篤姫」や「天地人」もそうでしたが主役の俳優が、自分の年齢の2倍強の享年の人を演じるケースが最近多いです。
今人気の崎本大海君は確か2回かな?「時宗」を入れて大河ドラマで子役をやったのが。
子役の出番が少ないのは、幼少期を(人間形成の意味で)重要視していないのかも?小さい頃のエピソードも面白いんですがね。

投稿: えびすこ | 2010年4月24日 (土) 15時21分

えびすこさん、こんにちは~

あり余るほどの事件に遭遇しながら個人的な記録の少ないお江さんを、どのように描くのかが楽しみです。

投稿: 茶々 | 2010年4月24日 (土) 17時54分

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