« 悲劇の名奉行・小栗忠順の汚名を晴らしたい! | トップページ | 悠久の時を駆け巡る飛鳥大仏の謎 »

2010年4月 7日 (水)

敵は足腰にあり!明智越・体験記

 

昨日、明智越に行って参りました~

明智越とは・・・
あの天正十年(1582年)6月2日、明智光秀が大軍を率いて、主君・織田信長本能寺に攻めた(6月2日参照>>)丹波亀山城を出発して、かの事件現場の本能寺まで向かったルートのうちの一つと言われている道です。

現在では、国道9号線をほぼ同じルートをたどる老ノ坂越が一番有力視され、この老ノ坂越を明智越と称している書籍もありますが、もともと「明智越え」という名で呼ばれていたのは、今回行った保津川の北側から愛宕山を抜ける、このルート

この亀岡から嵯峨抜けるルートは、愛宕山を参拝するための聖なる道として古くからあったらしいのですが、愛宕山への信仰が深かった光秀が亀山城主となった時に、城下町の整備とともに、この道も、騎馬武者や庶民が楽に通行できるように整備しと言われています。

ただし、古くからその名で呼ばれていた明智越ですが、上記の通り、光秀が整備したからその名がついたのか?、光秀がしばしば、この道を通って愛宕山に通ったからなのか?それとも、やはり、本能寺の変の当日に通ったからなのか?というのはよくわかっていません。

現在では一般的な歴史では、この日の光秀は1万5千の軍を3段に分け、北から「明智越」「唐橿越」「老ノ坂越」の3方向から本能寺へ向かったとされていますが、地元の伝承では、その中で光秀本人が通ったのは、この明智越であると言われていて、いくつかのこの地にまつわる伝説も残っています。

「あの光秀が通ったかも知れない道を行くなんて!」
と、わくわくドキドキの私でしたが・・・しんどかった~~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

いや、いや、ウォーキングが趣味、ハイキングが趣味なんていう歩く事が得意な方々にとっては、たいした事はないのでしょうが、ワタクシは、単なる歴史好きのインドア派・・・歴史人物に少しでも近づきたいという一心で歩いているだけなので、とてもとても・・・

しかも、お恥ずかしい事に、今では「明智越ハイキングコース」として整備されている道にも関わらず、今回は途中まで・・・というのも、上記の通り、本当の明智越は、亀岡から出発して水尾へ行き、その後、愛宕山も登って京都まで行かなきゃなきゃいけないわけですが、さすがにそれはムリって事で、水尾のちょっと手前から「保津峡ハイキングコース」へとルートを変え、JR保津峡駅へ向かうというルートをとりました。

Aketigoeroot2a コース入り口にある案内板の地図

まずは、亀岡駅から保津大橋を渡ってまっすぐ・・・

Dscn9550sterta 農協ガソリンスタンド前右手に見える坂道を上り、文覚寺というお寺を過ぎた二又を右に行けば、

その道沿いに「明智越ハイキングコース」と書かれた案内板があり、その左横の1人ずつしか歩けないような道↑から山へ入ります。

つまり、ここから明智越のスタートです。

Dscn9577a600 上記の地図で見るところの、最初の30分=峯の堂までが、けっこう急な上りなのでメチャメチャしんどいです。

←写真ではあまり急な坂には見えませんが・・・

それにしても、馬通れるんかいな?

 

Dscn9582800 峯の堂(むねんどう)

ここは元慶四年(880年)に、あの清和天皇が崩御(12月4日参照>>)された場所とされていて、ご遺体を森に納め、社を建立したとされている小高い丘のような場所ですが、現在はお堂は建っていません。

しかし、あの日、光秀がここで必勝祈願をして本能寺へ向かったものの、ご存知のように、すぐに羽柴(豊臣)秀吉に討たれてしまう事から(6月13日参照>>)「峯の堂」と書いて「むねん(無念)堂」と読むのだとか・・

その後の40分=峯の堂から土用の霊泉までは、比較的ゆるやかな上りか、尾根づたいの上下のない道なので、ちょっと楽・・・

Doyounoreisena630jpg この土用の霊泉は、どんなに暑い夏の土用にも枯れる事がなく、こんこんと湧き出る泉だそうで、あの本能寺の変の時、光秀が、止血の特効薬である薬草=三七草(さんしちそう)をこの水に浸し、それを鎧の下に潜ませて本能寺に挑んだとの伝説が残ります。

最後、土用の霊泉からは下りで楽なのですが、逆に急な下りで、コケでぬるぬるだったので、2回もすべってしまいました~

 

 

Dscn9600a800  
 .

とにかく、道筋には→のような案内板が要所々々に設置してあるので、道に迷う事はないようです。

今回の場合は、途中で、保津峡ハイキングコースにルート変更するので、別れ道で、右に曲がるという部分がありますが、そこにもちゃんと
「←明智越ハイキングコース」
「保津峡ハイキンギグコース→」の案内板がありました。

あとは、保津峡駅から北に伸びる水尾からの道へと、自然と合流して駅へ向かう事になります。

それにしても、またしても先人に尊敬の念・・・とてもじゃないが、このコース+愛宕山の登山を、たった一晩・・・しかも雨のそぼ降る闇夜にはムリです~

私の敵は、本能寺ではなく、まだまだ鍛えたらない足腰にありました( ̄◆ ̄;)

Togetukyousakura1a900 桜満開の嵐山・渡月橋付近

・・・とは言え、その後、キッチリ嵐山の満開の桜を愛で、しかもライトアップまでウロチョロする、山越えとは別の楽しみのほうはじっくり味わったんですけどね
 .
 

内容が「おもしろかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】で応援を・・・
このブログ内での人気ページとしてランキングされます
(゚ー゚)あなたの応援で元気でます!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 悲劇の名奉行・小栗忠順の汚名を晴らしたい! | トップページ | 悠久の時を駆け巡る飛鳥大仏の謎 »

戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

京都・大阪・奈良史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

昔の人の脚力には驚かされます。ほんの半世紀前には車も今ほど普及してなくて…山間部の人などは魚が欲しい時には、朝早くに起きて海辺の町まで歩いて買いに行ったナンテ話を小さい頃に祖母から聞かされたモノです。ましてや戦国の世にあっては兵士は毎日戦場を駆けずり回ってたでしょうから、僕らが困難に感じる道なんて朝飯前だったかも知れませんね。

投稿: マー君 | 2010年4月 7日 (水) 09時54分

>・・・とは言え、~

タフですね(笑)
楽しまれたようでなによりです。

投稿: ことかね | 2010年4月 7日 (水) 12時45分

マー君さん、こんばんは~

>昔の人の脚力には驚かされます

ホントですね~
つくづく感じました(*´v゚*)ゞ

しかも、甲冑をつけて闇夜に・・・
尊敬します。

投稿: 茶々 | 2010年4月 8日 (木) 01時37分

ことかねさん、こんばんは~

>楽しまれたようで・・・

はい、
天龍寺の桜も満喫してきました。
ちょうど満開だったので、とてもキレイでした。

投稿: 茶々 | 2010年4月 8日 (木) 01時40分

茶々様へ
 いつも楽しく拝読させていただいております。
 なんと今日の記事は明智超えではありませんか、しかも写真入りですよね。入り口は私の家から100mほどのところにあるのですよ、しかも当日は娘の十三参りで嵐山に出向き天竜寺の駐車場に車を止めて桜を満喫していたんですよ、びっくりです。
 保津町という所は市街化調整区域になっていますので少子高齢化をまともに受けておりますが、団結力は強く小学校を中心に自治会組織と一緒になってがんばっています。
 先日の京都新聞丹波版の記事を記載しておきます。

「保津百景」

貴重な古地図や写真も収録して保津地域の伝承や成り立ちなどを紹介する「保津百景道しるべ」
 地域の伝承や史跡を学校教育に役立ててもらおうと、京都府亀岡市の保津町自治会はこのほど、町独自に選定した「保津百景」を解説する教材用のテキストブック「保津百景道しるべ」を作製した。
 同自治会は2007年12月、後世に残したい町内の歴史遺産や風景、伝承などを「保津百景」として選定。町内160カ所に案内看板を設置し、住民や観光客が歩いてたどれるようにと、四つの散策コースも設定した。
 A4判160ページのテキストブックでは、写真や明治初期の古地図などを交えて看板設置場所全160カ所の由緒や歴史を解説。村人を化かしたキツネの「火無しのお龍さん」など古老に伝わる民話のほか、保津川開削の名残で付いた「轆轤(ろくろ)坂」など地名の由来も紹介している。
 編集した同自治会の・・・は「昔は祖父母や親と山や畑仕事をしながら言い伝えを教わったが、今は伝承の場がなくなった。手作りの教材で地域の文化を継承していければ」と話している。初版の30部は今春保津小を卒業する児童に配布した。


投稿: おやじ | 2010年4月 9日 (金) 11時23分

おやじさんこんにちは~

>入り口は私の家から100mほどのところに・・・

えぇ???
そうなんですか?
じゃぁ、前を通ったかも知れませんね。

天龍寺にも行きましたし・・・
それに、十三参りと言えば、ひょっとして法輪寺ですか?
法輪寺も行きましたよ~
あそこから桜越しに眼下の渡月橋を堪能してました。

以前、JR保津峡駅から嵐山までも歩きましたが、本当にステキなところですね。
ご紹介ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2010年4月 9日 (金) 13時50分

 当然、法輪寺です。
 姉と兄の時は日曜日でしたので大変な人でした。今年も4日の日曜日を予定したのですが、上の二人が友達と約束してたみたいで行けないと言い出したから下の娘は不満が爆発しました。今まで皆でお祝いしてきたのに何で自分の時はついでみたいな扱いされなあかんにゃということで急遽皆が行ける日を段取りし直して私と家内は休みを取って平日の8日になりました、おかげで本堂の中にもはいれましたし、ご祈祷もありがたみがありました。ということで、娘には振り向いたら授かった知恵が逃げていくでといっていましたが、私を振り向かせるほどのべっぴんさんとすれ違ったのは茶々さんだったのかもしれませんね。

投稿: おやじ | 2010年4月 9日 (金) 17時47分

アハ・・・
ほんとに・・・会ってたかも知れませんね。

桜があまりにもキレイなので、
「あっちにも行きたい!」
「こっちにも行きたい!」
と、チョコマカ歩きまわっていたので、挙動不審者として振り向かれてたかも知れませんが・・・

ひょっとして、本堂の前でご祈祷を待っていらしたご家族かも・・・
ドキドキ(/ー\*)

投稿: 茶々 | 2010年4月 9日 (金) 20時28分

私も今夏に歩きました。茶々さんと同じコース!本当は愛宕山まで行かねばならなかったのですね(^^)
最近、山登りをしていて近畿の山はどこにいっても歴史があるので楽しいです!

後日、清滝から愛宕山登りました(^^)

「ときは今 あめが下しる 五月かな」だったんですかね(^^)

投稿: ひろし | 2016年11月28日 (月) 19時51分

ひろしさん、こんばんは~

私が行った時は、台風の後で木が倒れてしたりして、けっこう大変でした。
もっと、足腰鍛えないとあきませんね。

投稿: 茶々 | 2016年11月29日 (火) 02時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/34113954

この記事へのトラックバック一覧です: 敵は足腰にあり!明智越・体験記:

« 悲劇の名奉行・小栗忠順の汚名を晴らしたい! | トップページ | 悠久の時を駆け巡る飛鳥大仏の謎 »