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2010年5月24日 (月)

空飛ぶヒーロー・役行者の流罪のウラに利権問題?

 

文武天皇三年(699年)5月24日、役行者が弟子の讒言により伊豆に流罪となりました。

・・・・・・・・・・・

この流罪の日づけは『続日本紀(しょくにほんぎ)に登場するもの・・・役行者(えんのぎょうじゃ)のお話は、上記以外にも、『日本霊異記』『本朝神仏伝』『今昔物語』『扶桑略記』などに記されていますが、いずれも、事実というよりは説話・伝説に近い物でありますので、今日のお話も、一つの説とお考えいただきながら聞いていただければ幸いです。

役行者は、本名を役小角(えんのおずね)と言い、大和国(奈良県)南葛城郡茅原(ちはら)の出身で、加茂氏の末裔だと言われています。

名前もいくつかあって、「役君(えんのきみ)」「役公(えんのきみ)」「役優婆塞(えんのうばそく)」「小角仙人(しょうかくせんにん)などと呼ばれるほか、「役」を「えだち」と読み、「小角」を「をずみ」と読みべきであるとの話もあります。

一般的には舒明(じょめい)天皇六年(634年)の正月生まれというのが有名ですが、これも根拠はなく、実際には不明です。

幼少の頃から神童の誉れ高く、長じて呪術をよく使いますが、やがて32歳の時に葛木(葛城)に登って、金銅の孔雀明王の像を安置した岩窟内で草衣木食(そういもくじき)修行をする事30年・・・ついに呪術を完璧にマスターしたのだとか・・・。

前鬼(ぜんき)後鬼(ごき)二人の鬼(夫婦とも言われる)従者として使い、水を汲ませたり、薪をを取って来させたりという日常の雑用をさせていたと言います。

大和国から紀伊(和歌山県)摂津(大阪府北部)までの高山=金峯(きんぷ)大峯山高野山箕面(みのお)などを統治・開拓したとされ、その弟子も数え切れないくらいいたとされます。

そんな小角が金峯山と葛城山の間に石橋を架けようとした時、弟子の1人の「役行者は天皇への謀反をくわだてております」という讒言(ざんげん・悪口チクリ)によって伊豆へと流罪・・・

時の天皇・第42代文武天皇は、彼を捕らえようとするも、その不思議な力で捕縛する事ができず、やむなく小角の母を捕らえて人質とし、その命と引き換えに、小角の身柄を確保しました。

その罪状は、「妖言(ようげん)を吐いて世俗を惑わせた罪」(←謀反やなかったんかい!)という事だそうで、宗教弾圧の時に使われる、ありがちな罪ですね。

・・・で、この時に、天皇にチクった弟子というのが一言主神(ひとことぬしのかみ)・・・アレレ???

この一言主神って、『古事記』『日本書紀』では雄略(ゆうりゃく)天皇の行列と山道でバッタリ出会って、「我は神である!」と言って天皇を平伏させたり、その後、仲良くなって、いっしょに狩りをしたりしてませんでしたっけ???

雄略天皇と言えば第21代の天皇(8月7日参照>>)・・・年代的に言えば西暦460年頃~480年頃に在位していたとされる天皇です。

・・・って事は、この時、300歳くらいになっとるがな!

いえいえ・・・文書の中には、「一言主神 宮城人ニ付テ云ク」と伝えるものもあり、どうやら、誰かに神が憑依(ひょうい・とりつく事)して、いわゆる神のお告げとして言ったという事のようです。

とは言え、神であるはずの一言主が、役小角の弟子にというのは???

伝説によれば、役小角は、先に書いた前鬼や後鬼と同様に、一言主を従者の1人として、様々な命令を下していたという事ですが、その一言主神も葛城山の神であるという事をご存知の方も多いはず・・・

もともと、葛城山を支配していた神・・・
そして300年後にその場所を統治している役小角に、その神が手足となって仕える・・・
やがて、天皇へのチクリ・・・

なんとなく、見えてきましたね。

役小角は、多くの鬼(おそらくは征服した相手の事)や多くの弟子を従者として駆使しますが、その命令を聞かない者には、ただちに呪縛をかけていたとも言います。

一説には、「行者に呪縛されたため一言主は現世に至っても解脱(げだつ・煩悩の束縛から逃れる事)ができないでいる」とも言われ、その関係は師匠と弟子というより、支配者と被支配者の関係のようです。

そんな中、今回の流罪となる文武三年と奇妙に一致する記述が見られる文献があります。

『神社大観』によれば、役小角は、文武三年に秩父三峯神社にしばしば訪れて修行し、「是より東国の行者の跡を慕い」護摩供を行ったとされます。

これは、埼玉県秩父にある今宮神社の伝承にもあり、そこでは、この文武三年と、流罪が許された後の大宝年間(701年~704年)に訪れたとされています。

さらに、気になる事・・・
秩父&この年代とくれば、おそらく地元の方は、もうお解かりだと思いますが、『続日本紀』にある、銅の献上のくだりです。

慶雲五年(708年)に、郡司を通じて朝廷に自然銅が献上されたとあり、喜んだ第43代元明天皇が、元号を和銅に改元し、例の和同開珎の鋳造・・・という事になる、あの話です。

『続日本紀』では、その場所は特定されていませんが、現在では、年代の一致する銅の精錬所跡も発見されており、それが秩父盆地一帯のどこかであった可能性が高く、現地には、「和同開珎のモニュメント」まで建てられていますよね。

そうです。
この時期に、銅がワンサカ出る事がわかった秩父へと、その勢力を伸ばしつつあった(あるいはすでに一部支配していた?)役小角・・・それを阻止せんとする朝廷

そこに、かつて征服されて支配下となってしまった一言主の一族が、その復権をもくろみ・・・ひょっとして、これは銅をめぐる利権の争いなのでは?

かつて、あの桃太郎が、鉄の利権を求めて吉備の国(岡山県)と争ったように(12月1日参照>>)、この役小角の流罪は、宗教がらみだけではなかったのかも知れません。

Taimaderaenbou2a900 役行者が現在の地に移したとする當麻寺(奈良県当麻)

・・・とは言え、山岳修行によって「海上を自在に走り、鳳のように空を舞う」とされた役小角の話は、後に生まれた密教の発展とともに山岳修行する修験者たちによって、徐々に神格化されていき、やがて役行者というスーパーヒーローとなる・・・それが、ちょうど平安時代の頃で、数々の霊的物語によって、その伝説が後世に伝えられる事となったのでしょう。

一方、復権を願って暗躍した一言主神・・・
その後、修験道がやや衰退するとともに、一言主神は再び盛り返し、現在では「一言の願いを必ず聞いてくれる神様」として信仰を集めていますので、征服された側の一族の願いは、一応叶ったというところでしょうか。
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飛鳥時代」カテゴリの記事

コメント

茶々さん、こんばんは!

役行者のことはじめて知りました!(無知ですみません…)とてもおもしろい話だなwと思いました!隠された意図が…っていいですね!
飛鳥時代…天智天皇くらいからしか分からないです(汗)でも、そこらへん面白いですよね!昼ドラみたいにドロドロとしてて。妹に手をだしちゃダメでしょ!!てヤツです。遠智娘かわいそ~! 蘇我倉山田石川麻呂もあはれ…。
額田王もカッコいいですよね!「額田王恋物語」、楽しく読ませてもらいました!うん、面白い!!
ちなみに私は天智天皇かなり大好きですwそして彼のひ孫の桓武天皇もww
はい、すみませんでした。

投稿: 暗離音渡 | 2010年5月24日 (月) 23時41分

茶々さんのブログを拝見していますと、本当にへぇ~という思いがします。後世に伝説として残る理由にはいろんな意味が見え隠れしていることを改めて認識しました。

投稿: 伸之介 | 2010年5月25日 (火) 00時48分

暗離音渡さん、こんばんは~

飛鳥時代は、私も中学時代がマイブームでしたww
桓武天皇も少々ビビリ過ぎの気配はありますが、なかなか魅力的ですね。

投稿: 茶々 | 2010年5月25日 (火) 03時44分

伸之介さん、こんばんは~

役行者は、弘法大師や平家の落人と同じで、日本全国どこ行っても何かしらの伝説が残っている人なので、どこまで事実なのか怪しい部分もありますが、それらの伝説の中には、そのおおもととなった何かが隠れているような気がします。

投稿: 茶々 | 2010年5月25日 (火) 03時47分

[役小角]
私の中ではヒーロー的な存在です。
あこがれ!?のお方です^^
まるでエスパ-!?スーパーマン!?
全能で神秘的な魅力を持ち併せていて
とてもまっすぐな方であったのだと思います。
人は羨み妬む…悲しいさががあの時代にもあったのですね。
存じあがなかったお話も知ることが出来て…
素敵なお話を~ありがとうございます^^

投稿: tonton | 2013年7月 7日 (日) 14時29分

tontonさん、こんばんは~

宗教対立だけではなく、利権や民族の争いも絡んでいたのかもしれませんね。

投稿: 茶々 | 2013年7月 9日 (火) 00時31分

 こどもの頃見ていたNHKの「新八犬伝」で、役行者のことを知りました。

 鳥取県にある三徳山の投入堂(国宝になってましたね)を法力で投げ込んだとか、数知れない伝説に彩られた興味深い人物ですね。

 20年位前に当時東京の池袋にあった東武美術館で、役行者をテーマにした展覧会を見ました。

 役行者の像が手に持っていた杓杖が、驚くほどまっすぐに作られていたのが非常に印象深かったです。
 あの像はどこのお寺に所蔵されてるものだったかなあ…

また機会があれば見たいです。

投稿: とらぬ狸 | 2015年4月23日 (木) 23時52分

とらぬ狸さん、こんばんは~

役行者の伝説は、全国各地にありますね~
謎の人ですが、知名度はあります!

投稿: 茶々 | 2015年4月24日 (金) 01時54分

役小角が額田王に一目惚れして・・・という小説を「札幌文学」に一昨年書きましたら、面白い、と評判呼びました。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2015年5月 1日 (金) 18時59分

根保孝栄・石塚邦男さん、こんばんは~

それは面白いですね。

投稿: 茶々 | 2015年5月 2日 (土) 03時21分

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