« 豊臣秀吉の遺言と徳川家康の思惑 | トップページ | 夢は自分でつかむ物…征夷大将軍・足利尊氏 »

2010年8月10日 (火)

夫婦円満?初の民間皇后・光明皇后と聖武天皇

 

天平元年(729年)8月10日、藤原不比等の娘・光明子第45代聖武天皇の皇后に・・・という詔が発せられ、日本初の皇族以外の皇后が誕生しました。

・・・・・・・・・・

まさに、藤原不比等(ふじわらのふひと)(8月3日参照>>)橘三千代(たちばなのみちよ・県犬養三千代)(1月11日参照>>)夫妻の計画通り・・・

すでに不比等自身は亡くなっているとは言え、不比等の娘を母に持つ天皇と不比等を父に持つ皇后・・・見事、藤原氏全盛への基礎となった出来事でした。

ただ、このように、政略結婚丸出しのお二人ではありましたが、個人的には、おっとり型の夫と、しっかり者の妻という、なかなかお似合いのカップルであったように思います。

聖武天皇と言えば、一番に思い出すのは、あの東大寺の大仏・・・

これは、全国各地に国分寺を建立して、その地方が中央政府の傘下である事を再確認するとともに、その中心となる総国分寺東大寺に大きな仏様を建立して、仏教の力によって、国の混乱を収めようとしたもの・・・

確かに、聖武天皇の名のもとに行なわれた一大事業でありましたが、『続日本紀』などの後年の文書には、はっきりと「東大寺と国分寺の創建は、もともと皇太后(光明皇后)の勧めによるものである」と記載されています。

最近では、大仏殿横の発掘調査から出土した様々な発掘品によっても、光明皇后が、聖武天皇に負けず劣らずの大活躍で、大仏開眼に関わっていた事が、証明されつつあります(4月9日参照>>)

ところで、この頃の聖武天皇・・・
藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の反乱(9月3日参照>>)や、天然痘の恐怖におののき、平城京から逃げるように度々都を替えて(10月15日参照>>)、なにやら、気弱で情けない雰囲気に見えますが・・・

実は、書道史研究の観点から、この聖武天皇を性格を判断できるという事らしいのです。

それこそ、大陸から仏教が伝わって、この地で花開く頃から現在まで、その精進には、「写経」という物が欠かせないわけですが、書道からみると、この天平時代の写経における小楷(しょうかい・文字の小さな楷書の事)は、トップレベル・・・つまり、写経の文字に関しては、この時代の人々が一番ウマイのだそうです。

昔から「書は人なり」なんて言います。

今でも、筆跡によってその人の性格を判断する占いめいた手法もあるくらい、文字には、書いた人の性格がにじみ出るものですよね。

・・・で、その観点から、現在に残されている聖武天皇の筆跡を見てみると・・・

これが、そんな上手な人たちの中にあっても、
「品格の高さにおいて、他より抜きんでている」
のだそうです。

確かに、宝物庫などに収められているソレを見る限りでは、聖武天皇が書かれたとされる文字は線が細く女性的・・・逆に、光明皇后の文字は力強くで男っぽいですから、多少、気弱というのは当たっているのかも知れませんが、プロから見れば、ただの気弱ではなく、繊細、かつ、そこはかとなく匂い立つような品格が感じられるのだそうです。

そんな聖武天皇が崩御され、あとに残された身近な愛用品の数々・・・

光明皇后は、
「その品々を見るたびに、泣き崩れてしまうので・・・」
と、それらの品々を、生前の聖武天皇が愛した東大寺に献納した・・・それが、かの正倉院の宝物なわけです(6月21日参照>>)

夫の愛用した品を見るたび、涙が出るとは・・・

また、光明皇后は、様々な福祉施設を建て(4月17日参照>>)、自らがその運営に関わる慈愛の人でもありました。

そんな光明皇后の男勝りな文字は、私には、男のように力強いというよりは、「母は強し」という感じの母性を感じてしまいます。

これらの光明皇后の生き方、そして、大仏開眼から正倉院建立と続く一連の流れと、繊細な品格を持つ聖武天皇との関係を思うと、そこには、藤原氏が絡む政略結婚のイメージはなく、少なくとも、二人は相思相愛・・・お互いの弱点を補いながら、良きところは認め合って、さらに伸ばしていくような夫婦愛が感じられます。

ただ、お互いに天皇と皇后という立場・・・当然の事ながら、まわりの政情に影響された事もあったかも知れませんが、一歴史ファンとしては、良き夫婦だったのだろうと思いたいですね~。

そんな光明皇后は、夫=聖武天皇の死から4年後の天平宝字四年(760年)6月7日59年の生涯を終えました(6月7日参照>>)

Dscn0455a800 若草山から東大寺・大仏殿を望む
 .

内容が「おもしろかった」と思っていただけました
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 豊臣秀吉の遺言と徳川家康の思惑 | トップページ | 夢は自分でつかむ物…征夷大将軍・足利尊氏 »

奈良時代」カテゴリの記事

コメント

正倉院展で二人の書を見た事あります。ベストカップルだったと思います。大仏建立で、財政破たんの原因になりましたが。

投稿: やぶひび | 2010年8月11日 (水) 15時20分

やぶひびさん、こんばんは~

やっぱり、ベストカップルですよね

投稿: 茶々 | 2010年8月12日 (木) 00時48分

はじめまして、こんばんは~。
とても面白い記事でした☆
大仏開眼に光明子が大きく関わっていたとは意外でしたっ!

投稿: くるみりす | 2010年8月13日 (金) 23時15分

くるみりすさん、はじめまして~

そうなんです。
大仏建立での光明皇后の活躍は、最近特に注目されています。

更なる発見に期待ですね。

投稿: 茶々 | 2010年8月14日 (土) 01時34分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/36104114

この記事へのトラックバック一覧です: 夫婦円満?初の民間皇后・光明皇后と聖武天皇:

« 豊臣秀吉の遺言と徳川家康の思惑 | トップページ | 夢は自分でつかむ物…征夷大将軍・足利尊氏 »