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2010年10月15日 (金)

坂本龍馬の婚約者~鬼小町・千葉佐那

 

明治二十九年(1896年)10月15日、北辰一刀流剣術千葉定吉の次女で、自らも北辰一刀流の小太刀免許皆伝長刀師範でもある千葉佐那がこの世を去りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

坂本龍馬が、土佐(高知県)で通っていた日根野(ひねの)道場からの紹介状を貰って江戸に出て、名門の誉れ高い千葉道場にやって来たのは、彼が18歳の時でした。

道場主は千葉定吉(さだきち)と言い、あの北辰一刀流剣術の開祖・千葉周作の弟です。

龍馬は、いつも道場の片隅に座る美少年が、何やら気になります。

・・・というのも、「どうも他の門弟とは雰囲気が違う・・・」

龍馬は、その美少年こそ、定吉の息子に違いないと思い、丁寧に自己紹介するとともに、自分に稽古をつけてくれるよう願い出ます。

手合わせしてみると・・・これが、かなり強い!!

子供を相手にするようにあしらわれてしまい、まるで勝負になりません。

しかし、何度も挑戦しているうちに、いつしか組打ちに持ち込みます。

その美少年が、いくら剣が強くても、体の大きさは龍馬の方が数段デカイ・・・「組打ちになれば、こっちのもの」とばかりに馬乗りになり、強引に面を剥がすと、なんと、その美少年は女性・・・

・・・と、なんだかドラマのような始まりになりましたが、この彼女が、北辰一刀流の「中目録」まで進み、その強さから「千葉の鬼小町」と呼ばれていた定吉の次女・千葉佐那(さな・佐奈・さな子)・・・龍馬の婚約者とされる人です。

とは言いつつも、実際には、龍馬と佐那がどのような関係にあったのか?というのは、はっきりとはわかっていないようです。

現在、山梨県甲府市清運寺の佐那の墓碑に「坂本龍馬室」と刻まれている以上、奥さん、もしくはそれに近い関係だったのかも?

ご本人の回想では安政五年(1858年)頃に婚約したと言ってますし、明治の始め頃に勤めていた学習院・寄宿舎でも、卒業生の一人に形見の片袖を見せながら「私、龍馬さんの許婚(いいなずけ)だったの」と漏らした事があるのだから、やはり婚約者だったのかも?

この片袖というのは、龍馬が2度目の剣術修行で江戸にやって来た時に、佐那との婚約が整ったとして龍馬に贈るために、父の定吉が染めた紋付で、龍馬の死後に佐那が、その片袖を切り取り、形見として持っていた物とも言われています。

龍馬は龍馬で、土佐にいる姉・乙女への手紙にて
「はじめ名を乙女といい、馬によく乗り、剣も手強く、長刀(なぎなた)も出来、力は並々の男より強く、顔形は平井加尾(かお・土佐のおさななじみ・4月12日参照>>より少しよく、十三絃の琴をよく弾き、絵も描き、心ばえ大丈夫にて男子など及ばず、至って静かな人」
と、メチャメチャ褒めちぎって紹介しているところをみると、まんざらでも・・・いや、かなり好きだったと思われます。

しかし、その婚約後まもなく帰国した龍馬は、文久二年(1862年)に脱藩をします。

その年の8月には江戸にやって来て、しばらくは千葉道場に身を隠していたと言いますが、その頃に勝海舟に出会った龍馬は、以来、勝先生一筋となり、ほとんど千葉道場には寄りつかなくなってしまったのです。

結局、このウヤムヤな別れが、龍馬と佐那の生涯の別れとなってしまいました。

その後、龍馬は、まるで佐那との事がなかったかのように、京都でお龍さんと結婚しちゃいますが・・・

明治四年(1871年)、佐那は戸籍を抜いて家族と、そして剣術とも決別します。

明治十五年(1882年)9月には、知人の紹介で学習院女子部の寄宿舎の管理人を務めて、その後、東京の千住にて、家伝の灸を用いた「千葉灸治院」を開業しています。

この治療院に度々訪れていたのが、板垣退助から紹介された山梨県の自由民権運動家小田切謙明豊次(とよじ)夫妻・・・先ほどご紹介した「坂本龍馬室」と刻まれた佐那の墓碑は、佐那が明治二十九年(1896年)10月15日59歳で亡くなった後、一旦、東京に埋葬されたのを、「このままでは無援仏になるかも・・・」と心配した夫妻が、甲府の小田切家の墓地に分骨して埋葬したものだそうです。

これらの逸話から、これまでは、佐那は、中途半端な別れとなってしまった婚約者・龍馬の事を、ひたすら思い続けて独身を貫いたと言われてきましたが、今年2010年7月、龍馬の死後、佐那さんが別の人と結婚していた事が書かれている明治三十六年(1903年)の新聞記事が発見されたのです。

それは、その年の8月~11月に毎日新聞(現在の毎日新聞とは別)に連載された記事で「千葉の名灸」と題し、先の針灸院のお話を中心に、佐那の親族への取材をもとにして書かれたもので、専門家の間でも、かなり信憑性が高いとの評価を受けています。

その記事によれば、明治六年(1873年)に横浜に移り住んだ佐那に、父・定吉が剣術師範役を務めていた鳥取藩の元藩士・山口菊次郎なる人物が求婚し、「龍馬さんの7回忌も終わったし・・・ま、いいか」と、佐那はOKしたのだとか・・・

結局、その菊次郎が浮気性だったため、10年ほどで破局を迎え、その後、千住に移り住み針灸院を営んだという事のようです。

どうなんでしょう?

ドラマのような純愛を想像していた方にとっては、龍馬を思いながら独身を貫いた佐那さんの美しく可憐な姿が、結婚していた事によって、少し崩れるのでしょうか?

なんせ、幼馴染の加尾さんも、寺田屋のお龍さんも、その後、結婚してますからねぇ。

でも、私的には、佐那さんが結婚していてくれて、少し、ホッとした気分です。

なんせ、龍馬は、佐那さんとの関係を宙ぶらりんにしたまま、お龍さんとよろしくやってたイメージがあって(私の勝手なイメージです)、逆に、佐那さんは、グッと堪え忍んで・・・などと想像していたので、たとえ最終的に離婚という結果になったとしても、一時は「結婚してみよう」という前向きになった時期があった・・・しかも、その新聞記事によれば、父の反対を押し切って結婚したようですので、何やら活き活きとした元気ハツラツの若い頃の佐那さんを取り戻してくれていたようで、安心した次第です。
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

佐那さんは結婚してたんですか?知らなかったです。その「記事発見」はテレビで取り上げていましたか?
龍馬伝関係で今年は新発見が続きますね。

投稿: えびすこ | 2010年10月15日 (金) 08時29分

茶々様。戸籍が残っていたら、はっきりすると思います。龍馬の直系の子孫がいたりして。そういえば、龍馬切手のおりょうさんは差し替えになったとか。

投稿: やぶひび | 2010年10月15日 (金) 10時09分

お久しぶりです。私も、茶々様と同じことを考えており、「龍馬って罪な男だな」と思っていました。結婚がすべてではないけれど、一時でも佐那さんに幸せな時間があったことを祈ります。

投稿: 露草 | 2010年10月15日 (金) 12時53分

えびすこさん、こんばんは~

テレビでは…どうでしょう?
ただ、新聞には載ってたと思います。

投稿: 茶々 | 2010年10月15日 (金) 23時30分

やぶひびさん、こんばんは~

>龍馬切手のおりょうさんは…

そうなんですか?
何があったんでしょう?
気になりますね~

投稿: 茶々 | 2010年10月15日 (金) 23時32分

露草さん、こんばんは~

>私も、同じことを考えており…

やっぱ、そうですよね~

佐那さんの事を無かった事にしてお龍さんと結婚したなら佐那さんがかわいそうだし、佐那さんの事がまだ好きだけど、自分は脱藩した身なのであきらめてお龍さんにしたのなら、お龍さんがかわいそうです。

女の立場から見ると、はっきり別れを言わないのは、やっぱズルイと思ってしまいます。

投稿: 茶々 | 2010年10月15日 (金) 23時37分

龍馬が千葉道場にいた頃(最初に上京したとき)、龍馬を訪ねてきた桂小五郎が佐那子に一目ぼれし、その後龍馬が土佐に一度戻った後も小五郎は足しげく千葉道場(付近)に通っていたとかなんとか。

私も「龍馬ひどいなー。切ないなあ」と思っていた口なので、結婚していたと知ってなんだかほっとしました。

投稿: おみ | 2010年10月24日 (日) 01時03分

おみさん、こんばんは~

へぇ~桂小五郎さんも…
やはり、佐那さん、評判通りの美人だったんですね~

投稿: 茶々 | 2010年10月25日 (月) 02時32分

「龍馬伝」を見ていて、最近は親族の女性の影が薄いなと感じます。特に乙女さんが全然出ません。
先日、「龍馬伝であか抜けていない所がある」と書いてましたが、どういう点でそう思いますか?私は登場人物の発言を聞いていると、「吹っ切れていない点」があると感じます。行動を躊躇する場面が多いなと。

気がつくと残りあと5回になりましたね。

投稿: えびすこ | 2010年10月25日 (月) 11時55分

えびすこさん、こんにちは~

「龍馬伝」があか抜けていないのではなく、「龍馬伝に出ている岩崎弥太郎が、いつまでもあか抜けない」と言ったと思うんですが…

今は、けっこう出世しているはずだし、何たって藩士です。
なのに、「浪人あがりの集合体の海援隊士よりあか抜けていないのは、どうなんだろう?」と思っただけです。

投稿: 茶々 | 2010年10月25日 (月) 14時36分

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