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2010年11月30日 (火)

明治のジャーナリスト・成島柳北

 

明治十七年(1884年)11月30日、幕末には徳川幕府の学者として活躍し、維新後はジャーナリストとしてその才能を発揮した成島柳北が48歳でこの世を去りました。

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天保八年(1837年)、成島筑山の三男として(養子の説もあり)浅草に生まれた成島柳北(なるしまりゅうほく)は、その成島家が将軍に学問を教える奥儒者(おくじゅしゃ)の家柄であった事から、家を継ぐべく存在として、祖父や父からミッチリと教育を受けます。

柳北自身も、それに応えるべく、幼い頃から勉学に励み、見事に吸収していったのです。

Narusima やがて、成島家のもう一つの役目である徳川家の公式記録=『徳川実記』の編さんにも関わりながら、13代将軍・徳川家定や14代将軍・徳川家茂(いえもち)『日本外史』の講義も行うようになります。

彼のオモシロイところは、そんなお堅い仕事をするかたわらで、『柳橋(りゅうきょう)日誌』なる書物も書き残しているところ・・・この『柳橋日誌』は、その名前でもお察しの通り、色街のガイドブックのような物で、柳橋の遊郭街の繁盛ぶりを紹介しながら、そこに絡む人々の人情や、女の子のかわゆさなんかを絶賛するという、かなりくだけたシロモノです。

しかし、文久三年(1863年)・・・優秀であるがゆえに、将軍に対して、その講義の中で、これまでも度々、幕府機関・再編の独自の計画を提案していた柳北は、それが、ことごとく採用されなかった事で、幕府への不満を狂歌に託して発表!!

これが、お咎めを受けてしまい、3年間の閉門(謹慎)という処分を喰らってしまいます。

ところが、転んでもタダでは起きない柳北・・・この間に洋楽を学びに学んで、その知識はさらに拡大・・・慶応年間には外国奉行会計副総裁などを歴任します。

やがて、幕府の崩壊を見届けた柳北・・・新政府の役職には目もくれず、自ら一平民となって、明治五年(1872年)から約1年かけて、東本願寺法主(ほっす・最高指導者)大谷光瑩(こうえい)の付き添いとして欧米の視察旅行に出かけます。

帰国した柳北には、あの木戸孝允(たかよし・桂小五郎)から、新政府への参加のお誘いがかかりますが、これをキッパリと断わり、ジャーナリストとしての道を歩み始めるのです。

実は柳北・・・欧米視察に行く前の明治四年(1871年)に、例の『柳橋日誌』の続編を書いています。

漢文調でかなり難しい文章なので、恥ずかしながら私自身は直接読んだ事はないのですが、読める人にとっては、これが、実に痛快でオモシロイ読み物なのだそうです。

それは、一見、以前の江戸時代に発表した物と同様の、柳橋の風景紹介の様相を呈しておきながら、実は、痛烈な新政府批判が盛り込まれている・・・

以前は、芸を磨くプロ意識満々の芸妓たちが闊歩していた柳橋が、その芸を捨てて、色を売るだけの醜い花町に変貌してしまった姿になぞらえ、江戸情緒の洒落を理解しない成り上り丸出しで権力を奮い、金銭ばかりに執着する新政府要人の低俗さを、笑いを交えて皮肉っているのです。

おかげで、明治七年(1874年)に発売された第二篇は、翌年には発禁・・・彼自身も獄中につながれる事になります。

しかし、ここでもタダでは起きない柳北・・・

欧米視察に出かけた頃は、自らを「天地間の無用人」と称して、新政府に背を向け、もはや引退だけを考えていた柳北ですが、4カ月後に出獄した後、この獄中の体験記を「ごく内ばなし」として朝野新聞上で発表するのです。

その監獄は、江戸時代のそれを思い浮かべるほど劣悪な物ではなかったものの、そこが、新政府に苦言を吐く、新聞記者を放り込むための物であった事が反響を呼びます。

こうして、新政府批判のジャーナリストとして論説を担当する柳北・・・

ただし、彼のスゴイところは、批判一辺倒ではなく、新政府の改革の良い部分は、ちゃんと認めている所です。

良きところは良いと評価し、批判すべき部分にはペンの武器を奮う・・・

近頃と言えば・・・
各社一斉に、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、持ち上げたかと思えば、突き落とす・・・何やら、それに振り回されている現在の私たちも、ここは一つ反省しつつ、一本シンの通った世論で、政治家さんたちと向き合っていきたいものです。

明治十七年(1884年)11月30日、わずか48歳で肺病を患った柳北は、惜しまれつつこの世を去りました。
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