« 織田信長の傅役・平手政秀の死 | トップページ | 1月15日は小正月…お粥を食べて、男も女も「嫁叩き」 »

2011年1月14日 (金)

忠臣蔵「お軽勘平」のモデルとなった萱野三平

 

元禄十五年(1702年)1月14日、「仮名手本忠臣蔵」に登場する早野勘平のモデルとして知られる赤穂藩士・萱野三平重実が、遺書を残して切腹しました。

・・・・・・・・・・・・・

まずは、忠臣蔵に登場する「お軽勘平」の悲恋から・・・

Okarukanpei600 赤穂藩主・塩冶判官(えんやはんがん)の家来として赤穂江戸屋敷に務める早野勘平は、同じ屋敷に務める腰元・お軽と、ただ今、社内恋愛中・・・

ところが、ある日、チョッピリ仕事をサボッて彼女とイチャイチャしている所に、突然のニュース・・・そうです、主君が江戸城内の松の廊下で大暴れして起こしちゃった傷害事件の罪により、即日切腹に処せられた、あの事件です。

藩が、「お取り潰しだ」「城は開け渡しだ」とゴタゴタする中、大事な時にカノジョと会ってたという罪の意識にさいなまれた勘平は、藩士の身分を捨てて浪人となり、お軽とともに彼女の実家のある京都・山崎で暮らす事になります。

「罪の意識のワリにはオンナの実家にころがり込むんかい!」というツッコミはさておき・・・ある日、その山崎街道で、元同僚の千崎弥五郎(せんざきやごろう)と偶然再会します。

千崎は、すでに水面下で進行中の仇討をたくらむ同盟の一員・・・気まずさから藩を去った勘平ではありましたが、忠義の心は失くしていませんから、そのグループに加わりたいものの、負い目があって言いだせません。

一方の千崎も、バッタリ会っただけの勘平に、極秘の同盟の事を伝えて良いものかどうか迷います。

そこで千崎・・・
「昔の仲間から寄付集めて、主君追悼の碑を建てる計画があんねんけど、一口乗れへんか?」
と誘います。

もちろん、この追悼碑建立はウソで、それを口実に勘平の本心を探っていたわけですが、
「よっしゃ!近いうちに届けるよって、待っててや!」

・・・と千崎と別れて、急いで帰宅した勘平は、早速、お軽と、その父・与市兵衛(よいちべえ)にその話を伝えますが、悲しいかな、この家には、そんなお金はありません。

「それならば・・・」
と、鉄砲を手に、猪狩りに向かう勘平・・・

その間にも話し合う両親とお軽・・・しかし、いくら話し合っても、どこかから借りるあてもない3人は、結局、「お軽が、その身を売ってお金を作る」という結論に達し、与市兵衛は京都へ・・・

祇園の「一文字屋」に、お軽を百両で売る話をまとめた与市兵衛は、手付金の五十両を懐にしまい、一路山崎へ急ぎました。

しかし、途中、少し休もうと木陰に座ったところを、突然、刀で襲われてしまいます。

懐の五十両目当てに与市兵衛を襲った賊は、なんと、赤穂の悪家老・斧九太夫(おのくだゆう)の息子・斧定九郎(さだくろう)でした。

そして、その定九郎が、今まさに、懐の五十両に手をかけようとした時、近くに人影が・・・慌てて木の影に身を寄せる定九郎でしたが、それを見止めた人影は、すかさず1発!!!
そして、トドメの2発!!!

苦しみながら倒れ込む定九郎・・・そこに登場したのは鉄砲を手にした勘平でした。

しかし、周囲は暗闇・・・実は勘平は猪を仕留めたつもりでいたのですが、手探り状態で獲物を確認するうち、間違えて人を撃ってしまった事に気づきます。

「何とか、手当しなければ」
「この人、薬でも持ってはいないかな?」
と、さぐったその手に触れたのは、懐の五十両・・・そう、勘平が見つけたのは、先に定九郎に殺された与市兵衛の遺体だったのです。

しかし、闇の中でそうとは知らない勘平は、慌ててその財布をつかみ、お軽のもとへと急ぎます。

今まさに、お軽が一文字屋の籠に乗ろうとしている所に戻って来た勘平は、お軽が身を売ろうとしていた事にも驚きますが、明るい所でじっくり見たその財布が、与市兵衛の物だった事にもびっくり!

「俺は猪と間違えて舅殿を撃ってしまったのか・・・」
と悩みながらも言いだせないまま、お軽と別れを告げる勘平・・・

そこへ、与市兵衛の遺体が運び込まれ来て、もはやバレるのも時間の問題・・・

ちょうど、このタイミングでやって来た千崎が、当然のごとく勘平に疑いの目を向ける中、勘平は、正直に、猪と間違えて撃ってしまった事を告白します。

しかし、千崎は、「金欲しさに与市兵衛と知って撃ったに違いない!」と口論に・・・
「そんな金はいらん!」
とばかりに立ち去ろうとする千崎に向かって、

「待ってくれ!俺は本当に猪と間違えたのだ」
と言いながら、勘平は、決意の割腹自殺をはかるのです。

まもなく、与市兵衛の死因が鉄砲ではなく、刀による斬り傷と判明し、勘平への疑いは晴れるのですが、切腹をはかった勘平は、もはや虫の息・・・と、そこへ、仇討同盟者の連判状が届き、そこに「早野勘平」の名が書きくわえられ、勘平は、その連判状を手土産に、あの世へと旅立つのです。

・‥…━━━☆

・・・と、「舅の金なら殺さんでも手に入るんやから、殺人の動機にはならんやろ?」とのツッコミどころがありつつも、感動する結末となっていますが、もちろん、このお話は忠臣蔵の創作・・・

実際のお軽(於可留)ちゃんは、あの大石内蔵助(おおいしくらのすけ)京都滞在時のお妾さんで、大石の子供を妊娠したものの、彼が江戸へと戻る際にお金を渡されて実家に返されたとの事・・・勘平のモデルの人との恋はありませんでした。

・・・で、この勘平のモデルという人が、萱野三平重実(かやのさんぺいしげざね)・・・

赤穂藩江戸屋敷に務める身分の低い侍だったという事ですが、あの松の廊下の刃傷事件(3月14日参照>>)が起こった時に、飛脚でも8日はかかる道のりを、わずか4日で駆け抜け、主君・一大事のニュースを一番に赤穂へ届けた人であります。

途中、偶然にも母親の葬式に遭遇したにも関わらず、忠義を優先して母の顔を見ぬまま、城へと向かった義の人・・・

しかし、そんな忠義の心が、彼を悩ませてしまうのです。

赤穂の城が開城となった後、三平は、父・重利(しげとし)が代官を務めていた摂津(大阪府)萱野に身を寄せます。

当然の事ながら、忠義の心篤い三平は、仇討推進組に名を連ね、ここに身を寄せながらも、その日が来るのを待っていたわけです。

しかし、ともに暮らす父の心は違いました。

仇討を遂げたところで、その先には、何かしらの処分が待っているだけ・・・父親としては、そんな危ない事には加わらず、新たな就職先を見つけて、「新天地で頑張ってほしい」と思うのも当然です。

そこで、自らが代官のつとめるこの地の領主である大野氏に頼み込んでみたところ、「召し抱えても良い」という返事が返ってきたのです。

「よっしゃ~!!」
と、喜んで、息子に、大野家への出仕を勧める重利・・・

しかし義理固い性格であればあるほど、思い悩む事になります。

主君への忠義か、父への恩か・・・三平にとって、どちらも裏切る事のできない相手です。

かくして、
討ち入りの11ヶ月前の元禄十五年(1702年)1月14日、大石に「同士との約束を果たせない事へのお詫びと、影ながらそのい成功を祈っている」という内容の遺書を残し主君の月命日の日に、自宅にて切腹したのです。

享年:28歳・・・

俳人としても数々の句を残している三平の最後の句は、

♪晴れゆくや 日頃心の 花曇り ♪

死ぬほど思い悩んだ若き花・・・
散れば、少しは晴れたのでしょうか?
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 


|

« 織田信長の傅役・平手政秀の死 | トップページ | 1月15日は小正月…お粥を食べて、男も女も「嫁叩き」 »

江戸時代」カテゴリの記事

コメント

来年2012年1月2日の、テレビ東京系・新春時代劇SPの主人公は堀部安兵衛です。この記事の場面も出るかな?
「忠臣蔵作品」であれば、7時間に収めるにはちょうどいいかな?新春時代劇は一昨年からの3年間で視聴率が1ケタとの事で、挽回を期待しての「忠臣蔵」の採用でしょうね。
この番組では忠臣蔵作品を定期的に放送する傾向があります。大河ドラマより頻度は高いかも?

投稿: えびすこ | 2011年7月31日 (日) 08時51分

えびすこさん、こんにちは~

ここのところの正月は、ほぼバラエティですね~

昔は、時代劇も家族みんなで見ましたが、最近家族がみんなが見るのは、クイズバラエティ系ですからね。

投稿: 茶々 | 2011年7月31日 (日) 11時59分

亡くなられた大原麗子さんが浅野家の家系だそうです。今日のスポーツ新聞に出ています。「大名の末裔」は探せばいますね。

投稿: えびすこ | 2011年8月 1日 (月) 17時09分

えびすこさんこんばんは~

>大名の末裔は…

そうですね。
けっこういらしゃいますね。

投稿: 茶々 | 2011年8月 1日 (月) 23時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/38462408

この記事へのトラックバック一覧です: 忠臣蔵「お軽勘平」のモデルとなった萱野三平:

« 織田信長の傅役・平手政秀の死 | トップページ | 1月15日は小正月…お粥を食べて、男も女も「嫁叩き」 »