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2011年1月27日 (木)

めざせ天竺!マレーに消えた高丘親王

 

貞観七年(865年)1月27日、高丘親王が天竺をめざして、広州から出港しました。

・・・・・・・・

高丘(たかおか)親王・・・親王とつくからには、当然、天皇の息子であり、後々、天皇の位につくべき人だったわけですが・・・

高丘親王は、第51代・平城(へいぜい)天皇の第三皇子として生まれ、父の天皇が弟の嵯峨(さが)天皇に皇位を譲った時に、皇太子に立てられました。

平城天皇&嵯峨天皇の兄弟は、ともに、あの平安遷都で有名な桓武(かんむ)天皇の息子で、嵯峨天皇は後に、多すぎる息子たちに姓を与えて臣籍に降下させる=あの嵯峨源氏のおおもとなった人です。

・・・と、本来なら、順調に、この嵯峨天皇の次に天皇になるはずだった高丘親王・・・そんな彼の運命が変わるのが弘仁元年(810年)9月、親王=12歳の時。

そう、あの藤原薬子の乱(9月11日参照>>)です。

藤原式家藤原仲成(なかなり)と、その妹・薬子(くすこ)兄妹が、すでに皇位を嵯峨天皇に譲ってしまっていた平城天皇(上皇)を担いで、平城天皇の復権をたくらんだとされる事件ですが、途中で発覚し、仲成は処刑され、薬子は服毒自殺しました。
(*嵯峨天皇によって、この時代は死刑が廃止されていましたので、仲成の処刑は天皇の独断による私刑として処理されています)

当然の事ながら、その時、以前の平城京に拠点を置いていた平城天皇は平安京に戻されて出家・・・皇太子だった高丘親王も、幼いとは言えど反逆者の息子って事で、皇太子を廃されて仏門に入る事になります。

政変によって負けた側の人物が仏門に入る・・・これは天皇家に限らず、これから後の武士の時代にもよくある事ですが、高丘親王の場合は、ここからが少々特異です。

この場合、「俗世間から離れておとなしくしておいてね」という意味で仏門に入れられるわけですから、その後は、あまり表に出る事なく、僧として生きるというのが一般的なルートなわけですが、高丘親王の場合は、心底、仏教ドップリ、見事にハマッてしまったわけです。

名を真如(しんにょ)と改めた(ややこしいので親王のままで呼ばせてね)高丘親王・・・真言宗を開いた、あの空海の弟子となります。

聡明で人望も厚かった親王は、やがて、高野山に親王院を開き、阿闍梨(あじゃり・教える事のできる師匠)の位も授かり空海の十大弟子の一人に数えられるようになります。

その後、空海が亡くなった時には、高弟の一人として埋葬にも立ち合い、亡き後の仏教界を背負う存在となっていくのです。

斉衡二年(855年)には、大地震で大仏の首が落ちちゃった東大寺の再建事業を任され、見事やり遂げました。

しかし、本気でのめり込んでトップに立った人の思う事はただ一つ・・・「本場、中国で仏教を学びたい!この目で現地を見てみたい!」でした。

先ほどの大仏修理が完了し、その供養も終えた貞観三年(861年)9月3日・・・仲間23人を従えて、まずは九州・大宰府を目指して旅立ち、その翌年には大宰府を出港し、一路、大陸を目指しました。

元皇太子の海外渡航・・・前代未聞の出来事でした。

唐の都では首都・長安(西安)はもちろん、聖地とされる五台山などを巡り、名のある高僧に会う事もできました。

しかし、納得がいかない高丘親王・・・実は、この時、唐では廃仏の嵐が吹き荒れていたのです。

時の皇帝・武宗(ぶそう)は、確かに親王を歓迎してくれました。

しかし、それは、高丘親王の「元皇太子」というフレコミによる社交辞令・・・皇帝自身の政策は仏教弾圧だったのです。

「こんな所では、マトモに教えを請えない!」
と思った親王・・・
「こうなったら、仏教発祥の地=天竺(インド)へ行こう!」
と決意したのです。

この時、親王=すでに67歳・・・この前代未聞の冒険に従ったのは、わずか3名の仲間だったと言います。

貞観七年(865年)1月27日、中国は広州から船出をした高丘親王・・・

しかし、残念ながら、正史とされる高丘親王の足どりは、ここまで・・・つまり、その後は行方不明という事になってしまいます。

16年後には、唐からの留学僧の報告として、
「羅越国にて虎に襲われて死亡した」
という情報がもたらされた事が『三代実録』という文献に書かれていますが、その情報が正しいかどうかを確かめる術もありません。

現在では、その羅越国なる国が、マレー半島の南端に位置していたであろうと推測される事から、「高丘親王・供養塔」なる物が、マレーシアの日本人墓地に建立されているとの事・・・。

一時は、「日本の元皇太子が大陸に渡った」という事だけをとらえて、軍国主義の宣伝活動として、教科書にも載っていたという高丘親王ですが・・・おそらく、それは、更なる高みを目指す親王のお心にそぐわない物だった事でしょう。

消息が曖昧なら、想像は自由・・・
できれば、孫悟空にでも守られて、天竺まで到達しておられた事を願うばかりです。
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コメント

いつも思うのですが・・・「ぜひこれをドラマ化して」 なんとスケールの大きな、ハラハラワクワクするようなお話になるでしょう。そうそう、孫悟空も登場させて。それにしても67歳で船旅とはかなり過酷だったのでは。途中で病死したか、ふらふらしてトラに襲われたか。でも、政変に巻き込まれ表舞台から追放されたのはこの方にとってラッキーだったかも。そのおかげで仏教を極めるべく精進して、この方にとって密度の濃い人生になったでしょうから。

投稿: Hiromin | 2011年1月27日 (木) 21時13分

Hirominさん、こんばんは~

ホント、
67歳での船出には頭が下がりますね。

おっしゃるように、スケールの大きな冒険物として描いていただきたいですね。

投稿: 茶々 | 2011年1月28日 (金) 02時03分

天皇の系図を調べてこの情報にたまたま届きました。
私は東京武蔵野市在住の日本生まれの日本人です。

実は現在の同僚に当たるシリコンバレーの日系の男性でS.Takaokaという人物がいます。

その男性は仲がよく同僚なのですが大変落ち着いた頭のよい風格も男らしい、格好の良い日系アメリカ人の男性です。風格も日本人ですが日本語は話せません。

彼は入社した時に、自分は(確か祖父から聞いたとこ事)天皇の血筋に当たると私に初めて会ったときに言いました。 私は歴史が得意でも、天皇家に詳しくはありませんでしたが、自分の知識の中で思い当たることがあり、”それはあり得る”と彼に回答をしていました。 私の彼の風貌からの直感もそのように思えてしまった為です。たしか3年前くらいの話です。 彼はその回答にちょっととまどっていて、確証がない顔をしていました。

彼は自分でそのように説明したのですが、その様子からは、短に祖父からそのように聞いているだけで、その情報の真偽は自分でも理解していないし、そんなことあり得るのかとうどちらかというと遠慮気味な話方でした。

 今回このサイト情報を読んで私は大変驚いてしまっています。3年前に検索して調べた際は、高丘ではなく、高岡で調べたのでここまでたどり着きませんでした。

彼からもらった子供さんの写真は日本人の風貌ではなく、国際結婚をしている為に奥様の人種の遺伝をした元気な子供さんになっていますので、その子供さんの頃にはそのような日本の天皇の血筋の話には到底ならないことでしょう。

今年、久しブリにCAに出張がある時に彼にも会うことができると思いますので、本当に驚きで、でも歴史とはそのような物であり、また日本国家の行く末も激動していく仕組まれた世界情勢の中で、”高丘”の血統も日本の異国の世界の中で生き続けていく悲しくも嬉しい事情を垣間見ております。

情報ありがとうございました。

P.S. もう一人の昔の会社の友人は日系ハワイ人ですが、彼の祖先は村上水軍の末裔とのことで、彼もまたそのがたいの良い、紳士的な人物も、その血筋に大変うなずけるという人物がおります。そのような系図の人達は、やはり世界のビジネスで現在活躍している訳なのです。

投稿: KK | 2011年2月 8日 (火) 08時33分

KKさん、こんにちは~

ご先祖様を探るヒントになれば幸いです。

私は、がたいは良くないですが村上水軍の出身で、今でも伯父が瀬戸内の島に住んでいます。

ご先祖様の事は、やはり気になります(* ̄ー ̄*)

投稿: 茶々 | 2011年2月 8日 (火) 16時35分

高齢になっての船旅だから、もしかすると日本に戻らない覚悟があったと思いますね。この時代の航海は危険なので。
澁澤龍彦さんが書いた「高丘親王航海記」と言う小説(これは澁澤さんの遺作)があります。
澁澤龍彦さんがいま生きていれば今年年男で84歳。

投稿: えびすこ | 2012年1月27日 (金) 14時50分

えびすこさん、こんにちは~

「高丘親王航海記」は、それこそ妖怪あり、怪物ありの怪奇・冒険ロマンになってますね。

歴史物語よりも、そういう風に描くのがオモシロイと思います。

投稿: 茶々 | 2012年1月27日 (金) 18時11分

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