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2011年1月22日 (土)

家康の信頼を一身に受けた側室・阿茶局

 

寛永十四年(1637年)1月22日、徳川家康が最も信頼した側室・阿茶局こと雲光院が83歳で亡くなりました。

・・・・・・・・・・・

阿茶局(あちゃのつぼね・本名:須和)・・・出家後は雲光院(うんこういん)と号しますが、その出家は2代将軍・徳川秀忠が没した後で、彼女の人生の中では、わずか5年間という事なので、本日は、最後まで阿茶局という名で呼ばせていただきます。

武田信玄の家臣であった飯田直政の娘として生まれた阿茶局は、はじめ、今川家の家臣・神尾忠重(かんおただしげ)のもとに嫁ぎ、男の子をもうけました。

しかし、夫が合戦にて戦死・・・。

やがて、甲斐(かい・山梨県)駿河(するが・静岡県東部)に侵出してきた徳川家康の目に止まり、25歳の時に召されて側室となったのです。

家康が一目で好きになっちゃうくらいですから、そりゃぁもう美人・・・しかも、かなり頭が良く、家康との会話もグレードの高い物だったようで、合戦にも度々同行させています。

あの小牧長久手の戦い(3月21日参照>>)の時にも、彼女が妊娠中にも関わらず戦場にまで連れていきますが、さすがにこれは負担だったようで、その子は流産するという悲しい結果となってしまいました。

その流産がたたったのか、それからは、阿茶局が家康の子供を出産する事はありませんでしたが、子供がないからといって、家康の彼女への思いが薄れる事はありません。

いや、むしろ、江戸城の奥を取り仕切るなど、家康が生涯に渡って、最も信頼する側室となったのでした。

つい先日も出てきました大坂の陣のきっかけとなった方広寺の鐘銘事件(7月21日参照>>)・・・この時の豊臣方の使者・片桐且元(かたぎりかつもと)を、本多正純(ほんだまさずみ)金地院崇伝(こんちいんすうでん)が詰問したと書かせていただきましたが(1月20日参照>>)、かた苦しい会見の中の一服の清涼剤のように同席していたのが阿茶局でした。

見て美しく難交渉もやってのける・・・家康にとって、これほど頼もしい女性はいませんよね。

その翌年の慶長十九年(1614年)の大坂冬の陣では、その和睦交渉の中心人物として活躍する阿茶局・・・

と言うのも、この時、交渉の舞台となったのが、徳川方の京極忠高(きょうごくただたか)の陣所で、その交渉役に立ったのが忠高の義母・常高院(じょうこういん)だったのです。

常高院とは、浅井3姉妹の次女・お初さん・・・あの淀殿の妹でお江さんの姉=今年の大河ドラマで水沢あさみさんがやってる役ですね。

彼女は、豊臣秀吉の仲介で従兄弟に当たる京極高次と結婚していたのです(5月3日参照>>)

本来なら、このような交渉・・・事実上の大坂城内トップである大野治長(はるなが)か、豊臣秀頼の後見人をやっていた織田有楽斎(うらくさい・長益)(12月13日参照>>)なんかがやりそうなものですが、おそらくは、抗戦か講和かで喧々囂々の城内の事もあって、豊臣と徳川の両方に強固な縁を持ち、かつ、中立を保つ事のできる彼女こそが、絶好の交渉役という事になったのかも知れません。

一方の徳川方の阿茶局・・・これも、やはり相手を見た家康の判断でしょうね。

もちろん陣所を貸した忠高のサポートもあったのでしょうが、天下を動かす戦乱の中、にらみ合う大軍の前に進み出る女性二人の姿は、いかにも凛凛しく優雅であった事でしょう(12月19日参照>>)

やがて徳川の天下となった後、すでに75歳を迎えていた家康は、死の床につくわけですが(4月17日参照>>)、この時、その遺言として、彼女にだけは剃髪をして尼になる事を許さなかったのだとか・・・

普通は、正室・側室ともに、ダンナさんが亡くなれば、その後は尼となり、一族の菩提を弔うというのが一般的なコース・・・しかし、阿茶局だけには、「仏門に入らず、息子・秀忠の補佐を頼む」と家康は言い残したのです。

どれだけ信頼が厚いかがわかりますね。

実際、家康の死後の阿茶局は、江戸城竹橋門内の屋敷に300石を与えられて住み、秀忠どころか第3代将軍・家光にまで仕え、特に外交面で、その手腕をふるいました。

元和六年(1620年)に秀忠の娘・和子後水尾(ごみずのお)天皇(4月12日参照>>)中宮として入内する時には、その母親代わりとして見事にお世話したのたとか・・・

その功績が認められて従一位を賜った彼女は、宮中では神尾一位殿と呼ばれていたのだそうです。

やがて寛永九年(1632年)、秀忠の死とともに、その役目を終えたかのように剃髪し、雲光院と号した阿茶局・・・

その5年後の寛永十四年(1637年)1月22日、彼女は静かに息をひきとります。

前夫の死後に巡り合った家康という後の天下人によって、その運命が大きく変わり、江戸時代という長き武士の世の基礎を築く事になった女性・・・阿茶局。

女だてらに鳴りやまぬその腕を、思う存分ふるえた事に、さぞや満足だったのだろうと思う反面、前夫が亡くならなければ、生まれた息子とともに、暖かい家庭を築いて、フツーの主婦をやってのかしら?

・・・と、人生が一度きりしかない事に、少々のもどかしさを感じる茶々でございました。
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コメント

奥さんでありながら、有能な秘書みたい存在だったんですね。

投稿: やぶひび | 2011年1月24日 (月) 06時50分

やぶひび さん、こんにちは~

男性から見たら、「コリャ手放せん」って感じなんですかね?

投稿: 茶々 | 2011年1月24日 (月) 13時57分

阿茶局といえば、現在放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」において、「スケバン刑事」の主人公である麻宮サキ役を演じた、斉藤由貴さんが演じているのが印象的ですね。まるで、女性軍師か女性参謀的な役割を担っているように思えました。もしかしたら阿茶局は、女性でありながら、高い政治能力を持っていたのではないでしょうか。そうでなければ、徳川家康からの信頼&寵愛を得られませんからね。阿茶局は、戦国時代における女傑かもしれません。

投稿: トト | 2016年11月 2日 (水) 18時41分

トトさん、こんばんは~

家康は大坂城に呼ぶ時も、阿茶局専用の御殿を用意してましたからね~
よほど、頼りになったのでしょうね。

投稿: 茶々 | 2016年11月 3日 (木) 02時39分

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