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2011年2月 1日 (火)

カノジョ寝撮られ放火され…ゴタゴタ即位の履中天皇

 

履中天皇元年(400年頃)2月1日、第17代・履中天皇が即位しました。

・・・・・・・・・・

あの日本一・・・いや世界一の広さの古墳でおなじみの仁徳天皇

履中(りちゅう)天皇は、その仁徳天皇の長男として仁徳天皇二十四年(336年)頃に生まれました。

その御名を大江之伊邪本和気命(大兄去来穂別尊・オオエノイザホワケノミコト)と言います。

その恋多き性格ゆえ、女のモメ事が絶えなかったものの、「民のカマドは賑わいにけり」のお話に代表されるように、国の乱れ的な騒動はなく、おおむね平和な国家を築いていたとされる仁徳天皇・・・(1月16日参照>>)

実像はともかく、そのような名君の後には、得てしてその後継者を巡っての争いが起こるもんです。

仁徳天皇亡き後、長男で皇太子だったイザホワケは、羽田八代宿禰(はたのやしろのすくね)(葛城葦田宿禰の娘とも)である黒媛(くろひめ)を妃にしようと考えました。

しかし、ここに彼の即位をヨシとしない者が一人・・・イザホワケの弟・墨江中王(住吉仲皇子・スミノエノナカツノミコです。

「なんとか邪魔してやろう」と、兄の名をかたって黒媛のもとを訪れたナカツノミコは、その勢いのまま、彼女と一発・・・もとい、彼女と一夜をともにします。

そうとは知らぬイザホワケは彼女を皇妃に迎えるとともに履中天皇元年(400年頃)2月1日大和磐余稚桜宮(いわれのわかさくらのみや)にて、第17代・履中天皇として即位しました。

ところが、事件はその祝宴の夜に起こります。

彼女と先にヤッちゃった事件が大きくなる事を恐れたナカツノミコ・・・もちろん、そこには、兄に代わって自らが皇位につこうという野心もあったのかも知れませんが、とにかく、酒宴の席で酔いつぶれ、グッスリと眠り込んだ兄を殺そうと、宮殿に火を放ったのです。

しかし、近臣・阿知直(アチノアタイ)の機転で、炎の中から脱出した天皇・・・ひとまず、石上(いそのかみ)神宮(奈良県天理市)へと、その身を隠します。

この時、履中天皇らの逃亡先が「なぜ、石上神宮だったのか?」という理由については、記紀ではふれていませんが、この石上神宮は、あの神武東征の時、神武天皇のピンチを救うべく建御雷神(武甕槌・タケミカヅチ)という神様が、高倉下(たかくらじ)という男を通じて神武天皇に授けた佐士布都(さじふつ・布都御魂=フツノミタマとも)という刀を奉る神社です(2月11日の中盤部分参照>>)

これは、「当時の石上神宮が、多くの武器を納めた武器庫のような役割を果たしていたと事を刀を奉る神社という言い回しにしてある」なんて事も言われ、しかも、その管理をしていたのが物部(もののべ)という事ですから、履中天皇は、逃走してそこに身を寄せたというよりは、大量の武器と物部の軍事力を確保するために、石上神宮に籠城したとの見方もあるようです。

とにもかくにも、その石上神宮に、兄貴の事を心配して陣中見舞いにやってきたのが、さらに下の弟・水歯別命(瑞歯別尊・ミズハワケノミコト:後の反正天皇)でした。

しかし、すぐ下の弟に殺されかけた履中天皇は、どうもミズハワケの事を信じられず、せっかくやって来た弟にも、会おうという気になれません。

そこで履中天皇・・・ミズハワケに
「スミノエノナカツノミコを殺してくれたら、お前の事、信じるから」と・・・

「あいわかった!」
と二つ返事のミズハワケは、ナカツノミコの側近で隼人族曾婆加理ソバカリ・刺領布=サシヒレとも)
「ナカツノミコを殺したら大臣にしてやるよ」
と約束して、ソバカリに皇子を暗殺させたのです。

こうしてナカツノミコを倒したミズハワケは、ソバカリとともにその報告に兄のもとへ向かうわけですが、その道すがら、隣にいるソバカリの事が気になってたまらなくなります。

なんせ、自分の
「ナカツノミコを殺したら大臣にしてやるよ」
の話に、いとも簡単に主人であるナカツノミコを裏切ったソバカリです。

いつ何どき、「今度は、自分が裏切られるかも知れない」と思い出すと、たまらなく不安になり、結局、このソバカリを騙し討ちにしてしまうのでした。
(自分勝手やなぁ~( ̄○ ̄;)!)

こうして、即位前後のドタバタ劇を終え、何とか落ち着く履中天皇ですが、その治世は、先の仁徳天皇の時代を受け継いだうえに、平群木菟(へぐりつく)蘇我満智(そがのまち・あの蘇我一族の祖と言われている人です=3月3日の中盤参照>>物部伊莒弗(もののべのいこふつ)などの側近にも恵まれ、おおむね天下太平の世となったとされます。

・・・とは言え、履中天皇のお名前自体が「大江之伊邪本和気命=古事記」「大兄去来穂別尊=日本書紀」の二つの表記があるように、お話の前後や内容も、古事記と日本書紀では微妙に違っていたりしますが、本日は、両方をミックスしつつも古事記寄りにお話を展開させていただきました。
ご理解くださいませo(_ _)o
 

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神代・古墳時代」カテゴリの記事

コメント

 黒媛とは吉備では仁徳天皇と相思相愛なのに后になれなかった媛ということになっていますが、古事記と日本書紀で違うんでしょうか?または、別の人物かな?お福さんもほぼ同時代に複数出てきますが・・

投稿: syun | 2011年2月 1日 (火) 18時12分

syunさん、こんばんは~

古事記と日本書紀では、話が前後したり部妙に違っていたり、まったく同じ内容が別の人のエピソードとして出てきたりしますね。

このゴタゴタのお話も、古事記だと即位してからですが、日本書紀だと即位の前だったと思います。

wikiを見てみても、黒媛は仁徳天皇と履中天皇の両方に「妃」となってますね。
記紀で違いがあるので、一つにまとめ難いって感じでしょうか…
本文にも書かせていただいた通り、黒媛の出自も曖昧なので、ひょっとしたら、おっしゃる通り、別人なのかも知れません。

投稿: 茶々 | 2011年2月 1日 (火) 19時04分

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