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2011年3月31日 (木)

西南戦争で西郷隆盛に呼応した党薩隊

 

明治十年(1877年)3月31日、西南戦争の真っただ中、大分県中津で西郷軍に呼応した士族たちが叛乱を起こしました。

・・・・・・・・・・・

「征韓論」(10月24日参照>>)を巡って大久保利通(としみち)岩倉具視(ともみ)対立して、中央政府を去った西郷隆盛(たかもり)が、故郷の薩摩(鹿児島県西部)に戻って設立した私学校・・・

優秀な私学校の生徒らは、その後、鹿児島県下の官吏や警察として活躍しますが、優秀であるがゆえに独自の内政を行う彼らの手法は、やがて、中央政府に従わない独立国家のような形になってしまうのです。

これを脅威に思った政府の、あからさまな挑発に爆発してしまった私学校の生徒たち・・・そこに、幕末の戊辰戦争を命がけで戦ったにも関わらず、新しい政府になって、苗字帯刀や家禄などの、武士の特権を奪われた士族たちの不満が相まって、西南戦争は日本最後の大きな内戦となったのです。

・・・という事で、西南戦争の流れについては、上記のリンクで読んでいただくとして、本日は、その西郷の挙兵に呼応した士族たちのお話を・・・

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

冒頭に書かせていただいたように、本日の日づけ=明治十年(1877年)3月31日には、大分県中津の士族たちが西郷の挙兵に呼応して叛乱を起こしたわけですが、ともに薩摩軍として戦ったのは、もちろん彼らだけではありません。

かつて南九州に存在した8藩の不平士族たちが次々と薩摩軍と合流して新政府と戦っていたのです。

彼らは「薩摩軍に党(くみ)した部隊」という事で、『党薩隊(とうさつたい)と呼ばれ、全盛期には1万人を数えたと言います。

主な部隊には・・・
薩摩藩自治領の都城隊
熊本藩出身の熊本隊竜口(たつぐち)協同隊
人吉藩出身の人吉隊
延岡藩出身の延岡隊
高鍋藩出身の高鍋隊福島隊
佐土原藩出身の左土原隊
飫肥(おび)藩出身の飫肥隊
竹田藩出身の報国隊
そして、中津藩の彼らの中津隊・・・

と、12隊あったとされますが、そもそもは、上記の通り、出身の藩も違えば、細かな思想もそれぞれ違う別々の集団だったわけで、本来なら鹿児島私学校生徒の政府火薬庫襲撃なんて、まったく関係のない出来事だった人たちなのですが、やはり、冒頭の・・・「命がけで戦った結果で誕生した新政府によって藩が無くなり秩録(ちつろく)処分=武士たちは無職になってしまった」わけで、そこから生まれる共通の不満、共通の「反政府」という大きな目標のもとで賛同した人たちだったわけです。

なので、党薩隊と言っても、ある一時期だけ参戦して、すぐに離反した部隊や、いたのかいなかったのか?よくわからない部隊もあったようです。

そんな党薩隊の中で、一番大きい部隊だったのは熊本藩出身の士族で構成された熊本隊で、池部吉十郎(きちじゅうろう)率いる2300人・・・彼らは、上記の西南戦争の流れの中で、2月22日の熊本城・包囲戦から参戦しています。

さすがに地の利がある彼らは、熊本城の攻防戦で大いに活躍し、薩摩軍が熊本城の包囲を解いて撤収する際にも、速やかに道案内を買って出たと言います。

しかし、迫りくる政府軍との戦いの中、人吉を占拠され、本営としていた延岡が陥落した8月14日・・・その翌日の戦いでも、その本拠地を奪回できなかった事から、8月16日に政府軍に投降しました。

もちろん、彼ら熊本隊だけではなく、ほとんどの部隊が、この8月16日~17日に解散・投降しています。

しかし、高鍋隊の一部、そして、本日3月31日に仲間となった中津隊の生き残り=総勢30名ほどは、このあとも西郷らに従い、城山の最終決戦にまで挑んでいます。

中津隊を率いていた増田宋太郎(そうたろう)は、
「西郷先生に1日接すれば1日の愛があり、3日接すれば3日の愛がある」
・・・と、西郷の事を絶賛!

やはり、彼も、桐野利秋(201年9月24日参照>>)同様・・・「この人のためになら死んでもいい」と思えるほど、西郷さんを尊敬していたんでしょうね。

一方、この時の政府は、党薩隊のように、西郷に同調するような不平士族たちが、全国各地で叛乱を起こすような自体を警戒していたようですが、残念(?)ながら、彼らのような士族の同調者が全国的に波及する事はなく、九州だけだったようで、ご存じのように、かの城山の戦いにて、西南戦争は幕を閉じる事になります。
 

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コメント

西南戦争は来年の大河ドラマの最終盤の展開ですね。考えてみると士族の反乱は西日本に集中していますね。
主に「薩長土肥」の新政府の高官の故郷で多く起きているので、明治初頭の政府高官も頭を抱えたでしょう。

ところで最近思うのですが、昔の「歴史作家」と呼ばれる作家らは今の歴史作家よりも歴史上の偉人に関しての入手できる情報・知識がやや少ない中であっても、近年の歴史小説よりも優れた歴史小説を多数出していますがこれはなぜでしょうか?
今生きている作家(脚本家は別)で今後大河ドラマの原作者になれそうな人が少ないので。

投稿: えびすこ | 2017年3月25日 (土) 14時17分

えびすこさん、こんにちは~

>昔の「歴史作家」と呼ばれる作家らは…

う~~ん(゚ー゚;
難しいです~

あくまで、勝手な憶測ではありますが、時代の変化によるエンターテイメントの移り変わりが関係しているかも知れませんね。

長きにわたってエンターテイメントの中心部に位置していた物が、近年になって様々なエンターテイメントが誕生した事によって分散して、それに携わる人の数も分散された…て感じじゃないですか?

今は、「本が売れない時代」と言われますし、最近まで、あれだけ家族だんらんの中心だったテレビでさえ「オワコン」なんて言われたり…
そのテレビも、ドラマの原作の多くが漫画だったりする時代ですから、当然、小説を読む人口は減ってるわけで…

そうなれば、より人気のあるエンターテイメントに人も人材も集まるという事なんじゃないか?と…

投稿: 茶々 | 2017年3月25日 (土) 16時36分

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