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2011年5月23日 (月)

「男なら関白」秀吉最愛の秘蔵っ子・豪姫

 

寛永十一年(1634年)5月23日、豊臣秀吉夫婦に溺愛され、後に宇喜多秀家の正室となった豪姫が61歳でこの世を去りました。

・・・・・・・・・・・

天下の豊臣秀吉が最も愛した娘豪姫(ごうひめ)・・・と、言っても、ご存じのように、秀吉とおねさんの間に実子はいませんから、彼女は養女という事になるのですが・・・

『可観小説』によれば
「安土城下御隣家之時・・・(豪姫の)御誕生之時は、秀吉公御附被成有之候而、男子に而も女子に而も、我等の子にもらひ候とて、御出生其儘懐中被成て御帰り・・・」
とあり、

どうやら、ともに織田信長に仕えて隣同士に住んでいた親しさから、秀吉夫婦に子供ができないのを心配したあの前田利家夫婦との間で、
「今度生まれて来る赤ちゃんは、男の子でも女の子でも、秀吉夫婦の養子にして、二人の子供として育てる」
という、彼女が生まれる前からの約束事ができていたようです。

なんせ、前田家には、すでに嫡男の利長もいましたし、豪姫の上には3人の女の子がいましたから・・・戦国武将にとって、後継ぎとなる男の子・周囲との架け橋となってくれる女の子など、これら子供たちの存在がいかに重要かを、お互いに知っていたでしょうしね。

そんなこんなで、前田家の四女として生まれながらも、ほぼ出生と同時に秀吉夫婦の娘となった豪姫は、それこそ、実子のいなかった秀吉夫婦にとって、目の中に入れても痛くないほどカワイイ存在・・・

その溺愛ぶりは、秀吉が送った数々の手紙によって想像がつきます。

戦などで、ちょっとでも離れている時あらば
「けなげに候や」「はや飯をまいり候や」
元気か?飯は食ったか?ハァ~ビバノンノン♪
と、とにかく、気になってしょうがないご様子・・・

やがて天正十六年(1588年)、15歳になった豪姫は、秀吉の猶子となっていた岡山城主・宇喜多秀家結婚します。

この秀家は、秀吉が中国平定の際に、毛利側からコチラに寝返らせた宇喜多直家(うきたなおいえ)の息子・・・もとは敵であったとは言え、その寝返り交渉で意気投合した秀吉と直家は、その後は、長年の親友同士のように仲が良かったようですが、わずか、それから2年後に直家が亡くなってしまい(10月30日参照>>)、残された息子・秀家が、未だ10歳だった事から、秀吉が猶子として引き取り、わが子のように育てた・・・

つまり、2歳違いの秀家と豪姫は、ともに兄妹ようにして、一番多感な数年間を過ごした間柄だったのです。

おかげで、夫婦の仲は睦ましく、二男二女をもうけるという幸せな結婚生活を送るわけですが、その間にも・・・

文禄二年(1593年)の3月のおねに宛てた秀吉の手紙には、
『男にて候はゞ、関白を持たせ申すべきに、女房にて候まゝ、是非なく候まゝ、南の御方(豪姫の事)はまだ不足にて候。
太閤秘蔵の子にて候まゝ、ね
(おねの事)より上の官に致したく候・・・その心得候て、南の御方をばあいしらい候べく候。・・・』
「男やったら関白にするところやけど、女の子やからなぁ~って思うけど、それでも現状ではまだ足らん!
太閤の秘蔵っ子やねんから、お前(嫁=おね)より高い官位もらわんとな・・・お前もそのつもりでいとってや~」
と、まだまだ、その溺愛ぶりは納まっていないようです。

その半年後の10月にも、今度は豪姫自身に宛てに、朝鮮出兵にために向かった九州から、
『はやはや大いこく(明の事いつれもゆるし候まゝ、八郎(秀家の事)も十月ころニハかいちん(凱陣)可申候、心やすく候へく候、めてたく御めにかゝろ候て可申候、かしく』
「明との戦争も終わったし、秀家も10月頃には帰るよって安心しいや~会えるん楽しみに~」・・・って、秀家に言わしたれよ!と言いたくなるような手紙を送っています。

そんな溺愛ぶりの極めつけは、慶長二年(1597年)の4月・・・

その時、豪姫は病にかかっていたのですが、これがけっこう重い・・・当然、秀吉は、医者はもちろん、僧やら祈祷師やら山伏やら占い師やら、ありとあらゆるその道の賢者を集めて、連日連夜の祈祷を行うのですが、どうやら、その病の原因は「狐が憑いた」というのです。

「クッソ~!狐のアホんだら!」
と思った秀吉・・・なんと、稲荷大明神に手紙を書くのです。

『備前中納言女どもに付、障(さわ)り物の怪(もののけ)相見え候。とかく狐の所為(しょい)に候。
何とて左様にみいり候や。曲事
(くまごと)におぼしめされ候へども、今度は、御免なされ候。
もしこの旨相背
(そ)むき、むさとしたる儀これあるにおいては、日本の内、年々狐狩り仰せつけられるべく候。
一天下にこれある有情無情の類
(たぐい)まで、御意重からず候や。すみやかに立ち除(の)くべく候。
委曲
(いきょく、吉田の神主申し渡すべくなり
          卯月十三日
    稲荷大明神殿  』

「ウチの娘に、何、さらしとんじゃボケ~!
さっさと立ちのかんと、日本中のキツネをいてまうど!」

稲荷大明神=神様を相手に・・・もはや、内容は脅迫状ですがな(;;;´Д`)

まぁ、この父の思いが通じたのか?否か?
とりあえず、豪姫は無事快復するのですが・・・

しかし、間もなく、狐よりも恐ろしい現実が迫りつつありました

そう、慶長三年(1598年)・・・病に倒れた秀吉が(8月9日参照>>)8月18日に亡くなり、翌年の3月3日には前田利家が(3月3日参照>>)・・・

豪姫にとっては、わずか半年余りの間に、養父と実父が亡くなってしまうという不幸でした。

しかも、実父・利家の亡くなった夜に早くも波乱が・・・あの加藤清正らが石田三成襲撃するという事件が起こったのです(3月4日参照>>)

そして、時代の波は、容赦なく関ヶ原へと突き進んでいきます。

そのへんの流れは【関ヶ原の合戦の年表】>>で見ていただくとして、とにかく、秀吉に多大な恩を感じている夫・秀家は、西軍の主力となって関ヶ原に参戦します。

しかし、ご存じのように西軍は敗北・・・

戦場から逃走した秀家は、しばらくの間、薩摩の島津家に匿われていましたが、その島津も慶長七年(1602年)4月に勝者=徳川家康と和睦した事で、翌慶長八年(1603年)8月に、秀家は京都・伏見へと護送されたのです(一部内容かぶってますが8月6日参照>>)

そのページにも書かせていただいたように、東軍の一翼として北陸で奮戦した豪姫の兄・利長の助命嘆願もあり、そもそも、島津が引き渡しの条件として秀家の助命を嘆願していた事もありで、何とかその命は助かる事となり、秀家は、二人の息子とともに八丈島への島送りとなったのです。

その後、前田家に引き取られる事となった豪姫は、娘二人とともに加賀(石川県)へと移り住みました。

秀家が、島に流されるにあたって、前田家は、その秀家には家人をつけ、息子二人には乳母をつけ、専属の医師までも同行させますが、これはすべて豪姫の指示だったと言います。

さらに、その後も前田家は、二年に一度の間隔で、金銀や米・食糧・衣服をはじめ、医薬品までもを、八丈島に送り続けているのですが、その前田家の仕送りは、秀家が84歳で亡くなるまで・・・どころか、徳川幕府が崩壊する明治まで続けられたというのです。

この長きに渡る前田家と宇喜多家のつながりは、イコール、豪姫と秀家のつながりでもあったのです。

その後も他家へ嫁ぐ事なく、ただ、ひたすら夫を思い、夫のために金品を差し入れし続けた豪姫ではありましたが、寛永十一年(1634年)5月23日夫や息子たちとは再会できないまま、61歳の生涯を閉じたのです。

「男なら関白!」
この秀吉の発言は、単なる溺愛ではなく、病弱な豪姫の中にある、秘めたる芯の強さを見抜いていたからこそだったのかも知れませんね。
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コメント

映画にもなりましたね。豪姫は宮沢りえでした。 狐つきというと、梅図かずおの漫画を思い出します。

投稿: やぶひび | 2011年5月23日 (月) 16時45分

「ごう」は「ごう」でも、前田利家の娘の方の豪姫は、生まれて間もない時に豊臣秀吉の養女になる運命だったようですね。前田利家は息子が多い人なので、跡継ぎには心配ないですが娘も大切ですね。「利家とまつ」では瀬戸朝香さんが演じたと思います。豪姫が本当は「前田家の娘」であるのを知ったのはいつですか?
確か八丈島に秀家・豪姫夫婦の銅像がありますね。

ところで、この頃前田利家の影が薄い「江 姫たちの戦国」の最終回の日程はどうなるんでしょうか?地震続報で予定より1週ずれて放送しているので、単純に考えると「1週あと」になりますが、「坂の上の雲・第3部」があるので未定です。
もし、6月以降にも何かの事情でまた順延する場合は、10~12月期の放送予定を再考しないといけないですね。
ただ、放送回数は「47回」で変更がないで、1日に2回分を続けて放送するのは見る方がちょっとしんどいです。

>やぶひびさん
その映画のタイトルは何ですか?
宮沢りえさんですか。
何かと「豊臣家」に縁があるような。
昨日の産経新聞に宮沢さんのインタビューが出てましたね。

投稿: えびすこ | 2011年5月23日 (月) 17時07分

タイトルは「豪姫」です。1992年に公開されています。監督は勅使河原宏。古田織部が主役の娯楽作だったと思います。

投稿: やぶひび | 2011年5月23日 (月) 21時39分

やぶひびさん、こんばんは~

見てはいませんが、映画をやってたのは覚えています。
そう言えば、宮沢りえちゃんでしたね。

あの頃は、今よりふっくらしていて、ちょっと小生意気な感じでしたが、そこがあどけない小悪魔的で、かわいかったです。

投稿: 茶々 | 2011年5月24日 (火) 00時08分

えびすこさん、こんばんは~

原作がないドラマなので、何とかなるのでは?

甘いですか?

投稿: 茶々 | 2011年5月24日 (火) 00時11分

最終回の予定変更があれば、必ずHPや新聞などで発表されると思います。1日に2回分続けて放送すると、視聴率の計算が複雑なんです。大地震の後の「てっぱん」がイレギュラー放送でしたが、最終盤に最高記録をマークしました。
もし1回減らして当初予定日どおりに最終回を迎えるのであれば、終盤の回の内容を整理して矛盾しないように再編成するのはできます。でも台本(小説版が全て出てるので)の下書きはもうできてると思うので、夏になってからでは書き直しは難しいと思います。
公平な対策として、「坂の上の雲・第3部」の1回目の放送を日中にすれば、同じ日の夜に大河の最終回を放送できます。もし、大河がもう1回順延する事があっても2週は、「昼間に坂の上の雲、夜間に大河ドラマ」とすればいいと思います。

投稿: えびすこ | 2011年5月24日 (火) 17時21分

えびすこさん、こんばんは~

では、見逃さないように、ホームページをチェックしときます。

投稿: 茶々 | 2011年5月24日 (火) 23時38分

今夜の日本の話芸(NHKEテレ・午後9:30~10:00)で、「講談・新八丈島物語」があります。宇喜多秀家の物語です。妻・豪姫も出るかな?お時間があれば見てください。

投稿: えびすこ | 2011年12月30日 (金) 08時35分

えびすこさん、こんにちは~

情報、ありがとうございます。
ここのところ、忘年会が立て混んでおりまして…時間があるかどうかわかりませんが、とりあえずチェックさせていただきます。

投稿: 茶々 | 2011年12月30日 (金) 13時24分

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