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2011年9月24日 (土)

西南戦争が変えたもの~戦い方と通信システム

 

明治十年(1877年)9月24日、城山での最終決戦にて西郷隆盛が死亡し、西南戦争が終結しました。

・・・・・・・・・・

明治維新後に起こった、日本最後の内戦とも言われる西南戦争…その戦況については、本日の城山での戦いも含め、いくつか書かせていただいておりますので、今回は、その西南戦争がその後の軍事をどう変えたか?についてお話させていただきたいと思います。

戦いの経緯についてはコチラから↓

・‥…━━━☆

大きな戦いという物は、時代の転換期でもあります。

それこそ、明治という新しい時代をもたらした戊辰戦争は、日本の歴史上、最も大きな転換期であり政変であったわけですが、それが、大きければ大きいほど、戦争一発ですべてが変わるというわけにはいかず、そのしわ寄せ的な物も残るわけで・・・

西南戦争は、その明治維新で、最も変化した士族と呼ばれた人たち・・・彼らは、それまで、それぞれの領地で政治を行い、治安を守るという仕事をして禄(ろく)という給料をもらっていたわけですが、それが、維新後は、政治は政府が行い、治安は軍隊と警察が行うようになり、その行き場が無くなると同時に収入もなくなる・・・かと言って、いきなり、やったことも無い商売を始めても、なかなかうまくいかず・・・

てな不平不満が、
明治七年(1874年)2月~4月の佐賀の乱>>
明治九年(1876年)10月24日の神風連の乱>>
同年10月27日の秋月の乱>>
同年10月28日~11月8日の萩の乱>>
と、立て続けに起こる士族による反乱なわけですが、その最後で最大の反乱が西南戦争・・・

このうち、神風連の乱は旧福岡藩士で、秋月の乱は旧熊本藩士ですが、佐賀の乱は肥前(佐賀県)で萩の乱は長州(山口県)、西南戦争は薩摩(鹿児島県)・・・しかも、事前に発覚したため失敗に終わってますが、この西南戦争には、旧土佐藩士も加わるはずだったわけで、やはり、「薩長土肥(さっちょうどひ)と称された、維新の立役者となった雄藩の藩士たちに、その不満も大きかったように思えますね。

なんせ、「新しい世の中になる!」と思って命がけで戦った結果が、武士という特権の廃止というわけですから・・・(もちろん、現実の維新には様々な改革や変化がありますが、彼ら士族にとって、最も大きな変化は、コレでしょうから)

しかし、西南戦争を含むこれらの戦いは、それこそ、士族から徴兵へと、時代が変わった事を如実に表す結果となりました。

そもそも、この西南戦争が始まった時、
「この軍隊が、薩摩の猛者たちを相手にできるのか?」という不安が、政府自身にもあったのです。

なんせ、この軍隊・・・明治六年(1873年)に国民皆兵(かいへい)の徴兵令を出して集めた者たちで、士族も含まれてはいますが、その多くは、戦いの経験などない農民や町民なのですから・・・

実は、その予想通り、田原坂などの白兵戦では、実際に刀を振りかざして突進して来る薩摩兵に対して、ただただ逃げ回ったり、震えて身動きできないなんていう国民兵がたくさんいたのだとか・・・

Tabaruzaka900 田原坂激戦之図(熊本市立熊本博物館蔵)

あの谷干城(たにたてき)が、熊本城で薩摩兵を相手にした時、撃って出る作戦に出ず、ただひたすら籠城したのも、「野戦になれば、徴兵の素人兵は、経験豊富な猛者である薩摩兵にかなわない」と思っていたからだとも・・・

しかし、ここで物を言ったのが、軍隊が揃えた最新兵器と、数の多さ・・・

刀を抜いての白兵では弱いものの、鉄砲を駆使した団体戦では、むしろ、薩摩兵を圧倒できたのです。

それは、勇敢な薩摩士族を相手にしていく中で、やがて、彼ら=国民兵の「俺らも、なかなかできるやん」という自信につながって行き、さらに、最終的に西南戦争で勝利した事で、士族でなくても戦えるんだ」という事の証明にもなったわけです。

しかも、この西南戦争では、上記のように抜刀隊などの白兵戦のような戦いもあった一方で、これまでの伝令や狼煙(のろし)に代わる有線電線や手旗信号や暗号といった新しい通信システムも大いに活躍しました。
戦いの近況が電信によって逐一報告されていた様子は
 【激戦!田原坂・陥落~薩摩の敗因は?】>>
 【西南戦争~熊本城・救出作戦】>> 等でどうぞ

この事が、徴兵された国民兵自身にも、管理する側にも大きな変革を与えます。

まずは、国民兵たちには、西南戦争で露呈した精神面の弱さや個人戦の弱さを克服するための精神訓練や銃剣訓練を徹底する事になります。

そして上部の方では、西南戦争で指揮命令系統がスムーズに運ばなかった事を反省し、作戦の立案と発令を担当する参謀本部を設置して、行政業務を担当する陸軍省から独立させ、いちいち陸軍省を通してから実務にこぎつけなくても、有事には、即、反応できるようにしました。

これらの変化は・・・

そうです。
この後、日本は、日清・日露という大きな戦争を体験します。

ご存じのように、その両方に日本は勝利するわけですが、この日清・日露の司令官の大半が西南戦争経験者なのです。

もし、彼らが、ここで旧薩摩藩士という強兵相手の大きな戦争を経験していなければ、果たして対外で優位に立てたかどうか・・・

西南戦争とは、日本の軍事を大きく変えた戦争でもあったのです。

もちろん、軍事の他にも、政治や経済に与えた影響もありますが、そのお話は、また別の機会に・・・

さらに、すでにご紹介させていただいてるコチラへの影響・・・ってのも
(こっちのその後もお楽しみくださいo(_ _)oペコッ)

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コメント

曾祖父が 西南戦争に出ています。これは官軍側の士族隊として。当然、薩摩側についた士族もおり、九州の旧藩は分裂状態に至りました。

江藤淳氏は 映画「史上最大の作戦」の鑑賞後、ノルマンディーの上陸に際し、自ら銃を持ち、連隊の先頭に立つ英軍の大佐・侯爵の独特なスタイルに、西南戦争における桐野利秋の姿を重ねています。

日本でも、このような「近代化」が可能だったのではないかと。

江藤氏の問は深いですね。

投稿: レッドバロン | 2011年9月24日 (土) 13時09分

レッドバロンさん、こんにちは~

>曾祖父が…

そうなんですか!!!w(゚o゚)w
貴重な体験談をお聞きになる機会はあったのでしょうか?

やはり、西南戦争をキッカケに近代化となったのでしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年9月24日 (土) 17時32分

熊本城が抜けず、大分方面に転進してきた薩軍別働隊が地元の士族隊・警察隊の抵抗を排除し、一時城下を占領します。

ウチの曾祖父は まだ十代でしたが、元家老の息子ということでか出陣。家のことが心配になり、夜中様子を見に行ったら、勝手に陣を抜けるとはと、母親にどえらく叱られ、追い返されたそうです。明治十年でさえ、武家の女性とはかくの如きものでありました。

藩の槍術指南役だった親戚の爺(といっても五十代ですが)は、槍を振るって陣屋を守り戦死、と言うよりあれは討ち死にだな。一人撤退を拒んだとか。江戸時代でも槍は既に教養の武器だったのですがね。

遺体には丁寧に筵が懸けてあり、枕元には何がしかの金子が置いてあったそうです。撃った方も撃たれた方もラスト・サムライでした。共に滅び行くものの共感があったように思えてなりません。

曾祖父はその後 日銀行員として北海道に渡り(小樽支店勤務)余り上手くいかなかったようですが。以上、父に聞いた話です。ご参考まで。

投稿: レッドバロン | 2011年9月24日 (土) 23時20分

レッドバロンさん、貴重なお話をありがとうございましたo(_ _)o

ほんとに…ラスト・サムライですね~

投稿: 茶々 | 2011年9月25日 (日) 01時46分

山田洋次監督の『隠し剣・鬼の爪』の中で幕末の藩の軍事調練が描かれています。『武士による刀と槍』から『組織だった銃兵』への展開期を表現しており、他の映画には見られなく関心させられました。幕末、農兵の出現により戊申戦争から西南戦争に至る過程で下級武士を含めて『戦にかかわる武士』が大きく変化して行ったこと。時代との関わりが個々に問われ、決断することの難しさを感じます。

投稿: 銀次 | 2011年9月25日 (日) 05時21分

銀次さん、こんにちは~

確かに、戊辰戦争から西南戦争までの10年間は、軍事の転換期でしたね~

>『隠し剣・鬼の爪』

恥ずかしながら、まだ見ていないので、チェックしときます。

投稿: 茶々 | 2011年9月25日 (日) 16時37分

ご存知だとお思いますが、映画「ラストサムライ」での終盤の内戦は、西南戦争をヒントにしています。あの映画は急激な西洋化政策に渡辺謙さん扮する政府高官(西郷隆盛に当たる)が異論を持っていた設定でした。
「幕府がなくなる=武士がいなくなる」→武士の特権が消滅すると言う結果になりましたが、討幕派でも佐幕派でもこれに気づいていた人(勝海舟や坂本竜馬)は少数ながらいますね。

投稿: えびすこ | 2011年9月26日 (月) 08時29分

えびすこさん、こんにちは~

勝海舟はええかっこしぃやからねぇ( ´_ゝ`)

でも、気づいてた人はいるかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2011年9月26日 (月) 12時08分

大山巌元帥は、鹿児島に帰る事なかったとか。仕事とはいえ、身内に弓を引くのは辛いものがあったのでは〜。鹿児島とはいえば、西郷さんなんですね。

投稿: やぶひび | 2011年9月27日 (火) 08時04分

やぶひびさん、こんばんは~

やはり、鹿児島は西郷さんでしょうね。

聞くところによれば、同じ薩摩出身の大久保利通でさえ、西南戦争の一件から、地元人気は今ひとつらしいですから…

投稿: 茶々 | 2011年9月27日 (火) 19時09分

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