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2011年9月26日 (月)

小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの見たものは…

 

明治三十七年(1904年)9月26日、『怪談』の著者として知られる明治の文豪小泉八雲が狭心症により、東京の自宅で54歳の生涯を終えました。

・・・・・・・・・

小泉八雲(やくも)・・・日本国籍を取得する以前の名前はラフカディオ・ハーンと言い、ギリシャフカダ島にて、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれました。

その後、アイルランドダブリンという場所に移りますが、6歳の時に父と母が離婚・・・同じダブリンに住む大叔母に引き取られ、以降、両親に会う事は一度も無かったと言います。

やがてフランスの神学校へ進んだハーンは、16歳の時、遊びの最中の事故により、左目を失明するという重傷を負ったうえに別の女性と再婚していた父が病死・・・さらに不幸な出来事は続くもので、その翌年には、大叔母が破産して、やむなく学校も退学し、生活も困窮を極めます。

心機一転・・・19歳の時に、夢を抱いて移民船に乗り込んでアメリカに渡り、幸運にも24歳のとき新聞記者となりました。

その後、新聞記者としての紆余曲折もありましたが、そのかたわらで外国文学の翻訳や創作物を発表しているうち、その文才が認められるようになっていき、やがて、ハーンが尊敬する女性ジャーナリスト・エリザベス・ビスランドが話してくれた日本に興味を持った事から、明治23年(1890年)、39歳の時に記者として日本にやって来たのです。

Koizumiyakumo600 来日後まもなく、出版社との契約を破棄したハーンは、帝国大学(東大)チェンバレン教授文部省の紹介で、島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師となり、翌年には松江の士族・小泉湊の娘・節子さんとの結婚も果たしました。

ただ、どうやら、松江の冬の寒さがかなり苦手だったようで、わずか1年3ヶ月で松江を去り、その後は、熊本第五高等中学校、さらに神戸クロニクル社帝国大学文科大学早稲田大学などに勤務しつつ、その間に日本国籍を取得して「小泉八雲」となり、ご存じのような様々な著作物を残す事になります。

日本の伝統的精神や文化に興味を持ち、その著書で、日本を広く世界に紹介した八雲ですが、その集大成と言える『怪談』は、死の直前に完成し、明治三十七年(1904年)に出版された作品です。

こうして八雲の生涯を見てみると、不遇な時代を送った少年期から一転、日本にやって来て運が開けた感がありますが、実は、その根底となる物は、あの両親の離婚の時から始まっていたようです。

そもそも、軍医として家を留守にする事が多かった父と、そのために夫婦のコミュニケーションをとれなかった母が、精神を病んでしまい、一人で故郷に帰ってしまった・・・

これで離婚となって大叔母に引き取られる事になるのですが、未だ幼い八雲にとっては、そこで両親から見捨てられたような不安とともに、父への憎悪が渦巻き、かなりのショックを受けて心を痛め、毎夜のように、幽霊や鬼に苦しめられる恐ろしい夢を見ていたと言います。

そんな八雲少年の心の支えとなってくれていたのが、大叔母の家に居候していたジェーンという女性・・・彼女は敬虔なカトリック教徒で、6歳の八雲にやさしく接し、いつも、神の思し召しについて語っていたのだとか・・・

そんなある日の夕暮れ時・・・八雲は、屋敷内のとある場所で、黒いドレスに身を包んだ彼女を見かけたので、「ジェーン姉さん!」と声をかけると、ふりかえったその顔は、目も鼻も口もないのっぺらぼう・・・「アッ!」と声をあげた瞬間、その姿はかき消され、一瞬にして見えなくなってしまいました。

腰をぬかして、しばらくは恐怖におののいていた八雲少年でしたが、果たして、その数ヶ月後、ジェーンは肺病で亡くなってしまったのだとか・・・

夢か幻か生霊か、はたまた、不幸な境遇に耐えかねた少年の心の叫びだったのか・・・

今となっては、本当の事かどうかもわからないエピソードですが、八雲が描くお化けや幽霊が、ただ怖いだけの存在ではないのは、そこに、やさしかったジェーン姉さんの面影を感じていたからなのかも知れません。
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コメント

こんばんは~!
私はかつて7年松江に居ましたが、松江は何でも名前が「八雲」だらけでした。それこそ八雲の字を見ない日はないくらい。
かなり親しまれていて、お孫さんをお呼びしサークル主宰の講演でお話を頂いたこともありますが、学内外から大勢聞きに来られてました。まあ、「日本のおもかげ」で松江がベタ褒めされてたので、むべなるかなですが。
しかし、このシェーンさんのお話は初めて聞きました。切ない話ですよね。私も父や従妹を亡くし、今でも幽霊でもいいから会いたいと思っていますので、気持ちはよくわかります。
ちなみに、熊本にも旅行で行ったことがありますが、あちらはかなりあっさり目で、地図に旧宅が載ってるくらいでした。

投稿: おみ | 2011年9月26日 (月) 20時22分

おみさん、こんばんは~

松江に住んでおられたのですか?
私は、1度しか行った事ないですが、時間がゆっくり流れているような気がして、なんだか落ち着く場所でした。

きっと、八雲も、そんな松江が好きだったんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年9月26日 (月) 21時38分

松江は、観光都市らしくない不思議な魅力があります。作品にちなんで、亀の銅像がありました。一畑電鉄の車窓から、見る宍道湖もいいですよ。
※ハーンの「雪女」は、今も読まれていますね。漫画にも。

投稿: やぶひび | 2011年9月27日 (火) 08時26分

ケルト系とギリシャの血筋がハーンを日本に運んでくれたものか。

ジェーンの話は 私も知りませんでした。

八雲は 日本各地の墓地で卒塔婆の文字に目を止め、幼くして亡くなった子供達の戒名が、春の雪のように淡く、儚い夢のように美しいのに深く心を打たれたています。

彼は そういうものが見える人なのだと思います。

投稿: レッドバロン | 2011年9月27日 (火) 16時15分

やぶひびさん、こんばんは~

あっ、宍道湖は行きました!
写真で見るような夕日には出会えませんでしたが、「観光地らしくない」という魅力は充分に感じました。

投稿: 茶々 | 2011年9月27日 (火) 19時11分

レッドバロンさん、こんばんは~

>彼は そういうものが見える人なのだと…

確かに、そうかも知れませんね。
その感性が作品に活かされているのでしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年9月27日 (火) 19時13分

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