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2011年10月12日 (水)

西欧の地球分割支配と秀吉の朝鮮出兵

 

1492年10月12日、コロンブス率いるスペイン船隊が、西インド諸島に初上陸しました・・・いわゆる「コロンブスの新大陸=アメリカ発見」です。

・・・・・・・・・・・

「おや?今日は世界史?」
と見せかけておいて、実は日本史です(*´v゚*)ゞ

世界史苦手の私も、さすがにこの部分は避けて通れないのが、スペインポルトガルによるこの頃の世界争奪戦であります。

そもそもは、コロンブスが登場する以前・・・ヨーロッパにある二大強国・スペインとポルトガルによる領土拡大作戦が始まっていました。

彼らを後押ししていたのはカトリックの大本山であるローマ法王(教皇)・・・その勅書(ちょくしょ・王の命令を伝える文書)には、
「異教徒の征伐と改宗に尽力する両国国王を支援し、征服・領有・貿易・漁猟などの独占を認め、原住民の奴隷化を許可する」
といった内容が見えます。

とは言え、地中海より東の地域へは、簡単に征服して進んでいく事は困難・・・

そこで、ポルトガルのエンリケ航海王子は、1415年にアフリカセウタ(モロッコ)を攻略し、続いて、30年かかってアフリカの西海岸を行き、1446年にはギニアから約1000人の黒人奴隷を輸入したり・・・と言っても、攻略というよりは探検に毛が生えたような物だったようですが、これに気を良くした法王庁は、ギニアはおろか、アフリカの最南端に至るまでのすべての陸地を、「征服した際は、永久にポルトガルの領土とする」事を許可しちゃったのです。

さらに、その後、アフリカ西海岸から東回りでインドに到達する航路上の全域を、ポルトガルが占有する事も、法王庁から許可されます。

ちょっと出遅れてしまったスペイン・・・

で、ここに登場するのが、西への冒険を模索していたコロンブス・・・とは言え、この頃には、すでにバイキングがヨーロッパから大西洋を越えて北米大陸に達していたわけですが、コロンブスは、その事を知らなかったようで、とにかく大西洋回りでインドやジパング(日本)に到達する事を夢見て、各国の王家へ支援の頼んで回ってたわけですが、上記の通り、ポルトガルはアフリカ回りでのインドの領有を認められているので、コロンブスの提案には興味を示さず、逆に、出遅れたスペインが喰いついたというワケです。

とにかく、こうして発見された北米大陸・・・これで、遅れをとっていたスペインの海外展開は一気に挽回されました。

当然の事ながら、スペイン国王は、発見された新大陸の領有の承認をローマ法王に求め、さらに、北極から南極に線を引いて、地球を東西に2分割する案を奏上・・・

これを受けて、ローマ教皇・アレクサンデル6世は、大勅書と称される文書で、大西洋上のアゾレス諸島とベルデ岬諸島のところに、北極から南極までに線を引いた境界線を定めます。

その後、1494年には、スペイン・ポルトガルの両国の間で、正式にトルデシリャス条約が結ばれ、
「ベルデ岬諸島より西方に370レグワ(1レグワ=約5.6km)の地点から両極に向かって南北に引いた直線より東で、すでに発見された、あるいはこれから発見される島や大陸は、すべてポルトガル王とその継承者の属し、西方で発見された、あるいはこれから発見される島や大陸はカスティリャアラゴン(当時スペインは2国に分かれていたので)に属する」
と決定したのです。

Dbunkatusen トルデシリャス条約で決定された分割線

おいおい!何を勝手に分けとんねん!という間もなく、その線から東回り&西回りで開始された2国による地球争奪戦・・・

これらの侵略行為を正当化するに当たっては、やはりローマ法王庁が登場・・・その言い分は、
異教徒は・・・
これまで、キリスト教徒の土地を不当に占拠して領有していたのだから、それを取り返すための戦争は正当である。
アジアやブラジルに対しては・・・
彼らの霊魂を救済しようと、すばらしい宣教師を派遣しているのだから、その宣教師たちが現地で優遇されるのは当たり前だし、宣教師の話に耳を傾けなかったり迫害したりする者に対する戦闘行為は正当である。
アメリカ大陸の原住民については・・・
彼らは、布教を妨害したり圧迫したりしない者たちだが、キリスト教において重大な罪となるような悪習を守り、それをやめようとしないのだから、武力で服従させる戦争は正当である。
という事だそうです( ̄◆ ̄;)

ところで、こうして引かれた分割線・・・当然のことながら、北極&南極を通り越した裏側にもつながっているわけですが、たどってみると、それは北海道の東あたりを通過してます。

ただ、この条約が締結された頃は、未だ地図も不正確で、裏側に関しては何も決められてはおらず、両国は、表側のその境界線から、インドを目指して航海を競い合うという段階でした。

しかし、それから100年も経つと、「ポルトガルに属する東インド」「スペインに属する西インド」などという言葉も登場し、16世紀末には、
「果たしてジパング(日本)はどっちのインドに属するのか?」
という事が、両国の間で激しい論争になったのだとか・・・

「コラ!日本はどっちにも属さへんわい!ヽ( )`ε´( )ノ」
と、日本人の一人としては声高に叫びたい・・・

やがてスペインは南ヨーロッパを制し、中南米を制し、1571年にはオスマントルコも破り、さらには覇権を争ったポルトガルも併合し、もはや地球上に敵無しの絶頂期を迎えた頃、「どっちに属するのか?」との討論のネタになっていた遥かなる日本で、スペインより先に明(みん・中国)を手中に治めようと考える男が登場します。

そう、豊臣秀吉です。

秀吉の朝鮮出兵の目標が明の制圧だった事は皆さまもご存じの通り・・・

文禄元年(1592年)に朝鮮の釜山(プサン)に上陸して(4月13日参照>>)、わずかの間に首都・漢城(ハンソン・京城)を落とした報を聞いた秀吉は、名護屋城から、関白の秀次に手紙を書きますが、その中で
「明を征服したあかつきには、大唐の都・北京(ペキン)後陽成(ごようぜい)天皇を移して皇帝とし、秀次を大唐の関白に・・・自らは寧波(ニンポー)に居を構えるつもりである」
てな事を書いています。

寧波とは、首都の北京よりも西・・・ひょっとしたら、秀吉は、その先の天竺(てんじく=インド)を見据えていたのかも知れません。

もちろん、まだまだ謎多き朝鮮出兵・・・秀吉の真意にたどりつく事は難しいでしょうが、

ただ、結果的には、撤退を余儀なくされる朝鮮出兵であるため、ドラマなどでは、この頃の秀吉は、歳をとっておかしくなった人のように描かれ、荒唐無稽な夢に周囲が振り回されているがのごときシーンが満載・・・

今年の大河ドラマでも、朝鮮に渡った夫=羽柴秀勝を心配する(ごう)に、姉の(はつ)
「こんなバカげた戦は、すぐ終わる」
(↑個人的にはこのセリフはあってはならないセリフだと思います)
なんて言ってましたが、この朝鮮出兵がバカげた戦かどうかは、当時の世界情勢も踏まえて考えなければ、その真意にはたどり着かないように思います。

少なくとも、当時、極東アジアの小国で簡単に征服できると思っていたジパングが、世界有数の軍事大国である事を、秀吉の朝鮮出兵がスペインに気づかせた事は確か・・・

もちろん秀吉も、キリスト教布教の名のもとに、スペインが日本を征服しようと考えている事を、すでに気づいていたようですしね(6月19日参照>>)
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戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

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コメント

日本史と東洋史・西洋史が初めて交錯する重要な年代ですが、鎖国ノスタルジーの日本では不人気ですね。

エリザベス一世と信長が1歳違い、大河ドラマでは信長にも海外進出の企図があったように説明されてましたが、後の話は全くの尻切れトンボに終わってしまいました。


秀吉が朝鮮出兵した頃は英国がスペインの覇権にチャレンジしていた時期とも重なります。欧州の情勢はどのように伝えられていたのか、とても興味深いです。

投稿: レッドバロン | 2011年10月12日 (水) 23時15分

レッドバロンさん、こんばんは~

当時のスペイン国王・フィリップ2世と秀吉は贈答品のやり取りをしていますので、お互いの存在を、多少なりとも意識していたのでしょう。

また、いずれ書かせていただこうと思ってますが、秀吉はフィリップ2世への手紙の中で、宣教師が日本で布教活動をする事が好ましくない事や、自分が明に出兵するつもりである事も、堂々と書いていたと言いますから、秀吉のほうも、ある程度の情報を得ていたのかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2011年10月12日 (水) 23時43分

茶々様

秀吉からフェりッぺ二世への書簡、興味深いですね。まさに同時代人ですものね。向こうからの書簡は、大坂城や伏見城が焼けちゃってるので、残ってないでしょうなあ…。

まだ色々華やかだった頃、東京グローブ座で[ローマを見た]というミュージカルを見ました。天正少年使節を題材にしたものです。ジャニーズ系が主役で、フェリッペ二世、トスカーナ大公妃、秀吉らが総出演。

フェリッペ二世とトスカーナ大公妃が顔を合わせると、お互いにフンとそっぽを向くシーンがあったものですから、原作者の山崎正和氏に、2人は本当に仲が悪かったのか、尋ねてみました。

ま、ヨーロッパは絶えざる緊張関係にあった、という事らしいですが。そういうの、探求する性格でして。ミュージカルは意外と面白かったです。

投稿: レッドバロン | 2011年10月13日 (木) 14時23分

レッドバロンさん、こんばんは~

天正十九年に秀吉に謁見したポルトガル人使節団が持って来たフィリップ2世からの贈答品の目録と書簡は、今も、京都の妙法院に保管されているそうですよ。

妙法院は通常非公開なので、私はまだ見れてないんですけどね。

>天正少年使節を題材にしたミュージカル

それならジャニーズ系もアリですね。
見てみたいです。

投稿: 茶々 | 2011年10月13日 (木) 18時28分

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