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2011年10月 7日 (金)

逃避行で初恋を実らせた里見義弘と青岳尼

 

天文七年(1538年)10月7日、安房の戦国大名・里見義堯と組んだ小弓公方足利義明が、相模の戦国大名・北条氏綱と戦った第一次・国府台合戦がありました。

・・・・・・・・・・・

以前は、ネットで「足利義明」と検索しても「もしかして足利義昭?」と返されるくらいマイナーな小弓公方(おゆみくぼう)・・・戦いのお話は、4年前の10月7日に書かせていただいた【第一次・国府台合戦~小弓公方の最期】のページ>>でご覧いただくとして、本日は、この戦いで、彼=義明が命を落とした事で、その人生を大きく変える事になる姫のお話・・・

・‥…━━━☆

足利義明(よしあき)は、第2代古河(こが)公方足利政氏(まさうじ)の次男で、父や、その後古河公方を継ぐ兄と対立して離れ、下総(しもうさ)小弓(おゆみ・千葉県千葉市)にて居を構え、小弓御所と称した事から小弓公方と呼ばれます(公方に関してのくわしくは上記の国府台合戦のページで…)

そんな彼を支援したのが安房(あわ・千葉県南部)の戦国大名・里見義堯(さとみよしたか)でした。

義明の野望が鎌倉奪回なら、義堯の野望は関東制覇・・・もちろん、そこに立ちはだかるのは、あの北条早雲(そううん)の息子・北条氏綱(うじつな)でした。

かくして、天文七年(1538年)10月7日武蔵(埼玉県・東京都)に進攻して来た義明・義堯連合軍を氏綱が迎える形で、上総国府台(こうのだい・千葉県市川市)で両者がぶつかっわけです。

しかし、残念ながら、この戦いは足利&里見の敗北・・・義明は、その命をも落としてしまうのです。

義明には二男二女=4人の子供たちがいましたが、もともと一族と離反しての小弓公方・・・なので、義明の遺児たちは、里見家に引き取られる事になります。

本日の主役は、その引き取られた子供たちの中で、長女とされる青岳尼(しょうがくに)という女性・・・残念ながら、その本名がわかっていないので、本日は青岳尼と呼ばせていただきます(本当はいかにも美しい姫って感じの名前が良いんですが…(゚ー゚;)

この姫の兄である長男の足利義純(よしずみ)が、15歳で元服を済ませて、今回の国府台合戦に出陣している事と、弟で次男の足利頼淳(よりあつ・頼純)が天文元年(1532年)生まれとされるので、おそらく彼女は、10歳前後で里見家に引き取られたものと思われます。

その暮らしぶりの記録はなく、想像するしかありませんが、何たって、里見家がその威信をかけて後押しする小弓公方=足利家の遺児たちなのですから、おそらくは、4人とも、大事に大事に扱われていたものと思われます。

・・・と、ここで、もう一人の主役に登場いただかねば・・・それは、青岳尼たちを引き取ってくれた義堯の嫡男・里見義弘(よしひろ)(11月8日参照>>)です。

義弘は、享禄三年(1530年)の生まれとも大永五年(1525年)生まれとも言われますが、この後の展開を考えると、おそらく青岳尼と同世代だったと思われます。

そうです・・・
義弘と青岳尼の間には、ともに、同じ屋根の下で暮らすうち、幼馴染から一歩進んだ、ほのかな恋心のような物が芽生えていたのです。

しかし、青岳尼は、足利家支流の血脈を受け継ぐ姫・・・自由な恋愛など許されるはずもなく・・・まもなく彼女は、鎌倉の大平寺に入る事になります。

彼女が尼になった正確な年号はわかりませんが、天文二十二年(1551年)に大平寺の住持(じゅうじ=寺の主僧・住職)として正式に記録されている事から、それ以前には、すでに尼僧になっていたのでしょう。

しかも、この大平寺というのは、鎌倉尼五山の一つで、寺の中でもかなり寺格が上のお寺・・・さすがは、足利支族の姫という事で、その身分は、関東一円の尼僧を統轄する頂点の位置だったわけです。

こうして、離れ離れになった二人・・・なんせ当時の鎌倉は、里見が国府台で戦った北条の支配下ですからね。

しかし、このままで話が終わっていたら、当然、二人の淡い恋心も歴史の彼方に消え、表に出る事はなかったわけですが・・・

時は、弘治二年(1556年)、父・義堯同様に敵対関係にあった北条を攻める義弘・・・相手は氏綱の後を継いで、3代めの当主となっていた北条氏康(うじやす)です。

この時、鎌倉に入った義弘は、なんと!大平寺の青岳尼のもとを訪れ
「尼僧なんかやめて、俺の妻になってくれ!!!」
と・・・

義弘に連れ出された青岳尼は、そのまま二人で江戸湾を渡り、恋の逃避行・・・義弘の居城・上総国(かずさ・千葉県中部)佐貫城(さぬきじょう・千葉県富津市)へと入って、まもなく、彼女は義弘の正室となったのです。

義弘!!カッコイイ~~ψ(`∇´)ψ

ただ、これは、あくまで軍記物のお話で、実際のところは、青岳尼が大平寺を出た年代はわかっておらず、義弘が鎌倉を攻めた時に連れ出したかどうか?という事は不明です。

ただ、青岳尼が、その時の地位を捨てて還俗(げんぞく・一度僧になった人が一般人に戻る事)し、義弘の正室となった事は事実・・・

鎌倉攻めの時に、二人が再会したかどうかは別として、お互いに連絡を取り合っていた事は確かでしょう・・・それでないと、彼女が寺を出る理由がありません。

この事件に関しての1級史料はただ一つ・・・
「大平寺殿(青岳尼の事)が向地(房総半島の事)に移座した以上、大平寺断絶もやむを得ない・・・まことにもって不思議なる御くわだて」
と、住職がいなくなったために大平寺を廃寺にせねばならない事が書かれた氏康の書簡のみ・・・

上記の書簡に年号が書いてないので、彼女がいつ寺を出て、義弘の正室となったかわからないわけですが、義弘が享禄三年(1530年)の生まれだとしたら、青岳尼が大平寺にいた事が確実な天文二十二年(1551年)には22歳、おそらく、未だ正室とはなっていない鎌倉攻めの弘治二年(1556年)なら、すでに27歳・・・

10代半ばで正室を迎える事が一般的な戦国時代・・・まして義弘は一国の戦国領主なのですから、20代後半まで、正室を迎えずに独身でいたというのは、かなり不自然・・・

おそらくは、二人の中には、ずっと断ちきれない恋心があり、いつかそれを実らせるべく、時を待っていたという事でしょう。

彼女を迎えに行くまで独身を貫いた義弘・・・
関東トップの地位を捨てて愛する人のもとへ走った青岳尼・・・

確かに、二人の熱い思いを知らなければ「まことにもって不思議なる御くわだて」ですわな。

ただ、ちょいと気になるのは・・・
現存する興禅寺(千葉県南房総市)の彼女の供養塔には天正四年(1576年)と明記されていて、それが、彼女の亡くなった年だとすると、二人の結婚期間は20年ほど・・・

生涯をともに・・・というわけには行かず、彼女の死んだ後に義弘は継室(次の正室)を迎える事になるのですが、それこそ、長ければ幸せという事はないワケで・・・

初恋を実らせた彼女の結婚生活が、とても充実した物であったと願いたいですね。
 

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コメント

二人ともが幼い時に互いに恋い焦がれ、二人ともがその想いを大人になっても離ればなれになっても持ち続け、そして成就させるなんて、なんと感動的な御くわだてでしょう!。

投稿: わしも関西人 | 2011年10月14日 (金) 17時11分

わしも関西人さん、こんばんは~

>なんと感動的な御くわだてでしょう!。

ナイス!な言い回しですね~
どうしても、戦国時代で恋愛ドラマにしたいなら、このお二人を描いてほしいです~

投稿: 茶々 | 2011年10月14日 (金) 19時40分

なんかどっかで聞いたことがあるような…と思ったら、「あさきゆめみし」の夕霧と雲居の雁にそっくり!(勿論、原点の源氏物語にもそっくりなんでしょうが、読んだことないので(^^;)
現実でもあんな話、あるんですね。自分が当時の関係者なら応援しちゃうだろうなぁ~!お互い初恋を貫くなんて凄い!!(ま、実際は殆どが片思いのままだから、下手に貫くとストーカーに成り兼ねないのでしょうが…(笑))
羨ましいです。
しかし、戦国の女性の名前はほんとに残ってないですね。尼さんじゃやはり想像できない~。惜しいな~。

投稿: おみ | 2011年10月15日 (土) 21時54分

おみさん、こんばんは~

やっぱり、いかにも美しいお姫様のような名前が良いですよね~

義弘さんは、結婚後も(夕霧のように)浮気したりしません!
と思いたいですww

投稿: 茶々 | 2011年10月16日 (日) 02時48分

ロマンチックな話には縁のない当方としましては、このようなエピソードを読んで来世に夢を託すのみです。来世なんてものがあればですが…。

なお、僭越ながら太平寺は鎌倉尼五山、もしくは尼寺五山とするのが正確かと思われます。

青岳尼が上総へ渡る際に持ち出した聖観世音菩薩像は、妹の旭山尼が住持をしていた鎌倉の東慶寺に今もあるそうです。豊臣秀頼の子の天秀尼も見てたのでしょうね。

投稿: とらぬ狸 | 2015年10月 7日 (水) 23時42分

とらぬ狸さん、こんばんは~

姫とか尼僧とか書いてるので大丈夫かな?って思ってましたが、やhり正確に書いた方が良いですね。
訂正しときますm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2015年10月 8日 (木) 02時42分

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