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2011年11月29日 (火)

山城屋事件~陸軍省で割腹自殺した山城屋和助

 

明治五年(1872年)11月29日、陸軍省から借りた多額の公金を返済できなかった御用商人・山城屋和助が、割腹自殺しました。

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山城屋和助(やましろやわすけ)は、本名を野村三千三(のむらみちぞう)と言い、周防国(山口県)玖珂郡(くがぐん)医師の四男として生まれましたが、幼い頃に両親を亡くしたために寺へと預けられ、僧侶として修行に励んでおりました。

Yamasiroya550 しかし、文久三年(1863年)、25歳の時に還俗(げんぞく:僧侶が俗世間の一般人に戻る事)して、高杉晋作が創設した奇兵隊に入隊します。

ここでは山県有朋(やまがたありとも)の部下となって戊辰戦争に参加・・・越後(新潟県)各地を転戦しました。

維新後は、山城屋和助と名を変えて横浜に店舗を構え、貿易商を営む商人となりますが、ここでフル活用したのが、奇兵隊時代の上司であった山県との縁でした。

当時、兵部省(国防機関)大輔(たいふ:次官)だった山県を通じて、兵部省の御用商人となり、軍需品の納入を一手に引き受けて莫大な利益を得、豪商として名を馳せます。

山県は、その見返りとして多額の献金を受け取っていたと言われますが、そこンところは謎に包まれています。

ただ、その後、生糸相場に投資するための資金として陸軍の公金を、山県が勝手に和助に貸してしまったのは事実のようですが、これがまた、エライ損害を被ってしまいます。

おりから、普仏戦争(ふふつせんそう:フランスとプロイセン王国=ドイツ北部の間で行われた戦争)が勃発した事により、ヨーロッパの生糸相場が暴落してしまったのです。

公金を使って大損・・・しかし、これで懲りないのが、一度、富を得てしまった人間の悲しいサガ・・・

山県は、今回の欠損を補てんするため、またしても公金を和助に貸しつけ、今度は、自らの手で交渉しようと、和助は、この大金を手に、フランスに渡ったのです。

ところが、まもなく・・・
フランスに渡った和助が、「仕事もせず、日夜豪遊している」との噂が現地に広まります。

不審に思った駐仏公使が、日本の外務省に報告・・・豪遊資金の出どころが、山県の貸した公金である事がバレそうになってしまいます。

ナイショで貸しつけた公金の総額は約65万円・・・それは、当時の陸軍省予算の1割にも当たる額だったとか・・・

まさしく公金横領・・・ティッシュで稼いだ会社の金をカジノで使っちゃった人もいましたが、コチラは軍のお金ですから、さらに罪は重い・・・

ただ、悲しいかな和助自身には、あまり罪の意識が無かったのかも知れません。

なんせ、幕末の頃には、あの高杉晋作も、そして伊藤博文井上馨(かおる)も、藩の公金で遊び歩いていたという悪しき習慣が長州にはにはありましたから・・・彼も、そんな、過去の英雄のマネをして、儲けにつながる人脈を築きたかっただけなのかも知れません。

しかし、もう、時代は変わりました。

新政府も薩長による公私混同に眉をひそめはじめていましたし、政府内には、山県が推進する徴兵令に反発する保守派もいて、対立の様相を見せていましたし、なんたって「役人の不正は許さぬ」江藤新平(4月13日参照>>)も健在でしたから・・・

事の発覚に、さすがの山県も慌てふためき、すぐに和助を日本へ呼び戻して、貸しつけたお金の返済を迫ります。

しかし、もはや破産寸前の和助に、返済するお金などありません。

こうなると周囲は冷たいものです。

山城屋と親しい関係にあった長州出身の官僚たちは、手のひらを返したように、山城屋との関係を一切断ち切ります。

明治五年(1872年)11月29日、山県に司法の取り調べが及ぶ事を防ごうと考えた和助は、すべての証拠書類を焼却し、山県に会いに、陸軍省へと向かいました。

しかし、山県は和助からの面会の申し入れを拒否・・・山県も、彼を切ったのです。

山県からも拒絶された事を痛感した和助は、そのまま陸軍省内の一室で割腹自殺を謀ったのです。

享年36歳・・・

陸軍省内の一室にて自殺したという行為は、和助なりの意地であり、山県への抗議の意味もあったのかも知れませんが、結局、彼が、すべてを背負って自殺した事で、この事件の真相は闇に葬られる事となり、山県は、その後も順調な出世コースを歩む事になります。

♪誉(ほま)れある 越路(こしじ)の雪と 消えもせず
 永らへてこそ 恥ずかしきかな  ♪
   山城屋和助:辞世

和助にとって、誇れる自分とは、幾万の富を築いた維新後ではなく、遠き新潟の地で奇兵隊の一員として戦ったあの時代・・・

命を賭けた武士として生きたあの頃こそ、彼が一番求めていた彼らしい生き方だったのかも知れません。
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コメント

武士として死にたかった山城屋の辞世、何だか、哀れを誘いますね…。

しかし、遊び好きで、そうなると公私の別がつかない長州人気質?幕末の京都ではカネ離れが良くて大いにモテましたが、今でも、その風は受け継がれているような…。

誰カレとは 申しませんがね…。

投稿: レッドバロン | 2011年11月29日 (火) 18時17分

レッドバロンさん、こんばんは~

そう言えば…あの方も長州のご出身でしたね。

投稿: 茶々 | 2011年11月30日 (水) 00時07分

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