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2011年11月10日 (木)

京都御所?皇居?大正・昭和・平成の大礼

 

大正四年(1915年)11月10日には、京都御所で大正天皇の即位礼が…
昭和三年(1928年)11月10日には、同じく京都御所で昭和天皇の即位礼が挙行されました。

・・・・・・・・・・・

そもそもは神代の昔から、明治二十二年(1889年)に大日本帝国憲法とともに旧皇室典範が成立するまで、皇位継承に関する成文化された法律は、日本には無かったのです。

もちろん慣習的に様々な決め事は存在しましたが、あえて(あえてかどうかはワカランが)成文法を制定しなかったおかげで、その時代によって変幻自在な皇位継承が成されて来たわけです。

古代では一般的だった終身制がいつの間にやら譲位制に代わって、奈良時代には文武天皇から元明天皇へと・・・なんと、息子から母への皇位継承なんてのもありました。

まぁ、この時代は医療も発達しておらず、子供の死亡率も高かったし、生まれた子が必ず成人して、永く皇位につくという補償もなかったでしょうから、それだけ柔軟な皇位継承が求められていたのでしょう。

しかし、世が明治維新となって、一気に近代化に進む中、憲法の制定とともに、皇室に関するモロモロの決めごとも含め、明確な成文法の成立が求められたのです。

最近、何かと話題の・・・
皇位継承権を男系男子・嫡長に限定して女系を認めないというのも、この明治の時に決められましたが、それこそ、昼夜を問わず議論を重ね、何度も草案を書きなおしながらの制定だったのです。

そもそも、皇室典範という名称でさえ議論の対象となっていたのですから・・・。

・・・で、この時の皇室典範によって、終身在位の原則が定められるとともに、「天皇(先帝)が崩御されたら皇嗣(こうし・皇太子)が直ちに皇位を継承(旧皇室典範では践祚・新皇室典範では即位)する」事も定められました。

ただ、それに伴う様々な儀式については、もう少し遅く、明治四十二年(1909年)に交付された登極令(とうきょくれい)及び付式によって規定されました。

登極というのは極位=皇位に登る事で、つまりは継承・・・んで以って、それに伴う儀式の事を一括して大礼と言いますが、具体的には・・・
●践祚(せんそ)の式
●改元の儀
●即位の礼
●大嘗祭
(だいじょうさい)
●大饗(だいきょう)
の5種類で、登極令と付式には、それをいつやるとか、どこでやるとかの儀式次第が詳しく定められているわけです。

これに基づいて、大正天皇昭和天皇の2代に渡って、践祚式は東京の皇居で行われ、冒頭に書かせていただいた通り、即位の礼は京都御所にて大嘗祭とともにとり行われたのです。

しかし、あの太平洋戦争後、かの登極令が、他の皇室令とともに廃止され、新しい皇室典範では、皇位継承の儀式については「即位の礼を行う」と定められているだけで、事細かな事は一切なし・・・なので、昭和から平成の変わりめに行われた今上天皇の皇位継承は、これまでの大礼を参考にしながらも、様々な工夫を加えてとり行われたのです。

明治の頃の成文法の制定も大変だったでしょうが、そこから180度転換された戦後初めての即位の礼も、さぞかし大変だった事でしょう。

今上天皇の場合・・・
昭和天皇の崩御を受けて、昭和六十四年(1989年)1月7日の朝を以って直ちに125代天皇となられた後、午前10時から行われた践祚式・・・新典範には規定がないものの、現在の皇室経済法の中に「高位とともに伝わるべき由緒あるものは、皇位とともに皇嗣がそれを受ける」という一文があった事で、宮中三殿賢所(かしこどころ)での礼拝や奏告、祖宗の神器の承け継ぎなど、践祚式における儀式はスムーズに行われましたが、あくまで、この践祚式は内々の儀式・・・

より大変だったのは、やはり即位の礼でしょうね。

そもそも、京都に住むお年寄りが、いまだに、
「天皇さんは、ちょっと東京に行幸してはるだけ・・・また、帰って来はる」
なんて事を言う・・・と、まことしやかな都市伝説もありますが、実際に正式な(みことのり)が発せられているわけではないので、厳密には日本の首都は未だ京都という考えもあわけで、

これまで、京都御所で行われていた即位の礼を東京の皇居で行うという事には、紆余曲折の様々な意見があったようですが、最終的には、平成元年当時には、未だ京都迎賓館もなく、関西空港も無かった事から、外国のお客様を迎えるに当たっての警備の問題もあり、東京での即位の礼となったとの事(←あくまで、そう聞いたという理由ですが)

その代わり・・・と言ってはなんですが、東京での一連行事を終えられた天皇陛下は、まずは近畿への行幸を行われ、伊勢神宮桃山御陵の参拝をされた後、京都御所に近畿圏の各界の関係者・800人を招いて、大きな茶会を催されたとの事・・・

初めての試みに、さぞや関係者の方はお忙しかった事でしょうね。

Gosuotakamikuta800 京都御所・紫宸殿の高御座

ちなみに、東京での即位の礼のために京都御所から皇居に運ばれた高御座(たかみくら・玉座)御帳台(みちょうだい・皇后の御座所)などの品々は、その後、再び京都御所の紫宸殿に戻され、その年の12月15日から9日間、京都御所で一般公開されました。

おそらく、関係者の皆さまは、このあたりで、やっと一連の儀式を終えたというゆったり感を味わわれた事でしょうね。
 .

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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

ショコラさん、こんにちは。

祖父が 昭和天皇の御大礼に参列しています。文官ですが 予備砲兵士官でもあったので、軍服姿で記念写真に収まっています。

前日の予報は大雨だったのに、奇跡のように晴れ渡ったたと聞いております。

昭和も 遠くなりけり、ですね。

投稿: レッドバロン | 2011年11月11日 (金) 16時57分

訂正

茶々さま、失礼しましたsweat01

ショコラさまは 雅子妃殿下の愛犬の名でした。ご成婚の日のことを思い出していたものですからね。

投稿: レッドバロン | 2011年11月11日 (金) 17時07分

レッドバロンさん、こんばんは~

>祖父が 昭和天皇の御大礼に…

おぉ、それば素晴らしい!
記念の写真は自慢の1枚ですねo(*^▽^*)o

投稿: 茶々 | 2011年11月11日 (金) 18時55分

茶々さん、あけましておめでとうございます。
カウントダウン後にノロウィルスで嘔吐、下痢が続いて困っています。少しましになりましたがまだまだです。
茶々さんは如何ですか。

東京の人は江戸を東京に変わる詔で遷都したと思っていますがあれは東京に変えただけなのと都と同地位と言うだけで遷都でないので中華民国の台北、北朝鮮の平壌と同じ地位と言うのを理解していません。両方とも遷都を発していませんので、南京、ソウルが首都のままです。京都も同じことが言えますし、大正までは留守居がいましたことを考えても京都が首都ですし、その後も昭和天皇まで即位の礼、大嘗祭は京都で行われ、今でも高御座があり、京都御所は御所と呼ばれているのを見ますとやはり京都は都と言う感じがします。
でも日本人はパリ、ワシントンDCを見ているので首都は一つと思いますが、ベルリンが正式な首都でもボンにも政府機関があり、フランクフルトは経済の首都のドイツ、モスクワが首都だがサンクトペテルブルグは文化首都になっているロシアみたいに分かれています。日本も東日本の事を考えると首都は京都、政治の拠点は東京、経済は大阪という様に分けた方が良いのでは無いでしょうか。

でも京都に住む伯父だけでなく学問や法制史を研究している方々はまだ京都は首都と言うのは正しいと思います。

投稿: non | 2016年1月 5日 (火) 10時24分

あと古代エジプトでは首都は南部の今のルクソールのテーベだが、政治の拠点はカイロ近くの北部のメンフィスという様に分けていました。
平成が即位の礼も大嘗祭も東京で行われ、八瀬の童子が担ぐ御輿が無いのを見ますとおかしい感じがします。

投稿: non | 2016年1月 5日 (火) 10時27分

http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec16.html 茶々さん、国交省のHPに京大の先生が遷都の詔が無いと書いています。
これで形式上の首都が京都と言うのを証明しています。

投稿: non | 2016年1月 5日 (火) 11時06分

nonさん、明けましておめでとうございますm(_ _)m

本文にも書いてますが、おっしゃる通り、遷都の詔は出て無いので、今も都は京都ですよ。

以前の『大坂遷都白書』のページ>>でも書かせていただきましたが、周囲からの猛反対のため、「とりあえず大坂に行幸」って形で天皇を京都から連れだし、結局、そのまま東京へ行きはった…というのが現状です。

ただ、私個人的には、この曖昧さが好きだったりします。
それこそ、以前のページ>>で書かせていただきましたが、この「日本」という国は、その国名を「ニホン」と読むのか?「ニッポン」と読むのか?が正式に決まっていないという、世界的にも珍しい曖昧さを保った国です。

「白黒つけずに、良い感じの落とし所で…」
「なるべく波風たて無いように…」
これが、悪いと言えば悪いところなのかも知れませんが、それこそが、全知全能の唯一の神を信じる国では無い、八百万の神々のおわす国だからこその成せるワザだと、好意的に受け止めております。

投稿: 茶々 | 2016年1月 5日 (火) 16時03分

茶々さん、こんにちは。
遷都の詔も遷都の儀式も無いのに東京が都と言うのはおかしいし、もし遷都されたならば御所とか仙洞御所と言う言い方は無くて旧離宮みたいな感じになるのがなっていないのを見ますとどうかなと思いました。
東京遷都説をとる方はいろいろ理屈をこねますが全て破たんしています。それでもごねるので広島大本営はどうなるかと尋ねています。それでもぐたぐた言うならば無視します。
ところで曖昧と言いますと昨年お世話した人と話をしていたらなんとスワジランド等のアフリカでは大日本帝国が日本の正式名称です。嘘みたいな話ですが本当です。ですのでにほん、にっぽん、だいにほんはいまだに何が本物か分からない感じがします。

投稿: non | 2016年1月 6日 (水) 15時39分

nonさん、こんにちは~

歴史には白黒つけられない事が山ほどあります。
それが歴史だと思います。

投稿: 茶々 | 2016年1月 6日 (水) 16時11分

茶々さん、
そう言えばヒストリーは西尾幹二先生によりますとヘロドトスの歴史から始まりますが物語と言う意味らしいですね。
なのでアレクサンドロス大王に関してもギリシャとイランでは中身が全然違うそうです。
それくらいに白黒はっきりしないのが歴史と言う者かなと思いました。
ところで即位の礼は東京でしたのは世界の要人を迎えるためですが、何故大嘗祭は京都でしなかったのか不思議な感じがします。大嘗祭は即位の礼以上に重要な儀式と言うのは知られていますが、それも東京と言うのは偏っている感じがしました。四国の古老はショックみたいでした。京都でやるものと信じていましたので・・・

投稿: non | 2016年1月 7日 (木) 13時13分

nonさん、こんにちは~

今上天皇の即位には、戦後初という事で、何かと初めての事が多々あったので、周囲の方は色々と考えられたと思いますよ。

あちらを立てればこちらが立たず…それこそ、白黒つけない良い感じの落とし所を考えられたのだと思います。

投稿: 茶々 | 2016年1月 7日 (木) 17時18分

茶々さん、お久しぶりです。

この事で思い出したのは古代エジプトの首都はテーベ、今のルクソールに中王国時代に置いていたのですが、そこはスーダン、エチオピアには便利ですが、アジア、ギリシャ、リビアから不便ですので政治の都は今のカイロ近くのメンフィスに置いていました。
そういうのは今の日本に似ていますが、でも日本と違うのは古代エジプト人はきちんと認識してそう子供たちに教育していたのです。ところが日本はそうしていません。三種の神器を京都御所に置いていないのも問題だと思います。

投稿: non | 2016年7月17日 (日) 09時44分

nonさん、こんばんは~

日本も、江戸時代では、首都は京都、政治の中心は江戸、経済の中心は大坂で、意外と良い感じだったのかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2016年7月18日 (月) 01時54分

茶々さん、こんばんは。
少し風邪はましになりましたが、まだ治りきっていません。
ところで日本みたいな本当の都と実質上の都を分けているのは今ある国だとボリビア、北朝鮮、台湾がそうですが、似ていたのは帝政時代のロシアの実質上のサンクトペテルブルグとモスクワの関係に似ています。帝政時代も首都はモスクワだが実質はサンクトペテルブルグと書きましたが、一番似ているのはその関係です。
ところで古都と言うのに鎌倉が勝手にして以来いろいろ増えて高山、金沢も入ってしまいました。天皇が住んでいたわけでもないのにです。こうしますとこの国はいい加減だなと思うのと難波宮と言って副都の大阪、広島大本営があった広島は入っていないのでどうなっているのかなと思いましたが如何ですか?今ロシア、アメリカ、トルコなどでは古都も一応首都機能を持っています。サンクトペテルブルグで大統領、首相が閣議などの会議をしたりしたり、NYは世界の首都みたいで、イスタンブールは今でもトルコの中心都市でありロシア同様の事や首都機能も持っています。日本も出来るのにと思いました。

投稿: non | 2017年1月26日 (木) 04時15分

nonさん、おはようございます。

日本は、「日本」と書いて「にほん」と発音するのか?「にっぽん」と発音するのかも決まっていない国…

高天原には八百万の神がいて、それぞれがいろんな意見を交わすような…そんな大らかさが私は好きです。

世の中には、「1か0か」「白か黒か」
ハッキリ決着つけないて、うやむやのままが1番うまくいく事もあると思います。

投稿: 茶々 | 2017年1月26日 (木) 06時36分

茶々さん、おはようございます。
実はPC変換で日本と打ちますとにほんだと二本になることがあります。にっぽんは日本です。でも個人的にはにほんと使っていますが、憲法、日銀はにっぽんらしいですね。私も少し言語学をかじりましたが、にほんでなくにっぽんが基本だと言っています。例のは行の歴史からですが・・・

ところで副都だったのは大阪、大津、神戸、信楽、京都府南部ですが、そこは何故か古都に入らないです。大宰府、博多も入らないので不思議だなと思います。と言うくらいに鎌倉が混乱の原因を作ったと思います。最近古都に大館、平泉、首里が入っているみたいです。この国は何だか増やすのは好きですね。横綱も稀勢の里の昇進で4人になりました。今度知り合いに説明するときにどう説明したらよいか今考えている途中です。

投稿: non | 2017年1月27日 (金) 09時11分

茶々さん、おはようございます。
まだ不調です。茶々さんは如何ですか?
東京に移った老舗の虎屋等は今でも京都で修業をしているのと今でも京都のお菓子屋と言っています。確か文房具の鳩居堂もそうですね。
それぐらいに現住所は東京でも本籍は京都と言う思いは強いのかなと思います。
皇室も儀式は平安京以来の儀式ですし、御所と言う名前を残しているのもそこかなと思います。
やはり真の都は京都なのですね。
奈良は都でないですが、京都の場合は平安京を護っていくという明治天皇の誓いもありますのでやはり都と思います。海外の知り合いも京都は都のままと言っています。
こういう例はローマ帝国の首都がローマからコンスタンティノープルに移ったという記述がある歴史書がありますが、それでもローマは都のままで実際にローマ帝国と言う記述は残りました。日本も東京に移っても心は京都と言うように京都こそが真の都なのでしょう。つまり桓武天皇以来一度も都は移っていない証拠と思います。
実は私の一族の織田の先祖が藤原以外に賀茂氏なので下鴨神社に行きますとほっとしまあす。故郷に戻った感じがします。

投稿: non | 2017年10月27日 (金) 09時20分

nonさん、こんにちは~

確か、明治天皇は遷都の詔が無いまま皇居にお入りになったので…
まぁ、そんな曖昧な部分が、私は好きなのですがね。

投稿: 茶々 | 2017年10月27日 (金) 16時00分

茶々さん、おはようございます。
昨日仙洞御所、京都御所に行きました。
良かったですが寒かったです。
御所は結構広いなと思いました。
ただ頭をぶつけそうな場所が多いのが困りました。
外国人が多く、パンフレットに日本語以外に英語、フランス語、中国語、ハングルがありました。世界から注目されている感じがします。
ところでいい加減で思い出すのはロシアが首都機能はサンクトペテルブルグに移っても正式な都はモスクワ、今だとモスクワは首都だけどサンクトペルブルグも同じような機能を持つというのです。オランダも今の日本似た感じですが、まさか明治政府もそのことを意識したのでしょうか?本当に不思議な感じがします。
来年は明治維新から150年です。そろそろ首都は二つと認めたほうが良いのではと思います。
追伸:虎屋一条店は良いですね。京都へ行くと時間があったら寄っています。

投稿: non | 2017年12月28日 (木) 09時37分

nonさん、こんばんは~

京都御所は、今、通年公開になってるんでしたっけ?
私も、何度か行きましたが、良い雰囲気です。

投稿: 茶々 | 2017年12月29日 (金) 01時30分

確か御所は通年公開されているみたいですね。外国人が多かったです。ただし元日は公開禁止だそうです。
迎賓館も東京と京都にある。御所の機能も東京も京都もある現在を見ますと奈良時代に似ているなと思いました。

投稿: non | 2017年12月29日 (金) 09時20分

nonさん、こんばんは~

京都のお年寄りは、東京へ行く事を「上京」と言わず「東下り」と言う…という都市伝説もありましたね。
ま、大阪の私も「上京」と言えば、京都に行く事を指し、東京へ行く場合は、普通に「東京へ行く」と言います。
あくまで「言い慣れてる」だけの問題で、他意な無いですが…

投稿: 茶々 | 2017年12月30日 (土) 01時15分

茶々さん、おはようございます。
私は上京は京都に行く場合でも東京に行く場合でもよいのではと思います。
吉幾三じゃないですが青森から見たら東京も地方という感じではないでしょうか?
ただ上洛は京都以外はダメです。
実は高校生のころまで東京へ行くといいましたが上京なんか使ったことがないです。教師などの変な入れ知恵でしょう。
荒俣宏でないですが、東京は帝都にして、京都は首都、西都は大阪にしたらバランスが良いのではと思います。
それはそうと御所は良いですね。落ち着きます。迎賓館も東京が宮内庁職員によるフランス料理に対し、京都は料亭の和食、つり合いがとれているなと思いました。大阪だと東京が洋食、京都が和食だと一応大阪にも迎賓館があるので何にするのかなと思いました。大阪在住の茶々さんだと大阪の晩餐会をどういう料理で想像しますか?

投稿: non | 2017年12月30日 (土) 10時08分

先程の最後の所はすみません。ただ東京の晩餐会が洋食、京都の晩餐会が和食だと大阪の迎賓館を増築した場合は東京でも京都でもないおもてなしの料理は四国に住む私にはよくわからないのです。大阪に住む茶々さんだとお詳しいと思ったのでお聞きしました。
さて御所を見ていますと修復工事をしていました。何かあるのでしょうか?天皇陛下が譲位されて以降のことを考えられているのかなと思いました。
本当に京都は首都で、東京が帝都、大阪が西都でよいのではと思ったりします。

投稿: non | 2017年12月30日 (土) 13時29分

nonさん、こんばんは~

大阪も和食ですよ。
大阪が江戸時代に天下の台所と称されるくらいに経済発展した名残りで、以来、ごく最近まで、むしろ大阪が和食に関してもトップだったんですよ。

「大阪の食い倒れ、京都の着倒れ」という言葉を聞かれた事ないですか?
この言葉が示すように、むしろ大阪が和食、京都が和服という感じで、長年トップを維持してたんですよ。

もともと古くから
「京の持ち味、大阪の喰い味」という言葉か関西の料理界にはあります。
京都がお公家さんや宮家のための宴会料理だったため、決まり事が多く、素材の持ち味を味わう伝統的な薄味だったのに対し、大阪は商人の町で「客をもてなす」意味から、相手に合わせた料理を料理人が競った事で、どんどん料理人のレベルがあがって、大阪の料亭の方が人気があったんです。

ただ、1970年代のディスカバージャパンやアンノン族ブームの波に乗るように、京都が見事な観光戦略を全国ネットで成功させはって、今では、完全に持ってかれた感じですが(笑)
以前も、別の場所でコメントしましたが、そのブームが起こる前は花街も大阪の方が賑やかで、京都の舞妓さんが20人以下に減少して、風前の灯だった時代もあったんですよ。

現在も、吉兆さんや花外楼さんなど頑張ってはりますが、残念ながら、そのブームで逆転した頃から大阪の料亭はどんどん少なくなって行き、現役で最も古い料亭だった相生楼さんも、今年閉店されてしまいました。
残念です。

ちなみに、「すき焼き」も「うどんすき」も「しゃぶしゃぶ」も、発祥は大阪ですよ。
もちろん、「お好み焼き」&「たこ焼き」もですが…

あと、大阪には、APECの時のと万博の時のと、2つの迎賓館があります。

投稿: 茶々 | 2017年12月31日 (日) 00時48分

茶々さん、こんにちは。
食い倒れ、着倒れは知っていますが、大阪のほうが料理として上だったのは忘れていました。すみません。
私はディスカバージャパンを言い出した頃に生まれた45歳です。それなので京都が料亭として上と思っていました。
大阪のほうがそのころまでは上で、芸妓さんも大阪のほうが多かったのですね。そういえば昔徳島も大阪の影響かどうかわかりませんが、芸妓さんはいました。大阪が廃れたのと同じように徳島も廃れたのかなと思いました。
そういえば大阪で和食を食べたときに日本一おいしいと思いました。確かに大阪のほうが客に合わせた味付けをしますね。それを考えますと大阪の迎賓館を大きくしたらと思います。でもAPECの方と万博のほうがあるとしたらどちらを大きくするかで問題になりますね。
それはそうと京都は都なのですが、奈良だけでなく大阪も古都ですね。日本一古い町の大阪をもっとPRしたらと思います。実は残念ながら大阪も徳島も海外ではnear Kyotoと言わないと通じないのです。まだ神戸、奈良のほうが有名なのです。これを聞いたときにがっかりしました。考えてみますと大阪府も本来だと摂津の国の関係から神戸市、宝塚市、西宮市も大阪府になりますね。某球団が大阪を代表するのはうちだというのもよくわかります。
本当に西の都として京都ともに発展してほしいです。まあ京都は首都なので、難波の都が良いかなと思います。
本当に変な質問をしてすみません。

投稿: non | 2017年12月31日 (日) 14時07分

nonさん、こんばんは~

そうなんですよね~
生まれも育ちも大阪な私としては、大阪の歴史が古い事もアピールしたいんですが、なかなか難しいですね。

投稿: 茶々 | 2018年1月 1日 (月) 01時45分

あけましておめでとうございます。
茶々さん、大阪は日本一古い町というのは巨人の選手だったクロマティとか外国人の物知りのほうが詳しいのです。
それなのに京都のほうがPRがうまいので日本一古い町になっていますね。
難波の都の復元とか言った方が東京や京都に警戒されないのにと思いました。
大阪城の迎賓館を大きくする場合は難波宮の雰囲気も残したらと思います。
個人的には京阪奈で連携してほしいと思います。

投稿: non | 2018年1月 1日 (月) 11時38分

新年明けましておめでとうございます。o(_ _)oペコッ
「1年丸々」では2018年が平成最後の年ですね。
明治改元からでは150周年。
つまり近代・現代は1世紀半の歳月。
7日からの大河ドラマ「西郷どん」が今年最大の注目ドラマ番組(夜ドラマでは)になると思います。
最近はあまり記事を拝見していませんが今年もよろしくお願いいたします。
今年は「ある意味」で私の年になります。
関東は午前中に雪が降っていた大晦日とは打って変わって、見事に雲1つない快晴・正月晴れでした。

投稿: えびすこ | 2018年1月 1日 (月) 16時53分

nonさん、おめでとうございます。

京都は、ホントPRがお上手です。

洛中の建物は、ほとんどが江戸時代以降の物だし、お祭りも途中で途切れて現代に復活した物が多いのに、なんとなく、建物もお祭りもグンと古い奈良より、歴史ある感じを醸し出してはりますもんね。
奈良は、何年か前に、「舞妓さんが一人になってしまった」というニュースをやってましたが、それから、あまり進展したという報を聞いてないので気になってます。

投稿: 茶々 | 2018年1月 2日 (火) 02時46分

えびすこさん、おめでとうございますm(_ _)m

大阪のお正月は晴れの日が多いです。
大河ドラマ、楽しみですね。

投稿: 茶々 | 2018年1月 2日 (火) 02時48分

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