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2011年12月30日 (金)

2011年歴史は動いた~歴史の新発見・総まとめ

 

今年も、残すところ、あとわずか・・・

本日は、今年、気になった歴史ニュースを振り返ってみましょう。

・‥…━━━☆

とは言え、関西在住の私ですので、話題になった場所によっては、知り得ない情報もあり、あくまで個人的な主観による総まとめとなってしまいます事をご了承くださいo(_ _)oペコッ

そんな中で、やはり、最初に出て来るのは、戦国好きの心をくすぐった「信長、平氏にあらず」の見出しが躍った福井県での発見ですね~

2011年11月・・・福井県越前町法楽寺で、織田信長の先祖とされる親真(ちかざね)を供養した五輪塔が見つかりました。

江戸時代に書かれた『信長記』などによれば、この親真は、平清盛の孫にあたる資盛(すけもり)の子として生まれますが、平家滅亡とともに資盛が亡くなったので、その後、織田氏が神職を務めていた劔神社の養子になったとされ、織田氏の祖と言われる人物です。

なので、信長の(かばね)「平」・・・正式には平信長(たいらののぶなが)となります。

ただし、このお話・・・以前、秀吉が豊臣の姓を賜るところ(12月19日・真ん中あたり参照>>)でもお話させていただいたように、信長は、それ以前に、藤原氏の末裔だと言って、藤原信長を名乗っていた事もあって、かなりアヤシイ・・・

そんな中、今回、福井で発見された五輪塔の側面には
「喪親真阿聖霊(あしょうりょう)正應三年庚刀(かのえとら)二月二十九日未剋」
と、親真が正応三年(1290年)2月29日に亡くなったと刻まれています。

上記の通り、通説では資盛は、壇ノ浦の合戦(2008年3月24日参照>>)で亡くなっていますので、その子供である平親真(たいらのちかざね)なら、少なくとも、その年には生まれていた事になるわけで、そこから計算すると、最低でも105歳くらいまで生きた事になり、当時としては、考え難い長寿という事になってしまうわけです。

・・・で、一般的に考えれば、清盛の孫である平親真と、信長の祖とされるお墓の主=織田親真は別人となるわけで、理論的には「信長は、平氏にあらず」となるわけです。

ただし、以前書かせていただいたように、この資盛には、別働隊の大将となって、あの安徳天皇を守って逃げたという生存伝説があり(2010年3月24日参照>>)、もし、その伝説が本当なら、壇ノ浦当時は、まだ25歳の若者だった資盛さんですから、息子の親真は、もっともっと後に生まれている可能性もあるわけで・・・

こうなると、源平&戦国を巻き込んだ壮大なロマン・・・更なる発見に期待したいところです。

また、同じ11月に、もう一つ、これまでの定説をくつがえす発見がありました。

それは、奈良の平城宮跡(2月15日参照>>)朱雀門から南東約1kmほどの所にある県営プールの跡地の発掘調査で見つかった物ですが、それほど広くない場所に、ほぼ4㎡四方に区切られた10棟分の住居跡とともに、7つの井戸跡が発見されたのです。

井戸から出土した土器の年代や、建物の構造から推測すると、それは、奈良時代後半の下級役人の住居跡と考えられ、当時は、ここに、下級役人の住居が密集して建っていたと思われます。

しかも、そこは、それ以前にも、それ以後の時代も、何の痕跡も見つからず、それまでは空き地だった場所に、奈良時代後半に住居を建てたものの、平安遷都後には、そのまま、忘れ去られた存在となった場所である事もわかりました。

・・・で、何が定説をくつがえす発見なのか?と言いますと・・・
今回、下級役人の住居と思われる場所が、あの長屋王(ながやのおう)(2月12日参照>>)の住居跡から南東約300m藤原仲麻呂(9月11日参照>>)の住居跡から北へ約150mという近さにある事・・・

つまり、これまでは、当時の権力者である長屋王や仲麻呂の邸宅があった事から、そのへん一帯は、平城京の一等地であったと考えられていたわけですが、その中間に位置する場所に、下級役人の、それこそ長屋のような住居があったという事・・・

発掘を担当された橿原考古学研究所によれば・・・
「このあたりは佐保川に近くて水はけも悪く、洪水の心配もあったので、奈良時代前半には、建物が建てられる事が無かったものの、奈良時代後半には人口が増加したため、やむなく、下級役人の住居地として造営されたのではないか?」
との事・・・

つまり、これまで、奈良の都の一等地とされて来た場所は、「そうでは無かった(かも?)」って事なのですね。

こちらも、更なる調査が楽しみです。

また、つい2~3日前には、大阪城の山里丸(くわしい場所は本家HPでご確認ください>>)から、巨大な排水システムが発見されたというニュースも飛び込んで来ましたね~

これは、雨水などを一旦、排水溝に溜めて、泥やゴミを沈殿させた後、上澄みの水だけを排水溝から流して内堀の水が汚れないように工夫された石組で、これまで、大阪城で発見された排水溝の中でも最大規模の物でした。

Dscn8017a800 大阪城・山里丸

いやはや、あれだけ発掘調査が行われている平城宮跡や大阪城でも、まだまだ新発見があるのですから、まさに、歴史は日々書き換えられている・・・って事ですね。

このブログも、来年は6周年を迎えます。

たまに、思い返して昔のページを見ると、書いた本人が「ありゃりゃ…( ̄○ ̄;)!」と思う事もしばしば・・・そのンところは、読んでくださっている皆様方に「コイツも日々書き換えられているのだ」と大目に見ていただくとして、来年も「今日は何の日?徒然日記」をご愛好のほど・・・o(_ _)oペコッ

それでは、まだまだ書き足りない今年の新発見はたくさんあるのですが、ページの領域も限りある事ですし、本年はこのへんで・・・

皆様、良いお年をお迎えくださいm(_ _)m
 .

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コメント

今年もあと34時間余りですね。3月の東日本大震災は恐らく、「21世紀最大規模の大地震」として歴史に残るでしょうね。M9以上の「超大地震」は世界的に見ても、今後起きる確率は低いでしょうね。

>忘年会が多い
友達など付き合いのある人が多いんですか?
お互いに暮れは何かと忙しいです。

今年も色々な記事をありがとうございました。良いお年を。

投稿: えびすこ | 2011年12月30日 (金) 13時49分

えびすこさん、こちらこそありがとうございました。

良いお年を…

投稿: 茶々 | 2011年12月30日 (金) 14時13分

思い返せば今年一年に新聞に載った歴史の発見や研究結果の記事を切り取り忘れ後悔したことが何度あったのだろうと考え込んでしまいました。

先生も走ってしまうほどいそがしい師走を乗り越えて良い年を迎えてください。

投稿: Ikuya | 2011年12月30日 (金) 17時06分

茶々さん、こんばんは。新しい発見があり、定説が塗り替えられていく。歴史の醍醐味ですね。来年も楽しみにしています。無理せず更新してください。では、良いお年を。

投稿: いんちき | 2011年12月30日 (金) 21時28分

Ikuyaさん、こんばんは~

私も、新聞の切り抜きをスクラップしてます(*^-^)

たまに見ると、スッカリ忘れてしまっている事も…(汗)

良いお年をお迎えくださいね

投稿: 茶々 | 2011年12月31日 (土) 01時46分

いんちきさん、こんばんは~

ホント、醍醐味ですね~

来年もよりしくお願いします。
良いお年を…

投稿: 茶々 | 2011年12月31日 (土) 01時48分

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