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2011年12月 6日 (火)

秋色の大阪城~桜門のちょっとオモロイ話

 

twitterでもつぶやきましたが、昨日、大阪城天守閣復興80周年記念プロジェクト参加行事の一つの「トーク&ミュジック フォーラム:真田幸村と大坂の陣」に参加させていただきました。

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秋色の大阪城…KKRホテル3階・「銀河」より撮影

大阪城天守閣研究主幹北川央先生の大坂の陣にまつわる歴史のお話の後、ミュージカルで真田幸村を演じたOSK歌劇団・男役トップスターの桜花昇ぼるさんと、その相手役の娘役スター・浅香櫻子さん、そして「焼き肉食べ放題」でおなじみのシンガーソングライター・リピート山中さんをゲストに迎えての歌とトーク・・・

いやいや、ためになる+楽しい時間を過ごさせていただきまいた。

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銀杏越しの六番櫓

・・・で、フォーラム自体は午後3時頃までだったんですが、場所が大阪城の南側真正面にあるKKRホテルという事で、大阪城大好き人間の茶々としては、当然の事ながら、帰りに大阪城をひと巡りしなければ納まらないって事で、ちょっと遅くはありますが、秋色に染まった大阪城へと足を運びました。

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紅葉の大阪城

とは言え、ヘタクソな写真だけでは何ですので、ここで一つ、大阪城桜門についての小話を一つ・・・

桜門とは、ご存じの通り、内堀を渡った正面にあるこの門・・・

Dscf0538a800 大阪城桜門

門越しの正面に天守閣が見えるところから、ここで記念撮影する方も多く、また、入ったところの桝形の正面にある蛸石城内第1位の巨石である事から、誰もが足を止める有名な場所ですね。

ところで大阪城では、大手門多聞櫓千貫櫓など、今も残る古建造物13棟昭和二十八年(1953年)に重要文化財に指定されているわけですが、その中には、この桜門も含まれています。

ご存じのように現在の大阪城の城郭は、豊臣時代の石垣を土でスッポリと埋めて、その上にまったく新しく造られた徳川時代の物・・・ただ、徳川時代のそれもすべてそのまま、というわけではなく、いくつかは残りましたが、一方では徳川約300年の中で、天守閣をはじめ(8月18日参照>>)いくつかの建物は失われ、また、いくつかは建てなおされたりしました。

たとえば大手門の近くにある千貫櫓は、使用されている木材に元和六年(1620年)9月13日の文字が確認できた事から、おそらく徳川幕府による大坂城築城工事の第一期の建物である事は間違いなさそうですが、同じく大手門の多聞櫓は初代の物は天明三年(1783年)の落雷で消失してしまい、その後、長く、石垣だけの状態になっていた物を、嘉永元年(1848年)の幕末に近い頃に再建された事がわかっています(11月2日参照>>)

とは言え、それらの建築年代がわかったのは、解体修理や地質調査などが行われるようになった昭和三十年代頃から・・・なんせ、幕末の鳥羽伏見の戦いで炎上して(1月9日参照>>)新政府に開け渡された後、そのまま、明治政府軍の管理下に置かれ、東洋一の軍事施設となってしまった大阪城ですから、おそらくは、学術的調査なんて物が入る余地も無かったかも知れませんからね。

第一、先日の昭和の天守閣復興のページ(11月7日参照>>)にも書かせていただいたように、昭和の初めまでは、江戸時代の城郭に歴史的価値があるとは思われて無かっんですし・・・

そもそも、豊臣時代の石垣を埋めて、その上に徳川の大坂城を建てた事すら、誰も覚えて無かったんですもの・・・。

・・・で、長い説明になってしまいましたが、実は、重要文化財に指定されいる古建造物の中で、この桜門だけは、江戸時代でもない、明治二十年(1887年)に建てられた物であった事が文化財に指定されたあとでわかったんですね~~。

そう、この門は帝国陸軍が本丸への正門として建てたもので、他の建造物とはちょっと、異質の物だったのです。

それが決定的となったのは、やはり昭和三十四年(1959年)の学術調査で発見された地中の石垣が豊臣時代の石垣である事がわかった時・・・(発見の経緯などは、本家HPの歴史散歩:ヒミツの大坂城のページでどうぞ>>

実は・・・
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この桜門の屋根の瓦にご注目・・・はっきりと「桐」の家紋が見えます。

つまり、この桜門は、現在の大阪城が、徳川時代の遺構である事を知らずに、秀吉が建てた物だと勘違いして造られた物だったわけです。

とは言え、もはや大正や昭和の初めの建て物が、レトロ建築として注目される時代・・・明治の半ばに建てられたこの門も、充分、歴史的価値のある文化財と言えるでしょう。

ただ、この話・・・
現地で観光する時には、ちょっと知ってると、さらに見物が楽しくなるお話でしょ?
 

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コメント

茶々さま、こんばんは。面白い話ですね。

桐紋は 政府機関の紋章 として今でも使用していますので、ま、結果として、あながち間違いでは…。

ピーひゃら オッとっと♪で、幕府を倒した官軍の後裔たる陸軍が、師団司令部の門に葵の紋を付けるのは、いかにも抵抗感があったでしょうし。事実を知ったら 悩んだでしょうが、結果オーライのような気がします。

投稿: レッドバロン | 2011年12月 7日 (水) 17時52分

レッドバロンさん、こんばんは~

>桐紋は 政府機関の紋章 として今でも使用していますので…

おぉ、そうでした。
桐と言えば太閤さんしが思い浮かばず、すっかり忘れてました(^-^;

そう言えば、結婚前のお嬢さんが紋つきを作る時、(相手の家紋がわからないので)実家の紋にするか桐紋するか…って話がありましたね。

おっしゃる通り、「間違いではない」って事ですね。

投稿: 茶々 | 2011年12月 7日 (水) 18時04分

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