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2012年2月14日 (火)

平清盛の寵愛を受けた祇王と仏御前

2月14日『祇王忌』・・・

『平家物語』に登場する、平清盛に愛された白拍子・祇王(ぎおう)の亡くなった日とされます。

ただ、現在、京都・嵯峨野祇王寺にある碑には『承安二年壬辰八月十五日寂』とあり、「亡くなったのは8月15日」というお話もあります。

また、もともと軍記物で戦いの話が中心であった初期の『平家物語』には、この祇王のくだりは無く、後からつけ加えられた物であるため、時系列で並べると、少々の矛盾がある事も確か・・・

しかし、例え、後からつけ足された話であったとしても、戦いの合い間にに可憐に咲くその花は、軍記物の緊張を緩和する美しい話として、現在でもなお史実として語られます

Dscn6905a800 祇王寺(京都・嵯峨野)

まさに平家全盛の時代・・・
京の都には、評判の白拍(宴席の相手をする遊女)白拍子については3月1日参照>>)がいました。

姉を祇王(ぎおう)、妹を祇女(ぎにょ)と言い、姿は美しく、謡(うたい)はうまく、舞も見事・・・

特に、姉の祇王を寵愛した平清盛は、彼女と妹を邸宅に迎え入れて優遇し、母の刀自(とじ)には屋敷を与えて仕送りを絶やさなかった事から、彼女らは、とても裕福な身分となっていて、都では、それにあやかろうと「祇」の文字を使った名前に改名する人も後を絶たなかったくらいだったとか・・・

しかし、そんな日々も3年ほど経った頃・・・その時は、突然訪れます。

清盛の邸宅に、(ほとけ)と名乗る16歳の白拍子がやって来ます。

彼女は加賀の出身で、舞いの名手として近頃評判の白拍子でしたが、いくら都で人気者になっても、いっこうに清盛からのお呼びがかからない事に不満を持って、自ら売り込みに押しかけて来たのです。

その話を聞いた清盛・・・
「アホか!
白拍子なんて者は、客から指名されて宴席にやって来るもの・・・
呼んでもおれへんのに、自分から来るなんか聞いた事ないわ!
追い返せ!」

と、けんもほろろ・・・

しかし、そばにいた祇王が、それをなだめます。

「いえいえ、遊女の売り込みなんて、よぅ、ある事どす。
ウチも、売れへん時代は、自分から殿方のところへ参上したもんどす。
聞いたら、年端もいかぬ若い白拍子・・・きっと何か、事情がありますのやろ。
会うだけでも、会うてあげておくれやす」

と・・・

大好きな祇王が、そう言うなら・・・と、清盛は、もはや帰り支度をしていた仏御前を引きとめて、部屋に招き入れました。

仏御前が、平伏して待つ、その部屋に祇王とともに入って来た清盛は、すかさず、
「この祇王が、“会うたれ”て言うから会う事にしたけど、会う限りは、そんで終わりってワケにもいかんさかい、何か、1曲、うとてくれるか?」

「承知しました」
と、仏御前は
♪君をはじめて見るおりは
 千代も経ぬべし姫小松
 御前の池なる亀岡に
 鶴こそ群れいてあそぶめれ~ ♪
(あなたに初めて会うた時、前の池の亀山に鶴が遊んでる光景が見えるようで…私みたいな小者は、それ見ただけで千年は長生きできますわ)

と、即興の今様を歌いますが、これがかなりGOOD

さすがは、今評判の若手だけあります。

そうなると、歌だけでなく、舞を見てみたくなるのも人の常・・・早速、鼓打ちを呼び寄せ、彼女に舞いを所望します。

・・・と、これが、また見事!!!

舞い終えた仏御前が、
「おおきに~ ほな、これで退散させていただきます」
と言うと、

「アカン!アカン!帰ったらアカンでぇ。そのままいとき」
「いや・・・でも・・・」
「なんや、祇王が横におるから遠慮してんのか?
それやったら、祇王が帰ったらええねん。」

「えぇ~~!!(゚ロ゚屮)屮」
これには、祇王はもちろん、仏御前のビックリです。

なんせ、仏御前も、ちょっと腕に覚えのある若手らしく、今、都一と評判の祇王を寵愛する日本一の実力者=清盛が、自分の舞を見たら、どんな反応をするのか?

あるいは、そこで「ウマイ!」とお褒めの言葉の一つも貰えれば、今後の仕事にもハクがつく・・・なんて事を思って、言わば、腕だめしのような気持ちで押しかけて来てみただけで、何も、祇王の立ち位置に取って代わろうと思ってたわけではないのです。

慌てて
「いえいえ、そんな事してもろたら、祇王姉さんのお心遣いに対して申し訳が立ちまへん。
ここは一つ、ウチの事を覚えておいていただけたら・・・ほんで、また、何かのおりに呼んでもろたら来ますよって、今日のところは退散したします」

と言いますが、

「アカン!許さへん!
祇王、暇を出すから、お前が退出せぇ」

ここまでのやりとりを、ただ伏し目がちに、ひと言も言葉を漏らす事なく聞いていた祇王は、それでも何も言わず、ただ、す~っと部屋を出ていきました。

自室に戻り、とにかく、いつでも部屋を出て行けるように、下女とともにかたずけを始める祇王でしたが、さすがに、この時になると、自然と涙が出てきます。

♪萌えいづる 枯るるも同じ 野辺の草
  いずれか秋に あはで果つべき  ♪
「春に芽がふくように愛され、秋に枯れるのが野原の草・・・秋に果実を実らせるような永遠の愛を、私のような遊女が求めてもムリなのよねぇ」

遊女と客の関係なんて、いつかは切れる物・・・これは、仏御前が悪いわけではない
と心に思ってはみるものの、やはり、その時となると悲しい物です。

やがて、祇王は清盛のもとを出て、母のいる邸宅へ・・・母も妹も驚いて、その理由を聞きますが、祇王は、話そうとしません。

しかし、祇王が清盛の邸宅から出された噂は、またたく間に都に広がり、それを止めようもないのも事実・・・

やがて、しばらくして
「仏御前が、寂しがってるから、ちょっと来て、なぐさめてやったてぇや」
と、清盛からの神経を疑うような連絡・・・

先行きを不安がる母の為に・・・と、招きに応じる祇王でしたが、案の定、その招きはミジメな物でした。

これまで自分が座っていた清盛の近くの席に仏御前が座り、祇王は末席・・・気をつかった仏御前が、「もっと前の方へ・・・」とうながしますが、清盛はそれを許さず・・・

仏も昔は凡夫なり 我らもつひには仏なり
  何れも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ♪
「仏御前も私も、同じなのに、なぜ、私だけがこのような身の上に…」

と、1曲歌いますが、もはや、最後は涙声に・・・

周囲も、思わずもらい泣き・・・さすがに、この空気にバツが悪そうな清盛は、
「お前の舞も見てみたいとこやけど、今日は時間が無いさかい。
まぁ、また、来たい時にここに来て、仏御前をなぐさめたってくれたらえぇがな」

とだけ言って、さっさと退散・・・

自宅に戻った祇王は、もはやこらえきれなくなり
「死にたい・・・」
と、泣き崩れます。

その様子を見た祇女は
「お姉ちゃんが、そないするなら、ウチも・・・」
と死を覚悟・・・

母は
「そんなん、アンタら二人がどないかなってしもたら、ウチはどうしたらええん?」
とうろたえつつも、
「この老いた母のためにも、生きておくれ」
という必死の懇願に、二人の娘は
「死ぬ事が親不孝となるのなら、世を捨て、仏門に入りましょう」
と、髪をおろし、嵯峨の山寺にて、尼として暮らす事になりました。

時に祇王=21歳、祇女=19歳、母は45歳でした。

こうして、嵯峨の粗末な庵で、念仏三昧の日々を送っていた彼女たち・・・そんなある年の秋、日頃は人も訪ねて来ないこの場所に誰かが・・・

不思議に思いながら対応すると、そこには、すでに髪を下ろして尼の姿になった仏御前が・・・わずか17歳での出家でした。

あの時・・・祇王に取って代った自分が清盛の横で末席の祇王に対応した時、おそらく、この先の自分に訪れるであろう風景と重ね合わせた仏御前は、実力者に寵愛されて裕福に暮らす事の空しさを感じ、自ら髪を下ろして、祇王のもとを訪ねて来たのでした。

「もし、一緒にいる事が、お嫌でしたら、ウチは別のお寺に行きますよって」
と、祇王への気遣いを見せる仏御前に、
「そんな事、思うわけないやん!
お互い、大きな流れに呑みこまれただけ・・・
さぁ、一緒に仏様にお仕えして、その後は、ともに極楽浄土へ行きましょ」

それから、仲良く暮らした4人は、早い遅いの差はあれど、皆、本望を遂げ、静かにこの世を去っていったという事です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

と、『平家物語』に沿ってご紹介しましたが、このままだと、
「清盛=女の敵!」
「遊ぶんやったら、もっと上手に遊べ!」

と、非難轟々の清盛さんの態度ですが、冒頭に書かせていただいた通り、もとは無かった話なので、おおまかな人間関係は事実だとしても、細かなセリフ回しは、おそらく後世の創作・・・清盛を悪人にしたい『平家物語』ですからね。

Dscn6926a600 現在の嵯峨野祇王寺には、4人の女性のお墓とされる五輪塔と、その横には、清盛の供養塔とされる三重層塔が、静かに、ひっそりとたたずんでいます。
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*祇王寺への行きかたは本家HP:京都歴史散歩「紅葉の嵐山」でどうぞ>>
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コメント


祇王寺は 小さいけれど 趣味の良いお寺ですね。

清盛がそこまで不人情な男とは思いませんが、可憐な姉妹らが身を寄せ合うように生きていた所としては、いかにも相応しい感じがします。現代の女性もあそこに行くと、急遽「出家」したくなるのでは。

物語が風景を生むのか、風景が物語を生むのか、京都周辺は さすがに良い場所がありますよね。

投稿: レッドバロン | 2012年2月14日 (火) 19時15分

レッドバロンさん、こんばんは~

祇王寺を含む嵯峨野一帯は、本当に女性に人気のある所です。

やはり、何か、そういった、女性を惹きつける魅力があるのでしょうね。

投稿: 茶々 | 2012年2月15日 (水) 00時00分

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