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2012年2月 1日 (水)

汚名返上?再評価高まる山県有朋

 

大正十一年(1922年)2月1日、元長州藩士で、軍人で政治家の、あの山県有朋が亡くなりました。

・・・・・・・・・・

もはや有名な人物なので、ご紹介など不要かとは思いますが・・・

天保九年(1838年)、長州(山口県)城下の下級武士の家に生まれた山県有朋(やまがたありとも)・・・

Yamagataaritomo600 父は蔵元付仲間(くらもとつきちゅうげん=藩倉庫の警備員)という役職で、本来なら、彼もその後を継いで・・・という事だったわけですが、幕末という時代が彼にチャンスを与えます。

とは言え、未だ尊王攘夷(そんのうじょうい=天皇を大事に外国を排除)(くわしくは10月2日参照>>)の「そ」の字も知らない若い頃の彼は、学問が苦手だった事から、ただ、ひたすら槍術(そうじゅつ)の鍛錬に励む毎日でした。

しかし、その「腕」のおかげで、幕末で治安が悪くなった京都への派遣組に抜擢され、その京都で、久坂玄瑞(げんずい)(7月19日参照>>)梅田雲浜(うんびん)(9月14日参照>>)と知り合います。

そう、尊王攘夷思想をバッチリ植え付けられ・・・やがて、萩に戻った彼は、松下村塾(しょうかそんじゅく)(11月5日参照>>)の門を叩きます。

そして、彼の運命を変える高杉晋作との出会い・・・晋作が創設した奇兵隊に参加するのです。

そこで、下関戦争(5月10日参照>>)での敗北を経験した彼は、一気に開国派へと転じ、四境戦争(長州征伐)小倉を攻略する中(7月27日参照>>)、戦争直後に晋作を失った奇兵隊の中で、いつしか晋作に代わる存在となっていきました。

やがて起こった戊辰戦争では、長岡や会津方面を転戦して活躍(5月13日参照>>)・・・維新後には、陸軍の整備や徴兵制度の確立に尽力して、陸軍卿参謀本部長内務卿、さらに政界にも進出し、2度の総理大臣も経験し、元老(最高首脳の重臣)として晩年に至るまで絶大な発言力を維持していました。

思えば、農民が40%、その他でも仕官のクチもない荒くれハミダシ武士の寄せ集めで、維新の後は不要の者として悲惨な末路となる奇兵隊(11月27日参照>>)の中では、出世頭・・・(伊藤博文もいますが…)

しかし、そんな有朋は、とにかく評判がおよろしくない・・・

あの山城屋事件(11月29日参照>>) に代表される大金飛びまくりの汚職に癒着の藩閥・軍閥の代表格政党政治への抑圧的な姿勢、先の富国強兵策の軍制や徴兵制も、果ては昭和陸軍の暴走へとつながったとも言え、何かと、暗い、負のイメージがつきまといます。

その評判は、すでに生前から悪かったらしく、大正十一年(1922年)2月1日85歳の生涯を終えた後、東京・日比谷公園を斎場として国葬で行われた葬儀の模様を伝える新聞には、
「席は空席だらけで、参列したのは文官・武官の大物たちのみで、国葬にはほど遠い雰囲気だった」
と書かれたとか・・・

少し前に行われた大隈重信(おおくましげのぶ)の国葬には70万人以上の会葬者が訪れたという記録と照らし合わせれば、その不人気ぶりも想像できますね。

この事は、どうやらご本人も承知だったようで、高橋是清(これきよ)に、その事について語った事があったとか・・・ご本人の耳にも入っていたとなると、それはそれでちょっとお気の毒なような気も・・・

しかし、ここに来て名誉挽回の兆しが・・・

まだ読んでないので、あくまで股聞きで恐縮ですが、学習院大学井上寿一教授の著書「山県有朋と明治国家(NHK出版)の中で、有朋は、外交敵にも軍事的にもリアリストで、富国強兵をうたいながらも、実際の出兵には常に慎重・・・対欧米協調を基本とする外交路線などの現実的な政治手腕を評価しておられるようです。

これまでは、西郷隆盛坂本龍馬などに代表される英傑と呼ばれる人物にスポットが当たってばかりでしたが、混迷する現在の政治を打破するには、リアリスト山県有朋という人の生き方を再研究するのも良いかも知れませんね。

実は、きまじめで不器用で、そのやさしさをうまく表現できなかった・・・とも言われている有朋さん、再評価に期待します。
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント


歴史はどうしても現在から過去を照射しますので、現在がへたれるほどに?過去の人物は偉大に見えてくる。

山縣元帥は毀誉褒貶の多い方の右代表ですが、実際にポッポに入れた金額も相当なものだったでしょうね。自称「一介の武弁」にして、あれだけの庭園群は残せません。

リアリストであり、人材も育てていますが、これはあの時代の水準かも。ポッポや空き缶のレベルでは、維新回天の業は到底叶いませんもの。今と違って、明治の御世は、政治家や官僚、軍人は、仕事が出来て当たり前のことでした。

彼の場合、昔から問題になるのは 善悪や功罪よりも、その「品格」の方でして。

投稿: レッドバロン | 2012年2月 2日 (木) 18時26分

レッドバロンさん、こんばんは~

「品格」ですか…
生まれ持って備わった部分が多いので、汚名返上はなかなか難しいかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2012年2月 3日 (金) 02時49分

椿山荘を見ると、確かにすごいと思います。
宮様の別邸と思われるような感じです。
夏には蛍を見る会もあるとか。知人がここでお見合いしたけど。

長岡藩の戊辰戦争も山縣有朋と会談できれば、
かなり展開が違ったとありますが~
司馬遼太郎の「峠」

投稿: やぶひび | 2012年2月 6日 (月) 20時46分

やぶひびさん、こんばんは~

>長岡藩の戊辰戦争も山縣有朋と会談できれば…

そうなんですよね~

北越の戊辰戦争のところでも描きましたが、長岡藩としては、もっと、しっかりとした話し合いをしたかったと思います~

投稿: 茶々 | 2012年2月 7日 (火) 02時16分

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