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2012年2月22日 (水)

天変地異で退位…追号も微妙な後西天皇

 

貞享二年(1685年)2月22日、第111代後西天皇が崩御されました。

・・・・・・・・・・・・

後西(ごさい)天皇・・・と申し上げても、「あぁ、あの…」という風にはならない、きっと皆さまも「???」が満載の天皇様だと思います。

時代としては江戸の初期・・・参勤交代の制度や鎖国制度が確立して、「やっとこさ落ち着いたかな?」というあたり・・・

治世としては、江戸幕府将軍が第4代・徳川家綱の時代の承応三年(1654年)から寛文三年(1663年)の8年ちょっと間、皇位についておられた天皇です。

Gosaitennou600c その生涯で、7人の妃との間に10人の皇子と16人の皇女をもうけられていますので、そういう点ではお幸せだったのかも知れませんが、天皇自身のあずかり知らぬところで、なんとも言えない、せつない思いに見舞われる天皇でもあります。
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後西天皇の父は、開幕間もなくの頃に、徳川幕府相手に真っ向から意地の退位をやってのけた108代・後水尾(ごみずのお)天皇(4月12日参照>>)です。

もっと親しみやすいご紹介をすると・・・
昨年の大河ドラマでは完全スルーのオールカットされてましたが、徳川秀忠の夫婦は、二人の間に生まれた和子(まさこ・かずこ)という女の子を天皇家に嫁がせています。

奈良&平安時代に藤原氏が、そして今年の平清盛なんかも行う「天皇家に娘を嫁がせて、次期天皇を産んでもらって外戚(がいせき=母方の実家)をゲットしよう!作戦」ですね。

その和子さんのお相手が後水尾天皇です。
あっ、後西天皇のお母さんは別の女性ですよ!(言い忘れるとこだった(^-^;)

とにかく、後西天皇は、その後水尾天皇の第8皇子という事で、(順番でいけば)おそらく天皇にはならないだろう」的な位置であった事から、はじめは叔父・好仁親王(後陽成天皇の第7皇子)高松宮家を継いでいたのですが、先代=110代の後光明(ごこうみょう)天皇が、皇子がいないまま亡くなったために・・・

と言っても、実は、この後継者の決定には2ヶ月もかかっています。

上記の通り、後光明天皇には男子がいなかった・・・という事は、いっぱい男子がいる父の後水尾天皇の皇子たち=後光明天皇の兄弟から次の天皇を選ぶという事になるわけですが、それこそ、皇位継承でモメないために、すでに他の兄弟たちは、皆、出家させてしまっている状態・・・

残っているのは、高松宮家を継いでるこの後西天皇か、まだ生後4ヶ月の高貴宮(あてのみや)か・・・という事になり、一旦は、その生まれたばかりの赤ちゃんを、亡き後光明天皇の養子として皇位を継がせる事に決定したのですが、やはり「さすがに生後4ヶ月では…」との声が出て、結局、「その後継者=赤ちゃんが成長するまでの間」という事で、18歳になる後西天皇が即位したというドタバタ劇があったのです。

つまり、後西天皇は、中継ぎの天皇であったわけです。
さだめとは言え、期間限定はせつないですね。

とにかく、こうして即位した後西天皇・・・即位した直後は、大変、字がヘタクソそで、天皇に書の指導をしていた白河雅喬(まさたか)
「こんなきたない字を書いて…末代までの恥や!」
と、怒鳴られ、そのいた紙を火鉢で燃やされてしまった事があったのだとか・・・

ところが、数年後に、再び天皇の書を見た雅喬は、その美しい筆運びにビックり!

「こんな卑しい者の発した暴言を、ちゃんと忘れないでいてくれて、ここまで成長されるとは!!」
と、感激の涙を流したと言います。

この話を聞く限り、後西天皇という人は、なかなか素直で努力家で、イイ人だったと思われますね。

ところが、そんな頑張り屋の天皇のお心とはうらはらに、在位中の江戸では、明歴三年(1657年)に、あの明歴の大火(振袖火事)(1月18日参照>>)が起こります。

続いて、翌年の万治元年にも大火・・・さらに万治三年(1660年)には伊勢神宮が炎上し、その後も大洪水が発生したり、地震に見舞われたりという天変地異が続発したのです。

・・・で、
「これは、天皇の行いがよくないからだ」
という事になり、幕府からも、そして、父の後水尾上皇からも、退位の要請を受けてしまう事に・・・

かくして寛文三年(1663年)、後西天皇は退位し、先の高貴宮識仁(さとひと)親王が、第122代・霊元(れいげん)天皇として即位します。

茶道や華道、香道にも精通し、秀作と言われる和歌も残しておられる後西天皇・・・退位後は、それらの趣味に勤しむ、穏やかな日々を過ごされたのでしょうか?

ただ、気になるのは貞享二年(1685年)2月22日49歳でお亡くなりになった後に呼ばれるようになった追号です。

本日は、一応、一般的な追号である後西天皇とお呼びさせていただきましたが、このお名前、不思議なところかあるのにお気づきでしょう。

後鳥羽天皇しかり、後醍醐天皇しかり・・・とつくのは、先に在位した天皇の名に由来して後○○天皇とするわけですが、もちろん、「西天皇」などという天皇はおられません。

実は、コレ、後西天皇が中継ぎの天皇だった事で、自分の系統の天皇を後の世に残す事が出来なかった・・・女性天皇で中継ぎの場合は、その系統を残さないのは当然ですが、男性天皇で、(早世・動乱を除いて)そう言った方は少ないわけで・・・

そこで、後西天皇と同じような境遇であった第53代・淳和(じゅんな)天皇に由来して、その淳和天皇が、別名:西院帝と呼ばれていた事から、はじめは後西院という追号だったのです。

それが、明治になって天皇号が復活して後西院天皇と呼ばれ、さらに大正時代になって院号が廃止されたために、後西院天皇から「院」だけを取って後西天皇・・・という事になってしまったのです。

しかし・・・
もともと淳和天皇が西院帝と呼ばれてしたのは、その住まいが御所より西の位置にあったからで、現在も、京都には西院という地名が残ります。

つまり、後西院天皇の「院」は院号というよりは「西院」という一つの単語なわけで・・・

それを、「院」だけをなくして、後西天皇をお呼びするのは、何ともせつない気持ちがするのですが・・・
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コメント

後淳和天皇という名前にはならなかったのは何故なんでしょうか?
ちょっと不思議です。

中継ぎとしてだけど天皇として頑張るゾ
として即位したら天災が頻発
どうすることもできないのに自分の所為にされるのは悲しいですね。

彼にとっては、国のトップだった天皇時代と退位時代のどちらが幸せだったのでしょうか……

投稿: ティッキー | 2012年2月22日 (水) 20時20分

ティッキーさん、こんばんは~

>後淳和天皇という名前にはならなかったのは何故なんでしょうか?

すみませんm(_ _)m
なぜ、別名の方を採用したのかは、私も不思議に思ったのですが、残念ながら知りません。

退位してから、ゆっくりした心持で過ごされたと思いたいですが、どうなんでしょうねぇ

投稿: 茶々 | 2012年2月23日 (木) 01時12分


)茶々さま、ディッキーさま

これは離宮の名前が淳和院から西院に変わったためだと思われます。=周辺地名の変更にもなってます。

上皇のいらっしゃった時代には、崩御後ではなく、譲位後に追号が送られていました。天皇の追号は 在位時代か譲位後の在所の地名にもとずくことのが多いため、引退後には 自然と後・西院さんになられたのだと思います。

まさか明治になって 天皇号の復活、院号の廃止が行われ、西院という地名が院号と混同されるとは思ってもみなかった、のが理由だと思います。
したがって、後西天皇が軽んじられた訳ではなく、今、あえて天皇号でお呼びするなら、後西院天皇が正しいのだろうと思います。この場合、院とっちゃったら、変ですよね。宮内省の責任です。

投稿: レッドバロン | 2012年2月23日 (木) 04時57分

この時代の天皇は祭祀がメインのお仕事だった?責任を取らされたとか
今上の陛下も、昨年の震災に心を痛めていますね。今日は東宮さまの誕生日ですね。

投稿: やぶひび | 2012年2月23日 (木) 09時00分

レッドバロンさん、こんにちは~

なるほど…
離宮の名前が変わったんですね。
ありがとうございましたm(_ _)m

それにしても、やはり「院」だけをとってしまうのはオカシイですよね?

投稿: 茶々 | 2012年2月23日 (木) 12時00分

やぶひびさん、こんにちは~

今上陛下も、例え公務の無い日でも、宮中祭祀は欠かさず行われていますよね。
やはり、災害には心を痛められているようです。
無責任な●●党の誰かと違って、強い責任感をお持ちなのだと思います。

投稿: 茶々 | 2012年2月23日 (木) 12時05分

レッドバロンさん教えて頂きありがとうございます。m(_ _)m

茶々さん、レッドバロンさんや皆さんの知識量は凄いですね。

宮内省の方には気をつけてほしかったです。
彼の他には「院」をとられた方がいなかったようで、よかったです。

投稿: ティッキー | 2012年2月24日 (金) 17時58分

ティッキーさん、こんばんは~

私も、一つ、不思議に思っていた事が解決できて良かったです( ^ω^ )

投稿: 茶々 | 2012年2月25日 (土) 03時08分

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