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2012年4月13日 (金)

江戸時代のオモシロ夫婦・池大雅とその妻

 

安永五年(1776年)4月13日、江戸時代の画家・書家で、文人画の大成者と賞賛される池大雅が、54歳でこの世を去りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのダイナミックな筆づかいで南画(なんが)の新境地を開いたとされる池大雅(いけのたいが)・・・

Ikenotaigasansui1000 池大雅・筆「楼閣山水図」(東京国立博物館蔵)

享保八年(1723年)に京都の下級役人の家に生まれた大雅は、7歳から中国様式の書を習い始めますが、その習い始めの頃から「神童」と噂されるほどの天才的才能を見せていました。

やがて、室町時代風の画風に西洋の画風を取り入れて描く見事な風景画が高い評価を得る事に・・・以前ご紹介した木村蒹葭堂(きむらけんかどう)(1月25日参照>>)が大雅の弟子という事でも、その有名人ぶりがうかがえます。

とは言え、世に言う「天才」という人は、そういうものなのでしょうか?

この大雅さんも、ちょっと変わったお人だったようで・・・

上記の通り、京都で生まれ育った大雅は、若い頃、祇園さん(八坂神社)の境内に露店を出して、自らの書画など売って生活をしていたわけですが、その同じ境内で茶店を出していた百合という女性が、彼の絵に惚れ込みます。

「兄ちゃん、ステキな絵、描くやないの!」
「へへ…そうっすかぁ」
と、話をするうち、お互いにうち解けあって親しくなり、その百合の娘であった(まち)という女性と結婚する事になります。

当時は真葛原(まくずがはら)と呼ばれていた現在の円山(まるやま)公園あたりで、小さな草庵を結んで暮らす事になった大雅さん夫婦・・・

しかし、この新婚さん・・・実は、しばらくの間、清い関係のままだったのです。

いや、清いどころか・・・大雅は、結婚した新妻に指一本触れずにいたのだとか・・・

やがて、二人の会話や普段の生活やらを垣間見て、その事に気づいた仲人さん・・・驚いて大雅に問いただします。

「なんや、気に入らんところがあるんか?」
「体の具合でも悪いんか?」

と・・・

すると、大雅は
「へぇ~…、結婚ってそんなモンやったんですか~
ほたら、これからは謹んで行わせていただきまっさ」

と、言ったとの事・・・

しかも、この何も無いしばらくの間、奥さんの町は、慌てる事もなく、騒ぐ事もなく、まったく気にしてもいなかったのだとか・・・

そう、実は、天才=大雅も変わった人でしたが、この奥さんも、それに負けず劣らずな女性・・・のんびりしてるというか、物事にこだわらないというか・・・『近世畸人伝』『続俳家奇人談』など、いくつかの文献には、まさに似た者夫婦のオモシロエピソードが残っています。

まぁ、この町も、後に玉蘭(ぎょくらん=玉瀾)と名乗って絵を描いて、画家としても評価されてますので、おそらくは、彼女も天才肌だったのでしょう。

それにしても、この二人・・・
ボケとツッコミではなく、漫才で言えばいわゆるダブルボケ・・・

ある時、家に訪れた客人を
「ちょっと、そこまで見送ってくるわ」
と、自宅を出た大雅さん・・・

なんと、そのまま富士山のふもとまで見送ってしまったのだとか・・・

で、当然の事ながら、しばらく家を留守にして、何日か経って戻って来るわけですが、戻って来た大雅を見ても、奥さんはフツーに
「あ、お帰り~~」
と・・・

「何しててん!」というツッコミも
「エライ長い見送りやなぁ」てなツッコミもなく・・・

また、ある時、
大坂の書画の会に招かれた大雅さん・・・しかし、肝心の筆箱を忘れて家を出てしまいます。

夫が出掛けた後に、家に置き忘れている筆箱に気づいた奥さん・・・
さすがに、慌てて、彼の後を追います。

伏見のあたりでようやく追い付き、筆箱を渡しました。

すると大雅さん、相手の顔をよく見ずに
「ありゃ、どこのどなたか存じませんけど、拾うてくれはって・・・おおきに、ありがとうございました」
と、深々とお辞儀をし、そのままスタスタと大坂方面へ・・・

普通なら
「何言うてんねん!ワタシやろが!」
と突っ込むところですが、さすがは奥さん・・・

「いえいえ…」
と、これまた深々とお辞儀をして大雅を見送ったのだとか・・・

こんな・・・のんびりというか、ほのぼのというか・・・まさにボケ×ボケの二人ですが、その画家としてのポリシーは見事で、どんなに有名になっても、権力や金づくで「絵を描いてくれ」と頼みに来る者は玄関先でシャットアウト・・・

自らの絵を、本当に愛してくれる人のみを見極めて、仕事を受けていたのだとか・・・

それ故、有名であっても、家計は常に火の車の極貧状態・・・

もちろん、夫がフラッと出て行ったきり、何日も帰って来ないのに、嫁は気にもとめず知らんぷり・・・

周囲から見れば、一見仲が悪いように見える夫婦でしたが、時おり、大雅が三味線を弾きながら歌えば、それに合わせて町が琴を弾く・・・という光景が見られたとか・・・

まこと、お似合いのご夫婦・・・きっと、これが、二人の一番良い形だったのでしょう。

安永五年(1776年)4月13日大雅は、静かにその生涯を閉じますが、二人の間に子供がいなかった事を心配してでしょうか・・・大雅は、奥さんのために数百点の作品を描き残して、先に逝ったといいます。
(そこは金になる事を利用するんや!…とツッコミを入れておこう)

物言わぬ数百点の作品・・・
それは、きっと「おおきに!お前のおかげで楽しい人生やったで」と、町に語りかけているに違いありません。
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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

ベストカップルですね。

投稿: やぶひび | 2012年4月14日 (土) 11時30分

やぶひびさん、こんにちは~

なんか、のほほんとしていてイイですね。

投稿: 茶々 | 2012年4月14日 (土) 14時57分

 文人画の大成者として有名な池大雅ですが、奥さんともども天然で面白い方だったんですね。

 当時の京都には、他にも応挙や若冲、蕭白、蘆雪、蕪村がいて(辻惟雄さんによって京都ルネサンスと名付けられていますね)綺羅星のような芸術のスーパースターがそろっています。
 奇跡のような時空間がそこにあったと思うと何か不思議な気分になります。

投稿: とらぬ狸 | 2015年4月17日 (金) 22時41分

とらぬ狸さん、こんばんは~

平安時代にしろ、江戸時代にしろ、ある程度外国と距離を置いてる環境ですと、国内で日本らしい文化が花開く…なんて事があるような気がします。

投稿: 茶々 | 2015年4月18日 (土) 03時11分

茶々さん、こんばんは。

玉蘭さんのお話、歴史小説家永井路子さん(ファンですhappy01)の本で紹介されていたのを、昔読んだことがあります。
それによると、大雅の死後残された玉蘭さんは、決して夫の絵を売らなかったと。自分で扇子に絵を描いて売ったり、近所の子供に手習いを教えたりで生計をたてながら余生を過ごしたそうです。

なんと泣かせる話ではないか!と永井さんも書いておられて、読んでる私もうんうん!と涙した?ものでしたが、今ではそんな純粋な気持ちはどこへやら、自分だったら迷わず夫の絵を売ってしまう自信がありますよcoldsweats01

投稿: ZAIRU | 2015年5月17日 (日) 23時22分

ZAIRUさん、こんばんは~

私も…
イザという時のために、1番高そうなのを手元においといて、端からどんどん、ためらわず売ります(キリッ!)happy01

投稿: 茶々 | 2015年5月18日 (月) 02時08分

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