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2012年5月20日 (日)

悪女?有能政治家?将軍の嫁・日野富子

 

明応五年(1496年)5月20日、第8代室町幕府将軍・足利義政の正室で、巨万の富を築いた悪女と噂される日野富子が亡くなりました。

・・・・・・・・・・・

おやおや・・・奇しくも、あの応仁の乱が勃発した(2008年5月20日参照>>)と同じ日ではございませぬか!

これまでも、その応仁の乱関連で度々ご登場いただいている日野富子(ひのとみこ)さんなので、本日の内容は、それらのページとかぶる部分もございますが、なにぶん今日は、ご命日という事で、その富子さんの生涯についてご紹介させていただきたいと思います。

・‥…━━━☆

室町幕府の第3代将軍であった足利義満(あしかがよしみつ)が、宮廷の儀式についてのモロモロや、宮廷内の現状を知るために重用していたのが、北朝4代・後光厳(ごこうごん)天皇に仕えていた日野宣子(のぶこ)という女官・・・

その縁から、宣子は、姪っ子の業子(なりこ)義満の正室とする事に成功・・・さらに、その業子が亡くなった後には、その業子の姪っ子である康子(やすこ)継室(2度目の正室)に・・・

さらに、その康子の妹=栄子が第4代将軍の足利義持(よしもち)の正室となって5代将軍=義量(よしかず)を産み、その後も、6代将軍の足利義教(よしのり)(6月24日参照>>)には正室と側室を送り込むという具合に、将軍家と深い絆で結ばれていった日野家・・・

Hinotomiko540 そして、当時21歳だった第8代将軍の足利義政の正室として白羽の矢が立ったのが、日野重政(しげまさ)の娘で、16歳の富子だったわけです。

しかし、16歳に新妻にはちとショックな・・・実は、すでに義政には今参局(いままいりのつぼね)というゾッコンの側室がいたのです。

この方は、義政に恋の手ほどきをした年上の女性・・・さすがに、側室が当たり前の時代であっても、筆をおろしてもらったその女性に今もなお夢中で、新妻をかえりみない状況は、ちょっとコク・・・しかも今参局は、政治にも口出すほどの権力を謳歌してる・・・

・・・で、その状況を見るに見かねた大叔母の日野重子が、富子が死産したのをキッカケに、実際には女の子だったその子を「男の子であった」と報告したうえに、この死産は今参局の呪詛(じゅそ=呪いをかける)による物だとして、容疑者となる修験者まで逮捕します。

あくまで冤罪の臭いがプンプンする一件ですが、この事を信じた義政は、大した取調べもしないまま、今参局を琵琶湖の沖島へと流罪に・・・失意の今参局は、まもなく島で死亡してしまいます(富子が刺客を放ったとも、無実を訴える彼女が自ら命を絶ったとも)

こうしてライバルを1人消した富子・・・しかし、かと言って、義政と富子の間に男子が生まれる事もありませんでした。

ところが、寛正六年(1465年)、逆に義政の側室の1人・宮内卿局(くないきょうのつぼね)男子を出産!・・・このままだと、この子が次期将軍になってしまいます。

富子は急いで、「その子は義政の子ではなく、宮内卿局が近臣と密通してできた子供である」との噂を流し、結局、その子は、将軍の子として認知される事はありませんでした

なんせ、この時代・・・将軍の息子を産んで、その子を次期将軍にするというのが、正室として送り込まれた女性の最大の任務ですからね。

しかし、ライバルを消したとて、やっぱり二人の間に子供はできない・・・20代も後半になれば高齢出産となるこの時代・・・

さっさと、富子との子供を諦めて時期将軍を決定し、大好きな趣味に没頭したい義政は、仏門に入っていた弟=義視(よしみ)還俗(げんぞく・出家した人が一般の世間に戻る事)させて養嗣子にし、後継者に決定してしまいます。

ところが、その途端、26歳の富子が男児を出産!!・・・後の義尚(よしひさ)です。

とは言え、上記の通り、次期将軍が義視というのは、すでに決定した事・・・いくら、子供ができたからと言っても、すぐにくつがえす事はできません。

しかし、ちょうどウマイ事に、後継者でモメていたのは将軍家だけではなく管領家の畠山氏や斯波(しば)氏もモメにモメてる真っ最中・・・

・・・で、応仁元年(1467年)1月・・・その畠山氏の後継者争い=御霊合戦(1月17日参照>>)をキッカケに、あの応仁の乱が勃発するのです。

この畠山氏の後継者争いで畠山義就(よしなり)を支持していたのが山名宗全(やまなそうぜん=持豊)、一方の畠山政長(まさなが)を支持していたのが細川勝元(かつもと)・・・で、その勝元は義視を支持している・・・

当然、富子は宗全と義就に近づいた・・・というわけです。

しかし、この応仁の乱・・・以前、その終結に関するページで書かせていただいたように(11月11日参照>>)
最初こそ、
●5月26日の五月合戦(5月28日参照>>)から、
●10月3日の相国寺の戦い(10月3日参照>>)
●翌年3月の稲荷山攻防戦(3月21日参照>>)
と、大きな戦いがあったものの、その後は小競り合いのような物ばかりで、全国の大名を巻き込んで、京都の町を焦土と化した大乱のワリには、名のある武将が命を落とす事もなく、しかも、途中で総大将=義視がトンズラしたり、復帰しちゃぁ寝返ったりして(11月13日参照>>)、最後には、その勝敗さえウヤムヤになったミョーな乱・・・

10年の長きに渡る、このダルダル感に、義政は自暴自棄になって、ますます趣味に走り、宗全&勝元の両大将も命を縮めてお亡くなりになり(3月18日参照>>)、男連中が総崩れにダウンする中、富子は裕福な金貸しへと変貌し、そこに活路を見い出すのです。

・・・と、こう書くと、ケチで強欲な金貸しバァサン的イメージで、良く思われないかも知れません。

現に、政治にも積極的に口を出し、地位や権力など、使える物はフルに使ってお金儲けに走る姿に、昔も今も、「富子=悪女」のイメージが着いて回る事も確かです。

しかし、同時代を生きた大乗院尋尊(じんそん)の日記には・・・
『天下公事(くじ)修まり女中の御計(おんはからい)、公方は大御酒、緒大名は犬笠懸(いぬかさがけ)、天下泰平の如くなり』
「戦いに疲れた男たちが酒を喰らって遊興に走ってる間に、政治の事は女中(富子の事)が仕切っとるやんけ!」
と書き残しています。

これって、一見、富子の悪口のようですが、考えようによっちゃぁ、「男連中が何もしないから富子が頑張ってる」っていう風にも聞こえます。

そうです。
女は、金貸しをしてお金を儲けたとは言え、それを私利私欲に使う事はありませんでした。

御所の造営や朝廷の行事や幕府の運営など・・・先に参照した、乱終結のページ(再び11月11日参照>>)でお解りのように、最終的に不満ムンムンの戦国大名を満足させて帰らせ、応仁の乱を終わらせたのも富子のお金なのです。

「お金で、解決するなんて汚い!」
「愛があれば、お金なんていらない!」

なんてのは、ある程度余裕のある、年齢も若い人の思う事・・・

「世の中、金でっせ!」
と言えば聞こえは悪いですが、お金によって、すべてが丸く納まり、恨みっこなしで解決できる事も大人の世界では多々あるのです。

そういう意味で、富子は、見事、その富を有効利用したと言えるのでは?

ところで、そんな富子さん・・・

応仁の乱の時に、義視がフラフラしてくれたおかげで、次期将軍には、我が子=義尚をつける事ができましたが、残念ながら、義尚は、25歳という若さで亡くなってしまいます(3月26日参照>>)

さすがの彼女も、その時は、武将たちの行列にともなわれた義尚の棺にすがって人目もはばからず泣き崩れたと言います。

しかし、富子強し・・・

その後は、自分の妹と義視との間に生まれた義材(よしき=後に義稙)を第10代将軍に擁立しますが、延徳二年(1490年)に、夫の義政が亡くなった(1月7日参照>>)後、義材の後見人として義視の発言権が強くなると、亡き勝元の息子=細川政元(まさもと)と組んで、第11代将軍・足利義高(後の義澄)を擁立・・・

そう、あの明応の政変(6月23日の前半部分参照>>)ウラにも、富子は暗躍していたとか・・・

まさに不屈の精神ですが、残念ながら、そのクーデターから3年後の明応五年(1496年)5月20日富子は57歳の生涯を閉じたのです。

近年では、悪女というイメージから、有能な女政治家へと変貌しつつある富子への評価・・・その汚名が払拭される日も近いのかも知れません。
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コメント

日野家の人たちは政治色が強いですよね。北条政子と似ています。ちなみに北条政子と頼朝のお墓は、別々なお寺にあります。

投稿: やぶひび | 2012年5月22日 (火) 15時26分

やぶひびさん、こんばんは~

確かに、北条政子と似てますね~

頼朝と政子さん…仲良いんだか、悪いんだか、よくわからないご夫婦ですよね。
まぁ、夫婦の事は夫婦にしかわかりませんが、なんだか、政子さんが頼朝を好き過ぎるがゆえにモメる…みたいな感じでしょうか?

投稿: 茶々 | 2012年5月23日 (水) 00時31分

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