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2012年5月 5日 (土)

露と消え…木村重成の夏の陣・前夜

 

元和元年(慶長20年・1615年)5月5日、大坂方の将・木村重成が入浴の際に髪を丹念に洗わせ、兜に香を焚き込めさせました。

・・・・・・・・・・・

ご存じ、大坂の陣・・・
(大阪の陣までの経緯や、前後の戦いについては【大坂の陣の年表】からどうぞ>>)

豊臣秀頼の配下として、この時、大坂城にて戦いに挑む木村重成(しげなり)は、まるで、、この大阪の陣のために花咲いたような武将・・・

それまでの経歴がほぼ皆無なところから、おそらくは、この大阪の陣が初陣ではないか?と言われ、年齢も、未だ23歳の若者でした。

とは言え、秀頼の乳母=宮内卿局(くないきょうのつぼね)の息子だったと言われる重成は、雇われ浪人が多くを占める大坂城内では、秀頼にとって、数少ない身内のような存在・・・その信頼も厚く、実戦経験が乏しいワリには、重要な役どころを任される事もしばしばありました。

そんな重成さん・・・出て来る文献では、とにかくベタ褒めの嵐です。

戦国武将らしく体格はガッチリしていて強そうなのに、お顔は色白で、キリリとしたかなりのイケメン・・・

物腰はやわらかで、やさしい言葉づかい・・・何があっても、声を荒げて怒鳴るなんて姿を見た事が無い事から、周囲からは
「長州(長門守重成なので…)は手ぬるい!役立たずや!」
なんて事を言われるほどでした。

しかし、「物静かな人=おとなしくて弱腰」なんてのは、勝手な思い込み・・・彼は、その表に見せるやさしさとは裏腹な、熱き心を持っていたのです。

それは、大坂の陣の足音がひしひしと感じられるようになったある日、大坂城にいた茶坊主が、日頃からおとなしい重成をバカにしてからかった事があったのですが、当然、血気盛んな若き戦国武将が茶坊主ごときに恥をかかされたとあっては黙って引き下がれるはずもないと、周囲にいた者たちは「すわっ!」と身構えます。

ところが、肝心の重成は、まったく動揺を見せる事無く、その茶坊主にゆっくり近づき・・・

「武士としては、本来なら、ここで、キミを切り捨てるところなんやろけど、城内で刀振り回したとあっては、ケンカ両成敗で、僕かて切腹せなアカン事になるかも知れんやん。
主君の一大事に役に立てようと思うこの命・・・残念ながら、キミごときの為に捨てるような安い命なんか、僕は持ちあわせてませんねん!」

静かに笑みを浮かべながらのこのセリフに、茶坊主は、逆に震えあがったと言います。

また、重成は、大坂冬の陣で縦横無尽の大活躍を見せますが、これに感激した秀頼が、その武功を褒め、感状(かんじょう)とともに、正宗の脇差を彼に与えようとしたのですが、重成は、受け取りを拒否・・・

感状とは、合戦の功績を評価・賞賛するために主君が発給する文書の事で、つまりは成績表みたいな物・・・今で言えば、大学の卒業証明書や検定&資格取得の証明書みたいな物。

それを踏まえて・・・
「感状って、他家に仕官する時には有利になる物なんでしょうけど、他の主君に仕える気の無い僕にとっては無用のもんですから・・・」
と・・・

う~~んカッコイイ!!
内に秘めたる熱き武将魂がカッコ良すぎるゾ!
木村君ヽ(´▽`)/

そんな重成さんですが、一旦の和睦の後、いよいよ大坂夏の陣も近い5月頃になると、なぜだか急に食が細くなります。

世間では、堀を埋められて裸城になってしまった大坂城で、しっかり戦えるのか?との声もありましたから、「その事で不安になって、体調を崩してしまってるのではないか?」と心配した奥さん・・・

そっと、「大丈夫なの?」
と尋ねてみると、

「いや、そうやないねん。
昔、後三年の役(11月14日参照>>)
っちゅー戦いがあった時に、臆病者の末割四郎是広(すえわりしろうこれひろ)っちゅー武将が、怖くて朝の食事も喉に通らんかったくせに、いざ戦いとなってその首取られた時、その傷口から食物が出て来て恥をさらしたって言う話があるんや。

今度の戦いでは、僕も首を切られる事になるかも知れんけど、その時にカッコわるい事になんのはいややさかい、ちょっと、食べもんセーブしとこかな・・・って思て」
と答えたのだとか・・・

そう、もはや、今度の戦いが最期かも・・・と覚悟を決めていた重成・・・

元和元年(慶長20年・1615年)5月5日・・・出陣を明日にひかえた夜、

先端を切って短くした刀(摺り上げ)の、差し表(差した時に表側にくる部分)の(なかご=鞘に収まる部分)に、
金の装飾で『道芝の露 木村長門守』との文字をほどこした物を入念に準備した重成・・・

その後、お風呂に入って世話係の女性に丹念に髪を洗わせ、毛髪と兜に香を焚き込めさせた後、「紅花の春のあした」という謡曲を小鼓を打ちながら、静かに歌ったと言います。

果たして翌日の5月6日・・・重成は、河内若江の戦いにて井伊直孝と相対する事となり、その若き命を散らします
(戦いについては5月6日の後半部分参照>>)

『道芝の露』とは、「主君のためには道端の芝につく露のごとくはかなく消える覚悟である」という事・・・

その思い通り、若江の露となった重成・・・

合戦後、その首を検分した徳川家康は、その兜の緒の結び目が短く切られていた事に、「2度と緒をほどく事が無い」という重成の決意のほどを垣間見たと言います。

おそらくは、それと同時に、その兜と首から漂う、何とも言えぬほのかな香りを感じた事でしょう。

後に、徳川の世となってから、江戸に住む木原意運なる外科医の伯母という人が、よく、近所の子供たちを集めて、昔語りをしていたと言います。

「ウチが丁寧におぐしを整えてさしあげた時の覚悟を決めなさったその勇姿・・・言葉にできひんほどカッコよかったわぁ」
と・・・

そう、彼女が重成の最後のお風呂の世話をした女性・・・彼女は、老いて亡くなるその日まで、何度も何度も、その話を語って聞かせていたのだそうです。
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家康・江戸開幕への時代」カテゴリの記事

コメント

なんだかじ~んときて、涙ぐんでしまいました。その女性にとっては年を取ってもなお鮮やかに思い出せる出来事だったでしょうね。

投稿: ころころ | 2012年5月 5日 (土) 21時23分

木村重成さんは、凄惨な大坂の陣に、源平時代の武者が現れたような華やかさがありますね。

いかに人気があって、才能があっても、ガラの悪い奴は日本の歴史には美しく残りません。誰彼言ってる訳ではありませんが…。

投稿: レッドバロン | 2012年5月 6日 (日) 00時46分

ころころさん、こんばんは~

ホントですね~
女性にとっては、その一瞬が一生の思い出。
イイ話です。

投稿: 茶々 | 2012年5月 6日 (日) 02時05分

レッドバロンさん、こんばんは~

>凄惨な大坂の陣に、源平時代の武者が現れたような…

まさに!!
そうですね。

あまりドラマでお見かけしないのが不思議なくらいです。
絵になると思いますが…

投稿: 茶々 | 2012年5月 6日 (日) 02時07分

拍手押しましたで~^^
小さい頃から、なんも知らんと木村重成公の墓の公園があるんやけど・・そこで遊びまくってた~歴史が弱くて嫌いやってんけど、昨日なんとなく就活で地図をググる事に・・おお~久しぶりに木村公園!で・・木村重成公を何となくググって見たら、こちらに辿り着き・・え!!★YΣ(O∀oノ★)ノそんなに・・かっくぃぃ人やったんや・・と・・小さい頃めっちゃ墓の回りぎゃあぎゃあ言って遊ばせてもらってたのに、この年になるまで何も知らんくて・・実家近いし今度行ったら手合わせとこ~っと^^

投稿: SHIGEKAZU | 2014年6月14日 (土) 08時43分

SHIGEKAZUさん、ありがとうございます。

若江岩田の近くにあるとは聞いていまして、いつかお墓参りに行けたら…と思っていましたが、そうですか、周囲は公園になっているのですね。

重成さんの、穏やかでやさしい性格が、そういった場所で永眠する事を願った結果なのかも知れませんね。
きっと、今も、子供たちの笑い声に癒されてはるのかも…

投稿: 茶々 | 2014年6月14日 (土) 14時38分

毎年、お祭りもやってます^^
小さい方の墓は東大阪市の若江岩田にあるのですが、大きい公園の中にあるお墓は八尾市幸町6丁目の第二寝屋川沿いにあります。機会があったら、是非お参り来て下さいね^^
これがその公園です。大分前のですが^^
今はもう少し綺麗になってました^^↓↓
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage934.htm

投稿: SHIGEKAZU | 2014年6月14日 (土) 21時35分

SHIGEKAZUさん、こんばんは~

八尾市なのですね…すみません、早とちりでした。
場所を教えていただいて、ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2014年6月15日 (日) 00時59分

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