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2012年5月 4日 (金)

善政で蝦夷を制圧した藤原保則

 

元慶二年(878年)5月4日、藤原保則が陸奥の蝦夷制圧に出発しました。

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藤原保則(やすのり)・・・

平安時代初期の貴族・官人で、備中(岡山県西部)備前(岡山県東部)播磨(兵庫県西部)讃岐(香川県)などの国司を歴任した人なのですが、とにかく、善政をしいた事で有名なお方・・・

Fuziwaranoyasunori600 備中・備前時代には、貧しい者には税を軽くするなどの優遇措置を行う一方で、将来の自立に向けての田畑の開墾の支援を行うし、それでいて、事件があった場合などは、徹底してその罪を暴き、片寄る事無く、見事に裁いたと言います。
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あまりの評判の良さに、備後で盗みを働いた者が、反省し、自ら保則のもとに自首して来た事があるのですが、その時は、いきなり裁いて罰するのではなく、まずは、その者の心の内を聞き取り、しっかりと反省している事を確認した後、本人に、盗んだ物を持たせて、備後に謝罪に向かわせる・・・なんていう粋なお裁きだったのだとか・・・

さらに、役目を終えて京の都に戻る事になった時は、名残りを惜しむ領民たちが次々とやって来ては泣き悲しむので、困った保則は、こっそりと、小船で出立した・・・なんて逸話も残ります。

そんな保則が、元慶二年(878年)、出羽権守(ごんのかみ=長官)に就任します。

そう、実は、去る延暦二十一年(802年)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)によって、一応の落ち着きを見せていた蝦夷平定(11月5日参照>>)ではありましたが、東北は広いですから、それは、まだまだくすぶり続けており、各地で反乱の勃発が絶えませんでした。

しかも、元慶の年に入ってからのここ2~3年は、東北は干ばつによる飢饉に襲われていて、その各地の反乱も活発化して来ていたのです。

当然の事ながら、それに対して、朝廷側も鎮圧軍を派遣したりするのですが、駐屯していた秋田城を蝦夷軍に襲われて、ほうほうのていで逃げ帰って来る・・・なんて事も、

もちろん、城を奪った蝦夷軍の勢いは増し、その勢力をどんどん拡大していくばかり・・・

そこで、白羽の矢がたったのが、「領民に慕われる」と評判の保則だったわけです。

とは言え、彼は政治の経験はありますが、軍を指揮した経験はありません。

しかし、それこそ、与えられた任務には、責任を以って全精力で挑む人・・・かくして、元慶二年(878年)5月4日保則は蝦夷制圧のために、陸奥に向けて出発したのです。

自ら集めた兵士の他にも、各地の兵の動員を呼び掛け、万全の軍備を整える保則・・・

そうやって準備を整えておいてから、お得意の温和政策に入ります。

朝廷がイザという時のために備蓄していた穀物類を一斉放出し、平和的に解決する事を、相手側にうながしたのです。

すると・・・8月に入って、次々と降伏する者が現われはじめました。

もちろん、保則は、その降伏をすんなり受け入れ・・・

しかし、朝廷は、それを許しません。

これまで、何度も討伐軍を派遣したプライドがあるのか?・・・「軍事的に抑え込み、徹底して討伐してこそ平定したと言えるのだ」との姿勢を崩さないのです。

しかし、保則も譲りません。

「これまで、厳しい政策を行って来たから、アイツらは反発してるだけ・・・善政をしけば、必ず彼らは戻ってくるはずで、それこそが一番ええ方法なんです」
と・・・

結局、朝廷が、保則の意見に折れ、翌年の3月には、討伐軍の解散を決定しました。

ここに、奈良時代から続いた蝦夷の反乱が終結したのです。

とは言え、歴史の観点からの異論もあります。

やはり、上記の朝廷と同じように、武力で以って徹底して抑えてこそ「制圧した」と言えるが、保則のように、ある意味朝廷が折れた形では制圧した事にならず、逆に、東北を武力で制圧できなくなってしまった朝廷の弱体化を露呈した物であるとも・・・

また、蝦夷軍の降伏に関する正式な書面が残っていない事から、この周辺地域が、ある程度平和になった事は確かだが、だからと言って、中央政府に服従したわけではなく、その後も、独立国のような形を維持していた・・・との見方もあります。

なんせ、有名な前九年の役(9月11日参照>>)後三年の役(11月14日参照>>)が勃発するのは、これから100年200年後ですからね・・・

東北と中央の関係は、まだまだ奥が深いです。
 
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コメント

今も昔も戦争は多くのものを失います。戦乱だと年貢米も出せません。朝廷の権威よりも年貢(税金)の方が大事ですから。

投稿: やぶひび | 2012年5月 5日 (土) 08時05分

やぶひびさん、こんにちは~

保則さん自身
「それでもダメな時は武力で…」
という気持ちもあったようですが、
やはり、平和的に解決できるなら、それが一番でしょうね。

投稿: 茶々 | 2012年5月 5日 (土) 16時29分

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