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2012年6月25日 (月)

日本美術の救世主=フェノロサと岡倉天心

 

明治十七年(1884年)6月25日、フェノロサと岡倉天心が法隆寺夢殿の救世観音を調査しました。

・・・・・・・・

ハーバード大学で政治経済を学んだアーネスト・フェノロサが、先に来日していた動物学者=エドワード・シルヴェスター・モースの紹介で日本にやって来たのは、明治十一年(1878年)の25歳の時でした。

明治の初めに新政府が、外国に追いつき追い越せとばかりに、積極的に西洋文化を取り入れようと外国から招いた、いわゆるお雇い外国人の1人ですね。

Fenollosa600 来日後は、東京大学にて政治経済や哲学を講義する毎日で、彼は決して美術の専門家ではありませんでしたが、もともと油絵やデッサンの経験もあった事から、いつしか、日本美術の独特な雰囲気に魅了されていくようになるのです。

しかし、ご存じのように、明治初年の日本は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐・・・

維新の中で近代化&欧米化が推し勧められ、襖絵や錦絵などは美術的価値の無い物として二束三文で売り払われたのが現実でした。

神仏が分離された後に、天皇家に通じる神道は良かったものの、仏教に対しては廃絶運動なども起こり仏閣は徹底的に破壊される憂き目に遭ったのです。

しかし、すぐに、その弊害に気づいた明治新政府は、明治四年(1871年)に『古器旧仏保存方』を発令して、近畿地方を中心とした文化財調査を行ったりしたおかげで、そんな風潮は、わずか数年で見直されはじめますが、今現在でも、たとえば、「鹿児島県には重要文化財に指定される仏像が1体も無い」という結果になってしまうほど、特に勤皇運動が激しかった場所には、多くの傷跡を残した出来事でした。

以前、「一時期、この日本に奈良県が無かった」というお話を書かせていただいた時の、荒廃した奈良の姿も、この頃のお話・・・(11月4日参照>>)

・・・で、そのページでも書かせていただいたように、そんな奈良県復活の救世主とも言える人物となったのが、このフェノロサと、当時は、彼の通訳兼助手をしていた文部省職員の岡倉天心(てんしん)(10月15日参照>>)だったのです。

日本美術に深い関心を寄せたフェノロサは、助手の天心とともに、全国の古寺を訪ねて美術品や宝物の調査に当たったのです。

そんな中で訪れたのが、奈良県斑鳩(いかるが)にある法隆寺・・・

Yumedono800a 法隆寺・夢殿

法隆寺の中の夢殿という建物には、古くから救世観音菩薩立像(くぜかんのんぼさつりつぞう)という仏像が安置されていましたが、この仏像は、布でぐるぐる巻きの覆われた秘仏で、寺の僧侶さえ、その姿を見た事が無く、「その布を外せは、この世が終わる」という言い伝えがあり、誰も、その布を外した事が無いというシロモノでした。

現に、その16年前に、1度調査しようとしたところ、一転にわかにかき曇り、雷鳴が轟いた事で、中止となっていたのでした。

天変地異を恐れて断わり続ける僧侶らを説得し、何とか、秘仏を開く事になったのが、明治十七年(1884年)6月25日・・・

いよいよ布を開く段階になると、恐れた僧侶たちは姿を消したと言いますが、ぐるぐる巻きの覆われた布の中から現われたその姿は、見事に黄金に輝く、すばらしい仏様でした。

聖徳太子の姿をうつしたという仏様は、独特の神秘的な中に、やさしくも厳しい表情を浮かべ、飛鳥時代の人々の思いが伝わって来る・・・その感動を抑えきれないフェノロサと天心でした。

もちろん、この世の終わりが訪れる事もありませんでした。

それどころか、
改めて、日本美術のすばらしさと、それを保護し、未来へと残して行かねばならない大切さを痛感する二人・・・

以来、二人が調査に当たった社寺は60ヶ所以上、美術品・宝物は440品目に及ぶと言います。

以後、彼らの尽力によって、近代的な文化財保護と修復・修理の体制が、急速に整備されていく事は言うまでもありません。

まさに、日本美術を救ったお二人なのです。

*現在、救世観音は、春と秋の2回、特別公開が行われます。
くわしい行き方は、本家HP
奈良歴史散歩「いかるがの里」でどうぞ>>
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

こんにちは
東京国立博物館で開催されていたボストン美術館展、見に行ってよかった、大変すばらしいものでした。
特に平治物語絵巻は圧巻の一言に尽きました。
ただ、仏像の多くは指が失われていたのが気になりました。
長旅のためか、廃仏毀釈寸前だったせいかわかりませんが。
これらのものがもしかすると失われたかもしれないと思うとやりきれない気がします。
先人の努力に感謝です。

投稿: みゅいん | 2012年6月26日 (火) 18時23分

みゅいんさん、こんばんは~

そうですか…ボストン美術館展、良かったのですね。

海外に流出しても、それが無事なら、こうして里帰りする事ができますが、失われてしまった物はとても残念ですね。

それを、少しでもくい止めてくださった方々に感謝ですね。

投稿: 茶々 | 2012年6月26日 (火) 19時14分

こんにちはhappy01

いつも楽しく読ませていただいてます。

私の先日ボストン美術館展を見に行きました。
歩いて行かれる所に来ているのに、見に行かないのは後悔すると思い、会社を早退して行きました。

こんなにも素晴らしいものが海外に流出してしまったことを残念に思っていましたが、パンプレットを読んで、この方々がいたからこそ、大切に保存されていたと知りました。

中谷美紀さんの解説がまた良かったのです。
しっとりとした声が本当に耳に心地よく、最後の『本日はありがとうございました』のメッセージを龍の襖の前で聞いた時は、うるううるしてしまいました。

話がそれましたが、これらの作品を里帰りさせてくれた皆さんに感謝します。

ありがとうございます。

投稿: はる | 2012年6月27日 (水) 10時31分

はるさん、こんにちは~

やはりボストン美術館展…

大阪には来年の春に来るそうです。
私も、是非、行ってみたいと思います。

投稿: 茶々 | 2012年6月27日 (水) 11時29分

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