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2012年7月27日 (金)

祇園祭の長刀鉾は宗教戦争の証…天文法華の乱

 

天文五年(1536年)7月27日、延暦寺衆徒が近江・六角定頼の加勢を得て法華宗徒を京都四条口に攻め破り、洛中の法華寺院21ヶ所に放火しました・・・世に言う「天文法華(てんぶんほっけ)の乱」です。

・・・・・・・・・

今回の法華宗とは、あの日蓮(9月12日参照>>)を開祖とする日蓮法華宗(日蓮宗とも)です。

日蓮は、布教活動を通して、度々、各宗派を批判したり、政権に対して諌言したりしたため、その生存中から、多くの迫害に遭っていました。

日蓮亡き後は、その高弟たちに布教活動が受け継がれ、各門流(各派)が形成されるとともに、それは、京都の町衆を中心に広がっていく事となります。

しかし、法華宗に限らず、こういった宗教勢力は、大きくなればなるほど、政治に巻き込まれて行くのがこの時代の常・・・

当時、摂津河内和泉(いずれも大阪府)大和(奈良県)に勢力を誇っていた本願寺門徒・・・彼らの一向一揆の勢力を恐れた細川晴元(はるもと)は、この本願寺を潰すために、最近力をつけて来た法華宗信徒の力を借りようと、近江(滋賀)六角定頼(ろっかくさだより)に、京都の町衆を中心にした3~4000人の法華宗信徒を扇動させ、天文元年(1532年)に山科本願寺を攻撃させました。(8月23日参照>>)

しかし、こうして一向一揆に勝利した法華宗の信仰は、さらに京都の町衆の大半に浸透し、まさに隆盛を極めていく事になりますが、そうなると、今度は、彼らが自治権を握り、それが政治を左右するようにまでなって来るのです。

それは政権担当者が苦々しく思うと同時に、他の宗教にとっても苦々しい存在なわけで・・・

そんな中、天文五年(1536年)3月・・・比叡山延暦寺(天台宗)の高僧が、法華宗信徒と行った宗論対決で敗れるという出来事が起こります。

もちろん、メンツを潰された延暦寺側は怒り爆発・・・三井寺興福寺本願寺など、敵の敵は味方とばかりに全国に声をかけて兵をかき集めます。

当然ですが、もはや政治にも介入する法華宗信徒をうっとぉしく思っていた、先の晴元も定頼も、今度は比叡山側の味方です。

こうして団結した集団は、7月23日から京都への侵入を開始し、洛中の法華寺院21ヶ所に延暦寺の末寺になる(傘下に入る)事を要求・・・

すでに町内の要所に掘を築造して交戦覚悟の法華宗は、当然、その要求を拒否します。

かくして天文五年(1536年)7月27日延暦寺側は、要求を呑まなかった洛中の法華寺院21ヶ所に攻撃を仕掛けたのです。

この時、定頼の援軍をプラスして6万に膨れ上がった大軍によって殺害された者は数千人におよび、群衆が法華寺院に放った火が、さらに広がって、京都市中をことごとく焦土と化し、その焼失被害は応仁の乱の戦火よりも大きかったのだとか・・・

この時、勝利した延暦寺側が、その戦利品として手に入れた長刀(なぎなた)・・・その長刀の刀身には、
「去年(天文五年の事)日蓮宗退治の時 分捕(ぶんどり)に仕(つかまつ)り候(そうろう)を買い留め 感神院(かんじんいん=八坂神社)に寄せ奉(まつ)る所なり」
との銘が刻まれ、乱の翌年から、まさに勝利の証として、奉納された八坂神社の祭りの先頭に飾られました。

そう、これが、あの祇園祭の先頭を行く長刀鉾(なぎなたぼこ)鉾頭に飾られる長刀(現在は模造品)です。

以前、その由来を書かせていただいたように(7月1日参照>>)、もともとは、荒ぶる神によって怨霊を鎮めるために始まった祇園祭・・・

そんな祇園祭の、祭の由来となる歴史とは別に、雅な情景とはうらはらな、祭が歩んできた生々しい歴史も、また、祇園祭の歴史なのです。

これにより、京都での活動は壊滅状態となり、生き残った者たちも洛外へと追放された法華宗信徒・・・以後、6年間禁止され、天文十一年(1542年)の勅許(ちょっきょ=天皇の許可)を以って法華宗院が再建されて、ようやく、信徒たちも京都の町に戻れる事になります。
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戦国・群雄割拠の時代」カテゴリの記事

コメント

茶々様、こんにちは。

なんと、応仁の乱よりヒドイ火災だったんですか~。
混乱の大きさの割にあまり知られていない事件ですよね?(学校なんかでは習わなかったです。。。)

それにしても今年の祇園祭はアツかったです。

投稿: 千 | 2012年7月28日 (土) 09時07分

戦利品の長刀は今は別の場所に保管されているんですか?「祇園」と言う言葉も仏教から来ていますからね。

「大夫の写真」は茶々さんだったんですか。
なかなかあでやかですね。(o^-^o)

投稿: えびすこ | 2012年7月28日 (土) 09時08分

宗教を政治に利用するのは良くないと思うけど〜日蓮さんもびっくりかも。もともと天台宗の僧侶だったはず。

投稿: やぶひび | 2012年7月28日 (土) 14時25分

千さん、こんにちは~

宗教戦争は一般的な教科書での扱いが難いんでしょうかね。

今年は、まだ祇園祭には行って無いんですが、あの山鉾巡行の日は暑かったですね~
大阪も暑かったです。

投稿: 茶々 | 2012年7月28日 (土) 16時25分

えびすこさん、こんにちは~

私も、場所は知らないのですが、今も長刀が、どこかに保管されているみたいです。

PS:うまく「サギ写」が撮れました。

投稿: 茶々 | 2012年7月28日 (土) 16時28分

やぶひびさん、こんにちは~

確かに、日蓮さん、比叡山でも修行してましたね。
でも、自分の宗教を立ちあげてからは、他の宗教を、思いっきり批判してたので、ちょっとは予想してたかも知れないですね。

投稿: 茶々 | 2012年7月28日 (土) 16時31分

茶々さん、こんばんは。
先ほどはすみません。
でもあまり下剋上は好きでないです現実に下剋上で酷い目に遭っていますのでそう感じます。
ところで明日の祇園祭は大丈夫でしょうか?
気になります。まさか疫病神が祇園祭を邪魔しているのかなと思いました。

投稿: non | 2015年7月16日 (木) 19時37分

nonさん、こんばんは~

どうなんでしょうね?
朝の7時?だったかに、発表するような事聞きましたが…

今は、後の祭りもやるので、危なそうなら無理にしないかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2015年7月17日 (金) 03時28分

茶々さん、こんばんは。
先の祭りの山鉾巡行も終わりましたのでほっとしました。でも後の祭りが残っていますのでまだまだですね。
そう言えば大船鉾は禁門の変で燃えたそうですが、そう言う様な賠償はしたのでしょうか?そう言う鉾さえも長い間聞いていないので知らない人も多いでしょう。

投稿: non | 2015年7月17日 (金) 22時44分

nonさん、こんばんは~

大船鉾は、昨年の49年ぶりの後祭の復活とともに150年ぶり復活しましたね。

ただ、政変や戦争での被害を幕府?政府?が賠償する事なんてあったんでしょうか?
そういう考えは戦後の高度成長期を経てからじゃないですかね?

大東亜戦争では、大阪も空襲で焼け野原になりましたが、私が子供の頃は、家族が自分たちで廃材を利用して立てたバラックのような家が、まだまだありましたよ。
友達んちに遊びに行った時も「この家、お父ちゃんが建ててん」て、その子が言うてました。
もちろん、お父さんは大工さんではありません。

投稿: 茶々 | 2015年7月18日 (土) 02時02分

茶々さん、こんにちは。
欧州では弁償するでしょう。中国でも漢の武帝は失政を土下座して謝ったそうですが、日本では高倉天皇とか皇室は謝っていますが、政権の中枢は謝ったり、賠償したりしません。確かに高度成長以降ですね。そうでなかったら足尾問題ももっと早く収まったでしょう。
でも四国の別子銅山みたいに禿山を回復させた住友みたいな人もいます。

そう言えば私は43歳になりますが、幼いころにはバラックでないですが、壊れそうな家をよく見かけました。確かまだ大工さん以外にも農家だと一緒に手伝っていた感じがします。
でもその頃は川遊びができたし、良かったです。もう遠い昔になりましたけど・・・

大船鉾の復活は良いですね。後の祭りが復活したのは嬉しいです。
でも考えてみますと幕末は応仁の乱後、信長が上洛するまで混乱した時代と似ています。

投稿: non | 2015年7月18日 (土) 12時12分

nonさん、こんにちは~

世界史や中国史はほぼ知りませんが、天変地異や災害、失政は、日本でも責任は問われます。
むしろ、その度に天皇が変わってますし、天皇が変われば、ある程度の人事異動もありますよね。

ただ、政変や戦争の場合は…
戦国時代は乱取りが当たり前で、物どころか人も捕まえて売りさばくくらいですから、保障も何も、むしろ「全部よこせ」って感じでしょう。

合戦で切り取った地の領民を保護するようになるのは、秀吉から後くらいからじゃないでしょうか?

投稿: 茶々 | 2015年7月18日 (土) 17時32分

茶々さん、こんばんは。
ローマ帝国の時に今の西欧の法典の基礎が出来て、それ以降の戦争、外交、賠償にはローマ法典が適用されたそうです。それ以外の法典はゲルマン法で、グリム兄弟は探しましたが、童話と言うよりもゲルマン時代の習慣から法律を作っていきました。
ところが日本には養老律令、様々な格式と言う立派な法典や式目が出来たのに中世には有効活用されませんでした。その最たる例が南北朝でしょう。略奪が当たり前の時代でした。この時代は卑怯な時代で奴隷に売りとばしたのも多いです。それを終焉にしたのが信長、秀吉、家康でしょう。あの三人がいないと日本は植民地になったでしょう。そう言う意味では家康が出たことが太平の世にさせたと思います。江戸時代に習慣が復活しました。江戸こそが日本で一番幸せだった時と思います。でもそう言うのが分かったのもある意味では外国人からです。ライシャワー、マルローが言い出しました。日本人にはそう言う感覚が亡くなったのかなと思いました。
法華騒動も酷かったですが、この時代はどうも戦乱ばかりで庶民には暮らしにくかったでしょう。やはり義教みたいな強力な将軍亡き時代は新たな英雄が必要ですね。

投稿: non | 2015年7月18日 (土) 23時19分

nonさん、こんばんは~

坂本龍馬が主役のドラマでは、よく「日本の夜明け」という単語が出て来て、それまでの時代が暗いイメージですが(龍馬が主役なので仕方ないですが…)、実際には、それほど暗くもなく、それなりに幸せだったと思います。

投稿: 茶々 | 2015年7月19日 (日) 01時59分

茶々さん、こんにちは。
私は義教が好きです。初めて天下統一したのは義教だし、鎌倉公方などを滅ぼしましたし、比叡山の無理難題も退けました。信長よりも凄いと思います。
それにしても義満、義持、義教と言う凄い将軍がいたのに何故それ以降は駄目なのかなと思います。少年将軍だと義満も義持もそうでしたが、きちんと政務をしました。徳川でも家継は賢い将軍でした。少年云々でないと思います。
義教が将軍だと実力で法華を追い出したでしょう。

投稿: non | 2015年7月19日 (日) 12時53分

ちょっと気が付いたのですが、大河ドラマとかNHKドラマ以外はけっこう時代考証がおかしいのですが、髷が江戸時代の中期以降の髷を水戸黄門とかで使っていますが、それだけ江戸時代が魅力でないとしない感じがします。茶々さんからしてこの髷とか衣装はおかしいなと言うのは時代劇でよく見かけますか?

投稿: non | 2015年7月19日 (日) 19時55分

nonさん、こんばんは~

娯楽時代劇に時代考証を持ち込むのは難しいと思います。
特に水戸黄門は…
黄門は中納言であって天下の副将軍では無いですし、徳川光圀は旅をほとんどしてないので、実際には関東から出た事無いですし…

何より由美かおるさんの出演も無くなるので寂しいです。

私、個人的には、NHKのタイムスクープハンター以外の番組では時代考証を求めていません。
時代劇に正確な時代考証を求めると、セリフには字幕スーパーを付けないといけないし、役者さんの所作一つ一つに説明を付けないと、ほとんどの人が何をやってるかよくわからないと思います。(歌舞伎や能や狂言を見る感じです)

もちろん、ありえない設定や外来語の使用などは、さすがにアレですですし、ある程度周知の歴史を踏まえてはいただきたいとは思いますが、基本、ドラマは創作なので、わかりやすい雰囲気で、創作されたストーリーを楽しみたいです。

投稿: 茶々 | 2015年7月20日 (月) 03時21分

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