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2012年8月28日 (火)

松平春嶽を魅了した癒し系歌人・橘曙覧

 

慶応四年(1868年)8月28日、幕末の福井で歌人として活躍した橘曙覧が、57歳でこの世を去りました。

・・・・・・・・・

平成六年(1994年)6月に、天皇・皇后両陛下がアメリカをご訪問された時、時のアメリカ大統領・クリントンは、その歓迎の挨拶の中で、一首の歌を引用しました。

♪たのしみは 朝おきいでて 昨日まで
 無かかりし花の 咲ける見る時 ♪

「朝早く起きて庭に出て、昨日まで咲いてなかった花が咲いてるの見つけると、なんかテンション上がるわ」

クリントン大統領は、この歌を引用して
「新たな一日とともに着実に新しい花が咲くように、日米の友好も日々進化いくでしょう」
的なニュアンスの事をおっしゃったそうです。

この歌を詠んだのが、本日ご紹介する橘曙覧(たちばなのあけみ)です。

Tatibananoakemi600 橘曙覧は、文化九年(1812年)に、福井城下で紙や墨などの文具を扱う商人・正玄(しょうげん=正源とも)五郎右衛門の長男として生まれます。

本名は尚事(なおこと)と言いますが、あの橘三千代(たちばなのみちよ)橘諸兄(たちばなのもろえ)(1月11日参照>>)末裔と称して、後に改名しています。

幼い頃に両親を亡くし、叔父の後見を受けて家業を継ぐ身ではありましたが、15歳の時に南条妙泰寺の僧・明導(みょうどう)から学んだ仏教の事や、18歳の時に京都児玉旗山(きざん=頼山陽の弟子)の塾に入門した時の勉学への思いが断ちきれなかったのか、28歳の時に家督を弟に譲って隠居し、飛騨高山の国学者・田中大秀(おおひで=本居宣長の高弟)に入門します。

福井に戻ってからは、しばらくは、近くの愛宕山(現在の足羽山=あすわやま)に籠り、独学で歌と学問に打ち込む生活を送りつつ、黄金舎という私塾を結んで、その月謝で・・・

そう、実は曙覧さん、すでに7年前の21歳の時に直子という商家の娘と結婚している立派な妻子持ち・・・何とか、家族を養っていかないといけないわけですが、もともと、お金や名声より、ただ学問が好きな方なんでしょうねぇ・・・その生活は困窮を極めていたようです。

その後、妻永元年(1848)に三ツ橋(現在の照手2丁目)に転居し、藁屋(わらや)と称しました。

そんな彼の噂を聞きつけたのが、後に幕末の四賢侯(しけんこう=幕末に功績のあった4人の藩主)の1人に数えられる越前福井藩主松平春嶽(しゅんがく・慶永)でした。

安政五年(1858年)、その春嶽の命を受けて、『万葉集』の秀歌:36首を撰出し、そこに自らの歌を添えて提出・・・当時、例の大老井伊直弼(なおすけ)(10月7日参照>>)が調印したアメリカとの日米修好通商条約に抗議した事で、江戸屋敷にて蟄居(ちっきょ=謹慎)の身となっていた春嶽は、曙覧の学識の深さに、いたく感動!!

ここから二人の交流が始まります。

井伊直弼が暗殺されてからは政界に復帰し、ご存じのように大活躍する春嶽ですが、そのかたわら、愛煙家の曙覧にタバコを贈ったり、わざわざ藁屋を訪ねてみたり・・・なんせ春嶽は藩主ですから、藩主ともあろう人が、身分の低い藩士でもない人のもとに出向くなんて事は、本来無いわけで・・・

この訪問の時は、城下巡見中にたまたま休憩で立ち寄ったという偶然を装ったもの・・・そうまでして春嶽は曙覧に会いたかったんですね~

そんな春嶽は、城中で古典の講義をしてもらおうと、1度、曙覧に出仕を要請した事があったのですが、その時、曙覧は、お得意・・・いや本職の歌で返答してきます。

♪花めきて しばし見ゆるも すゞなその
 田廬
(たぶせのいほ)に 咲けばなりけり ♪
「雑草はボロ屋に咲いてるから、ええねんで」

すると春嶽も歌で答えます。

♪すゞな園 田ぶせの庵に さく花を
 しひてはをらじ さもあればあれ ♪

「せやな…ほな、摘まんとくわ」
と・・・

なんとなく、二人の良い関係が感じとれますね。

思想的には勤皇だったという曙覧ですから、おそらく春嶽も、彼から様々な意見を聞いてみたかった事でしょうけど、どうやら曙覧さん本人は、動乱の時代の舵取り役として、緊張に緊張を重ねている藩主に癒しを与える歌詠人としての役回りに徹しようとの事だったようです。

そんな曙覧さんの性格が読み取れるのが、その代表作『独楽吟(どくらくぎん)という彼の歌を集めた歌集です。

冒頭の、クリントン大統領が引用した歌も、ここに収められています。

これは、すべての歌が、「たのしみは…」で始まって、「○○時」で終わる52首の歌集なのですが、当時、歌の題材と言えば、花鳥風月が主流だった中で、曙覧の詠む題材と言えば、ごくごく普通の日常・・・

質素でありながら楽しい食事や、辛いながらも楽しい労働・・・果ては、貧乏屋敷に発生したムシにまで・・・

♪たのしみは 珍しき書(ふみ) 人にかり
 初め一ひら ひろげたる時 ♪

う~~ん、わかりますね~
最初の1ページめ、ワクワクします!

♪たのしみは まれに魚烹(いおに)て 児等皆(こらみな)
 うましうましと いひて食ふ時 ♪
貧乏父ちゃんが、たまに奮発して、家族で焼肉を食べに行くと、「お父ちゃん、メッチャうまいわ!」と、子供たちが大喜びでパクつくのを見て「ウレシイなぁ(*^-^)」と・・・

♪たのしみは 機(はた)おりたてゝ 新しき
 ころもを縫(ぬひ)て 妻が着する時 ♪
「お前…その服、よぉ 似会てるで~」
「まぁ、あなたったら…゜.+:。(*´v`*)゜.+:。」

♪たのしみは すびつのもとに うち倒れ
 ゆすり起こすも 知らで寝し時 ♪
「もう、5分寝かして~ この5分がタマランねん!」

曙覧という人は、そんな日常に、ひしひしと感じる幸せを歌にした人なのです。

まさに、癒しの極み!!

慶応四年(1868年)8月28日・・・曙覧は、明治の世を待たずにこの世を去ります。

しかし、この曙覧の歌風は、正岡子規(しき)をはじめとする明治以降の歌人たちに大きな影響を与えました。

曙覧が亡くなった時、彼と親しくしていた勤皇の女流歌人・大田垣蓮月(れんげつ)が、こんな歌を送っています。

♪こし路より 四方(よも)にひからし 玉手箱
 明見
(あけみ)のうしの なきぞかなしき ♪

越の国=福井出身の曙覧の歌が、いずれ、世界中に大きく羽ばたく事を、彼女は気づいていたのでしょうね。
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コメント

春嶽さんって、幕臣、藩主、文化人だったマルチな人だと思います。先日、岩倉具視宛ての書簡が発見されたとか。〜函館戦争で旧幕臣が戦死の報を聞いて、愉快とか。

投稿: やぶひび | 2012年8月29日 (水) 10時02分

やぶひびさん、こんにちは~

春嶽さんは、ドラマなどでは、あまり目立たない役どころ(たまたま見たドラマかも知れません)ではありますが、なかなかにスルドイ人ですね。

投稿: 茶々 | 2012年8月29日 (水) 15時02分

三島由紀夫さんが結成した、かの「楯の会」の隊名も、橘曙覧さんの歌に因んでいます。

大君の 醜の御楯といふものは ここなるものぞと 進め真先に

投稿: レッドバロン | 2012年8月31日 (金) 03時24分

レッドバロンさん、こんにちは~

>三島由紀夫さんが結成した、かの「楯の会」の隊名も…

なるほど、そうなんですね。
橘曙覧さんの歌は、心揺さぶられます。

投稿: 茶々 | 2012年9月 2日 (日) 10時59分

♪たのしみは

 退社の前に

 パソコンで

 今日は何の日

 クリックする時 ♪

投稿: しまだ | 2012年9月 5日 (水) 12時43分

しまださん、こんにちは~

うわぁ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

そんな風に思ってもらえるなんて…感激です!
ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2012年9月 5日 (水) 14時09分

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