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2013年2月 3日 (日)

リアル「信長のシェフ」~料理人・坪内某の話

 

この1月から、テレビ朝日系列で、金曜の深夜、「信長のシェフ」というドラマがスタートしました。

現代のシェフが戦国時代にタイムスリップして、織田信長お抱えの料理人になるという設定なのですが、これがけっこうオモシロイ(*^-^)

もちろん、時代考証や史実うんぬんに関してはツッコミどころ満載ですが、もともと、タイムスリップという荒唐無稽な設定ですし、予算の少ない深夜枠では、表現方法にも限りがあり・・・

ミッチー信長がはおる完全に今風の毛皮のコートも、合戦シーンなのに誰も騎馬してない事も、「衣装にもお金かかるやろし、馬の出演料って高いもんな~」と思えて許せるわけで・・・

ものスゴイ予算をかけたゴールデンで、つじつまの合わない戦国恋愛ドラマを見せられるよりは、肩肘張らずに見れるぶん、深く考えずに楽しめますし、そのワリには、森可成(もりよしなり)(9月20日参照>>)北畠具教(きたばたけとものり)(11月25日参照>>) といった、あまりドラマではお目にかかれないツウ好みの人物が登場して来るところは、なかなかの物です。

なので、ここのところ、毎週楽しみに見ておりますです。

て事で、本日は、その見終わったテンションそのままに、歴史上に登場する信長の料理人のお話を・・・
「いざ参らん!戦国のキュイジーヌ! 」
(↑主人公の決めゼリフです)

・‥…━━━☆

亡き13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の弟=足利義昭(よしあき)を奉じて上洛を果たした織田信長・・・(9月7日参照>>)

その後、かつては畿内を制していた三好家を滅ぼした時、その三好家に仕えていた坪内某(つぼうちなにがし)という料理人を生け捕りにします。

しばらくの間、放し囚(はなしめしうど=自由に動ける捕虜)となった坪内は、数年を経て、信長の家臣の菅谷九右衛門(すげのやきゅうえもん)に仕えるようになります。

と、その頃、市原五右衛門なる家臣が信長に進言・・・

「坪内なる者は、包丁さばきも見事ですし、格式の高い儀式や接待料理にも精通してますし、その息子らはすでに、ウチで奉公してますよって、そろそろ、捕虜てな身分を取っ払って、厨房の事を任せはったらどうでっしゃろ」

と、信長は
「ほな、明日の朝、料理させよ…その出来具合で考えとくわ」
との事・・・

早速、その翌日、信長が、その料理を食べる事になりますが、
「なんじゃ。この水臭い料理は…食べられた物やあれへんがな!」
と、怒り心頭・・・

すると、坪内は
「慎んで承りました。
けど、今一度チャンスを…明日、もっかい調理させてください。
それでも、お口に合わへんかったら、その時は、潔う切腹しますよって」

果たして、その翌日出て来た料理は、何とも美味・・・信長は、大喜びで、「何か褒美を与える」と言います。

すると、坪内は
「実は、昨日の味付けは三好家風の味付けでしたが、今朝のこの味付けは、ハッキリ言うて、第三番(三流)の味付けです。
三好家は長輝
(之長の別名)から5代に渡って将軍家の家事を取り仕切り、この国の政務を行って来ましたんで、何事も下品ではありませんのや。 

昨日のは、そんな1流の味付けでお出ししましたさかいに、お口に合わんのも道理やと思いますわ。
一方、今朝の味付けは辺鄙な田舎風味やったので、殿様のお口に合いましたんや」

と言ったと・・・

この話を聞いて、人々は「信長さん、恥かいてしもたな~」と噂したのだとか・・・

・‥…━━━☆

・・・と、このお話は『武辺咄聞書(ぶへんばなしききがき)『常山紀談(じょうざんきだん(1月9日参照>>)にあるお話なので、ご存じの方もおられるでしょうが、

信長ファンの皆さまには「信長をバカにしてる不愉快な逸話」と、
濃い味付け好みの関東の方々からは「都人の上から目線のいやらしさ満載だ」と、
かなりのお怒りをかっている逸話です。

中には、この坪内の発言を聞いた信長が、
「最初から主人好みの味を作らない料理人の方が、三流の料理人やんけ」
と言い返した・・・なんていう続きの逸話を掲載しているサイトもネット上にはありますが、少なくとも『武辺咄聞書』や『常山紀談』では、信長の言い返しはなく、

『武辺咄聞書』では
「「信長公に恥辱を与へまいらせし」と皆人笑ひけるとなん」と、
『常山紀談』では、
「聞く人信長に耻辱をあたへたる坪内が詞也といひあへり」と、
どちらも、「信長さんが恥をかいたのよ」という終わり方で話を閉めくくっています。

ちなみに、『武辺咄聞書』と『常山紀談』は文章は違いますが内容はほぼ一緒です。 
また、信長が言い返したという逸話の出典をご存じの方、ぜひ「○○という文献の●●あたりに出てたよ」とお教えいただければ幸いですm(_ _)m

という事で、言い返しの話は、未だ出どころを知らないので、『武辺咄聞書』と『常山紀談』の逸話に沿ってお話を進めさせていただきますが、

上記の「信長をバカにしてる不愉快な逸話」とか「都人の上から目線のいやらしさ満載だ」とかのお怒りの件ですが、私、個人の考えを申させていただきますと、
「おっしゃる通り」だと思います。

いや、むしろ、そのための逸話だと思います。

もちろん、『武辺咄聞書』や『常山紀談』の筆者が、信長をバカにして書いたというのではなく、「信長をバカにしたい」あるいは「都人特有の上から目線の」どこかの誰かが言い始めた話が噂として広がっていて、筆者である彼らが、巷の噂として、この話を書いたんじゃないか?と・・・

と、言いますのも、この話のあったとされる時期・・・
『武辺咄聞書』では「信長公天下を治給ふ砌(みぎり)とあるので、ちょっと曖昧ですが、『常山紀談』では「三好家滅し時」とあります。

信長は上洛の際に三好三人衆を畿内から追い出し(9月28日参照>>)、この時、三人衆は敗走してますが、三好家の嫡流である三好義継(みよしよしつぐ)若江城を安堵されて、むしろ、信長の味方となってますので、この『常山紀談』の「三好家滅し時」というのは、その後に義昭を受け入れた事によって攻撃されて(7月18日の後半参照>>)事実上滅亡した元亀四年(天正元年=1573年)の事と思われます。

そして、この料理の話は、その滅亡から数年を経て(『武辺咄聞書』では「四五年」と表現)とありますので、おそらく天正六年(1578年)前後のお話・・・信長が義昭を奉じて上洛してから、すでに10年経ってます。

それこそ、その数年前に義昭を追放して、柴田勝家北陸(2月9日参照>>)、秀吉に中国(5月4日参照>>)明智光秀丹波など(10月24日参照>>)を攻略させてる最中で、自らは本願寺との合戦に備えて、あの鉄甲船(9月30日参照>>)を建造させているような時期です。

いくらなんでも、そんな頃まで、信長が関西の薄味を知らなかったはずは無いわけで・・・なので、おそらくは、信長の事を快く思わない誰かが流した噂話ではないか?と・・・

ただ、それにしても、濃い味を三流だとか、田舎の好みだとか・・・やっぱり、皆さんお怒りのごとく、失礼な言い方ですよね~

しかし、それが、当時の価値観・・・

今だと、それは、単に味の好みが違うだけで、どちらが上品でどちらが下品なんて事はあり得ませんし、それも、座り仕事の多い京都の公家と、合戦にあけくれる武将とでは、当然、味の好みが違い、運動量が多ければ多いだけ、塩分も多く摂らなきゃいけないし、甘い物も欲するし、味が濃くなって当然だと理解できますが、当時の人には、そんな事はわからない・・・

ですが、そんな当時の価値観を払拭させたのが革新的な信長であり、それに学んだ秀吉であり、二人を引き継いで完成形を作った徳川家康では無かったかと思います。

それまでは、どこよりも賑やかで、どこよりも人が集まり、どこよりも最先端で、どこよりも素晴らしかった唯一無二の存在である都に対し、家康が作った江戸という新しい都市が、そこに匹敵する大都市になるにつれて、唯一無二の価値観は唯一無二では無くなり、新しいもう一つの価値観が、同等の価値観として成長し、いつしか「あっちもイイけど、こっちもイイネ」と思えるようになる・・・

そのような価値観が生まれるまでは、やはり、都の物が一流・・・という考えがあったのだと思います。

ところで・・・
ずいぶん昔に小耳に挟んだだけの話なので恐縮ですが、たしかユダヤの格言?か何かに「恥じをかく事は学ぶ事」というのがあると聞いた事があります。

たとえば、難しい漢字を覚えようとしてもなかなか覚えられないけれど、その文字が読めない事で、何かしらの恥ずかしい思いをした時、その恥ずかしさ度合いが大きければ大きいほど、その人は、1発でその漢字を覚え、一生忘れる事は無い・・・だから、怖がらずにどんどん恥じをかきなさい」みたいな事だったと思います。

もし、今回の料理人との話が、実際にあった話だったとしても、あるいは、信長をおとしめるための噂話だったとしても、信長さんともあろうお人なら、その出来事をバネとし、むしろ、より高みに昇るための原動力にしたのではないでしょうか?

.それに・・・
よくよく考えたら、そうでもなかったかもしれない比叡山焼き討ち(9月12日参照>>)を、全山を焼きつくす悪魔の所業のごとく」との噂を流す延暦寺の僧や、帰依せずにちょとしたカリスマ性を見せただけで、「神になろうとする悪魔的思いあがり」なんて噂を流すイエズス会(4月8日の後半参照>>)のほうが、よっぽど悪意に満ちた信長をおとしめる噂のように、私は感じます。
 .

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コメント

この「坪内某」のお話,司馬遼太郎さんの何かのエッセイで読み,偶然知っていました。

今でも,京風の味というのは,基本的に「薄味」だそうですね。

その方が「健康」にもいい!?

江戸時代になっても,京への文化の憧れの一つととらえてもいいのでしょうか?,見当はずれでしょうか?,「くだらない」という言葉がありますが,これについては有名ですね。

「くだらないもの」つまり,京都(上方)から,江戸へ下(くだ)っていないものは,評価が低い。

これには,江戸の土壌が「関東ローム層」のために野菜などがまずかったとか,水が悪く酒がうまくなかったことなどが一つの理由だとされているみたいですね。

…酒は,江戸でも,…全国的に超有名な進学校に「灘高校」というのがありますが,…ここの酒が,最高級とされたとの記述を何かで読みました。

そう言えば,私の郷土は鹿児島ですが,島津の殿様が参勤で,京都へ行くまでは「上京」,京都から江戸までは「下京」となります。

「江戸時代」といえども,京都に対するある種の“尊念”があったことになるでしょう。

明治維新が成立し,天皇が江戸へ遷ることで(遷都することによって),その後,東京(東の京都)へ行くことを「上京」と言うようになったのでしょうね。

今でも,上方(京都)に,このような雰囲気がたっぷり残っているとすれば,こんなに楽しいことはありません。

投稿: 鹿児島のタク | 2013年2月 4日 (月) 21時13分

鹿児島のタクさん、こんばんは~

大阪や京都では、わざとふざけて、今でも「上京」と言わずに「東下り」と言ったりしますよ。

私は大阪生まれの大阪育ちなので、薄味が好きで、大阪の料理が1番オイシイと思いますし、京都よりも奈良よりも歴史が古いのは大阪だと思ってますが、それは、やはり郷土愛とともに、慣れ親しんだ環境ゆえの個人的好みの郷土推しという感じですね。

人それぞれ、自分の育った場所が1番ですもの…

お酒は伏見もオイシイです(*゚ー゚*)

投稿: 茶々 | 2013年2月 5日 (火) 02時00分

茶々様、こんにちは。
「戦国のキュイジーヌ!」私も毎週ツッコミながら楽しんでいるクチです。伊勢のあの一件も、義昭さんとの絡みもニヤッとしながら見ていたので、ブログに書いて下さって嬉しいです(^_^)
実は、情けないことに最近まで一昨年のアレがトラウマになっていたのですが、このドラマの創作は素直に楽しめます。先週の、家康の人質時代のエピソードとか…ああいう妄想大好きなので。
次回は「お茶々さん」にお子様ランチだそうですね。長政&市のビジュアルも早く正面から見たいです。

投稿: 千 | 2013年2月 6日 (水) 12時50分

連投失礼します、途中で送ってしまいましたので(^_^;)

ドラマのケンも、ミッチー信長に割とハッキリものを言いますよね。もしや坪内某さんがモデルだったりして…??(*_*)
こういう話があるとは知らなかったので、教えて下さり感謝です!

投稿: 千 | 2013年2月 6日 (水) 12時57分

千さん、こんにちは~

>このドラマの創作は素直に楽しめます

私も…です。
具体的に「どこが」と聞かれると困るのですが、一昨年のアレは、「何となく歴史をバカにしてる」ような雰囲気が全体に漂ってたような気がします。

見る側が、大河というハードルを勝手に高く設定してしまっているのかも知れませんが、やはり、原作者の方が歴史好きでは無い事が、ストーリー展開の中に感じ取れるのだと思います。

それに1番大切なのは、その創作が楽しいかどうかですしね。
「信長のシェフ」では、1時間がアッと言う間に過ぎてしまうくらい楽しんでます。

>もしや坪内某さんがモデル

私も、ケンを見ていて、この話を思い出し、書かせていただきました。

投稿: 茶々 | 2013年2月 6日 (水) 14時35分

>むしろ、そのための逸話だと思います。
その通りですね。現代でもよくある事です。
テレビとか、週刊誌とか、テレビとか。
変わらないことを面白いと思うか、
情けないと思うかは微妙な所ですけれど。

「信長のシェフ」は、たまに見ます。面白いですね。
ただ思うことは、
なぜ『信長協奏曲』じゃないんだぁぁあああヽ(`Д´)ノウワァァン

投稿: ことかね | 2013年2月 7日 (木) 13時19分

ことかねさん、こんにちは~

「信長協奏曲」も人気ありますね~

この「信長のシェフ」が深夜枠のワリには高視聴率なので、ひょっとしたら協奏曲もドラマ化されるかも知れませんね。
ただ、主人公が顔ソックリの二人を演じ分けなきゃならないところで、年齢が若い主役の人選が難しいかも…です

投稿: 茶々 | 2013年2月 7日 (木) 14時26分

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