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2013年4月14日 (日)

大阪人・騒ぎすぎ?~家康&幸村の陣跡=茶臼山の立入禁止令

 

浜松歌国 (はままつうたくに)が書いた江戸後期の随筆『摂陽奇観(せつようきかん)「巻之三十一・宝暦九年の条」に、大阪天王寺の茶臼山(ちゃうすやま)についてのオモシロイ記述があります。

4月中旬の事・・・と書いてあるので、本日、ご紹介させていただきますね。

★子供の頃から「茶臼山古墳」と呼んでいたので、以前の記事では「茶臼山古墳」と書いてましたが、最近小耳に挟んだ情報によりますと、「古墳の証拠となる物が未だ発見されていない」事がら、「古墳では無い」との意見が主流という事ですので、本日は「茶臼山」と呼ばせていただきます。

Tyausuyama900 茶臼山と河底池:こんもりした森が茶臼山…右奥に見える橋が和気橋です。

大阪の天王寺にある茶臼山については、以前、和気清麻呂(わけのきよまろ)ゆかりの(2月21日参照>>)・・・と書かせていただいたのですが、そのページにも書かせていただいた通り、ここは、あの大坂の陣ゆかりの場所でもあるのです。

Oosakanozinfuzinzu そう、大坂冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村(信繁)陣を置いた場所なんですね。
大坂冬の陣(左)と夏の陣(右)布陣図→

Ca3e0042a900 上の写真の正面には池がありますが、その反対側の麓には、
←こんな感じで案内板もあります。

 .
・・・で、現在は、この反対側には、階段になってる登り口があり、頂上まで登れるようになっています。

Dscf2237ap1000 池の反対側にある茶臼山への登り口

Ca3e0045a800 これが頂上→

大坂冬の陣の時、ここに、家康は本陣を置いたわけですが、『大坂御合戦絵巻』などによれば、家康は、あの名大工の一族中井家(9月21日参照>>) を伴っており、その命を受けた中井家は、またたく間に木材を用意して仮の砦を構築しますが、それが、仮とは思えないほどの・・・もはや城と呼ぶにふさわしい立派な物だったのだとか・・・

そして、その半年後の夏の陣では、幸村がここに陣取って、南からやってくる徳川軍を迎え撃ったわけですが、最終的に勝利した徳川家にとっては、「大坂の陣で最初に神君家康公が陣を敷いた場所」として、ここは言わば記念の場所となっていたわけですね。
(くわしくは【大坂の陣の年表】を参照>>)

・・・で、今回の『摂陽奇観』での記述ですが・・・
(長い前置きでスンマセンm(_ _)m)

「当四月一日より六月一日迄逢坂一心寺ニ於て京嵯峨の清涼寺釈迦如来其外宝物等開帳ニ付参詣人群集せり…」
つまり・・・
宝暦九年(1759年)の4月1日から6月1日まで、京都の清涼寺の仏像が出張して来て、大阪の一心寺にて公開されるイベントがあり、多くの見物客が訪れた・・・という事ですね。

この一心寺というのは、現在も茶臼山とは道を挟んだ斜め向かい側にあり、上記の池とは反対側の出口から出ると、すぐ目の前にあるお寺です。
(くわしい場所は本家HP:大阪歴史散歩「上町台地を歩く」でどうぞ>>別窓で開きます

・・・で、文献によると、その時に、「せっかく近くに聖地があるのだから…」と、一心寺の境内と茶臼山を結ぶ橋を架けて、一緒に見てもらおうという計画に発展したのです。

ちなみに、この橋・・・渡るのに、一人につき二文支払う=有料です。

もちろん、徳川幕府が開かれて、もはや100年以上経ってる時代ですから、すでに茶臼山は庶民にも聖地として認識されていて、頂上には、それとわかる竹垣が組んであって、皆が観光に訪れる場所だったわけですが・・・

何たって、今回は、一心寺のイベントと重なり、しかも「行って下さい」と言わんばかりの橋が架かっているわけですから、珍し物好きの大阪人は、これをキッカケに、我も我もと訪れたわけです。

すると、またたく間に、茶臼山の麓には茶店が建ち、飲み屋が建ち・・・当然の事ながら、あの阪神優勝の道頓堀ダイブのごとき光景が展開される事になるのです。

ほんでもって・・・出ちゃいました~

「四月中旬 公儀より此山へ猥(みだり)ニ人を登セ茶屋を建る事停止ニ仰付られ…」
本来なら6月1日までのイベントだったはずが、4月中旬に中止となって、茶屋や飲み屋は撤去・・・しかも、それまでは頂上のほんの1部のみだった竹垣を、山の麓から全体に張り巡らせて、山には入れないようにしてしまったのだとか・・・

「神君御陣所の跡なれば…」

怒られちゃいました・・・大阪人(ρ_;)

なんか・・・
同じ大阪人として、おもしろいやら恥ずかしいやら、でも、「やっぱ大阪やな」って思ったり・・・

何やら、今も昔の変わらぬ庶民の雰囲気が垣間見える出来事でした~
 .

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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~
面白いですね~!

私も二十年近く前、大学受験で初めて大阪へ行った際、電車内で見かけた親子、
小さい女の子がお母さんに向かって、
『何いうてんねん!』と、ツッコミ入れてるのを見て、うわっ!こんな小さいうちから漫才しちょる!と、びっくりして、狐につままれたような気分になったのをおぼえています。
関西の多くの人は、会話すると必ず、話の最後に落ちというか、ちょっと気の利いたことを言うのを期待する、というのが段々分かってきて、妙に納得してしまいたした(偏見だ!とお怒りの方がいたらゴメンナサイ!単に私が野暮なだけなのでしょうか)。
会話が粋になっていいですよね、センスのいいボケとツッコミ。

因みに、名古屋辺りから西へ行くと、定食屋のメニューに『お好み定食』が出現しますよね~最初は炭水化物に炭水化物か~と不思議に思いましたが、今では大阪らしくていいと感じます。

投稿: タコ焼き大好きちゃん | 2013年4月14日 (日) 17時25分

タコ焼き大好きちゃんさん、こんばんは~

他県の方からは嫌がられる事も多々あるので、「センスのいいボケとツッコミ」と言ってくださるとウレシイです。

投稿: 茶々 | 2013年4月14日 (日) 18時21分

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