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2013年5月11日 (土)

ロシア皇太子襲撃!大津事件…その後

 

明治二十四年(1891年)5月11日、来日中のロシア皇太子・ニコライ2世が、警備中の巡査・津田三蔵に斬りつけられて負傷するという『大津事件』が発生しました。

・・・・・・・・・・・

これは、来日中のロシア皇太子ニコライ2世が、明治二十四年(1891年)5月11日琵琶湖で遊覧を楽しんだ後、京都のホテルに戻る途中の滋賀県・大津にて、突然飛び出して来た暴漢=津田三蔵(つだ さんぞう)に襲われた事件ですが・・・

その事件の経緯や与えた影響などは2008年の5月11日のページに>>
その後の裁判のモロモロ翌日の5月12日のページに>>
前・後編という形で書かせていただいておりますので、そちらでご覧いただくとして、本日は、事件の犯人である津田三蔵についてと、蛇足ではありますが、更なるその後について、チョコッとご紹介させていただきます。

・‥…━━━☆

その以前のページで、三蔵が、ニコライ2世を襲撃した動機について、
「ロシア皇太子は、日本を植民地にするため、その視察に訪れたと思った」
と供述している事を書かせていただいていますが、

それと同時に、巷では、
「今回の来日には、西郷を伴っており、それによって、かつての西南戦争での受章がはく奪される可能性がある」
との噂がたっていて、三蔵は、この噂を信じていた・・・という話があります。

これは、ずいぶん前の「西郷さんの銅像建立」のページ(12月18日参照>>)にも書かせていただきましたが、当時は、新聞報道までされて、まことしやかに囁かれていた話で、

「城山で死んだ西郷隆盛(9月24日参照>>)は影武者」
「実際には生きてロシアに逃亡した」

と言われ、
「今度、呼び戻されて政界に復帰する」
なんて事も言われていたのです。

西郷さんが政界に復帰するという事は、イコール、西南戦争での功績は無かった事になるわけで・・・

そう、実は、かの津田三蔵は、その西南戦争で功績を挙げていたのですね。

もちろん、彼は一兵卒なので、戦争全体で見ると大した功績でも無いのでしょうが、それこそ一兵卒の彼にとっては、命を賭けて戦った証であり、その生涯で最も誇れる物だったわけで・・・

Tudasanzou500 近年になって、ある個人のお宅から、母や兄弟・知人に送ったとおぼしき三蔵直筆の手紙が53通も発見され、その事が明らかになったわけですが、

その中の明治十年(1877年)9月25日付けの手紙の中で、三蔵は

『(略)…当月二十四日午前第四時ヨリ大進撃ニテ大勝利
魁首西郷隆盛・桐野利秋ヲ獲斃
(とらえたお)
大愉快之戦ニテ 残賊共斬首無算ナリ…(略)』

「24日午前4時からの大進撃で勝利しましたヨ!
西郷と桐野を捕えて倒し、ホンマ愉快…斬首された賊軍は数え切れんくらいですわ」

と、未だ興奮気味で、高揚感そのままの気持ちを書き残しています。

まぁ、実際には、西郷と桐野は捕えられたわけではなく、討死・・・という事ですが、ご存じのように、城山で討死した西郷隆盛と称される遺体には首は無かった事から、これまで書いていますように、西南戦争直後から、その生存説が囁かれていたわけですが・・・

で、この西南戦争の時に、22歳だった三蔵は、別働旅団として従軍し、戦後に勲七等と報奨金100円を下されています。

三蔵は、この西南戦争で銃弾を左手に受けて負傷し、いち時は入院生活を送ったものの、鹿児島戦線で復帰して勝利を収めたわけで、まさに、彼にとっては命がけで獲得した人生最高の栄誉だったわけです。

それが、ここに来て
「ロシア皇太子が西郷を連れて日本に来る?」
「戻った西郷が政界に復帰?」

となると、その栄誉も水の泡となる可能性があるわけで・・・

犯罪を犯した人の方を持つわけではありませんが、そんな不安にかられた気持ちは、わからないではありません。

・・・で、その結果、皇太子を襲撃という行為に出てしまった三蔵・・・

その裁判の行方については、かの後編のページ>>で書かせていただきましたが、当時、大審院長を務めていた児島惟謙(こじまこれかた)の判断により、
「謀殺未遂在・・・刑法第292条、第112条、第113条により、被告・津田三蔵を無期徒刑(無期懲役)に処す」
という判決となりました。

ところが、そのページにも書かせていただいたように、三蔵はそのわずか3ヶ月後に、釧路の監獄で獄中死・・・死因は「病死」と記録されていますが、何となく後味悪く、加害者が一転、被害者となってしまった感がぬぐえません。。。

・・・で、さらに、その後のお話があるのですが・・・

実は、かの襲撃事件の時、即座に反応して、犯人=三蔵を捕獲したのは、近くにいた、向畑治三郎(むかいばたじさぶろう)北賀市市太郎(きたがいちいちたろう)という二人の人力車の車夫だったのですが・・・

当然の事ながら、襲撃が未遂に終わったのは彼らが即座に反応してくれたおかげであり、言わば、ニコライ2世の命の恩人でもあるわけですから、それはもう、ものすご~く感謝されます。

日本政府からは終身年金36円、ロシア政府からは一時金2500円と終身年金1000円・・・これが、今の価値にしてどのくらいなのかは、私にはよくわかりませんが、とにかく、いきなり大金持ちとなった事は確かで、さらに、終身年金って事は、その先の人生の幸せも約束されたようなもの・・・

しかも、堂々の新聞報道もされちゃってますから、まさに彼らは時の人・・・英雄としての賛美も味わう事となり、全国的な人気者となったのです。

しかし・・・
そう、明治三十七年(1904年)からの、あの日露戦争(9月5日参照>>)です。

彼らが助けたニコライ2世は、まさに、この日露戦争勃発時のロシア皇帝なのです。

当然ですが、日本からもロシアからも終身年金はストップ・・・また、世の常として一度英雄に祭り上げられた人物が、一転して、紙クズのように追い落とされる状況は、いつの時代も同じ・・・

それでも、北賀市市太郎の方は、速やかに故郷へと戻り、その後は、ひっそりと暮らすので、まだ良かったのですが、向畑治三郎の方は、すでに、あの報奨金でバクチに手を出しており、借金まみれの悲惨な末路となってしまったのだとか・・・

なんとも・・・やるせない思いです。
 .

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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

茶々様、こんばんは。

明治時代も詳しいのですね。
自分は高校時代、日本史の授業が明治時代まで、行かなかったので、苦手なのです。
しかし、それでも、受験科目、社会は日本史が最大の得意手でしたけども。
この時代になると資料も沢山あるので、新事実が次々と出てきますね。
勉強し甲斐があります。

投稿: エアバスA381 | 2013年5月12日 (日) 01時03分

エアバスA381さん、こんばんは~

>日本史の授業が明治時代まで行かなかったので

どこでも同じですね~
ついこの間の「家族ゲーム」のドラマの中でも、主役の櫻井君のそんな感じのセリフがありました。

投稿: 茶々 | 2013年5月12日 (日) 02時12分

茶々さんこんばんは(^O^)

大津事件の記事、興味深く読ませて頂きました。
私は、どちらかといえば歴史は古代史の方が好きで、明治時代の事はあまり知りませんし、大津事件の事も名前くらいしか知りませんでしたが、 今回の記事や、過去の関連記事を読ませて頂き、 時間を忘れ夢中になって しまいました。

本当に歴史って奥が深く 、まだまだ学ぶべき事が沢山あるのですね(^O^)/

犯人の津田三蔵さんも時代の波に翻弄されて、国賊にされたり、英雄にされたりで ホント同一人物でも、時代によって評価がコロコロと
180度変わってしまうものなのですね(>_<)

何よりも、ご家族の方たちがお気の毒だったと思います。

そして、いつの時代も世論を煽るマスコミの存在 。
戦争を回避する為、一致して熱くニコライ2世を歓待したり、かと思えば 意外にも当の政治家たちよりも冷静に国際情勢を観ていた、当時の国民の方々。

残念ながら、13年後には日露戦争がおきてしまいますが、私の祖父母が生まれ育った明治時代の人々の思いをほんの少しですが知る事が出来て良かったと思います!

ありがとうございました (^人^)

投稿: 伊集院みちこ | 2013年5月15日 (水) 00時58分

伊集院みちこさん、こんばんは~

>祖父母が生まれ育った明治時代…

ホントですね。
私も、以前は近代史にあまり興味が無く、身近な人が体験した時代の出来事であるにも関わらず、このブログを始めるまでは、あまり知りませんでした。

このブログをやりはじめて、「今日は何があったのかな?」なんて調べて行くうち、今まで興味を持たなかった時代にも触れるようになり、良い勉強になってます。
こちらこそ、ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2013年5月15日 (水) 01時42分

津田巡査のロシア皇太子襲撃事件の動機には西郷の政界復帰があった!?

何だか、義経がジンギスカンになって帰ってくるような話ですが、してみるとこんなヨタ話を広めた当時のマスコミ?にも責任がありますね。

ニコライ二世を救った車夫二名の後日談初めて知りました。大変な額の年金がやがて日露戦争でパアになってしまって。こちらは江戸時代の落語を聞くような味わいがありますね。

投稿: レッドバロン | 2013年5月15日 (水) 01時43分

レッドバロンさん、こんばんは~

「終身年金」だと、死ぬまで貰えるもんだと思っちゃいますからね~
きっと、私もバンバン使うと思います。

投稿: 茶々 | 2013年5月15日 (水) 02時07分

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