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2013年5月19日 (日)

金ヶ崎撤退~逃げる織田信長を狙撃した杉谷善住坊

 

元亀元年(1570年)5月19日、金ヶ崎城攻めからの窮地を脱して京にたどり着いた織田信長が、岐阜へと戻る途中に狙撃されました。

・・・・・・・・・・・

永禄十一年(1568年)、第15代室町幕府将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて上洛をを果たした尾張(愛知県西部)の戦国大名・織田信長・・・(10月18日参照>>)

畿内を制した事で、その勢力を徐々に大きくする信長は、「将軍様に挨拶を…」と義昭をダシに使って、各地の戦国大名に上洛を求めますが、それを拒否し続けていたのが越前(福井県)朝倉義景(あさくらよしかげ)(9月24日参照>>)・・・

すでに、ともに上洛した義昭ともギクシャク感満載(1月23日参照>>)となっていた信長は、その義昭が、義景に近づきつつある事を踏まえ、元亀元年(1570年)4月25日、朝倉氏の手筒山城&金ヶ崎城(敦賀市金ヶ崎町)を攻めたのです(4月26日参照>>)

しかし、ここで大誤算・・・

かの上洛の際に、岐阜から京都への道筋を確保するため、自らの妹(もしくは姪)お市の方を嫁がせて味方につけていた(6月28日の前半部分参照>>)北近江(滋賀県)浅井長政(あざいながまさ)が、朝倉氏に寝返った・・・いや、浅井氏は、もともと朝倉氏とは昔ながらの同盟者でしたから、今回の「長年の同盟=朝倉」と「新規の同盟者=織田」との戦いにおいて、朝倉を選んだという事・・・

しかし、そうなると、福井(朝倉)と滋賀(浅井)に挟まれてしまった形になる信長・・・決死の覚悟で撤退を開始し、琵琶湖の西岸の山道を越え、4月30日、何とか京都へとたどり着きました。

これが世に言う金ヶ崎の退き口(4月27日参照>>)・・・
「一に憂(う)きこと金ヶ崎、二に憂きこと志賀の陣、三に福島・野田の退き陣」(『武家事紀』より)と、信長の三大苦難の一つに数えられています。

ちなみに、この時、殿(しんがり=最後尾)を努めた事で大出世する後の豊臣秀吉の話も有名ですね(実際には明智光秀なども殿を努めていました)

とは言え、当然の事ながら、京都に戻っただけでは安心してられません。

いや、むしろ、ここからが正念場・・・

態勢を整えなおすためには、本拠の岐阜城まで戻らねばなりませんが、なんたって、信長がわずかの兵で命からがら撤退して来たニュースはまたたく間に広がってるわけで、かの上洛の際に、信長に追いやられた武将なんかは、これ幸いとチャンスをうかがう・・・

特に、以前は南近江(滋賀県南部)一帯に勢力を誇っていた六角承禎(じょうてい=義賢)(9月13日参照>>)などは、それこそ、昔々は近江を巡って浅井氏と犬猿の仲だったにも関わらず、敵の敵は味方とばかりに、反信長の一点で浅井と手を組みます。

Anegawaitikankeizucc ↑クリックしていただくと大きいサイズで開きます
(このイラストは位置関係をわかりやすくするために、趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

この時、承禎は琵琶湖南半の東岸に位置する鯰江城(なまずえじょう=滋賀県東近江市)に居ましたから、逃げる信長としては完全に道を塞がれた感じ・・・

かと言って、東山道(中山道)八風街道(はっぷうかいどう=鈴鹿越えの道)を堂々と行くのは、あまりに危険・・・やむなく、六角氏の勢力圏内である事を承知のうえ、千草峠越えで伊勢へと向かい、そこから美濃へと入る道を選択します。

かくして5月9日、京都を出発した信長ご一行・・・

しかし元亀元年(1570年)5月19日、千草山中の甲津畑(こうづばた)付近を通過した時、突然、あたりに銃声が鳴り響きます。

わずか25mほどの場所から放たれた鉄砲の弾が、信長の着ていた衣の袖に命中!

あわや!という場面ではあったものの、幸いな事に、弾は、その体には当たらず、怪我もありませんでしたが、側近たちは大慌て・・・
「信長様!大丈夫ですか?」
「どこから放たれたのだ!」
と騒ぎ立て、狙撃者を追跡しようとしましたが、

信長は
「放っておけ!先を急がなアカン!」
と、側近たちを制止し、そのまま、美濃への道を急ぎ、5月21日、ようやく、岐阜城へとたどり着きました。

このあとの展開としては、六角氏との最前線となった長光寺城(ちょうこうじじょう=滋賀県近江八幡市)を任された柴田勝家(しばたかついえ)野洲川の戦いでの奮戦があるのですが、そのお話は2010年6月4日の【瓶割柴田の野洲川の戦い】のページ>>でご覧いただくとして・・・

この事件の時、山中では危険なので深追いませんでしたが、当然の事ながら、自らの命を狙った犯人を、あの信長さんが放っておくはずはなく・・・

やがて、鉄砲を放った主が、六角氏からの依頼を受けた杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)なる者である事がわかり、続いて、その身の捜索へ・・・

この善住坊なる人は、その身の上を一切明かさずにいた事から、鉄砲の名手であったという以外の人物像はまったくわからず、甲賀五十三家の一つである杉谷家出身の忍者か猟師なんて事も言われますが、定かではありません。

とにもかくにも、現場から逃走して、その身を隠していた善住坊でしたが、天正元年(1573年)9月、近江高島郡阿弥陀寺に隠れていたところを、すでに浅井から信長方となっていた高島郡の領主=磯野員昌(いその かずまさ)によって捕えられて岐阜に送られました。

しばらくの尋問の後、処刑される事になった善住坊・・・

そして・・・
有名なお話なので、ご存じの方も多いかと思いますが、その処刑の方法が鋸挽き(のこぎりびき)・・・

生きたまま、首だけを出した状態で地中に埋め、竹制のノコギリで少しずつ首を切断するという、書くのも怖い、最も重い刑罰・・・

5日間ほど苦しんだ善住坊は、9月10日に息をひきとったという事です。
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戦国・安土~信長の時代」カテゴリの記事

コメント

茶々様、こんにちは。

けっこう、有名な事件ですね。
信長の素晴らしい形勢判断が絶賛されるエピソードです。
ノコギリ挽は、あの時代なら、止むを得ないのではないでしょうか。
現代でも、凶悪殺人事件の遺族は同じ気持ちだと、思いますよ。
山口県光市母子殺人事件とかね。

投稿: | 2013年5月19日 (日) 14時58分

黄金の日々での川谷さんが忘れられませんね~

確かに、ノコギリ挽は、江戸時代になってもあった刑罰ですので、残酷と言えど止むを得ないですが、今回の場合は、戦時下だし、未遂だしで、ちょっと重いかな?と個人的には思っちゃいます。
ただ、一方で、明日をも知れぬ戦国ですから、今後の防御策としては効果ありですね。

投稿: 茶々 | 2013年5月19日 (日) 18時50分

>黄金の日々

良かったですねぇ。
呂宋助左衛門と善住坊と五右衛門をあんな風に描いちゃうってのはすごい。

黄金の日々と真田太平記は語ればきりがなしですね。

投稿: しまだ | 2013年5月19日 (日) 23時04分

正式な題名は「黄金の日日」なんですね。

今井宗薫(兼久)や津田宗及の憎たらしい演技もまた乙でした。

投稿: しまだ | 2013年5月19日 (日) 23時07分

茶々さまこんばんは(*^_^*)

この冬、NHKオンデマンドで
「黄金の日日」を全部見ました。
子どもの頃にリアルタイムで見たときは
途中からだったので、満足でした。

川谷さんの演技はホントに印象強いですね。
のこぎり引き、正視できませんでした。

私は、緒方拳さん演じる秀吉の
”白”から”黒”への変貌ぶりが
すさまじいと思いました>^_^<

投稿: hana-mie | 2013年5月20日 (月) 00時03分

しまださん、こんばんは~

>黄金の日日

そうだったんですか!
知りませんでした(*´v゚*)ゞ

五右衛門の根津さんがかっこよかったです!

投稿: 茶々 | 2013年5月20日 (月) 00時53分

hana-mieさん、こんばんは~

私は、リアルタイムで見たままですので、ストーリー的な記憶がものすご~く曖昧なのですが、ワクワクしながら見てた感はよく覚えています。

投稿: 茶々 | 2013年5月20日 (月) 00時55分

茶々さん、こんばんは〜
o(^-^)o

今回の記事を読ませて頂き、もしかして、もしかすると「黄金の日日」で川谷さんが演じた、あの方の事では?と思って、コメント欄を見たら…やっぱり!あの方でした!

歴史的に、あまりメジャーな方ではなかったと思うのですが、今でも強く記憶に残っているのは、やはり川谷さんの味わい深い演技の賜物でしょうか(^O^)

呂宋助左衛門、石川五右衛門、そして善住坊の三人組、大大大好きでした!!!

特に、三人でフィリピンの島に流れつき、現地の方々と交流するシーン、 大河史上初めての海外ロケだったんですよね!
とにかく斬新で、茶々さん同様、毎週ワクワクしながらテレビにかじりついていたのを覚えています(^O^)/

でも、本当に三人でフィリピンに渡ったのでしょうか?単なるフィクションなのか?それとも、多少なりとも伝説か資料が残っているのか?気になります???

それにしても、善住坊さんは信長に、五右衛門さんは秀吉に…いずれも、時の権力者にたてついて惨殺されていますね(>_<)

終わりに近づくにつれ、観るのが少し辛くなったのを覚えています(>_<)

確か前年に「花神」を放送しており、私にとってあの頃が、大河ドラマの「黄金の日日」だったような気がします(^O^)

すみません、つい興奮してしまいましたm(__)

投稿: 伊集院みちこ | 2013年5月21日 (火) 02時46分

伊集院みちこさん、こんばんは~

呂宋助左衛門は、貿易商なので、武士のように細かな逸話は、ほとんど残っていませんが、「フィリピンに行って貿易を行い巨万の富を得た」という事は確かなようです。

以前、堺を散策した時のページに写真をupした大安寺の本堂>>が助左衛門の邸宅の一部だそうですヨ!

投稿: 茶々 | 2013年5月21日 (火) 14時13分

「黄金の日日」に出た刑罰は、残酷でしたね。

投稿: やぶひび | 2013年5月23日 (木) 08時03分

やぶひびさん、こんにちは~

そうですね。。
でも、ドラマの中で重要人物として登場させている以上、その最期の場面をちゃんと描く事は大切だと思います。

投稿: 茶々 | 2013年5月23日 (木) 13時45分

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