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2015年8月16日 (日)

関ヶ原~福束城攻防戦

慶長五年(1600年)8月16日、関ヶ原の戦いで東軍についた市橋長勝徳永寿昌が、西軍についた丸毛兼利福束城を落としました。

・・・・・・・・・

ご存じの関ヶ原の戦い・・・

豊臣秀吉(とよとみひでよし)亡き後に表面化した家臣団の亀裂(3月4日参照>>)を利用して、その分裂具合を広げようとする徳川家康(とくがわいえやす)が、会津上杉景勝(うえすぎかげかつ)「謀反の疑いあり」として(4月1日参照>>)諸将を率いて会津征伐に出発・・・

そのスキに、留守となった伏見城石田三成(いしだみつなり)が攻撃(8月1日参照>>)した事を知った家康は、小山評定(おやまひょうじょう)(7月25日参照>>)にて会津征伐を中止・・・Uターンして畿内へ戻る事を表明します。
(くわしくは【関ヶ原の合戦の年表】からどうぞ>>)

その評定の席で、ノリノリで東軍参戦を表明した福島正則(ふくしままさのり)は、池田輝政(てるまさ)ともに先鋒を任され、一足先に西へと向かい、8月11日には、自らの居城である清州城(きよすじょう=愛知県清須市)へと入りました。

ご存じのように、この清州城は、もともとは、あの織田信長(おだのぶなが)が居た尾張(おわり=愛知県西部)の城ですが、今回の場合、敵=西軍の拠点となる大垣城(おおがきじょう=岐阜県大垣市)岐阜城(ぎふじょう=岐阜県岐阜市)にも近い事から、おそらくはここが東軍の最前線基地となるべき場所・・・

続々と東軍の諸将が集まり、8月にはほぼ全軍が集結し、あとは御大=家康の到着を待つばかり・・・と、ちょっとその前に・・・

Sekigaharafukutukazyoucc
 ↑クリックしていただくと大きいサイズで開きます
(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

正則は、家康の到着を待つ間に今尾城(いまおじょう=岐阜県海津市平田町)市橋長勝(いちはしながかつ)松ノ木城(岐阜県海津市海津町)徳永寿昌(とくながながまさ)周辺の平定を命じました。

・・・と言うのも、今回、かの岐阜城にいる信長の嫡孫=織田秀信(おだひでのぶ=清州会議(6月27日参照>>)で後継者となった三法師です)が西軍についた事から、ここらあたりの武将の多くが西軍についてしまったわけで・・・

逆に、家康の会津征伐に同行していた事から、今回は東軍参戦となった市橋長勝と徳永寿昌の所領は、その留守の間に、西軍での参戦を表明した福束城(ふくつかじょう=岐阜県安八郡)丸毛兼利(まるもかねと)らに囲まれる状況になってしまっていたのです。

そこで市橋長勝と徳永寿昌は、まずは近隣のよしみとして、丸毛兼利に「東軍に来ないか?」と誘いをかけますが、兼利は、「一旦、西軍参戦を表明した以上、寝返りはできひん!」と拒否・・・

現在は揖斐川(いびがわ)の流れが変わってしまったため、城跡は水没してしまったようで、その正確な位置がわからなくなっている福束城ですが、当時の記録によると、水門川(すいもんがわ)牧田川(まきたがわ)相川(あいかわ)大榑川(おおくれがわ)が合流して揖斐川に注ぐ位置に城があり、大垣から伊勢湾へと通じる水運の要となる港も整備されていたとの事・・・

いざ!合戦となれば、武器や兵糧の輸送なども含め、この場所は、是非とも抑えておきたい場所なわけで・・・

かくして慶長五年(1600年)8月16日朝、市橋長勝と徳永寿昌は、福島正則配下の横井時泰(よこいときやす)とともに、福束城への攻撃を開始したのです。

これを知った西軍側は、伊藤盛正(いとうもりまさ)武光忠棟(たけみつただむね)3000余騎を援軍として福束城へ派遣・・・

丸毛兼利は、城に籠らず撃って出る事にしたため、両者は大榑川を挟んで布陣し、しばらくの睨みあい・・・

しかし、川幅が広く、両者ともが容易に渡れないため、睨みあったまま時間が過ぎ、やがて日も暮れ・・・

あたりがすっかり闇につつまれた頃・・・市橋長勝は、密かに別働隊を上流へと向かわせ、上流で川を渡った後、敵の背後=北東に位置する楡俣村へと向かわせ、タイミングを見計らって村に火を放ちました。

炎が上がると同時に、本隊も渡河して夜襲をかけると、挟み撃ちとなった西軍は総崩れとなり、援軍の多くは大垣城へと敗走し、丸毛隊も福束城へ敗走・・・

城に戻った丸毛兼利は、籠城して戦おうと考えますが、もはや兵の数が何ともならない状況に・・・やむなく城を捨て、兼利自身も大垣城へと逃走したのでした。

こうして、その日のうちに開城となった福束城・・・この後、東軍は、南美濃を制圧(8月19日参照>>)し、木曽川を渡り(8月22日参照>>)・・・と、徐々に運命の関ヶ原へと近づいていく事になります。
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コメント

久しぶりに書き込みます!(以前とは名前が違うかも?)

今回の話も楽しませて頂きました。関ヶ原の戦いというとどうしても大きな戦いにばかり注目がいきますが、そこに至るまでに今回のような地味(失礼!)な戦いを積み重ねていくものだと改めて思い知りました。世間にはあまりしられなくても、その場その場の人達は必死なんですね。

毎日暑い日が続きますが、健康に留意してこれからも頑張ってください!

投稿: へいたろう | 2015年8月19日 (水) 23時03分

へいたろうさん、こんばんは~

関ヶ原の戦いは、そこに至るまででも戦国武将それぞれのドラマがありますよね~

へいたろうさんも、暑さに負けないようご自愛くださいませm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2015年8月20日 (木) 02時48分

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