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2016年3月 3日 (木)

信長の父ちゃん~織田信秀

天文二十年(1551年)3月3日、織田信長の父で清州城の三奉行の一人として活躍した織田信秀が、尾張末森城(すえもりじょう=愛知県名古屋市)で病死しました。

・・・・・・・・・・・

織田信長(おだのぶなが)があまりにも有名で、どうしても、小説やドラマでは「信長の父ちゃん」の扱い織田信秀(おだのぶひで)ですが、

実は、家督を継いでからの信長の前代未聞の飛躍のおおもとには、お父ちゃんの基礎工事にあり・・・信秀の地盤なくしては、息子=信長の看板(名声)もカバン(資金)も無かったかも知れないくらいのスゴイ父ちゃんなのです。

そもそもは、源平争乱の時代の平親真(たいらのちかざね=平資盛>>の遺児)にはじまるとされる織田家ですが、そこらへんは謎が多く曖昧・・・

はっきりしているのは、室町時代に尾張(おわり=愛知県西部)守護(知事)である斯波(しば)の家臣として歴史に登場した頃からで、やがては織田家の中から、斯波氏の重臣となる者や守護代(副知事)を任される者も登場して、いわゆる戦国時代となってからは、主家をしのぐほどの勢いとなっていくのですが・・・

そんな中、守護代の織田達勝(たつかつ)の居城であった清州城(きよすじょう=清須市)における清州三奉行の一人だったのが織田信定(おだのぶさだ=信貞)で、この信定から、奉行職もろとも家督を継いだ息子が信秀というワケです。

ちなみに、この信定さんのお父さん(つまり信長の曽祖父)織田良信(すけのぶ・ながのぶ)三奉行の一家である織田家(織田弾正忠家)の祖という事ですが、この方の史料が少なく謎です。

とにもかくにも、大永七年(1527年)に17歳で家督を譲られた信秀が、23歳となった天文元年(1532年)に今川氏豊(いまがわうじとよ=今川義元の弟)の居城=那古野城(なごやじょう=名古屋市中区:名古屋城)を奪ったのを皮切りに、

天文九年(1540年)には、三河(みかわ=愛知県東部)松平清康(まつだいらきよやす=徳川家康の祖父)が亡くなったドサクサを突いて三河安祥城(あんしょうじょう=愛知県安城市)を奪取し、

天文十一年(1542年)には、その松平を支援する今川義元(よしもと)小豆坂(あずきざか)の戦い(9月19日の冒頭部分参照>>)で、見事勝利しています。

その一方で、天文十三年(1544年)には隣国=美濃(みの=岐阜県)にも侵攻・・・あの斎藤道三(さいとうどうさん)井ノ口の戦(9月23日参照>>)でぶつかっています。

しかも、この間には、その勢力拡大を見せつけるかのように、古渡城(ふるわたりじょう=名古屋市中区)末森城を構築する一方で、朝廷に献金を行って冠位を貰ったり、室町幕府の第13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)拝謁したり、神社仏閣に多額の寄付をしたり・・・と、まるで織田家の代表を務めるかのように勢いを増していくのです。

いかにして、そんな大盤振る舞いができたのか?

実は、信秀が父=信定とともにいた頃の拠点は、勝幡城(しょばたじょう=愛知県愛西市)だったのですが、このあたりは津島神社(愛知県津島市)門前町として栄えていた場所であり、鎌倉の昔から、木曽三川を渡って尾張と伊勢を結ぶ津島湊として流通の要所でもあったのです。

つまり信定の時代に、この地を掌握する事に成功していた事で、信秀には、多額の献金をもろともしない経済力が、すでにあったのですね~まさに、未来の信長を見るようです。

とは言え、そんな中でも、信秀が、どうしても勝てなかったのが美濃のマムシこと道三・・・先の井ノ口の戦いに続いて、天文十六年(1547年)の加納口の戦い(9月22日参照>>)にも敗れ・・・

さらに、ここに来て、そんな信秀の台頭を横目で見ていた同族にも不穏な動き(1月17日参照>>)・・・そう、なんたって、まだ尾張一国が一つになってはいませんからね。

もちろん、しょっぱなの今川とのイザコザも継続中のまんまですから・・・なんせ、加納口と同じ年の天文十六年(1547年)8月には、今川へ送られるはずの松平からの人質=竹千代(たけちよ=徳川家康)を、織田は奪っちゃってますし(8月2日参照>>)・・・

で、信秀さん・・・とりあえずここで、負けが混んじゃってる道三とは一時休戦をする事に・・・

その証となったのが、天文十八年(1549年)の、信秀の嫡男=信長と、道三の娘=濃姫(のうひめ=帰蝶)(2月24日参照>>)との結婚だったわけです。

この年の11月には、今川の太原雪斎(たいげんせっさい・崇孚)安祥城を攻められたあげくに、城を守っていた長男の織田信広(のぶひろ・信弘)をも奪われてしまい(11月6日参照>>)、かの竹千代との人質交換に持ち込まれたりもしますが、

男・信秀、未だ40歳の働き盛り・・・まだまだ更なる高みを目指してまい進する夢を持っていた事でしょう。

しかし、その最期はあっけなく・・・その安祥城の戦いから、わずか2年の天文二十年(1551年)3月3日信秀は流行り病にかかって、その人生を終えるのです。

享年42歳・・・それこそ、経済力にモノを言わせて、様々な祈祷や、ありとあらゆる治療をほどこしても、あらがいきれない死でした。

信秀が生前に建立した万松寺(ばんしょうじ=名古屋市)なるお寺にて執行された葬儀は、街道を行き来する修行僧を含めて約300人の僧が参会する盛大な物でしたが・・・そう、ここで有名な、あのシーンです。

家臣や参列者が居並ぶ中、礼儀正しく、キッチリとした姿で控える弟=信行(のぶゆき)に対して、太刀と脇差を荒縄で腰に結んで袴もはかず、
Nobunagabirthdaycc 茶筅髷に髪を結った非礼な恰好(こんなイメージ?→
以前、描かせていただいたイラストです)
の信長は、仏前に出ると、やにわに抹香(まっこう=粉末状の香)をわしづかみにし、カッと仏前へと投げ、そのまま帰ってしまいます。

一方の信行が、折り目正しく、礼に叶った作法であった事から、周囲にいた人々からは「大うつけ」との声があがりますが、ただ一人・・・筑紫(つくし=福岡県中西部)から来た旅の僧だけが、
「あの方は、スゴイ大名になる!」
と言ったとか・・・

ひょっとしたら、その筑紫の僧のように、我が息子の、うつけの中に潜む大器を見抜いていたかも知れない信秀さん・・・後に信長が、天下に手が届くまでの大出世を遂げるのは、そんな父の経済力と強さを、真横で見て来たからこそ!なのかも知れませんね。
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戦国・群雄割拠の時代」カテゴリの記事

コメント

児童書・信長の伝記を読んで、
お父さんの葬儀のシーンが印象的でしたね。
そのために、爺が自殺していさめたとありましたが。もう少し長生きしたら、歴史が変わったかもしれませんね。
信秀の菩提寺の騒動は、ちょっと残念な気も
します。今は工事中だそうです。

投稿: やぶひび | 2016年3月 3日 (木) 14時33分

やぶひびさん、こんばんは~

『信長公記』では、この信秀の病死のすぐあとに平手政秀の自刃の話が出て来るんですが、そこには、平手の息子と信長とのトラブルの事が書かれていて、個人的には政秀の死は、その責任をとったのなか?という気がしないでも無いです。

私としては、平手さんにも、信長の中にただのうつけではない=秘めたる英傑ぶりを見抜いていて欲しい気がするので…あくまで希望ですが

投稿: 茶々 | 2016年3月 4日 (金) 03時20分

こんばんは、茶々さん。
私の先祖が信行ですが、その父は信秀なので私の先祖です。
織田に関しては確実に言えるのは越前の織田荘出身なのと剣神社の神主でした。どうも将門純友の乱で活躍した藤原利仁将軍の子孫みたいだと伯父から聞きました。平家の方は多分血が薄いと思います。
ところで信秀の性格は信長が似ているのも頷けます。どうも信行は私と同じく神経質です。それで家の方が家臣になったのかなと思いました。
妹は信秀の血があるようですが、私はどちらかと言いますと土田御前の血が濃いみたいです。

投稿: non | 2016年3月 4日 (金) 20時26分

土田御前は六角の子孫みたいなので私の祖父と祖母は両方とも宇多源氏の血が入っていたのかもしれません。祖母は佐々木源氏ですが、祖父は源氏の血があると祖母が言ったのでそこかもしれないです。
でも家は源氏、藤原、平家の血があるのでどうなっているのかよく分かりません。信行自身がそう言う血があるので・・・

投稿: non | 2016年3月 4日 (金) 20時36分

nonさん、こんばんは~

ウチも、水軍やら土岐氏やら中村氏やら茨木の隠れキリシタンやらで、もはやグダングダンで、血脈も薄まり放題ですワ。

戦国から400年強、それぞれ10代20代で子供を産んだなら、20人前後の方との交わりがあり、その血脈も20分の1になってしまってますから…

ウチはおそらく…
歴史好きがまわりにいないので、次世代さえにも氏素性は伝承されないと思います。
歴史好きのDNAは誰かに受け継いでもらいたいですが、思うようにつながっていかない物ですね。

投稿: 茶々 | 2016年3月 5日 (土) 02時08分

茶々さん、
考えてみますと日本人のDNAには皇室の血が入っているはずですから皆親戚と言えますね。家も藤原を辿ったら蘇我や物部も関係するし、斎藤も関係あります。複雑なのでしょう。もしかしたら茶々さんとも関係あるかもしれません。
ルーツを探るのは家は子供がいないので私で終わりです。妹に子供が出来たら別ですがそう言うのも無いので断絶するでしょう。

投稿: non | 2016年3月 5日 (土) 14時40分

nonさん、こんばんは~

「ミトコンドリア・イブ」でしたっけ?
きっと、人類皆兄弟なんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2016年3月 5日 (土) 17時51分

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