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2016年3月27日 (日)

アンケート企画「戦国エンブレム選手権!」の結果発表

お待たせしました!

本日は、最新アンケート戦国エンブレム選手権!結果報告~
ですが、まずは・・・
今回
も、投票にご協力いただいた皆様、ありがとうございましたo(_ _)o

今回も、なんと152件のご回答と57件のコメントをいただき、大盛況のアンケートとなりました。

また、皆様、画像をじっくり眺めながら考えて下さったようで、いつもより「その他」が少ないばかりか、「色を見比べて…」的なニュアンスのコメントなんぞもいただき、必死のパッチで絵を描いた甲斐があったというもの・・・
しかも、0票の項目も無かったという事でうれしい限りでありますヽ(´▽`)/
ホント、選択肢を考えた苦労が報われました~ありがたいです!

・・・てな事で結果発表と参ります。

改めて投票募集のページをご覧になりたいかたはコチラからどうぞ>>(別窓で開きます)

・‥…━━━☆ジャ~

1位
24票
武田信玄風林火山
いやはや、まさに…川中島の一騎打ちを見るようです!
2位
23票
上杉謙信刀八毘沙門旗
何たって1票の僅差!やはり両巨頭は強かったヽ(´▽`)/
3位
17票
伊達政宗紺地に金丸
シンプルなのに第3位!紺地に金という色選びのセンスの良さに伊達男の本領発揮ですね。
4位
11票
石田三成大一大吉大万
one for all all for one=一人はみんなのために、みんなは一人のために頑張れば、みんなが幸せ(吉になれ~る…この文字の意味に共感された方が多かったようです。
5位
10票
徳川家康厭欣流れ旗
明智光秀水色桔梗
今年の大河「真田丸」にて家康の後ろで時々映る旗、そして、他に見られない爽やかな水色の旗…そのカッコ良さに同率の5位です。
7位
6票
真田幸村(信繁)六連銭
加藤清正題目軍旗
真っ赤な真田の六連銭は、やはり大河の威力?、そして、デザインの見事さに惚れる清正の題目軍旗です。
9位
5票
島津義弘黒地に毛筆十
今川義元二引両五七桐
どちらも白黒ハッキリした戦国武将らしいカッコイイ旗ですね~
11位
4票
織田信長白地に永楽銭
北条氏康三つ鱗
毛利輝元柿地長門三つ星
「三つ鱗」と聞くと、最近はちびまるこちゃんの♪ミツウ~ロ~コ~♪という歌声が頭に流れて来る茶々です(*´v゚*)ゞ
14位
3票
細川忠興白地に九曜紋
宇喜多秀家紺地に児文字
大谷吉継紺地に石餅
黒田長政黒地胴白
ちょっと少なめの3票でしたが、どれもカッコイイんで、投票される方も悩まれた事でしょうね。
18位
2票
豊臣秀吉総金切裂
長宗我部元親地黄に石餅
武田勝頼諏訪明神
井伊直孝八幡菩薩
残念ながら2票ではありましたが、やっぱり、これらもカッコイイです。
その他 3票:下記のコメントでご確認を…

と、このような結果となりましたが、実は、描いた絵に関してチョコッと\( . . ) ハンセイの部分が・・・コメントのご指摘にもあったんですが、豊臣秀吉の『総金切裂』が「定規に見える」ってとこです。(…て事でもっかい参考画像も貼っときます↓)

参考画像↓はクリックにて別窓で大きく開きます
Gunkia1200

と・・・確かに、自分でも定規に見えます(笑)~一応、色は「金色」のカラーコードにはしたんですが光った感じは出てなかったし、風になびくとカッコイイ切裂の一推し部分が全然描けて無いなぁ~と反省しきり(´・ω・`)です。

Tyuugokuoogaesi700a ひょっとして、この絵を見たために、今後、定規のイメージがついてしまってはいけないので、参考のためにも秀吉の「中国大返し」>>の時の画像を・・・(クリックで大きく開きます→)

先頭から4人目と5人目の間に描かれているのが『総金切裂』の軍旗ですが、やっぱ、たなびく感じがイイんですよね~切裂は・・・。

あと、蛇足ですが・・・
見事、第1位となった信玄さんの『風林火山』・・・コメントでも「カッコイイ」「カッコイイ」と絶賛の嵐だったんですが、そのカッコイイ旗を使用禁止にされた信濃を継ぐべき息子の勝頼さんの『諏訪明神』の旗を見ると、ホント泣けて来る・・・【信玄・最後で最大の失策~勝頼への遺言】参照>>)

勝頼さんの旗の説明に、このエピソードを入れとけば、もう少し票が取れたかな?って思うんですが、そんなお涙チョーダイ作戦でランクを上げたところで、勝頼さんは喜ばない!っと思ってやめました~実は、茶々個人としては、密かに『諏訪の旗』を推していたという事を、この場を借りて、告白させていただいときますm(_ _)m

゜。°。°。°。°。°

ではでは、続いて、投票コーナーにいただいたコメントを・・・
*いただいた順に表示「青文字」は管理人のコメントです

その他 井伊直孝が八幡菩薩なんですね初めて知りました八幡と言えば地黄八幡、北条綱成のイメージです
「ブログ方にもコメントをいただき、そこに『地黄八幡』を候補に入れなかった理由を書いてますので、募集ページ>>をご覧下さいませ」
真田幸村 流行りではなく、アート性を感じます!戦場で見ると三途の川に引き込まれそうな、そんな迫力も感じます!(30歳代/男性/香川)
「死を覚悟の六連銭がイイですね~」
武田信玄 疾きこと風の如く、徐かなること林の如し、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し…山梨県出身者はやっぱコレでしょう。(50歳代/男性/埼玉)
「見事1位でした~旗に関しては謙信に勝利ですね」
伊達政宗 一票に絞るのは難しい!!カッコ悪いと思うものを選べ!では駄目ですか?(70歳代/男性/茨城)
「ホント、全部カッコイイですよね~(*´v゚*)
徳川家康 浄土は死後の世界でなくて、地上にというのはなかなか(40歳代/男性/東京)
「思いがこもってますね
武田信玄 ストレートにかっこいいから。(40歳代/男性/千葉)
「やはり1位でした
上杉謙信 テレビの記憶でしょうか。(60歳代/男性/大阪)
「『天と地と』ですか?石坂さんステキでした
島津義弘 シンプルかつ力強い。格好いい!(30歳代/男性/東京)
「独特の毛筆が良いですね」
明智光秀 色の美しさからすると水色桔梗でしょう。(50歳代/男性/奈良)
「他の旗の色とは違う感じが漂ってます」
上杉謙信 見た目、かっこいいです。絵になるような気がします。(50歳代/女性/栃木)
「四半という短い形が絵になりますね」
上杉謙信 「スッキリ爽やか」に、「強さ」をプラス!(50歳代/女性/奈良)
「毘沙門天のイメージですね
細川忠興 武将の名前を見ずにデザインだけで決めてみました。判っちゃう人もいましたが、これが一番エレガント(30歳代/女性/千葉)
「シンメトリーの美しさがある気がします
伊達政宗 スィンプルなのがいい。さすが伊達って感じです。(30歳代/男性/佐賀)
「やっぱ伊達男ですね~」
上杉謙信 迷いましたが、やはりコレ!(50歳代/女性/東京)
「やっぱ迷いますよね~」
その他 柴田勝政の軍旗(名称不明)に一票(20歳代/男性/大阪)
「現代アートのような色使いですね~選択肢に入れずに、すみませんでした」
石田三成 軍旗に書いてある理念に共感するので。(30歳代/男性/香川)
「みんな幸せ…ですね」
上杉謙信 軍旗は力強さ&明瞭さが一番
「戦場でも、この文字ならよく見えると思います」
明智光秀 水色桔梗に一票。爽やかな色目がいいですね?。(女性/愛知)
「色が別格ですからね~」
徳川家康 パッと見ね、庶民の味方っポイ実用面だとこれ目立たないだろうな?(30歳代/男性/東京)
「字が難しいですからね~」
加藤清正 ホント、アートっぽくてオシャレ。19の鳩も捨てがたいですが。2は、竹の定規にしか見えない…。(40歳代/女性/埼玉)
「このまま定規のイメージだといけないので、秀吉のは上記の「中国大返し」の画像で確認してみて下さい(*´v゚*)ゞ
細川忠興 九曜という星(内2つは架空)が、神秘的で格好良く見えるから(笑)。(40歳代/女性/兵庫)
「家紋がカッコイイのは得な感じもします…ただ、大体の家紋はカッコイイですが
北条氏康 シンプルでオシャレなので。(40歳代/女性/京都)
「代々の北条氏の旗で、色も様々あるようですが、今回は氏康さんのこの色にしてみました」
石田三成 軍旗といえば、みつなり〜。スローガンをセンス良く掲げている(30歳代/男性/愛知)
「三成はコンパクトにスローガンを掲げてますね」
武田信玄 また瀬田の唐橋に掲げてほしい。(20歳代/男性/神奈川)
「京を制する者は天下を制する…信玄の夢ですね(*^-^)」
黒田長政 地元民の贔屓目かもしれませんが(笑)、シンプルでカッコいいから!!です。たくさん並ぶと、何か強そうに感じるというか(;´∀`)(30歳代/女性/福岡)
「シンプルなところが逆にカッコイイんです
上杉謙信 信長が一番好きだけど、毘の軍旗がはためく様を想像して心が踊らないわけがない(20歳代/男性/大阪)
「そうですね。心踊りますね~」
明智光秀 祖先が明智家の家来(福知山城で敗戦)で丹後へ逃亡。とりあえず光秀公ファン。(70歳代/男性/大阪)
「おぉ、福知山から丹後へ…ですか」
武田信玄 「人は石垣 人は城」を島津家も至題としていたという案内を、鹿児島を訪ねたとき見た記憶があります。攻めて、強かったから言えたのではと思います。(60歳代/男性/東京)
「信玄は、あえて大きな城郭を構築しなかったですね
武田信玄 戦闘時のプレゼンとしての内容を完備した唯一の軍旗。見方を鼓舞し、敵を威嚇出来る。(60歳代/男性/埼玉)
「武将の信念が見えて来ますもんね~」
上杉謙信 我が家の武田菱なので「風林火山」も好き、真田幸村の「六文銭」に込められたメッセージがカッコイイ、明智光秀の「水色桔梗」もいいし・・・でもやっぱり、戦国武将で最も好きな上杉謙信の「毘沙門天」が一番か(60歳代/男性/兵庫)
「毘沙門天という仏様もステキですもんね」
加藤清正 他に無い、斜めを使った点が斬新。これと秀吉のは、発想が常識の一歩外側に有る。(30歳代/男性/東京)
「確かに、その通りですね
宇喜多秀家 この漢字がカッコいい(40歳代/男性/福井)
「文字のアレンジ感がカッコイイですね」
加藤清正 ヒゲ題目のアート感とモノトーンがシンプルかつかっこいいですね(30歳代/女性/東京)
「斜めと文字の配置もベストな配置ですよね
武田信玄 旗と言われてすぐに思い浮かぶのがこれ。(40歳代/女性/愛知)
「やはり1番ですね」
伊達政宗 シンプルでありながら、色使いにセンスを感じる。(60歳代/女性/【海外】)
「メリハリのある色使いです
今川義元 純粋にデザインだけでは抜群に良い(30歳代/男性/石川)
「二引両と桐紋の配置が良いです」
黒田長政 シンプルでいいいいいいいいいいい
「やっぱりSimple is Bestですよね?
徳川家康 大河ドラマでその旗を見て、かっけえ!と思ったから。一目ぼれ?
「内野さんの後方に見え隠れしてる時、ありますよね(゚▽゚*)
武田信玄 絵になる。(50歳代/女性/栃木)
「確かに…」
石田三成 結果的にいろいろな思いを想像してしまう幟旗なだけに思いを含めての投票です(40歳代/男性/【海外】)
「やはり、そのメッセージ性ですか?」
その他 秀吉の瓢箪の旗差しがあったような気がします。(50歳代/女性/神奈川)
「『金の逆さ大瓢箪』は馬印ですね。上にある「中国大返し」の画像で確認してみてください。先頭の秀吉の横にいる兵士が持ってます…今度、馬印でも投票やってみたいですね~あと、残念ながら、千成瓢箪は今のところ使途不明なんだそうです(船印かも?)」
上杉謙信 気合が一番入っていそうです。なんてったって毘沙門天の化身ですもの(30歳代/男性/福岡)
「化身ですからね~」
石田三成 「粋」「個性的」「文字に意味」(60歳代/男性/長野)
「やはり文字の意味は重要ですね」
武田信玄 カッコいい!(30歳代/女性/兵庫)
「やはり、旗と言えば…って感じですかね?」
武田信玄 なんと言っても風林火山!NHK大河、内野聖陽さんの冒頭のナレーションが未だ印象鮮烈です(^ァ^)(50歳代/男性/千葉)
「今年の内野さんは家康ですよ~」
北条氏康 武将の好き嫌いを除けば、神奈川県で今でも色々な所で見かける三つ鱗が好きかな(30歳代/男性/神奈川)
「やっぱり、地元ではよく見かけるのですね
長宗我部元親 なんか一番目立つんじゃ?(10歳代/女性/愛知)
「確かに…このハッキリした黄色というのも目立ちますね」
真田幸村 いつもなら地元のあの武将に投票するところですが、大河のせいで脳に刷り込まれてて(笑)(40歳代/女性/高知)
「オープニング…カッコイイですよね~」
徳川家康 デザイン的には風林火山か六文銭ですが、内容で選びました。(30歳代/男性)
「スローガンですね」
徳川家康 名古屋城を本拠とする「名古屋おもてなし武将隊の徳川家康さま」のファンなので一票投じさせていただきました。(40歳代/女性/兵庫)
「おもてなし武将隊は人気ありますね~」
真田幸村 今年の大河のOPの真田の赤備え…、凄過ぎて頭から離れない。毎週楽しみに拝見。今から大阪の陣が楽しみでならない。(40歳代/男性/兵庫)
「私も、今から大坂の陣が楽しみでたまらないです~
明智光秀 他が皆濃い色の中戦場でも鮮やかに映えたであろう水色を選んだセンスがいい。(30歳代/男性/東京)
「爽やか系の色が目立ちます」
細川忠興 細川ガラシャ夫人のファンなので、旦那様に1票。本日25日、BS?TBSで、細川ガラシャの番組やっているのも、御縁かもね。(50歳代/女性/東京)
「ちりぬべき…ですね(;д;)」
石田三成 この軍旗は格好いいですね。何故か好きです。(30歳代/男性/愛知)
「意味を知るとよけいに良いですね
ここからは ブログコメントからの投票です
(コメントの内容はアンケート募集のページでご確認くださいm(_ _)m)
毛利輝元 つらまえさん
明智光秀 nonさん

・‥…━━━☆

以上、
たくさんの投票、ならびに、楽しいコメントをありがとうございました~

これからも、不定期ではありますが、オモシロイ投票のお題を思いつきましたら、投票コーナーを設けてみたいと思いますので、その時は、ぜひぜひご協力いただけますよう、よろしくお願いします。
 .

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2016年3月19日 (土)

徳川譜代の雅楽頭~酒井忠世の失敗

寛永十三年(1636年)3月19日、徳川家康に仕えて、江戸時代初期に老中大老を務めた酒井忠世がこの世を去りました。

・・・・・・・・・・・

徳川譜代の家臣として若き日の徳川家康(とくがわいえやす)に仕えた酒井重忠(さかいしげただ)の息子として三河西尾城(にしおじょう=愛知県西尾市)に生まれた酒井忠世(さかいただよ)は、幼くして家康に仕えました・・・ちなみに、家康と父=重忠が同世代で、忠世は、家康とは30歳くらいの歳の差があります。

やがて天正一八年(1590年)に家康の嫡子である徳川秀忠(ひでただ)豊臣秀吉(とよとみひでよし)に謁見するために上洛する時に、そのお供を命じられた事をキッカケに秀忠付きの家臣となり、その家老にまで抜擢されました。

家康が関東に入った時には、父の重忠とは別に武蔵国川越(埼玉県川越市)5000石を与えられ、川越城主となりました。

以来、秀忠に付き従い、大戦では度々留守居役を任される父に代わるように、忠世は、秀吉の朝鮮出兵(3月17日参照>>)でも九州・名護屋まで赴き、慶長5年(1600年)6月の会津征伐(7月25日参照>>)や、それに続く第二次上田合戦(9月7日参照>>)にも出陣しています。

やがて慶長十二年(1607年)、完成した駿府城(すんぷじょう=静岡県静岡市)のお祝いに、秀忠の名代として参加した際に、家康から「雅楽頭(うたのかみ)を名乗るように命じられ、以後、忠世の酒井家は『雅楽頭家(うたのかみけ)と呼ばれ、代々続いていく事になるのです。

その後も、大坂の陣で秀忠の旗本を務めた後、元和三年(1617年)に父の重忠が死去して遺領の厩橋(うまやばし=群馬県前橋市)3万3千石を継ぎ、合計8万5千石の領地を領するようになりました。

この頃・・・45歳前後の働き盛りの忠世は、亡き家康の後を継いだ秀忠政権の年寄衆(老中)の一人として幕政の中心を担うようになり、さらに元和九年(1623年)、秀忠の嫡子である竹千代(たけちよ)が、徳川家光(いえみつ)として将軍職を継ぐと、秀忠の命により、忠世は家光付きの年寄衆となります。

寛永十一年(1634年)3月には、家光が、子飼いの側近である松平信綱(まつだいらのぶつな)堀田正盛(ほったまさもり)三浦正次(みうらまさつぐ)阿部忠秋(あべただあき)阿部重次(あべしげつぐ)太田資宗(おおたすけむね)の6名を、日常の雑務(旗本や御家人の支配等)を行う六人衆(若年寄)とし、

一方の、幕府としての全国支配を担当する年寄衆との役割分担を明確にして年寄衆には最高の権限を与えた事から、忠世も益々のご発展・・・

と、なるはずだったのですが、人生、どこで何があるかわからない物です。

そのわずか4ヶ月後の寛永十一年(1634年)7月・・・先代の秀忠が生きていた頃にはギクシャク感満載だった後水尾天皇(ごみずのおてんのう)との関係(11月8日参照>>)を修復すべく、家光が上洛して、留守となっていた江戸城で火災が発生し、西の丸が全焼してしまうという惨事が起こります。

そうです・・・この時、留守居役を任されていたのが忠世・・・

その責任を感じた忠世は、速やかに上野寛永寺(かんえいじ=東京都台東区)に入って、自ら謹慎・・・家光からの処分を待つ事にしますが、

Kaneiji1200a
江戸時代の寛永寺(江戸名所図絵より)

意外にも、失火に関しては、家光からのお咎めは一切無し・・・しかし、逆に、速やかに寛永寺に入った事に、家光は激怒したのです。

「お前、コレ、戦国時代の合戦やったら、どうすんねん!」と・・・

城の留守を任されている重臣たる者が、出火の原因解明も、後始末もそこそこに、さっさと寺へと入ってしまった・・・
「逆に、最後まで城を守護するのが、任された者の役目ちゃうんか?」(『翁草』より)
と叱責したのだとか・・・

なるほど~言われてみれば、おっしゃる通りのような気も・・・

ただ、叱責はされたものの、酒井家はご覧の通りの重臣中の重臣・・・これまでの功績もあり、周囲の赦免嘆願もありで、この年の暮れには登城を許され、西の丸の留守居役にも復活する事ができました。

しかし、結局は年寄衆に復帰する事はなく、その権勢にはすっかり陰りが・・・と同時に、それらの事を思い悩むうち、心身ともに疲れて果ててしまったのでしょうか?
忠世は、突然の脳溢血に襲われて倒れてしまったのです。

さすがの家光も心配して、お見舞いの使者をよこしたりして気をつかいまくりでしたが、その甲斐もなく、倒れてから7日目の寛永十三年(1636年)3月19日忠世は、1度も意識を快復せぬまま、65歳の生涯を閉じたのです。

その無口な性格から『むっつり雅楽頭』というニックネームで呼ばれていたという忠世さん・・・ただ1度の失敗に、少しは弁解の口も開きたかったかも知れませんが、こればかりは、お家が存続しただけでも、ヨシとしなければならないでしょうね。

家が残ったおかげで、忠世亡き後の酒井家は、息子の忠行(ただゆき)が、すぐ後に亡くなってしまうものの、その後は嫡孫の忠清(ただきよ)が家督を継ぎ、見事、明治維新まで生き残ります。

鳥羽伏見から戊辰戦争の真っただ中を、後の最後まで徳川家を裏切らず忠誠を貫いた忠世の子孫たち・・・
そこには、徳川家譜代の家臣=雅楽頭酒井家の意地と誇りが見え隠れするようです。
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2016年3月11日 (金)

アンケート企画…「戦国エンブレム選手権!」

さて、今日は久々?のアンケート企画といきましょう!

今回のテーマは・・・
「戦国エンブレム選手権!という事で、戦国武将の中で「あなたがカッコイイと思う軍旗」に投票していただくアンケート募集にしたいと思います。

で、今回も選択肢を決めるにあたっては、武将によってデザイン違い色違いで複数あったり、あるいは、その武将が…というよりは、代々受け継いでいってるデザインなんかもあってイロイロと悩みつつも、例の如く、茶々個人の好みによる独断と偏見によって選択肢を選ばせていただいておりますので、そこのところは、ご理解下さいませm(_ _)m

また、いつものように「その他」の項目も設けておりますが、今回のくくり『軍旗』という事でお願いしたいと思います。

たとえば・・・
私個人的には北条綱成(ほうじょうつなしげ・つななり)『地黄八幡(じおうはちまん)(5月6日参照>>)なんかも推したいところなんですが、残念ながら、一応アレは『旗指物(はたさしもの)に分類されるそうで、「今回はアウト」という事に・・・厳しいですが、

なんせ、ただでさえ多くのカッコイイ軍旗がある中、指物や馬印などもOKにしてしまうと種類が多過ぎてややこしい事になりそうなので、今回は、あくまで「軍団を表す幟旗(のぼりばた)の類に限定させていただきたいと思います。
指物についてはコチラの真ん中あたり参照>>)

また、「好きな武将に1票」という気持ちも山々ではありますが、今回は「軍旗のデザインの好み」での選出にて、清き1票をよろしくお願いしますデス!・・・もちろんその他のご意見もお待ちしております。

参考画像↓はクリックにて別窓で大きく開きます
Gunkia1200

  1. 石田三成大一大吉大万
    白地大一大吉大万を一文字風に
  2. 豊臣秀吉総金切裂
    金の切裂きが風にたなびく~
  3. 織田信長白地に永楽銭
    白地に永楽通宝
  4. 武田信玄風林火山
    ご存じ!紫紺に「疾き事風の如く…」
  5. 長宗我部元親地黄に石餅
    黄色地に黒い丸三つ
  6. 島津義弘黒地に毛筆十
    黒地に筆書きの十の文字
  7. 真田幸村(信繁)六連銭
    六文銭と言うよりも一文銭が6つで六連銭
  8. 北条氏康三つ鱗
    柿色に三角三つで三つ鱗
  9. 今川義元二引両五七桐
    足利の血を引く「二つ引」に桐
  10. 徳川家康厭欣流れ旗
    白地に「厭離穢土欣求浄土」
  11. 武田勝頼諏訪明神
    「南無諏方南宮法性上下大明神」
  12. 細川忠興白地に九曜紋
    白地に黒で細川の九曜紋
  13. 宇喜多秀家紺地に児文字
    紺地に白でが一文字
  14. 大谷吉継紺地に石餅
    紺地に白い丸三つ
  15. 黒田長政黒地胴白
    黒地に真ん中が白…Simple is Best
  16. 毛利輝元柿地長門三つ星
    柿色に毛利の家紋(一文字三つ星とも)
  17. 伊達政宗紺地に金丸
    紺地に金の丸一つ
  18. 明智光秀水色桔梗
    ご存じ!本能寺にたなびく水色桔梗
  19. 井伊直孝八幡菩薩
    八の文字が向かい合う親子の鳩になってます
  20. 加藤清正題目軍旗
    アートっぽい「南無妙法蓮華経」
  21. 上杉謙信刀八毘沙門旗
    ご存じ!毘沙門天でおます
  22. その他
    「やっぱ、コレでしょう」「アレ忘れてまっせ」というのがありましたらお知らせください
      

・‥…━━━☆

勝手ながら、このアンケートは3月25日に締め切りとさせていただきました。

このアンケートの投票結果&いただいたコメントは、コチラのページ>>でどうぞm(_ _)m

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2016年3月 3日 (木)

信長の父ちゃん~織田信秀

天文二十年(1551年)3月3日、織田信長の父で清州城の三奉行の一人として活躍した織田信秀が、尾張末森城(すえもりじょう=愛知県名古屋市)で病死しました。

・・・・・・・・・・・

織田信長(おだのぶなが)があまりにも有名で、どうしても、小説やドラマでは「信長の父ちゃん」の扱い織田信秀(おだのぶひで)ですが、

実は、家督を継いでからの信長の前代未聞の飛躍のおおもとには、お父ちゃんの基礎工事にあり・・・信秀の地盤なくしては、息子=信長の看板(名声)もカバン(資金)も無かったかも知れないくらいのスゴイ父ちゃんなのです。

そもそもは、源平争乱の時代の平親真(たいらのちかざね=平資盛>>の遺児)にはじまるとされる織田家ですが、そこらへんは謎が多く曖昧・・・

はっきりしているのは、室町時代に尾張(おわり=愛知県西部)守護(知事)である斯波(しば)の家臣として歴史に登場した頃からで、やがては織田家の中から、斯波氏の重臣となる者や守護代(副知事)を任される者も登場して、いわゆる戦国時代となってからは、主家をしのぐほどの勢いとなっていくのですが・・・

そんな中、守護代の織田達勝(たつかつ)の居城であった清州城(きよすじょう=清須市)における清州三奉行の一人だったのが織田信定(おだのぶさだ=信貞)で、この信定から、奉行職もろとも家督を継いだ息子が信秀というワケです。

ちなみに、この信定さんのお父さん(つまり信長の曽祖父)織田良信(すけのぶ・ながのぶ)三奉行の一家である織田家(織田弾正忠家)の祖という事ですが、この方の史料が少なく謎です。

とにもかくにも、大永七年(1527年)に17歳で家督を譲られた信秀が、23歳となった天文元年(1532年)に今川氏豊(いまがわうじとよ=今川義元の弟)の居城=那古野城(なごやじょう=名古屋市中区:名古屋城)を奪ったのを皮切りに、

天文九年(1540年)には、三河(みかわ=愛知県東部)松平清康(まつだいらきよやす=徳川家康の祖父)が亡くなったドサクサを突いて三河安祥城(あんしょうじょう=愛知県安城市)を奪取し、

天文十一年(1542年)には、その松平を支援する今川義元(よしもと)小豆坂(あずきざか)の戦い(9月19日の冒頭部分参照>>)で、見事勝利しています。

その一方で、天文十三年(1544年)には隣国=美濃(みの=岐阜県)にも侵攻・・・あの斎藤道三(さいとうどうさん)井ノ口の戦(9月23日参照>>)でぶつかっています。

しかも、この間には、その勢力拡大を見せつけるかのように、古渡城(ふるわたりじょう=名古屋市中区)末森城を構築する一方で、朝廷に献金を行って冠位を貰ったり、室町幕府の第13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)拝謁したり、神社仏閣に多額の寄付をしたり・・・と、まるで織田家の代表を務めるかのように勢いを増していくのです。

いかにして、そんな大盤振る舞いができたのか?

実は、信秀が父=信定とともにいた頃の拠点は、勝幡城(しょばたじょう=愛知県愛西市)だったのですが、このあたりは津島神社(愛知県津島市)門前町として栄えていた場所であり、鎌倉の昔から、木曽三川を渡って尾張と伊勢を結ぶ津島湊として流通の要所でもあったのです。

つまり信定の時代に、この地を掌握する事に成功していた事で、信秀には、多額の献金をもろともしない経済力が、すでにあったのですね~まさに、未来の信長を見るようです。

とは言え、そんな中でも、信秀が、どうしても勝てなかったのが美濃のマムシこと道三・・・先の井ノ口の戦いに続いて、天文十六年(1547年)の加納口の戦い(9月22日参照>>)にも敗れ・・・

さらに、ここに来て、そんな信秀の台頭を横目で見ていた同族にも不穏な動き(1月17日参照>>)・・・そう、なんたって、まだ尾張一国が一つになってはいませんからね。

もちろん、しょっぱなの今川とのイザコザも継続中のまんまですから・・・なんせ、加納口と同じ年の天文十六年(1547年)8月には、今川へ送られるはずの松平からの人質=竹千代(たけちよ=徳川家康)を、織田は奪っちゃってますし(8月2日参照>>)・・・

で、信秀さん・・・とりあえずここで、負けが混んじゃってる道三とは一時休戦をする事に・・・

その証となったのが、天文十八年(1549年)の、信秀の嫡男=信長と、道三の娘=濃姫(のうひめ=帰蝶)(2月24日参照>>)との結婚だったわけです。

この年の11月には、今川の太原雪斎(たいげんせっさい・崇孚)安祥城を攻められたあげくに、城を守っていた長男の織田信広(のぶひろ・信弘)をも奪われてしまい(11月6日参照>>)、かの竹千代との人質交換に持ち込まれたりもしますが、

男・信秀、未だ40歳の働き盛り・・・まだまだ更なる高みを目指してまい進する夢を持っていた事でしょう。

しかし、その最期はあっけなく・・・その安祥城の戦いから、わずか2年の天文二十年(1551年)3月3日信秀は流行り病にかかって、その人生を終えるのです。

享年42歳・・・それこそ、経済力にモノを言わせて、様々な祈祷や、ありとあらゆる治療をほどこしても、あらがいきれない死でした。

信秀が生前に建立した万松寺(ばんしょうじ=名古屋市)なるお寺にて執行された葬儀は、街道を行き来する修行僧を含めて約300人の僧が参会する盛大な物でしたが・・・そう、ここで有名な、あのシーンです。

家臣や参列者が居並ぶ中、礼儀正しく、キッチリとした姿で控える弟=信行(のぶゆき)に対して、太刀と脇差を荒縄で腰に結んで袴もはかず、
Nobunagabirthdaycc 茶筅髷に髪を結った非礼な恰好(こんなイメージ?→
以前、描かせていただいたイラストです)
の信長は、仏前に出ると、やにわに抹香(まっこう=粉末状の香)をわしづかみにし、カッと仏前へと投げ、そのまま帰ってしまいます。

一方の信行が、折り目正しく、礼に叶った作法であった事から、周囲にいた人々からは「大うつけ」との声があがりますが、ただ一人・・・筑紫(つくし=福岡県中西部)から来た旅の僧だけが、
「あの方は、スゴイ大名になる!」
と言ったとか・・・

ひょっとしたら、その筑紫の僧のように、我が息子の、うつけの中に潜む大器を見抜いていたかも知れない信秀さん・・・後に信長が、天下に手が届くまでの大出世を遂げるのは、そんな父の経済力と強さを、真横で見て来たからこそ!なのかも知れませんね。
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