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2017年9月13日 (水)

織田信長、最愛の女性~生駒吉乃

永禄九年(1566年)9月13日、織田信長・最愛の女性で、側室として二男一女をもうけた生駒の方が39歳でこの世を去りました。

・・・・・・・・・・・

と言っても、正史や一級資料にほとんど登場しない事から、かなり謎多き女性です。

亡くなった日付も、今回は9月13日でご紹介しましたが、5月13日説もあります。
(wikiは5月13日になってるので、ひょっとしたらソッチの方が一般的なのかも…)

名前も、正式には生駒家宗(いこまいえむね)の娘とあるだけで、本名もわからず、没年齢も、信長の6歳年上の39歳説と、4歳年下の29歳説があります。

でも、信長は、正室の濃姫(のうひめ=帰蝶)(2月24日参照>>)との間に子供ができなかった一方で、「側室として二男一女をもうけた」=「彼女が産んだ男子が後継ぎになるんだから…」と思いきや、確実なのは、次男の信雄(のぶお・のぶかつ)と長女の徳姫(とくひめ・五徳)のみで、生年のハッキリしない嫡男の信忠(のぶただ)(11月28日参照>>)は、彼女の子供では無い可能性もあるのだとか・・・

とにもかくにも、その伝承の多くが、偽書の疑いのある『武功夜話(ぶこうやわ)の出典である事から、「疑わしい」との見解もあるにはあるのですが、とかく古文書の真偽なんて物は原本を確認しない事には何とも言えない物でして・・・

現に、この『武功夜話』の場合でも、それまで偽書説派だった歴史家さんが、原本を見た途端に肯定派に回ったなんて事もありますし、専門家の間でも意見が分かれているのが現状ですので、『武功夜話』そのものの真偽に関しては、原本をナマで見る事のできる専門家の方々に委ねたいと思います。

また、例え一級資料であったとしても、中に書いてある事がすべて正しいわけでは無いですし、まして『武功夜話』は、江戸時代に書かれた『軍記物』に分類される物ですので、個々のエピソードについては、それぞれ個別に検討していかなくてはならない物・・・

なので、今回は、そんな事を踏まえつつ、一般的に語られる信長の側室=生駒の方のお話を、『武功夜話』に登場する吉乃(きつの)というお名前で、ご紹介させていただきます。

・‥…━━━☆

尾張の国(愛知県西部)丹羽郡小折村(にわぐんこおりむら=江南市)馬借(ばしゃく=運送業)を営む経営者=生駒家宗の娘として生まれた吉乃は、はじめ、土田弥平次(どたやへいじ・つちだやへいじ)という人物のもとに嫁ぎますが、彼が、弘治二年(1556年)に戦死してしまった事から、実家へと戻り、その後は生駒家で生活していました。

この1度目の結婚相手の土田弥平次の土田氏が、生駒氏の縁者であったらしく、そんな関係からの婚姻のようですが、この土田氏が、信長の生母=土田御前(どたごぜん・つちだごぜん)の出自筋に当たり、土田弥平次は土田御前の甥だったとも言われ、そうなると、信長とも縁続き・・・

Odanobunaga400a という事で、信長は、度々、この生駒家に出入りしていたようで・・・

もちろん、そこには、馬借という商売柄、近隣の情報が集まりやすく、その情報収集のために、信長が出入りしていたであろう事も、容易に想像できるわけですが・・・

そんな中で、出戻りとは言え、色白の美人で、やさしくて控えめな・・・いや、おそらく、二人が出会った頃は、未だ10代後半だった信長にとって、すでに結婚を経験してる親戚のキレイなお姉さんに母の面影を見たのかも知れません。

なんせ、母の土田御前は、幼い頃から信長を嫌って、「弟の信行(のぶゆき)(11月2日参照>>)ばかりを可愛がっていた」なんて言われてますから・・・その包み込むような大人のやさしさに母を追ったとしても不思議ではありません。

また、同じく、この頃、それまで駿河(するが=静岡県東部)遠江(とおとうみ=静岡県西部)を放浪していた生活から地元の尾張に戻って来ていた藤吉郎(とうきちろう)=後の豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、この生駒屋敷に出入りしていて、その天然の明るさから、吉乃とも親しく話すようになり、

「この人、オモシロイ人(*^-^))」
と吉乃がなったところで、
「馬のお世話でも何でもしますんで、どうか、殿さまにお口添えを…」
とと切り出して、吉乃が信長に彼を紹介・・・有名な「信長の草履を温める」エピソードも、実は、生駒屋敷での出来事だったなんて事も言われます(信長と秀吉の出会いは諸説ありますが…)

とにもかくにも、そうこうしているうちに、ほどなく吉乃は信長の子を身ごもり、正室=濃姫に気を使った信長は、郡内のとある屋敷で、ひっそりと出産させたのだとか・・・。

で、弘治三年(1557年)頃に長男を産んでから、次男→長女と、吉乃は毎年のように子供を出産しますが、ご存じのように、この頃から信長本人は、
桶狭間(おけはざま)の戦い(5月19日参照>>)に、
美濃(みの=岐阜県)侵攻(5月14日参照>>)に、
尾張統一(11月1日参照>>)に、
と大変忙しくなり、吉乃のもとにはおいそれと通えない日々が続くわけで・・・

一方の吉乃は、3人目の子=長女を産んだ後の、いわゆる「産後の肥立ちが悪い」という状況になり、病床に伏せるようになってしまいます。

そんな中、永禄六年(1563年)に美濃攻めの拠点とすべく、小牧山(こまきやま=愛知県小牧市)に小牧山城を構築した信長は、この城に吉乃用の御台御殿(みだいごてん)なる建物を建て、彼女を住まわせるために呼び寄せようとしますが、ここで初めて、彼女が病気である事を知ったのだとか・・・

しかも
「もはや、動かすのも難しいかも…」
と、聞いた信長は、慌てて生駒屋敷に駆けつけ
「忙しさのあまりに会いに来なかった事を許してくれm(_ _)m
これからは、新居でゆっくりと養生したらええ」

と・・・

その言葉に、彼女は大いに喜び、信長の手を握りながら
「ありがとう」
と・・・

そして、残った力を振り絞って輿(こし)に乗り、小牧山城へ入城・・・家臣たちの前で、信忠や信雄の生母として信長から紹介され、彼女はここで、正式に側室となったとされます。

そんな彼女は、
「こんな立派な御殿が、私の家やなんて…夢のよう」
と涙を流しながら感激にに浸っていたのだとか・・・

その後は、信長も頻繁にお見舞いに訪れていたようですが、残念ながら、永禄九年(1566年)9月13日病が快復する事無く、彼女は帰らぬ人となったのです。

一説には、「信長には側室が22人ほどいた」とも言われますが、その中でも、やはり吉乃は特別扱いで、その死に際して信長は号泣したとされ、「彼女が信長最愛の女性だった」というのが一般的な見方となっています。

わからない事が多く、その実態がほとんど掴めない吉乃という女性・・・

しかし、その心の激しさとやさしさが交互に見え隠れする信長という人・・・そんな彼のハートを射止めた彼女は、信長の良いところも悪いところも受け止めるような大きな器を持った女性であった事でしょう。
個人的なイメージでは、やっぱ、信長より年上かな?

彼女の死の翌年=永禄十年(1567年)に、念願の稲葉山城(いなばやまじょう=)を陥落(8月15日参照>>)させた信長は、さらに、その翌年、第15代室町幕府将軍=足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて京へと上る(10月18日参照>>)事になります。

自分の実家に通っていたハチャメチャな少年が、天下への一歩を踏み出した事・・・彼女は、空の上から垣間見て、ホッと胸をなでおろした事でしょう~いや、母なる気持ちなら逆に「また、心配の種が増える~」と、気を揉んでいたかも知れませんね。
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コメント

織田信長の最愛の側室・・生駒の方、知りませんでしたね。

そうですか、子を三人も儲けていたんですか。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2017年9月14日 (木) 18時21分

子を三人もですか・・(。・w・。 )despair

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2017年9月14日 (木) 18時23分

生駒殿にそんな話があったとは知らなんだ。息子達はみな濃姫の子かと思ってました知らなんだ。信忠は誰の子?拾ってきた子?嫡男なのにどこの誰の子かわからないのですか?知らなんだ。ありがとうございました(^O^)

投稿: げん | 2017年9月14日 (木) 19時14分

根保孝栄・石塚邦男さん、こんばんは~

信長中心のドラマ等では、濃姫は必ずと言って良いほど、よく登場してますが、生駒吉乃さんが登場する事は、あまりないですね

投稿: 茶々 | 2017年9月15日 (金) 02時49分

げんさん、こんばんは~

>信忠は誰の子?

一般的には信忠も生駒吉乃さんが産んだ子供とされています。
生母が別にいるかも知れないという話は、あくまで「一説には…」あるいは「そういう説もある」という程度です。

おそらく、信忠の生年がハッキリしないので、「吉乃だと確定できない」となってしまうのだと思いますが、もし、吉乃さんが産んだのではないとしても「誰の子かわからない」というよりは「どの側室が産んだか特定できない」という表現の方が適格かと…
なんせ、20人以上の側室がいてはるので…
「わからない」のではなく「記録がない」という事ですね。

また、側室にも序列があるわけで、実際に、次男の信雄と三男の信孝は、「本当は信孝の方が先に生まれていたが、信孝を産んだ側室の序列が低かったので、生まれた年月を調整して信雄を次男にした」なんて噂もありますね。

つまり、信雄を産んだ吉乃さんは順番的には、おそらく正室の濃姫の次=2番手と考えられているわけで、そんな中で、信忠を嫡男に据えるのですから…だとしたら「おそらく母は吉乃だろう」というのが、今のところの定説となっています。

投稿: 茶々 | 2017年9月15日 (金) 02時51分

茶々さん、お久しぶりです♪

生駒吉乃さん、大河ドラマ「秀吉」に登場されていましたね(^^)
確か、斎藤慶子さんが演じておられたと思います。

その時は、他の方も書いておられますが、信長メインのドラマに濃姫が出てこないなんて珍しい!と思いました。

たぶん、大河ドラマで吉乃さんがこんなにクローズアップされたのは、後にも先にもこのドラマだけだったのでは?と思いました。

確か、ドラマの中でも主人公の秀吉はこの生駒屋敷で信長と出会い、召し抱えられたのだと思います。
信長が、身体が弱った吉乃を城に引き取り、抱き抱えて天守閣に登り城下町を見せるシーン、吉乃は信長の腕の中で息を引き取ります。

あの皆に怖れられた信長が、吉乃を抱きしめて号泣するシーンが心に残っています。

ところで、信長、信忠亡き後、秀吉が信忠の長男のさんぽうしまるぎみ?[すみません!漢字が分かりませんでしたm(__)m]を立てて、その後見人となり、ちゃっかり信長の後を継いでしまいましたが、その当時三歳だったその若様[吉乃さんの孫かも?]はその後どうなったんでしょうか?あの清洲会議から、忽然と歴史の表舞台から消えてしまった印象を受けますが、長生きしたのでしょうか?ご存じでしたら教えて頂けたら幸いですm(__)m

投稿: 伊集院みちこ | 2017年9月17日 (日) 17時54分

伊集院みちこさん、こんにちは~

おぉ!吉乃さんが出ておられたのですね!
逆に濃姫が…
やはり、現代の感覚では「奥さんが複数」という状況で、その関係をウマく描くのが難しいのかも知れませんね。

>若様はその後どうなったんでしょうか?

若様は織田秀信と名乗り、秀吉政権下で岐阜城主となっていましたが、関ヶ原の戦いで落城して高野山へと入り、その後に、26歳という若さで亡くなっています。
10年も前のページで、ちゃんと書けてるか少々不安な部分もあるのですが、ブログに書いておりますので見ていただけるとありがたいです↓
【信長の嫡流断絶!岐阜城の戦い】>>
のページですm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2017年9月17日 (日) 18時26分

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