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2018年1月25日 (木)

枚方宿~夜歩き地蔵と遊女の話

 

本日は、大阪は枚方(ひらかた)に伝わる昔話?民話?言い伝え?伝説?的なお話を一つ・・・
(今日は何の日?でなくてスミマセンm(_ _)m)

・‥…━━━☆

枚方は、京都から大阪湾へと流れる淀川(よどがわ)沿いの中間あたりに位置する事から、古くは『古事記』『日本書紀』にもその名が登場するほどに、古来より人の往来の盛んな場所でしたが、

Kyoukaidou
江戸時代の京街道と枚方の地図
クリックで大きく(背景は地理院地図>>)

やがて豊臣秀吉(とよとみひでよし)が淀川治水のために構築した堤防=文禄堤(ぶんろくつつみ)の上に道をつけた形の京街道を整備し、それを受けた徳川家康(とくがわいえやす)が江戸時代になって、東海道を延長して、大津(おおつ)から伏見(ふしみ)宿(よど)宿枚方宿守口(もりぐち)宿と起点となる高麗橋(こうらいばし)を加えて、正式に「東海道五十七次」とした事で、益々賑やかな宿場町へと発展し、さらに淀川を三十石船が往来するようになると、その中継場所として、以前にも増して人の往来が盛んになっていました。(2007年8月10日参照>>)

Kurawankafunaydo
三十石船に物を売る             舟宿の賑わい(右)
枚方名物「くらわんか舟」(左)

そんな枚方宿には、最盛期には50軒以上の旅籠(はたご)舟宿(ふなやど)が軒を連ね、その中には旅人相手に春を売る遊女たちがたむろする遊郭のような物も存在していて、常に50人~150人の遊女たちが存在していたとされます。
(ちなみに、枚方宿において宿屋と遊郭の建つ場所が分けられるのは明治に入ってからです) 

現在の京阪電車枚方市駅の近くには、今も、東側に「大坂みち」、北側に「左京六り やわた二リ」と刻まれた「宗左の辻(そうざのつじ)と呼ばれる道標が建っているのですが、ここは、かの京街道と磐船(いわふね)街道の分岐点にあたり、言わば枚方宿の北の端・・・
Souzanotuzi1000
♪送りましょうか送られましょか
 せめて宗左の辻までも ♪

と、枚方宿の遊女たちが客を、ここまで見送りに来た場所と言われています。

そんな遊女たちに、恋愛成就の御利益があるとして信仰されてたのが、京街道沿いにある臺鏡寺(だいきょうじ)のお地蔵様・・・

Dscn2057a900
現在の臺鏡寺

このお地蔵様は、今も臺鏡寺の境内にある地蔵堂の中におわし、身の丈2mほどの堂々としたやさしいお顔のお地蔵様なのですが、その足元に少しキズがあり、汚れたような感じに見える事から、いつしか
Dscn2061a600 「これは、皆が寝静まった真夜中に、お地蔵様がこっそりと修行のために出かけられるためだ」
と囁かれるようになり
←「夜歩き地蔵と呼ばれて親しまれていたのです。

そんな賑やかなりし江戸時代の枚方宿で、毎日、この夜歩き地蔵様にお参りする、一人の遊女がおりました。

17歳になったばかりの彼女の願いはただ一つ・・・
愛しい男との恋を叶える事。。。。そう、彼女は恋をしていたのです。

それは、客として店にやって来た、(なぎさ)のお百姓の息子。

たまたま遊女と客という関係で知り合ったものの、彼女に一目ぼれした若者が、何度も何度も店に通い、逢瀬を重ねるうち、彼女の方にも恋心が芽生え、いつしか二人ともが「夫婦になりたい」と願うようになっていたのです。

しかし、貧しい家に生まれ、家族のためにその身を売って、ここにやって来ていた彼女には、この先、まだ10年ほどは遊女として働かねばなりません。

若者としては、何とか彼女を身請けするしかありませんが、それには五十両もの大金が必要です。

一介の百姓のセガレである若者に、そんな大金は作れません。

それどころか、客として彼女の店に通うお金すら、徐々に用意できなくなって来る・・・そこに追い打ちをかけるように、遊女にうつつを抜かして、農作業もウワの空になっている若者に、父親は激おこ(-゛-メ)

とうとう、若者を勘当同然で家から追い出してしまいます。

もはや、身請けどころか、会う事さえできなくなった二人・・・しかし、二人はあきらめる事ができませんでした。

「こうなったら、あの世で添い遂げよう」
いつしか、二人の間には、ともに死ぬ=心中の二文字が浮かび上がってきます。

まもなく春が来ようかという、ある夜、二人は示し合わせて、葦(あし)が生い茂る淀川の河原へと打ち出でて、最後の名残りを惜しんだ後、若者は、小刀で彼女の胸を一突きし、自身の喉を掻っ切って心中を計ったのです。

しかし、人間、自分自身ではなかなか死ねないもの・・・彼女は亡くなりましたが、若者自身の傷は思ったより浅く、その痛みに耐えかねて堤の上に這い上がったところを、通りがかった者に、彼は助けられてしまったのです。

ご存じのように、この江戸時代、心中は天下の御法度(2月20日参照>>)・・・男と女、両方が死んだ場合は「不義密通」として罪人扱いとなり、遺族らは葬儀も埋葬する事も許されません。

また、両方が生き残った場合も罪人として扱われ、一般人の身分をはく奪され、その後は非人として生きて行かねばなりませんでした。

そして、今回の二人のように、片方が生き残った場合は、生き残った者を死罪・・・それも、極刑にした後、先に死んだ者の遺体とともに公道に並べられて晒される事になっていたのです。

若者は、事件から3ヶ月ほど経った夏の暑い日、一旦埋められて、このために掘り起こされた彼女の遺体と対面し、その傍らで斬首され、その首は、彼女の遺体とともに晒されたのでした。

その日、死ぬ事でしか一緒になれなかった二人の悲しみを思い、かの「夜歩き地蔵」のお堂の前には、枚方中の遊女が集まって嘆き悲しむ姿があったのだとか・・・

もちろん、江戸時代の枚方宿においても、このような出来事は彼と彼女のただ一度ではなく、遊女と客の心中などは、何度か起こった事件なのだそうですが、なぜか、この二人のお話は、夜歩き地蔵の逸話とともに、今に伝わります。

・‥…━━━☆

高麗橋・守口宿・枚方宿・伏見の地図や写真&散策コースを本家HP「京阪奈ぶらり歴史散歩」にupしています。

よろしければ、
下記リンクからどうぞ(別窓で開きます)
大阪歴史散歩:中之島周辺(高麗橋)>> 
大阪歴史散歩:文禄堤と守口宿>>
大阪歴史散歩:京街道枚方宿へ>>  
京都歴史散歩:伏見周辺を歩く>>
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コメント

初めまして
何時もお世話になっております。

見請け⇒身請け

ではないでしょうか?

投稿: | 2018年1月27日 (土) 13時59分

何度も読み直したつもりだったんですが、全然気づいてませんでした~(゚ー゚;

ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2018年1月27日 (土) 17時58分

おわっ(*^ω^*)
ブログの掲載前って見直されているんですか!

私はオフィシャルなのでも、さらさら書いて載せてます…重要なところだけ部分的に2回読むだけですかね・・・

以後改めたいと思います(* ̄ー ̄*)

投稿: ほよよんほよよん | 2018年1月27日 (土) 23時28分

ほよよんほよよんさん、こんばんは~

そりゃ、何度も見直してますよ~
それでも、見過ごしてしまう事山の如しです(*´v゚*)ゞ

今回だと、全文の中に「身請け」が2回出て来ますが、2回目の登場ではちゃんと「身請け」になってるのに、1回目のが「見請け」になってたんですが、コメントでご指摘があるまで全然気づかずでした。

気をつけて読み直しても、もともとが自分で書いた文章ですから、間違いや足らない部分を、脳が無意識のうちに修正してしまうので厄介ですww

「ケンブリッジ大学の読めてしまう文章」ってご存知ですか?
もし、良かったら上記の「ケンブリッジ大学の読めてしまう文章」で検索してみて下さい。
オモシロイですよ~
文章が間違っているにも関わらず、勝手に脳が修正してスンナリ読めてしまうんです。

人間の脳は、これまで生きて来た経験から、不都合な部分を修正したり、予想で先読みさせたりを無意識のうちにするようにできているので、見えない部分を補って「見えている」と思わせたり、逆に、見えているのに見えてないように錯覚させたりするんです。

もちろん、この機能が無いと人間は、初めて見た物をソレと認識できないし
(たとえばお皿とか茶碗とかは千差万別なデザインのがありますが、初めて見た物でも、ちゃんとコレはお皿、これはお茶碗…って認識できますよね?)、
初めて来た町なら、不安すぎて、そこを一人で歩く事もできなくなります
(無意識のうちに、人生の経験の中から、以前行った事のあるよく似た町のデータを思い出して、不安を解消してるらしい)。

文章読むのも同じ…人が文章を読むとき、文字を覚えたての幼稚園か1年生ならともかく、大人になれば、いちいち
「これが『あ』」
「これが『い』」
なんて考えて読んでませんよね?
つまり、これまでの経験から「こんな文字の後には、こんな感じの文字が来るだろう」「こんな単語の後には、こんな単語が来るんじゃ?」(←文章の内容や意味ではなく文の形体についてです)
てな事を予測しながら読んでるので、初めて読む文章でも、言葉をしゃべると同じようなスピードでスラスラ読めるんだとか…

なので、ましてや1度自分で書いた文章の間違いを見つけるのは、他人の文章の間違いを見つけるより、はるかに難しい…だからこそ校正ガールがいるんですよね?
ダブルチェックは、どこの業種も必須です(笑)

こーゆー話は、歴史と同じくらい好きな話なので、長くなってスミマセン(*_ _)人

ま、結局は自分のウッカリを脳の機能になすりつけてるだけなんですが…

投稿: 茶々 | 2018年1月28日 (日) 02時00分

枚方に一時住んでいた頃に、地元の古老の方からこの話を聞いた記憶があります。
死んであの世で添い遂げる、美談のように聞こえるけど、そうかなぁって思いました。
生きていてこそ思いもよらない奇跡が起こることだってあるんだから。
石田三成が斬首の寸前に柿は痰の毒だと断った、あの心意気が僕は好き。 
人間、最後の最後まで諦めちゃダメなんですよ。

投稿: masa | 2018年1月28日 (日) 18時54分

masaさん、こんばんは~

私も、三成のあの斬首の寸前の姿勢は好きです。

個人的に、それと重なるのは木曽義仲の最期です。
本人は最後まで戦って果てるつもりであったもののけれど、今井兼平にかなり説得されて、やむなく自刃を決意するものの、結局は討たれてしまうんですよね~

もちろん、一昨年の大河の感想として書かせていただいた真田幸村も…最後まで希望を捨てていなかったと思いたい派ですので、ドラマで描かれた切腹?と思われる場面は、個人的にはちょっと残念でした。

投稿: 茶々 | 2018年1月29日 (月) 01時07分

茶々さん、こんばんは。
悲しい話ですね。
涙が出そうになりました。
枚方には行ったことがないですが、このお地蔵様を見に行きたいと思います。

投稿: non | 2018年2月 2日 (金) 03時42分

nonさん、こんにちは~

史跡としてはマイナーな場所ですが、近くには梅林で有名な意賀美神社もあります。

投稿: 茶々 | 2018年2月 2日 (金) 17時44分

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