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2019年12月30日 (月)

日本史の新発見&発掘…歴史のニュース2019年総まとめ

 

いよいよ、2019年も終わりに近づきました・・・て事で、またまた一年の締めくくりに、今年に報じられた様々な日本史の発見や発掘のニュースを総まとめにして振り返ってみたいと思います。

ただ、いつものように・・・
ただの歴史好きである茶々の知り得るところのニュースでありますので、あくまで一般に公表&公開された公共性のある物である事、

また、私が関西在住という事もあっての地域性(他の場所のニュースはなかなか知り得ない)・・・さらにそこに個人的な好みも加わっておりますので、少々、内容に片寄りがあるかも知れませんが、そこのところは、「今日は何の日?徒然日記」独自の注目歴史ニュースという事で、
ご理解くださいませo(_ _)oペコ

1月 江戸時代初期に描かれたものの、全容がわからないために「幻」とも呼ばれる「盛安本源氏物語絵巻」のうち、ヒロインの一人である夕顔の死を描いた場面の図が、新たにフランスで見つかりました。
源氏物語絵巻で不幸な場面を描いたものは、極めて珍しいそうです。
  中城城跡14世紀前半に積まれたとみられる新たな城壁が見つかりました。
城壁は19世紀末以降に築かれた城壁の内側に積まれていて、城壁修理のために石積みの解体作業中に発見されました。
先中城按司の時代に築かれたとみられる物で、これまで中城城の築城は14世紀後半とされてきましたが、時期がさかのぼり、城の歴史が書き換わることになります。
2月 奈良市にある奈良大が、所蔵する木造四天王像から「行基大菩薩御作 菅原寺」と墨で記された銘文が見つかったと発表しました。
銘文は江戸時代に書かれた可能性があるものの、奈良時代の僧・行基(ぎょうき)が創建したとされる菅原寺(奈良市、喜光寺)で安置されていたという伝承を裏付ける銘文となります。
  江戸幕府最後の将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が書いたとみられる書が、「広辞苑」の編者として知られる言語学者・新村出(しんむらいずる)の旧宅(京都市北区)で見つかりました。
書かれた時期は不明ですが、専門家は「劇的な人生を歩んだ慶喜の人物像を知る上でとても貴重な史料」との見解です。
3月 奈良県大和郡山市平城京南方遺跡右京域(西部分)で、京を碁盤目状に整備した都市区画「条坊」と同規格の道路跡が新たに見つかりました。
調査地は、京の南端とされる九条大路にあった正門「羅城門」跡付近(同市野垣内町)で、道路を拡幅した跡があったことから、羅城門やそこから延びる城壁「羅城」と一体的に再整備された可能性が高いとの事。
  豊臣秀吉(とよとみひでよし)が造成した大坂城の三ノ丸跡から、推定100坪ほどの屋敷跡が見つかりました。
石を基礎にして柱を立てた跡があり、一緒に見つかった瓦に刻まれた家紋から、秀吉臣下の大名・佐竹義宣(さたけよしのぶ)の屋敷である可能性が高いということです。
  豊臣秀吉が加藤清正(かとうきよまさ)朝鮮出兵を命じた朱印状が見つかりました。
横125.5cm、縦21.5cmの朱印状には、「小西行長らに朝鮮出兵を命じたので、お前も出陣せよ。異国の者はそんなに強くないと思って、決して油断しないように」という内容が記されているとの事。
同様の命令書が中国や九州の大名へ広く出された事は推測されていましたが、3月23日付の命令書の実物が発見されたのは初めてだそうです。
4月 四天王寺(大阪市天王寺区)にある亀形石造物は、酒船石遺跡(奈良県明日香村)で出土した亀形石造物と同じ7世紀に造られ、2つの水槽がつながる構造やサイズも同じだったことが分かりました。
酒船石遺跡の亀形石は硬くて加工しにくい石材ですが、四天王寺は軟らかい凝灰岩であることや、四天王寺のほうがより忠実に亀を表現していることから酒船石遺跡よりも古い可能性があるとの事。
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四天王寺の亀井堂(参照>>)
5月 「日本一の石橋群」で知られる大分県宇佐市院内町で新たに4基の石橋が見つかりました。
市道下の地下水路(暗きょ)などに埋もれていたもので、保存状態も良好とみられ、同町で確認された石橋はこれで計79基になりました。
  平安時代後期に勢力を伸ばした平家一門の屋敷の一部とみられる堀の跡などが京都市内の発掘現場で見つかりました。
この付近に平家が拠点を築いたことは記録に残っていましたが、実際に遺構が見つかるのは初めてだという事です。
6月 大坂夏の陣で焼失の後、徳川家が城跡を埋め立てて再建したため(1月23日参照>>)、現在は地中に埋まっている豊臣秀吉が築いた大坂城の本丸周辺の地盤をボーリング調査したところ、天守台北側の地表面と天守台の東西で石垣とみられる傾斜も確認しました。
専門家は「絵図で従来あるだろうと思われたものが確実に存在することを把握できた」としています。。
(姉妹サイト:豊臣大坂城の歴史散歩コース>>)
  戦国武将の三好長慶(みよしながよし)が居城とした飯盛城跡(大阪府大東市、四條畷市)広い範囲を覆う石垣が見つかりました。
発見された石垣約100ヶ所のうち約半数が、長慶が居城した時期に整備されたとみられ、これまでの「築城に石垣を用いる手法は織田信長が最初だ」とされていた歴史の常識が覆る事になりそうです。
7月 アゼルバイジャンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会が、日本が推薦していた「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を世界文化遺産に登録することを決めました。
日本の世界文化遺産の登録は7年連続で19件目。世界自然遺産も含めた世界遺産は23件目となります。
(姉妹サイト:古市古墳群の歴史散歩コース>>)
  江戸時代前期に描かれた最古の鳥羽城絵図が発見されました。
天守や本丸御殿、石垣、お堀などが克明に記され、鳥羽城が「海の城」と呼ばれた当時の面影がうかがえる貴重な資料となりそうです。
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遠く(左奥)伊勢湾を望む鳥羽城跡
  奈良時代に都があった奈良市の「平城京跡」で、当時の権力者・長屋王(ながやおう)のものと同じ規模を持つ広大な宅地の跡が見つかりました。
専門家は「歴史書に出てくる有名な人物が住んでいた可能性がある」とみています。
8月 国内初の本格的な宮廷庭園跡とされる奈良県明日香村「飛鳥京跡苑池(えんち)で南北二つの人工池のうち北池から、全長約11.5mに及ぶ石組みの溝と石敷きの遺構が見つかりました。
7世紀後半にわき水を流す流水施設として造られたとみられ、古墳時代から続く「水のまつり」の宮廷儀式を行っていた可能性が高まりました。
  豊臣秀吉から関白職を継承しながらも失脚して切腹したとされる養子の秀次(ひでつぐ)について(7月15日参照>>)死の約3ヶ月前の時点では、秀吉が秀次の息子を要衝である大和(奈良)の「国主」に取り立てる意向だったことを示す新史料が見つかりました。
秀吉は淀殿(よどどの)との間に実子の秀頼(ひでより)が誕生したことで関白秀次と不仲になったとする通説に一石を投じる内容だそうです。
9月 11世紀前半の平安時代の上流貴族の墓跡と墓前に置かれたとみられる石製の笠塔婆(かさとうば)が平安京の墓所「鳥部野(とりべの=京都市東山区)の一角で出土ししました。
笠塔婆は石製として最古とみられ「当時の埋葬の実態を明らかにする史料」と考えられます。
(平安京の墓所について…参照>>)
10月 奈良県橿原市四条町藤原京跡(12月6日参照>>)3棟の建物跡が見つかりました。
中枢部の藤原宮跡から西に2km以上離れた場所で大規模な建物跡が見つかったのは初めてで、貴族の邸宅だったとみられます。
  平安京の玄関口に建てられた官寺「西寺」跡(京都市南区)で、中心建物の講堂跡の基壇が見つかりました。
基壇は造営した平安時代前期の姿をとどめており、同じ時期に築かれた初期平安宮の建物や寺院の解明につながる重要な遺構だとか…
五重塔とみられる建物の跡も初めて見つかり、東寺と西寺の主要伽藍(がらん)が朱雀大路を軸に、左右対称の位置に配置されていた可能性がより高まりました。
(平安京について…参照>>)
11月 世界遺産・東大寺(奈良市)の東塔跡の発掘調査で奈良時代の東門の跡が初めて確認されました。
規模は東西約7.1m、南北約12.7mで、創建当時の全体の規模を知る手がかりになると期待されます。
  京都市右京区嵯峨遺跡から、14世紀中ごろの南北朝時代以降に創業したとみられる酒造りの遺構が出土しました。
天龍寺などの寺院が手がけた僧房酒(そうぼうしゅ)の関係遺構とみられています。
搾りから貯蔵までの工程がわかる遺構としては、これまでは延宝二年(1674年)の旧岡田家住宅(兵庫県伊丹市)が最古とされていたので、その歴史は約300年さかのぼる事になります。
12月 奈良時代に遣唐使として中国に渡り、帰国後に官僚として活躍した吉備真備(きびのまきび)(4月25日参照>>)が書いた可能性の高い『墓誌(ぼし=亡くなった人の伝記)中国で発見されました。
本当に真備の筆であるならば国内はもちろん世界で初めての物で古代東アジアの実像を知る貴重な史料になりそうです。

こうして見ると、今年も様々な新発見がありました。

個人的には、やはり、8月の
「秀次の死の3か月前にも秀吉が秀次を優遇しようとしていたと考えられる史料」の発見ですかね~

私としては、ドラマや小説で、いつも、信長さんや秀吉さんが悪く描かれている事に悲しい気持ちになります。
(来年の大河も光秀主役なら織豊二人は敵やしね~)

信長や秀吉が殺戮や非道を繰り返し、最後に家康が、それらを払拭するように平和な世にした?みたいな?

もちろん、家康さんも嫌いでは無いですし、戦乱の無い平和な300年時代を築いた功績は、日本の歴史上トップクラスの快挙であると認識しておりますが、そこに至るまでにあった何やかんやのアカン部分が無かったかのようになってるのがチョイとね~
(戦乱の無い平和な時代は、一旦、秀吉の時代にできちゃってますし…)

まぁ、「勝てば官軍」「歴史は勝者が書く物」なので仕方ないですが、信長や秀吉のやさしさが垣間見える史料が発見されると、やっぱウレシイです。

あと、伊丹市が「酒造りの元祖の地」みたいな感じで推してるのを、つい最近のテレビで見た気がするので、11月の京都での遺構発見は、ちょっとお気の毒な気が・・・でも、それこそ、新発見で常に歴史は変わっていくのですから・・・
 .

最後に…
今年のニュースとして、やはり真っ先に思い出すのが10月の首里城焼失ですね~

新発見ではなく悲しいニュースですが…何より、保管されていた貴重な宝物や資料が失われた事は、とても残念です。

奈良や京都の寺社に行くと、伽藍や社殿とは別の「宝物館」や「収蔵館」といった博物館仕様の建物に国宝や重要文化財が収められている事が多々ありますが、「そういう事やねんな~」と改めて痛感させられました。

私見で恐縮ですが…
寛文五年(1665年)に焼失した徳川時代の大阪城天守閣は、300年の時を越えて昭和の大阪市民の寄付により再建され(11月7日参照>>)、現在は法令上の「博物館相当施設」として運営されています。

期待を以って遠方から見物に来られた方々には、
「あんなん復元天守ちゃうやん!ただのコンクリートのビルやん」
とボロカスに言われる昭和の天守閣ですが、貴重な文化財を収め展示する以上、そのような仕様の建物にするのがベストではないか?と個人的には思います。
もちろん、それ以前に、そもそもの火の用心が最重要ですが…

・‥…━━━☆

てな事で、とりあえずは、年内最後のブログ更新という事で、本日は、2019年の歴史ニュースをまとめさせていただきました~

ブログを見に来てくださった皆様、
今年一年、本当にありがとうございました・・・
良いお年をお迎えくださいm(_ _)m

そして、来年=2020年はいよいよ東京オリンピックの年(麒麟もくるヨ~)・・・今後とも、よろしくお願いします
 .

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コメント

いつも楽しく拝見しています。来年もよろしくお願いします。では、よいお年を。

投稿: いんちき | 2019年12月30日 (月) 10時22分

大変ご無沙汰しております。最近は多忙につきあまり閲覧しておりません。この場をもってお詫びいたします。
ついこの間、織田信長の朱印状が見つかったというニュースがありましたが、「信長の朱印状」は初めて発見されたそうです。

首里城の炎上はたいへん残念なニュースですね。海外では映画のタイトルでも有名なノートルダム寺院の炎上。
両方とも似たような出火原因だとか。
両方とも再建は月日と費用が掛かります。

御代代わり・改元の年だった2019年もいろいろありましたね。
それでは良いお年を。

投稿: えびすこ | 2019年12月31日 (火) 13時06分

いんちきさん、いつもありがとうございます。
よいお年を迎え下さい。

投稿: 茶々 | 2019年12月31日 (火) 22時57分

えびすこさん、こんばんは~
信長の朱印状も新発見だったんですね。
そういえばノートルダム寺院もでしたね。
維持管理は難しいですね。

今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

投稿: 茶々 | 2019年12月31日 (火) 23時01分

茶々さん、こんにちは。
19年で私が印象に残ったのは、新発見でも発掘でもないですが、天皇陛下の即位や大嘗祭など歴史的瞬間をテレビ越しで見えたことです。
束帯や十二単をみて「うおー、源氏物語の世界だー」と感動したり、
歴史の本や漫画でしか見れなかった大嘗祭を本物で見ることができるなんて、と歴史が好きな人にとっては多分強く印象に残るものかと思われます。

投稿: 禿鼠 | 2020年1月 3日 (金) 13時27分

禿鼠さん、こんばんは~

式典の中継はステキでしたね~

投稿: 茶々 | 2020年1月 4日 (土) 02時01分

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