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2020年2月 3日 (月)

恵方巻の風習と節分お化けの記憶

 

今日、2月3日は節分・・・

節分とは、立春を明日にひかえた、その前日の冬から春へと向かう季節の分かれ目の事で、昔は、この日が一年の始まり・・・今でも、お正月の挨拶に「初春」とか「迎春」とかって言うのは、この立春が昔のお正月だったからで、その前日に豆をまいて去って行く年の邪気を払うのが、豆まき・・・くわしくは、以前書かせていただいた【節分・豆まきの起源と鬼】のページ>>で見ていただくとして、本日は、その節分の行事として、全国的に定着しつつある?(あるいはすでに定着している?)恵方巻(えほうまき)について・・・

ちなみに、恵方巻とは、節分の日に、その年の恵方(えほう=正月の神様がやって来る方向もしくは縁起が良い方角)を向いて、切っていない巻きずし1本を、無言で食べきると良い事がある・・・てな風習ですが、

実は、この風習について、本日は、少々の思う所を吐露させていただきたいと思います。

・・・というのも、この恵方巻が全国ネットになった事で、その起源というか由来というか…な部分で、不肖茶々が、これまで聞いた事もないような話が流布しているからです。

もちろん、私が聞いた事無いので「それは間違い」という気は毛頭ございません。

私が聞いた事ないだけで、実際には、それがルーツなのかも知れませんからね。

ただ、我が家では、大正生まれの祖母が物心ついた頃からですから、おそらくは70~80年近く前から節分に巻きずしをまるかぶりして来たわけですので(さすがに物のない戦時中は中断してたと思いますが…)、そんな我家が「その由来は聞いた事がない」という事だけはお伝えしておきたく、自分への覚書メモみたいなつもりで書かせていただいときます。

その「聞いた事が無い」という恵方巻の由来は、
「明治の終わりか大正の初め頃に、船場の花街で、男性のアレに見立てた巻きずしを、遊女や芸者さんたちにまるかぶりさせて、その様子を旦那衆が見て楽しんでいたのが起源」というような内容の話です。

そのために
「恵方巻の由来を聞いて、恵方巻が嫌いになった」
とか
「あんなゲスな由来の恵方巻をうれしそうに食べてる人はバカなの?」
みたいな書き込みが、ここ2~3年前からネット上に散見されるようになり、上記の通り、7~80年ほど前から、節分に巻きずしをまるかぶりしていた家の者としては、とても悲しい気持ちになっているワケです。

なので、あらためて言わせていただきます。。。
大阪生まれの大阪育ちで、ウチの家系では80年くらい前から食べておりますが、
「そんな話は聞いた事がありません」

また、恵方巻の由来はともかく、歴史上、大阪の船場に花街があった事はありません。
船場は昔から商いの町ですから。。。

不肖私、今は別の場所に住んでいるおけいはん(京阪電車に乗る人)ですが、このブログでもチョイチョイお話しています通り、実家は大阪城の近くです。

ただ、そこは、瀬戸内海のとある島出身の水軍末裔の父が大阪に出て来て商売を始めた場所なので、80年ほど前から節分に巻きずしを丸かぶりしていた母方の実家は別の場所にあるのですが、さほど遠くはない場所ではあります。

母方のご先祖は高松の士族でしたが、例の明治維新で禄がもらえなくなった(負け組やしね(ToT))事を受けて、大阪に出てきて和菓子屋を営んでいたと聞いています。

そこで思うのは、
明治から大正&昭和を生きた母方の曾祖父は、落語家さんのタニマチやったり、芸者遊びに興じる事もある芸事が好きな人だったと聞いていますが、もし例の「男性のシンボルに見立てた巻きずしを…」って話が本当の事だとすると、ウチの曾祖父は、同時代にどこかの花街にも出入りしていたであろうにも関わらず、そんなオゲレツな事を、自分の娘や孫にさせていた事になりますよね?

さすがに身内として、それは信じたくない・・・

なんせ、普段の曾祖父は、「ウチは士族だから…」(←スンマセンm(_ _)m昔の人なので…許してやってください)と、コスイ事やズルイ事を嫌う厳格な明治生まれの人だったと聞いておりますので、いくら芸事が好きでも、遊びとそうでない場合をキッチリ分けていたと思うのです。

なので、私としては(希望的観測も含めて)、やっぱり1年の無事を祈っての風習なんやと思いたいです~知らんけど…(^o^:)

もちろん「恵方巻」という名前は、大阪にもともとあった、この巻きずし丸かぶりの風習を知ったセブンイレブンが1990年頃から「恵方巻」の名前で売り出して、徐々に全国に広がっていったという事は、周知の事実です。

それ以前は、ウチでも、単に「巻きずし丸かぶり」と呼んでいました。

また1950年代頃までは、節分の日にお寿司屋さんに行って巻きずしを注文した時にも、
「切らんといてね。。。丸かぶり用のヤツやから」
と念を押さないと、いつものように切られてしまうという事があったようですので、その頃は、未だ大阪のお寿司屋さんでも、すべてには浸透しておらず、あくまで、知ってる人は知ってる一部地域の風習だったような事も聞いております。

ただ、ここらあたりまでは一部地域で行われていた風習を、皆がお寿司を味わえるようになった戦後の高度成長期に合わせて、「一儲けしよう」と考えたお寿司屋さんが、その宣伝に使った事は確かだと思います。

なんせ、兵庫県出身の歌手の南野陽子(みなみのようこ)さんがアイドル全盛時代の頃、東京で収録のとある歌番組で
司会者さん:「陽子ちゃんの実家の地域では節分に巻きず
       しを丸かぶりする風習があるんだってね」

陽子さん :「はい、そうです」
観客   :「へぇ~」(←ちょっと驚いた感じのへぇ~)
というやり取りがあったので、この1980年代頃には、すでに関西に広がっていたわけですから、その広がりのスピードがハンパない!
(逆に私は「えっ?アレ全国的やなかったん?」と驚いた記憶がありますww)

以上が、私の記憶&実家で聞いた話ですが、「昔からやっていた」というだけで、結局は由来そのものはわからず仕舞いで、申し訳ないです。
Setubun
ところで、大阪の節分の風習といえば「節分お化け」というのもあります。

それこそ、私が、まだ小さい頃には残っていた風習ですが(お前いくつやねん!というツッコミはなしで…)、この「お化け」というのは、いわゆる「化け物」=「Q太郎のオバケ」ではなく、「化ける」あるいは「変身する」という意味で、節分の夜に仮装して出歩くのです。

つまり、今で言えばハロウィンみたいな感じです。

あまりに小さい頃なので、仮装して出歩いて何をしたのか覚えていないのですが、自分が巫女さんのような恰好して写っている写真が残っているし、「節分お化け」という名称の記憶もかすかにあるのです。

で、先日、京都祇園の花街では、今も、この「節分お化け」が行われている事を知って、その界隈に住んでおられた知り合いのお婆ちゃまに確認してみたところ、
「昔は大阪の方が盛んやったのよ~」
との事。。。

やはり、幼い頃の記憶は間違っていませんでした。

大阪の商人たちの間で行われていた「節分お化け」が、近畿周辺の町衆に徐々に広がって行ったものの、平成&令和の今ではすたれしまって、現在は町おこしの一環あるいはイベントとして祇園の花街などで行われているようです。

皆の衆!
日本人なら、ハロウィンより「節分お化け」でっせ!
と言いたいところですが、1年で最も寒いであろうこの時期に、万が一、肌を露出した仮装をしようという人がいたら困るので、やっぱムリそうかな?(^o^:)
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コメント

そうなんですか。
関学出身の牧師さんが昭和の頃に大阪の寿司屋から始まったとか言っていましたので茶々さんのお話を聞くまで詳しく知らなかったです。
我が家は平成まで知らなくて食べたことが無いです。

投稿: non | 2020年2月10日 (月) 10時03分

nonさん、こんにちは~

少なくともウチは、お寿司屋さん云々より先にやってましたよ。
でも、この習慣を聞いたお寿司屋さんが「これは儲かる!」と思って、習慣がない地域に広めた事は確かだと思います。
なので、他の地域では「お寿司屋さんの宣伝」って思われているのは致し方ないと思います。

逆に私は、「節分とイワシ」がわかりません。
大人になって何かの雑誌で目にするまで知りませんでしたし、イワシをどうするのかさえ、未だにわかりません。
ここ何年かは、大阪のスーパーでも、節分用の大きなイワシを見るようになりましたが、それまでは、手開きでフライにするような小さなイワシしか見た事なかったです。

投稿: 茶々 | 2020年2月10日 (月) 15時56分

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