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2021年6月10日 (木)

伊賀の局の勇女伝説~吉野拾遺…伊賀局が化物に遭遇

 

正平二年(貞和三年・1347年)6月10日、南朝のある吉野山にて伊賀局が、異形の化物と問答しました。

・・・・・・・・

伊賀局(いがのつぼね)は南北朝時代の人で、新田義貞(にったよしさだ)(11月19日参照>>)の家臣として活躍して新田四天王の一人とされた篠塚重広(しのづかしげひろ)の娘です。

本名は不明で、父の篠塚重広が伊賀守(いがのかみ)だった事から、彼女は伊賀局と呼ばれるようになったようで、あの足利尊氏(あしかがたかうじ)に対抗して吉野(よしの=奈良県)南朝を開いた後醍醐天皇(ごだいごてんのう=第96代)(12月21日参照>>)女院(にょいん=皇后並みの位)である阿野廉子(あのれんし)に仕える女官でした。

皇后様に仕える女官・・・と聞けば、つい、うるわし黒髪におしとやかな風貌を想像してしまいますが、実は彼女には怪力伝説あり・・・

後に、この吉野が北朝の高師直(こうのもろなお)に攻められた際、時の(後村上天皇)や内院らともども女房らが賀名生(あのう=奈良県南部)へ避難しようと逃げる中、途中にあったはずの吉野川に架かる橋が流されてしまっていて、
その先へは行けず・・・
しかし、追手は迫る・・・

という状況の中、屈強な従者たちもが困り果てていたのをしり目に、この伊賀局が進み出て、ザッと見渡した中で1番ブットイ松の大木を、スッコーンと、その手でへし折って丸太の橋として皆を渡らせて救ったとされ、「稀代の勇女」とされています。

後に、あの楠木正成(くすのきまさしげ)(5月25日参照>>)の三男である楠木正儀(まさのり)(12月7日参照>>)に嫁いだとされ、それからは夫婦ともども忠義を尽くした・・・と言いますが、今回は、そんな伊賀局の『吉野拾遺(よしのしゅうい)という説話集に残る不思議なお話=「伊賀局化物ニ遭フ事」の一説を・・・

・‥…━━━☆

 それは正平二年(貞和三年=1347年)春の事・・・

その頃、女院の御所は皇居の西側の山つづきにありましたが、そのあたりに、なにやら化物が出るとの噂になり、人々が騒ぎ始めます。

しかし、未だ、誰も実際に化物を見た者はおらず、あくまで噂・・・

ただ、あまりに人が騒ぐので、内裏(だいり)から腕に覚えのある勇者が何人も来て、蟇目(ひきめ=高い音が響く鏑矢などを射て邪気を払う)などをやってくれて、少し静かになりました。

そんなこんなの6月10日

その日は、ひどく暑い日で、伊賀局は庭に出て涼みながら、さし出て来る月を眺めておりました。

伊賀局は、思わず、
♪すずしさを まつ吹く風に わすられて
 袂にやどす 夜半の月影 ♪
「涼しさ求めて待ってると松の木立の方から風が吹いて来て、昼間の暑さも忘れられるわ~って思てたら、夜半の月が、スーッと私の着物の袂を美しく照らしてくれるやないの~」
と、誰聞くともない歌を口ずさみながら、まったりとした気分に浸ってると、

松のこずえの方から、何やら干からびたような声で、古い歌が聞こえてきます。

♪ただよく心しずかなれば すなはち身もすずし♪

これは、
古く(とう=618年~907年の中国)の時代の詩人=白居易(はくきょい)が詠んだ詩、
不是禅房無熱到(是れ禅房に熱の到ることなきあらず)
但能心静即身涼(但だよく心静かなれば即ち身も涼し)
「いくら熱い部屋にいても
 心を静めたなら何の事は無い(その身は涼しい)

という歌の下の句の部分でした。

Iganotubone600a ふと見上げると、そこには、顔は鬼のようで、背中に翼が生え、その眼が月よりもらんらんと輝く、どんな猛き武将もが大声を出して逃げ出しそうな化物?妖怪?が立っていたのです。

しかし、さすがは勇女・伊賀局・・・少しも騒がず、むしろ、にっこり笑って

「ホンマにそうですね~言わはる通りですわ」
と、一旦ノッておいてからの~
「…って、そんな事どうでもえぇねん!
いったい君、誰やねん!
不審なヤツやな、名を名乗らんかい!」
と、華麗なるノリツッコミ。

すると、その者は、
「いや、僕ね、藤原基遠(ふじわらのもととお=基任)言いますねんけど…」
と身の上を話はじめます。

「かつて、僕は女院(阿野廉子)のために、この命捧げて戦いましてん。
せやのに、女院は、いっこうに菩提を弔ってくれはりません。
しかも、生前、罪深かったせいか、こんな姿になってしもて、ますます苦しんでるんです。

さすがに、ちょっと言うたろかいな~…って思て、この春頃から裏山でチョイチョイ、
出たり~入ったり~ってウロウロしてましてんけど、
さすがに、女院の御前に出るんはおそれ多くて…

この事、お前はんから、伝えといてもらわれへんやろか?」

「あ…、その話、聞いた事ありますわ。
けど、恨んだらあきませんで。
知っての通り、世は乱れまくりで、ここも安住の地やありませんねん。
女院も、せなあかん~せなあかん~と思いながらも延び延びになってしもてはったんとちゃいますか?

とは言え、あんたも苦しんではるんやったら、早々にお伝えしときますわ。

ところで、もし弔うんやったら、どんなプランがよろしいの?
どの宗派でも、ご相談に応じますよ」

伊賀局の対応に、その者も納得してくれたようで、
「それなら、法華経でよろしゅー
ほな、ぼちぼち帰らしてもらいまっさ」
と・・・

「えっ?帰るて言うても…どこへ帰らはるん?」
と局が聞くと

「露と消えにし野原にこそ 亡き魂はうかれ候へ」
(はかなく散った野原でこそ、浮かばれるっちゅーもんでっせ)
と言って、北の方角へ、まばゆい光を放ちながら飛んでいきました。

それを、ゆっくりと見送った伊賀局・・・

その後、女院のもとへ行き、その事を話すと
「いや、ホンマやわ~すっかり忘れてしもてたわ」
(↑こないだまで「太平記」の再放送を見ていたせいで原田美枝子さんで再生されてまう)

と、女院・・・早速、翌日、吉水法印(きっすいほういん=吉野金峯山寺の僧坊)に命じ、お堂で21日間に及ぶ法華経の読誦にて供養しました。

その後は、不思議な事は一切起こらず、かの者も、これにて成仏したようです。

・‥…━━━☆

…って、伊賀局って、どんだけ強いねん!勇女過ぎる!

今回は怖い話なので、真夏の夜の怪談話っぽく、オドロオドロしい感じで書こうと思っていたのに、あまりの女傑ぶりにコントのようになってしまい、ぜんぜん怖い話じゃなくなってしまいました~まことに申し訳ない。

それでは、最後に、
伊賀局さんの松の大木を引っこ抜く勇姿をご覧あれ!
Iganotubonec
松の大木を抜く伊賀局(『古今英雄技能伝』より)
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