2016年2月25日 (木)

映画「信長協奏曲」~感想です

 

公開から1ヶ月経ちましたが、やっとこさ、映画『信長協奏曲(のぶながコンチェルト)を鑑賞させていただいたので、その感想など、お話させていただきます。

・・・・・・・・・・

映画は、まだ公開中ですので、なるべくネタバレしないよう感想を述べたいと思いますが、「ネタバレなして感想を書く」というのは、かなり高度な技術がいると思われます中、もともと文才の無い茶々でございますゆえ、話を進めていくうちに、少々バレてしまうかも知れませんが、そこのところは、ご了承いただきたく存じます。
(注:原作漫画は見ておりませんので、あくまでドラマと、それに続く映画の感想です…あと、ドラマはすでに放送されているのでドラマの内容は完全にバラします)

・・・まず、最初の感想は、
当然ですが、「ドラマを見てオモシロイと思っていた方はオモシロイ」です。

なんせ、俳優さんもろともドラマの続きですから・・・
いや、むしろ、ドラマが、完全に「続きあるヨ」的な終わり方だったので、自身の心の中で、あのドラマを完結させるという意味では、映画も見た方が、完全にスッキリ終われますね。

・・・で、2014年の10月から1クール=3ヶ月間放送されていた映画の前篇となるドラマは・・・

小栗旬さん演じる高校生のサブローがタイムスリップ・・・そこで、自分とソックリの若き日の信長に出会いますが、その信長は、自分が病弱な事や、父親から「大将の器では無い」と叱責された事から自信を失っており、サブローに「自分に代わって信長やってくれへん?」と自身の証となる刀を預けます。

タイムスリップする前にいた場所が映画村(歴史村?)だった事から、(イベントの劇とかで)信長の役をやってくれ」と頼まれていると思ったサブローは「オモシロそう!やってみる!」と引き受けますが、それが、ホンモノの信長だったわけで・・・と、こんな感じで話が進んでいきます。

サブローが信長になった時点で、すでに帰蝶(きちょう=濃姫)と結婚している(2月24日参照>>)、父の信秀(のぶひで)が序盤で亡くなる(3月3日参照>>)から、ドラマの始まりは、天文二十年(1551年)=信長18歳のちょっと前の頃から・・・となっているようです。

第2回の放送で、天文二十二年(1553年)の信長と斉藤道三(さいとうどうさん)との会(4月20日参照>>)が描かれていますので、やはり、そうなんでしょう。

そう、実は、この「信長協奏曲」のオモシロイところは、はじまりが「タイムスリップ」という荒唐無稽な設定ながら、そこに史実をうま~く絡めてくれているところです。

おそらくは、原作者の方が、かなりの歴史好き&信長好きなのでしょう・・・その発想に歴史愛が見え隠れします。

また、原作には無いドラマ版でのオリジナルキャラとして、信長の従兄弟の織田信清(のぶきよ)>>をチョイスして下さる所なんざ、ドラマの造り手さんの中にも、歴史好き&信長好きが感じられるので、お笑い的な要素も、創作丸々な部分も、落ち着いて見ていられるのだと思います。

そんな中で、奇抜なヘアスタイルに奇抜なファッション、変な言葉づかいに突飛な発想は、現代人のサブローなればこそ・・・という路線で物語は進みます。

未だ群雄割拠する戦国で、「天下を取ってやる!」と豪語するのも、「これ以上誰も死んでほしく無い!」「戦争の無い日本にするには全国を一つにするしかない!」という、現代日本の平和を知っている者なら、ごく普通に思い描く部分から来ているのですが、未だ戦国真っただ中の人たちにとっては、それは思いもよらぬ発想・・・そこに、家臣たちも魅かれていくわけで・・・

・・・とまぁ、こんな感じで、未だ、尾張(おわり=愛知県西部)すら統一していない時点の織田家を信長として引っ張っていく事になるサブローが、

その後の・・・
弘治二年(1556年)の斎藤道三の最期>>
永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い>>
永禄九年(1566年)?墨俣の一夜城>>からの
永禄十年(1567年)の稲葉山城・陥落>>
永禄十一年(1568年)の足利義昭を奉じての上洛>>
元亀元年(1570年)に始まった浅井朝倉との戦いでの金ヶ崎の退き口>>から続く、主要キャラの森可成(もりよしなり)が討死する宇佐山城の戦い>>へと、

信長主人公の物語の定番となる様々な場面を、歴史に疎く、戦いに慣れていない現代高校生のサブローの成長ぶりとうまく絡めつつ、ドラマは描いてくれていましたね。

さらに、
元亀二年(1571年)の比叡山焼き討ち>>や、
天正元年(1573年)に将軍を追放する槇島城の戦い>>浅井家の滅亡>>まで・・・

と長々とお話してしまいましたが、この浅井家の滅亡までが、月9で放送されたドラマでの出来事で、映画では、その続き=安土城を完成>>させるあたりから、信長の最期となる本能寺の変>>までが描かれます。

もちろん、本能寺へ至る伏線は、すでにドラマの時から貼られているわけですが・・・

それが、途中から、頭巾で顔を隠した本物の信長が、謎の武将=明智光秀(あけちみつひで)と名乗り、家臣となってサブローをサポートする事・・・

もう一つ、以前、信長(本物の方)が焼き討ちした村の生き残りで、家族を皆殺しにされた恨みを持つ男が、木下藤吉郎(きのしたとうきちろう=後の豊臣秀吉)と名乗って、草履取りから側近となっていく事・・・

最初は、本当にサブローの味方となってサポートしていた光秀でしたが、その冷酷な性格から、信長当時は、心通わす事が無かった家臣たちや妻の帰蝶が、サブローを心底慕っている場面を目の当たりにし、密かに嫉妬の炎を燃やす中、信長⇔サブロー入れ替わりの事実を知った秀吉が、「あなた様こそ信長様…」と、光秀にサブローを暗殺させようと画策し、光秀自身も、信長の座を取り戻したいと思うようになり・・・と、これらが、本能寺への伏線ですね。

天正十年(1582年)6月に
光秀が本能寺で謀反を起こす事・・・
その13日後に、
秀吉が山崎の合戦>>で、その光秀を討つ事・・・
を、知っている私たちから見れば、
なるほど・・・そう来たか~
という感じですね。
(ちなみに、サブローは歴史が苦手で、本能寺の変の事は、まったく知らない設定です)

なので、すでにドラマの終盤で、本能寺への流れが見えている感じですが、果たして映画では、その予想通りの結末となるのか?どうか・・・

それは、映画を見てのお楽しみ・・・それを確かめるためにも、ドラマのファンだった方は、その落とし所を確認しないと、ですね。

もちろん、歴史としてのツッコミどころはありますが、それこそ、時間にも役者さんの数にも限りがありますので、完全スルーで描かれなかった場面があるのも、大人の事情として理解できますし、何より、物語の中での辻褄が合ってるのでOKです。

そして、ウレシイのは、「ここのところはテレビドラマでは派手なのはムリなんだろうなぁ」と思える軍団による戦闘シーンが、ちゃんと描かれているところ・・・

ドラマでは、いまどきの高校生で、刀の扱いも不得手だった小栗サブロー君が、映画ではかなりの戦闘シーンを見せてくれてます。

ドラマの最後である浅井家の滅亡から、映画の始まりである安土城完成までは約3年間・・・そこから本能寺までは約6年間・・・

思えば、タイムスリップした高校生から、「にんげんごじゅうね~ん」の本能寺までの年月=約30年が経っているわけですから、サブロー君も成長したという事でしょう。

あと、ドラマでは、サブローと家臣たちのやりとりや、奥さん帰蝶との掛け合いで笑わせてくれるシーンがふんだんにありましたが、映画では最初のあたりだけで、あとは、どちらかというと真剣なノリでの話が進みます。

また、武田滅亡>>が完全スルーなので、個人的には、この武田とのアレコレを中心に、毛利とのドンパチも描きつつのドラマを、もう1クールやってから、映画での本能寺でも良かったんじゃないか?と思ったりもするのですが・・・

ただ、武田は無かったけれど、一方では、石山本願寺との天王寺合戦>>松永久秀(まつながひさひで)との信貴山城の戦い>>というあまり、ドラマや映画ではお目にかかれないシーンが出て来たのは良かったです。

特に天王寺合戦は、この戦いでのサブローの動きっぷりが、この後のある事のキーポイントとなるので、イイ感じで描かれていましたね。

ティーパーティがウエディングだったり・・・
「敵は本能寺にあり!」と叫ぶのが光秀じゃなかったり・・・
なのに、物語の中では、ちゃんと辻褄が合って成立しているのがオモシロイ・・・
山田孝之=秀吉君の恨み爆発の演技も良かったしね

とにかく、もともと月9のドラマも好きだった私の中では充分満足できました~

ただ、最後の最後がなぁ~
いや、見てるお客さんに対し、その後の事も伝えなけらばならないので、来たばかりのウイリアム・アダムス三浦按針)君が、太陽電池のスンゴイ充電器を持っていたと仮定して、アレはアレで良いのかも知れないけれど、私個人としては・・・
「サブローと松永久秀と、さらにアダムス君までもがナニするなら、帰蝶ちゃんがナニしても良かったんとちゃうん?
てか、そうしてあげて欲しかったワ」

と思うのですが、造り手さんの中では、「往復はあっても片道切符は発行しない」って決まり的な物があったのかも知れませんね。
(ちなみに、史実としてのウィリアム・アダムスが漂着する>>のは慶長五年(1600年)=関ヶ原の直前の事なので信長どころか秀吉も死んだ後ですが…オモシロイので許すww)

んん?って事は、ドラマの序盤に死んだ斉藤道三もナニしてるのか?
という疑問を残しつつも、個人的には見て良かった映画だと思いました。

追記:ネタバレしないために、アレがナニが、という曖昧な表現が多くなってしまった事をお詫びしますm(_ _)m
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2013年4月11日 (木)

おんなおんなしてる『女信長』の感想

 

遅ればせながら・・・
先日、フジテレビ系列で4月5日と6日に放送された2夜連続ドラマ『女信長』についての感想など・・・(あくまで個人的な感想ですので、そこのところはご理解をいただきながら…)

とは言っても、フジテレビが数億円の予算を投入して社運を賭けたスペシャルドラマだったワリには、視聴率は1ケタ=9%にも及ばず「危うく同時間帯で最低の視聴率になるところだった」てな事なので、ドラマ本編をご覧になった方は少なく、むしろ、この大コケのニュースの方をご覧になった方の方が多いのではないか?と思いますが・・・

・・・で、見た感想をひと言で言わせていただくなら
「とても残念なドラマでした」

この残念というのは・・・
ここのところ話題の書籍『残念な人の○○』の残念と同じ定義で、この場合の「残念な人」というのは、決してバカとかアホとかという意味ではなく、「本当はデキる人物なのに、何かしらの歯車のちょっとした狂いで残念な結果になっている」・・・つまり「惜しい人」という意味で、この書籍シリーズでは、そのような人の言動や習慣を見聞きして、「そこのところを改善して行こう」というコンセプトなわけですが・・・

このドラマも、やはり「惜しい」という意味での「残念なドラマ」でした。

あらすじとしては、『女信長』という題名でお解りの通り、「もし信長が女だったら…」という設定で、この発想自体は、歴史好きの妄想を膨らませるに充分な、かなり良い発想と思います。
(くわしいあらすじは、公式サイトで>>…別窓で開きます

「織田信長の奇抜な発想は女だからこそできた!」
てなところはオモシロイ
ですし、

さらに、信長最大の謎である本能寺の変・・・(6月2日参照>>)

  • 新参者でありながら最も信長のお気に入りで出世街道まっしぐらだった明智光秀が、なぜ?謀反を起こしたのか?
  • 天下目前の信長が、なぜに?あれだけ無防備で上洛し、あっさりと討たれてしまうのか?
  • 6月2日に信長が、6月13日に光秀が…二人とも遺体が見つからず生存説がある・・・にも関わらず、その後の歴史の舞台には登場しない(光秀=天海説はあくまで噂なので…)

これらの謎を、
信長と光秀が男女の関係にある中、幼い頃から男として育てられた事に苦悩する信長の手かせ足かせを拭い去るために、信長を暗殺=死んだ事にして、信長が一人の女性(劇中ではお長)として生きる道を光秀が開く・・・

そして、それを知った秀吉が、これまた、光秀を討って=死んだ事にして歴史の舞台から葬り去る・・・

その後、二人は、ただの男と女になって異国へ旅立つ・・・(ここは、最後に異国船に乗る二人が映っただけですが…)

この本能寺の変の謎解きには、なかなかおもしろいものがありますが、やはり、これまでの流れがあまりに残念なので、このハッピーエンドにも違和感が漂います。

そもそも、「信長が女」という荒唐無稽な設定のもとに話しを進めて行くのですから、信長最愛の吉乃(きつの=生駒の方)(9月13日参照>>)という女性も登場しなければ、彼女が産んだ子供たちも登場しない・・・つまり、物語はフィクション満載でも問題無いはずなのに、意外に、歴史の流れを無視せず、しかも、それを「信長が女だったからそうなった」という感じに、無理やりこじつけてるような???

というのも、このドラマの中で、最初に信長が恋をするのが、北近江浅井長政なのですが、その長政と肉体関係にありながら、自分が表向き男であるために、その関係を妹の御市(おいち)に言わないまま、自分の身代わりとして浅井家に嫁がせ、

しかも、後で、御市が、長政と信長が恋人同士であった事を知って責めると、はっきりと、本人(御市)に向かって「身代わりのくせに!」なんて事をのたまいます。

もちろん、信長が小谷城を攻撃して浅井家を滅亡させる(8月28日参照>>)のは、好きで好きで「私が天下を取ったら、アナタに譲ってあげるワ」と約束していた長政が裏切って朝倉氏についた事への、女としての逆ギレから・・・つまり痴話げんか?

さらに、2番目の恋人となる明智光秀も、本来、昔から濃姫(信長の正室)(2月24日参照>>)が、光秀に片思いをしている事を充分に知りながらの略奪愛、「私の気持ちを知りながら…」と泣く濃姫に「それの何が悪い」と言わんばかりに平気でイチャつきます。

御市と濃姫は、早いうちから信長が女である事を知っていて、男として生きねばならぬ苦悩を和らげてあげようと、陰に日向に親切にしてくれる二人なので、言わば、親友を裏切る行為・・・しかも、行動のほとんどが、恋した男のため・・・

つまり、この『女信長』の信長は、女から見て「ムカつく女」であり「女に嫌われる女」なのです・・・なので、散々まわりを傷つけて振り回した二人が結ばれるハッピーエンドには違和感が漂う・・・

なんか、
この作者の方は、女性をバカにしたいのか?、女性を貶めようとしてるのか?と思うくらい・・・・なんと言うか・・・「おんなおんなしてる」んですね・・・信長が・・・

いや、ひょっとしたら、作者の方には、そんな悪意はなく、逆に、こんな「おんなおんなしてる」女性が好きで、魅力的だ思ってのキャラ設定なのかも・・・
(おんなおんなしてるタイプが好みな男性もたくさんおられますので…)

この「おんなおんな(女女)してる」っていうのは、あんまり他で聞いた事ないので、もしかして大阪弁なのかしら??

わからない方いるといけないので、ちょっと説明しますと・・・
「女々(めめ)しい」というのは男性に使う言葉ですが、この「おんなおんなしてる」っていうのは女性に対して使う言葉・・・まさに、女の中の女で、ものすご~く女っぽい、あるいは女性ならではのキャラが濃い時に使いますが、いわゆる「女らしい」というのとも違っていて、あまり良い意味で使われる事はなく、

たとえば・・・
『優柔不断で決めかね“あなたか決めてよ”と言ったワリには、後で、その決定に文句を言う』みたいな??
男「晩御飯何食べる?」
女「何でもイイ」
男「じゃ、中華にしよう」
女「えぇ~!!ちゅーかぁ?」
男「なんでもええて言うたやないかい!」
っていうアレとか

洋服選びに彼氏を連れて行き、長時間つきあわせて
女「どっちがイイ?」
男「どっちもええやん」
女「あなたに選んでほしいの」
男「ほな、黄色いほうかな?」
女「ええ?趣味悪い~絶対ピンクじゃん」
男「決まってねんやったら聞くなや!」
っていうアレとか

また、休み時間にトイレにまで一緒に行く仲だった親友同志が、片方が別の誰か(女友達)と仲良くしていたというだけで絶交まで行くほど憎しみ合うとか・・・

嫁×姑のじわじわイヤミ言うドロドロ感とか・・・

もちろん、ドラマの中で信長が洋服買いに行ったり中華食べに行ったりしませんが、そんな「おんなおんなした感じ」の性格を匂わせるキャラ設定なのです。

確かに、『歴女』という言葉が一般的になるほど、最近は歴史好きの女性が溢れていますが、それこそ、個人的な印象ですが、歴史を好きになる女性って、たぶん「おんなおんなしてる」女性では無いし、「おんなおんなしてる」女性があまり好きでは無いタイプだと思うのですね(特に戦国好きは…)

もちろん、戦国時代は今と違って女性が生き難い時代だったかもしれませんが、だからこそ強くしたたかに生きたのが戦国女性であり、平素は夫を影になって支えながらも、窮地に立った時には、男顔負けの手腕を発揮する・・・先日から展開させていただいてるアンケート3月31日参照>>…もうすく締切です!)にて候補に挙げさせていただいてるような、いわゆる「女傑」「烈女」と呼ばれる女性が、歴史上には数多くいた事を歴史好きの女性は知っているわけで・・・

女性を主役にするなら、共感できるそんな彼女たちのドラマを見たいのであって、決して「昼メロのような男取り合いドラマ」を見たいわけじゃないと思うのです。

「信長が女だったら」という発想や「本能寺での展開」が良かっただけに、この主人公のキャラ設定が、本当に残念でした。

しかも、何たって主役の天海さんをはじめとする映画を思わせるような豪華な俳優陣が素晴らしい・・・

確かに、タカラヅカ男役感は満載でしたが、それこそ、女の信長を演じられる人など他に思いつきませんし、それは小雪さんの顔のテカテカ感を差し引いても、みなさん良い配役で、見ごたえのある演技だったと思います。

さらに、ステキな衣装に東福寺の緑が美しく・・・スタッフさんの力の入れようも、ひしひしと感じました。

個人的に、特に印象に残ったのは、武田氏が滅ぶ時の「日の丸の旗」ですね。

これ、以前、日の丸のページ(7月9日参照>>)で書かせていただきましたが、今のところ、現存する最古の日の丸の旗は、武田氏の遺品から発見された物・・・しかも、戦場での傷跡つきですから・・・

そんな細かなところにまで気を配って、「良い物を作ろう」と頑張るスタッフさんの姿勢が垣間見えたぶん、例の「おんなおんなしてる」キャラが残念無念・・・

どうせなら、歴史にこだわらず、完全昼ドラのオールフィクションのほうが、笑って見られる娯楽時代劇になったかも知れません。

本当に本当に惜しい・・・残念です!としか言いようの無いドラマでした。
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2013年3月16日 (土)

「信長のシェフ」最終回の感想

 

「いざ参らん!戦国のキュイジーヌ! 」

・・・て、このクールにテレビ朝日系列で、金曜の深夜に放送されていたドラマ「信長のシェフ」が、とうとう終わりましたね~

個人の感想としては・・・
「いやぁ、オモシロかった~ヽ(´▽`)/」です。

以前、番組が始まって何回目かの頃に、歴史上に登場する、おそらく史実の本物・信長のシェフ坪内某(つぼうちなにがし)のお話を紹介させていただいた時に、「なかなかオモシロイですよ」と、その感想をチョコッと書かせていただきましたが・・・(2月3日参照>>)

歴史好きですが、ドラマは創作物と思っている茶々としては、
もともと、平成に生きる現代のシェフが戦国時代にタイムスリップ・・・という時点で、荒唐無稽なのですから、姉川の合戦で焼肉パーティをしようが、帝の目の前で包丁を振り回そうが、調理中に上がった炎を見て将軍様が「ファイヤー!」とつぶやこうが、ぜんぜん気になりません。

むしろ、「よきにはからえ~~」と歌うようにおっしゃる帝役の森本レオさんのエエ声に、久々にウットリなんかして・・・

とは言え、そんな細かな描写にはツッコミ所が多々あるものの、意外に歴史の流れそのものを逸脱する事が無いうえに、あまり他のドラマで扱われる事の無いツウ好みの歴史人物がイイところで登場し、うまく絡んでくれたりするのが、歴史好きの私もハマってしまう、このドラマの良きところ・・・

ちなみに、私は、原作の漫画は読んでいませんので、あくまで、ドラマの話としてお聞きくださいo(_ _)oペコッ

・・・で、深夜枠でもありますので、このドラマを1度もご覧になった事が無い方のために、大まかに、最終回への流れをご紹介させていただきますと、

平成に生きる現代のシェフ=「ケン」が、戦国時代にタイムスリップして、「ケン」という自分の名前と料理の事以外の記憶を失くしまっていたところに、家族を亡くしてたった一人で生きて行くため、男のフリをしている「夏」という女性と知り合い、彼女に助けられながら、ひょんな事で知り合った木下藤吉郎(秀吉)を通じて、織田信長の料理人となる・・・

・・・で、今回の最終回の前には、途中、窮地に立たされた場面で、何度もケンを助けてくれた、心やさしき森可成(もりよしなり)宇佐山城の戦いで失いつつも(9月20日参照>>)、勃発した石山本願寺との合戦(9月12日参照>>)を休戦に持ちこみたい信長の命を受けて、石山本願寺の料理人と料理(今回はスイーツです)対決をする事になる・・・

つまり、「お互いに条件を出し合って、料理対決で勝った方の条件を呑んで休戦する」という展開になるわけですが、この石山本願寺側の料理人というのが、ケンが平成の世で婚約をしていた女性=「瑤子(ようこ)・・・最終回に来て、ケンはその事を思い出す・・・てな感じです。
(最終回をまだご覧になってない方にはネタバレすんませんm(_ _)mですので、ここから先は最終回を見た後に読んでください)

結局は、帝が「どっちもウマイ!甲乙つけがたい」という事で、どちらの条件も無しに休戦する事となり、結果的に、「なにがなんでも休戦したい」信長の思い通りとなって、石山本願寺の顕如(けんにょ)は不満プンプン・・・

そんな中、「日食の夜に行くと人が消える」という謎の『黄泉の祠(よみのほこら)の存在を、明智光秀(あけちみつひで)に教えてもらったケンは「そこに行けば平成に戻れるかも…」と、夏にうながされ、瑤子と手に手を取って向うのですが、結局、瑤子に別れを告げ、この時代でカノジョとなった夏のもとに戻って来る・・・

しかし、その瑤子も、結局は平成には戻っていないもよう(←ここは謎っぽくなってます)

・・・て事で、完全に続編アリアリ丸出しの最終回だったわけですが・・・

まぁ、前回に放送した宇佐山城の戦いが元亀元年(1570年)9月、今回の石山本願寺との停戦は・・・

と、実は私・・・石山本願寺との停戦と聞いて、最初は天正三年(1575年)10月の事を考えていたんですが、そのワリには、その間にある、義昭追放となる槇島城の戦い(7月18日参照>>)も、浅井滅亡の小谷落城(8月27日参照>>)も・・・果ては、長篠・設楽ヶ原の戦い(5月21日参照>>)まで描かれていない・・・

これまでの雰囲気でみると、さすがに、こんな重要事項をすっ飛ばすはずは無いと思いますので、ひょっとしたら、今回の停戦は、武田信玄が仲介した元亀三年(1572年)7月の停戦の事???

信玄がまったく出て来てないので、勘違いしそうになってましたが、たぶんそうですね・・・

だとしたら、天正十年(1582年)6月に起こる本能寺の変(6月2日参照>>)までは、まだまだ先は長い・・・って事で、ここで終わるわきゃ無いですね。

いや、むしろ、是非とも「続編作ってください」とお願いしたい!

なんせ、今回の最終回でも、石山本願寺側の瑤子の作ったスイーツの毒味をするのが本願寺坊官(ぼうかん・世話係の僧侶)下間頼廉(しもつまらいれん)、ケンの作ったスイーツの毒味をするのが秀吉だったのですが、

実は、この頼廉という人・・・信長亡き後に起こる織田家家臣のトップ争い=秀吉があの柴田勝家とあいまみえる賤ヶ岳の合戦(4月21日参照>>)の時に、「なんなら、この本願寺がお味方しまっせ」と、秀吉に囁く人・・・(1月19日参照>>)

ね!!
このように、歴史好きが、クスッとほくそえむような複線が、このドラマには張られているのですよ!

なのでオモシロイ!(゚▽゚*)

深夜枠にしては高視聴率だったこのドラマ・・・ネット上では、早くも続編、しかも、「ゴールデンタイムに進出」なんて噂もありますが、深夜枠の少ない予算で頑張ってはるスタッフさんの雰囲気も大好きだったので、私としては、あの「トリック」のように、堂々の深夜枠で貫いていただきたい気もしないではないです。

ただし、続編があるならば、深夜であろうとゴールデンであろうと、亡くなってしまった可成さんを演じていた宇梶さんに代わるステキな役者さんを、何らかの役でキャスティングしていただきたい・・・

もちろん、秀吉のゴリさんも、家康の竹山さんも頑張っておられましたし、ミッチーはこれまでの誰よりも信長っぽいし、顕如の市川猿之助さんに至っては、空気も引き締まる怪演でしたが、やはり、ワキを固める宇梶さんがいなくなったのが寂しいので・・・

一ファンとして、期待して待っておりますデスm(_ _)m

ちなみに、信長の生きた時代の京都周辺では、天文二十一年(1552年)12月20日の皆既日食と、天正三年(1575年)3月20日の部分日食・・・と、2回の日食があったらしいですが、果たして信長さんは見たのかな??
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2013年2月22日 (金)

幕末・足利三代木像梟首事件

 

文久三年(1863年)2月22日、京都・等持院に安置されていた室町幕府将軍の木像の首と位牌が盗まれ、賀茂川の河原に晒される・・・世に言う「足利三代木像梟首事件」がありました。

・・・・・・・・・

ちょうど、このあいだの大河ドラマ「八重の桜」でやってましたね~

とは言え、まずは、大きな出来事をピックアップして、この頃の大まかな流れを見てみましょう。

安政元年(1854年):
 ペリーが江戸湾に再来し、日米和親条約を締結します。
安政五年(1858年):
 13代将軍・家定が病没し、家茂が14代将軍に…
安政六年(1858年):
 大老・井伊直弼安政の大獄を実施。
 (10月7日参照>>)
万延元年(1860年)3月:
 桜田門外の変で井伊直弼が暗殺される。
 (3月3日参照>>)
文久元年(1861年)10月:
 皇女・和宮が下向(公武合体政策)
 (8月26日参照>>)
桜田門外の変の後あたりから、安政の大獄で弾圧された尊王攘夷派の志士たちによる天誅(てんちゅう)と称する報復行動が、幕府の統制が緩んだ京都にて活発となり、佐幕派(幕府寄り)や公武合体派の人物や安政の大獄協力者などがターゲットとして狙われるようになります。

・・・で、治安が最悪となった京都の町を守るべく、新たに京都守護職という役職が設置される事になりますが、すでにある京都諸司代や町奉行を統轄するこの役職には、やはり、強大な武力を持ち、藩内の論調も安定してる親藩(徳川家の親戚)でないと・・・

この条件に当てはまるのは、福井藩と会津藩ですが、福井藩の松平春嶽(しゅんがく=慶永)は、すでに幕府で政事総務職についていたので、この役目は、会津藩主の松平容保(かたもり)に・・・と白羽の矢が立ちます。

最初はお断わりしていた容保でしたが、会津の初代藩主・保科正之(ほしなまさゆき)(12月18日参照>>)「将軍家と盛衰存亡をともにすべし」という家訓を楯に迫られ・・・
文久二年(1862年)閏8月1日:
 松平容保が京都守護職に就任します。
同年の12月24日:
 容保は上洛し、黒谷の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に入ります。
文久三年(1863年)1月2日:
 容保が孝明天皇に拝謁し、天盃と御衣を賜ります。

一方江戸では・・・
同じ文久三年(1863年)2月4日&5日:
 小石川伝通院(でんつういん)にて浪士組を一般募集
これ↑は、この3月に予定されている将軍・家茂の上洛に先駆けて京都に入り、その身辺警護させるための人員を募集した物で、後に新撰組となるメンバーが応募してるアレです。

・・・と、今回の「足利三代木像梟首事件(あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん)は、まさに天誅の嵐吹く京都に将軍がやって来る寸前に起こった出来事なわけですね。

事件の経緯としては、文久三年(1863年)2月22日深夜、室町幕府の初代将軍の足利尊氏(あしかがたかうじ)の墓所として知られる等持院(とうじいん)に安置されていた初代・尊氏、2代・義詮(よしあきら)、3代・義満(よしみつ)の3体の木像の首と位牌が盗まれ、翌未明に、これらの木像の首が、賀茂川の河原に晒されていた・・・という物です。

・・・で、そのそばには
「逆賊である足利尊氏・義詮・義満の像に天誅を加える…けど、今現在、コイツらよりもっとヒドイやつらがおる。
早い事、その罪を反省して正さんと、俺ら有志でいてまうど!」

てな内容の立札が立ててあったと・・・

ちなみに、木像晒し首が発覚した、この2月23日という日は、江戸で募集されたかの浪士組が上洛を果たした日でもあります(2月23日参照>>)

Sanzyougawara1000
三条高札場…現在はスタバの駐輪場です

とにもかくにも、時代劇でよく見る、あの晒し台の上に、木像の首が乗っかってる光景は、いかにも異様・・・てか、これまで、天誅と称するテロ行為で、何人も人が殺され、実際にその生首が晒されていたわけですから、それらを見ている京都の人々にとっても、逆に異様だったかも・・・

ただ、実際に殺人したわけでも無いし、現代の感覚で行けば、ちょっとしたイタズラにも思えるこの行為(もちろん、イタズラではなく窃盗ですし、イタズラでもやってはいけません)・・・

しかし、これには、イタズラでは済まされないポイントが・・・

それは、かの立札にある後半部分にもある事なのですが・・・

そう、このブログを読んでくださっている方々はお解りですね。

昨日もお話した南北朝時代・・・かの足利尊氏は、南朝の後醍醐(ごだいご)天皇に対抗して、前政権の鎌倉幕府が擁立していた光厳院(こうごんいん=北朝初代の天皇)院宣(いんぜん=上皇の意を受けて側近が書いた文書)を賜り(4月26日参照>>) 、その弟で猶子(ゆうし=契約関係によって成立する親子)光明(こうみょう)天皇を北朝の天皇として即位させています(8月15日参照>>)

で、ご存じのように、最後に南北朝が合一する時、なんだかんだで北朝有利に進められてしまった結果(10月5日参照>>)、本来は、北朝・南朝から交代々々でその後の天皇を出すはずだった約束は破られ、その後は、ずっと北朝側の天皇に・・・

つまり、この幕末の時代の天皇であった第121代孝明天皇、そして、その皇子である第122代明治天皇も、北朝の流れを汲む血筋なわけです。

そこを考えれば、足利将軍は逆賊では無い事になる???

これには、以前水戸黄門様の『大日本史』編さんのところ(10月29日参照>>)でもご紹介したように、その『大日本史』で「南朝が正統」としちゃった中、尊王攘夷の思想はその水戸学から来ているので(10月2日参照>>)、大日本史が正統とした南朝に反発した足利将軍は逆賊という事になるわけですが、

一方では、孝明天皇や明治天皇が北朝の流れである事も、当時の人・・・特に武士は皆知っていたわけで・・・

その後、明治時代になっても、そこのところが問題となり、結局は「南北朝の時代に限って南朝が正統」として、その時代以外は、どっちも正統という玉虫色になってるようですが、幕末当時の人たちの心情という物は、どうだったんでしょうかね???

それこそ、あくまで、個人的な想像ですが、
そこに、この事件にとっては、北朝・南朝うんぬんより、「天皇家に反発した幕府」というポイントが重要だったという事があるような気がするのです。

この事件に激怒した容保が、それまで、「言路洞開(げんろとうかい=話し合いで解決)しようという姿勢をとっていたのを、徹底的に始末する強硬路線に切り替えたと言われていますが、そこには、やはり、この事件に「現幕府を倒す」という意味が込められていた事が重要だったという事なのでしょう。

まぁ、今回の事件の犯人は、尊王攘夷思想を持つ平田派国学者の一派・数名だったわけですが、そこに、過激派の志士たちを監視するために会津藩から送り込まれていた大庭恭平(おおばきょうへい)が関与していた事も、容保を激怒させた一因でしょうが・・・

・・・と、ここまで見ていると・・・
そう、今回の大河ドラマ「八重の桜」は、まったく以って、そのまま描かれていますね。
(京都守護職を引き受けた容保が泣いちゃったのには、ちと驚きましたが…)

確かに、歴史好きとしては、あの3年前のように、主人公がどんな重大事件にも関与するハチャメチャな創作を織り込まれても困り物なのですが、あまりにも、その通りだと、「ただ、一般的な歴史をなぞっているだけ」という感がぬぐえないのも確か・・・

何となく、今のところ、その中央での一般的な歴史の流れのドラマと、八重の周辺の出来事との二つのドラマを見せられている感じ・・・

なので、このブログでも、初回の感想以来、ドラマの感想は1度も書いていないのですが・・・

が、しかし、思えば、まだまだ序盤です。

おそらく・・・
サスペンスで言えば、事件に絡む人々の人間関係や背景を紹介している段階で、まだ、肝心の事件は起こっていない・・・この段階で、物申すのは失礼千万!!

という事で、「八重の桜」に関しては、これからが請うご期待!・・・で、もうちょい「その時」を待つ事にいたしましょう。
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2013年2月 3日 (日)

リアル「信長のシェフ」~料理人・坪内某の話

 

この1月から、テレビ朝日系列で、金曜の深夜、「信長のシェフ」というドラマがスタートしました。

現代のシェフが戦国時代にタイムスリップして、織田信長お抱えの料理人になるという設定なのですが、これがけっこうオモシロイ(*^-^)

もちろん、時代考証や史実うんぬんに関してはツッコミどころ満載ですが、もともと、タイムスリップという荒唐無稽な設定ですし、予算の少ない深夜枠では、表現方法にも限りがあり・・・

ミッチー信長がはおる完全に今風の毛皮のコートも、合戦シーンなのに誰も騎馬してない事も、「衣装にもお金かかるやろし、馬の出演料って高いもんな~」と思えて許せるわけで・・・

ものスゴイ予算をかけたゴールデンで、つじつまの合わない戦国恋愛ドラマを見せられるよりは、肩肘張らずに見れるぶん、深く考えずに楽しめますし、そのワリには、森可成(もりよしなり)(9月20日参照>>)北畠具教(きたばたけとものり)(11月25日参照>>) といった、あまりドラマではお目にかかれないツウ好みの人物が登場して来るところは、なかなかの物です。

なので、ここのところ、毎週楽しみに見ておりますです。

て事で、本日は、その見終わったテンションそのままに、歴史上に登場する信長の料理人のお話を・・・
「いざ参らん!戦国のキュイジーヌ! 」
(↑主人公の決めゼリフです)

・‥…━━━☆

亡き13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の弟=足利義昭(よしあき)を奉じて上洛を果たした織田信長・・・(9月7日参照>>)

Odanobunaga400a その後、かつては畿内を制していた三好家を滅ぼした時、その三好家に仕えていた坪内某(つぼうちなにがし)という料理人を生け捕りにします。

しばらくの間、放し囚(はなしめしうど=自由に動ける捕虜)となった坪内は、数年を経て、信長の家臣の菅谷九右衛門(すげのやきゅうえもん)に仕えるようになります。

と、その頃、市原五右衛門なる家臣が信長に進言・・・

「坪内なる者は、包丁さばきも見事ですし、格式の高い儀式や接待料理にも精通してますし、その息子らはすでに、ウチで奉公してますよって、そろそろ、捕虜てな身分を取っ払って、厨房の事を任せはったらどうでっしゃろ」

と、信長は
「ほな、明日の朝、料理させよ…その出来具合で考えとくわ」
との事・・・

早速、その翌日、信長が、その料理を食べる事になりますが、
「なんじゃ。この水臭い料理は…食べられた物やあれへんがな!」
と、怒り心頭・・・

すると、坪内は
「慎んで承りました。
けど、今一度チャンスを…明日、もっかい調理させてください。
それでも、お口に合わへんかったら、その時は、潔う切腹しますよって」

果たして、その翌日出て来た料理は、何とも美味・・・信長は、大喜びで、「何か褒美を与える」と言います。

すると、坪内は
「実は、昨日の味付けは三好家風の味付けでしたが、今朝のこの味付けは、ハッキリ言うて、第三番(三流)の味付けです。
三好家は長輝
(之長の別名)から5代に渡って将軍家の家事を取り仕切り、この国の政務を行って来ましたんで、何事も下品ではありませんのや。 

昨日のは、そんな1流の味付けでお出ししましたさかいに、お口に合わんのも道理やと思いますわ。
一方、今朝の味付けは辺鄙な田舎風味やったので、殿様のお口に合いましたんや」

と言ったと・・・

この話を聞いて、人々は「信長さん、恥かいてしもたな~」と噂したのだとか・・・

・‥…━━━☆

・・・と、このお話は『武辺咄聞書(ぶへんばなしききがき)『常山紀談(じょうざんきだん(1月9日参照>>)にあるお話なので、ご存じの方もおられるでしょうが、

信長ファンの皆さまには「信長をバカにしてる不愉快な逸話」と、
濃い味付け好みの関東の方々からは「都人の上から目線のいやらしさ満載だ」と、
かなりのお怒りをかっている逸話です。

中には、この坪内の発言を聞いた信長が、
「最初から主人好みの味を作らない料理人の方が、三流の料理人やんけ」
と言い返した・・・なんていう続きの逸話を掲載しているサイトもネット上にはありますが、少なくとも『武辺咄聞書』や『常山紀談』では、信長の言い返しはなく、

『武辺咄聞書』では
「「信長公に恥辱を与へまいらせし」と皆人笑ひけるとなん」と、
『常山紀談』では、
「聞く人信長に耻辱をあたへたる坪内が詞也といひあへり」と、
どちらも、「信長さんが恥をかいたのよ」という終わり方で話を閉めくくっています。

ちなみに、『武辺咄聞書』と『常山紀談』は文章は違いますが内容はほぼ一緒です。 
また、信長が言い返したという逸話の出典をご存じの方、ぜひ「○○という文献の●●あたりに出てたよ」とお教えいただければ幸いですm(_ _)m

という事で、言い返しの話は、未だ出どころを知らないので、『武辺咄聞書』と『常山紀談』の逸話に沿ってお話を進めさせていただきますが、

上記の「信長をバカにしてる不愉快な逸話」とか「都人の上から目線のいやらしさ満載だ」とかのお怒りの件ですが、私、個人の考えを申させていただきますと、
「おっしゃる通り」だと思います。

いや、むしろ、そのための逸話だと思います。

もちろん、『武辺咄聞書』や『常山紀談』の筆者が、信長をバカにして書いたというのではなく、「信長をバカにしたい」あるいは「都人特有の上から目線の」どこかの誰かが言い始めた話が噂として広がっていて、筆者である彼らが、巷の噂として、この話を書いたんじゃないか?と・・・

と、言いますのも、この話のあったとされる時期・・・
『武辺咄聞書』では「信長公天下を治給ふ砌(みぎり)とあるので、ちょっと曖昧ですが、『常山紀談』では「三好家滅し時」とあります。

信長は上洛の際に三好三人衆を畿内から追い出し(9月28日参照>>)、この時、三人衆は敗走してますが、三好家の嫡流である三好義継(みよしよしつぐ)若江城を安堵されて、むしろ、信長の味方となってますので、この『常山紀談』の「三好家滅し時」というのは、その後に義昭を受け入れた事によって攻撃されて(11月16日参照>>)事実上滅亡した元亀四年(天正元年=1573年)の事と思われます。

そして、この料理の話は、その滅亡から数年を経て(『武辺咄聞書』では「四五年」と表現)とありますので、おそらく天正六年(1578年)前後のお話・・・信長が義昭を奉じて上洛してから、すでに10年経ってます。

それこそ、その数年前に義昭を追放して、柴田勝家北陸(2月9日参照>>)、秀吉に中国(5月4日参照>>)明智光秀丹波など(10月24日参照>>)を攻略させてる最中で、自らは本願寺との合戦に備えて、あの鉄甲船(9月30日参照>>)を建造させているような時期です。

いくらなんでも、そんな頃まで、信長が関西の薄味を知らなかったはずは無いわけで・・・なので、おそらくは、信長の事を快く思わない誰かが流した噂話ではないか?と・・・

ただ、それにしても、濃い味を三流だとか、田舎の好みだとか・・・やっぱり、皆さんお怒りのごとく、失礼な言い方ですよね~

しかし、それが、当時の価値観・・・

今だと、それは、単に味の好みが違うだけで、どちらが上品でどちらが下品なんて事はあり得ませんし、それも、座り仕事の多い京都の公家と、合戦にあけくれる武将とでは、当然、味の好みが違い、運動量が多ければ多いだけ、塩分も多く摂らなきゃいけないし、甘い物も欲するし、味が濃くなって当然だと理解できますが、当時の人には、そんな事はわからない・・・

ですが、そんな当時の価値観を払拭させたのが革新的な信長であり、それに学んだ秀吉であり、二人を引き継いで完成形を作った徳川家康では無かったかと思います。

それまでは、どこよりも賑やかで、どこよりも人が集まり、どこよりも最先端で、どこよりも素晴らしかった唯一無二の存在である都に対し、家康が作った江戸という新しい都市が、そこに匹敵する大都市になるにつれて、唯一無二の価値観は唯一無二では無くなり、新しいもう一つの価値観が、同等の価値観として成長し、いつしか「あっちもイイけど、こっちもイイネ」と思えるようになる・・・

そのような価値観が生まれるまでは、やはり、都の物が一流・・・という考えがあったのだと思います。

ところで・・・
ずいぶん昔に小耳に挟んだだけの話なので恐縮ですが、たしかユダヤの格言?か何かに「恥じをかく事は学ぶ事」というのがあると聞いた事があります。

たとえば、難しい漢字を覚えようとしてもなかなか覚えられないけれど、その文字が読めない事で、何かしらの恥ずかしい思いをした時、その恥ずかしさ度合いが大きければ大きいほど、その人は、1発でその漢字を覚え、一生忘れる事は無い・・・だから、怖がらずにどんどん恥じをかきなさい」みたいな事だったと思います。

もし、今回の料理人との話が、実際にあった話だったとしても、あるいは、信長をおとしめるための噂話だったとしても、信長さんともあろうお人なら、その出来事をバネとし、むしろ、より高みに昇るための原動力にしたのではないでしょうか?

.それに・・・
よくよく考えたら、そうでもなかったかもしれない比叡山焼き討ち(9月12日参照>>)を、全山を焼きつくす悪魔の所業のごとく」との噂を流す延暦寺の僧や、帰依せずにちょとしたカリスマ性を見せただけで、「神になろうとする悪魔的思いあがり」なんて噂を流すイエズス会(4月8日の後半参照>>)のほうが、よっぽど悪意に満ちた信長をおとしめる噂のように、私は感じます。
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2009年6月15日 (月)

大河ドラマとか時代劇に思う事イロイロ

 

このページは、よりスムーズに記事が探せるようにと作ったまとめページ=目次で、【大河ドラマ】その他【時代劇など】関連をピックアップしています。

捕捉:記事の内容は、決して大河ドラマを批判しているわけではなく、私自身は「ドラマはドラマ、歴史とは別物なので、大いに創作していただいて良い」と思っている派なのですが、デキの良い作品ほど、それが事実だった」と思ってしまう事が多々ありますので、そこンところは、しっかりと押えておきたい!というつもりで書いております。

・‥…━━━☆大河ドラマ

2022年:鎌倉殿の13人
 
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の感想です
 ●大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第4回の感想

2021年:青天を衝け
 
日本資本主義の父~渋沢栄一の『論語と算盤』

2020年:麒麟がくる
 
新年のごあいさつ…そして今年は「麒麟がくる」
 ●色鮮やかな「麒麟がくる」始まりました!
 ●『麒麟がくる』第2回「道三の罠」を見て
 ●『麒麟がくる』第3回「美濃の国」を見て
 ●『麒麟がくる』第4回「尾張潜入指令」を見て
 ●『麒麟がくる』第5回「伊平次を探せ」の感想
 ●『麒麟がくる』第6回「三好長慶襲撃計画」の感想
 ●『麒麟がくる』第7回「帰蝶の願い」の感想
 ●『麒麟がくる』第8回「同盟のゆくえ」の感想
 ●『麒麟がくる』第9回「信長の失敗」の感想
 ●『麒麟がくる』第10回「ひとりぼっちの若君」の感想
 ●『麒麟がくる』第11回「将軍の涙」の感想
 ●『麒麟がくる』第12回「十兵衛の嫁」の感想
 ●『麒麟がくる』第13回「帰蝶のはかりごと」の感想
 ●『麒麟がくる』第14回「聖徳寺の会見」の感想
 ●『麒麟がくる』第15回「道三、わが父に非ず」の感想
 ●『麒麟がくる』第16回「大きな国」の感想
 ●『麒麟がくる』第17回「長良川の対決」の感想
 ● 『麒麟がくる』第18回「越前へ」の感想
 ● 『麒麟がくる』第19回「信長を暗殺せよ」の感想
 ●『麒麟がくる』第20回「家康への文」の感想
 ●『麒麟がくる』第21回「決戦! 桶狭間」の感想
 ●『麒麟がくる』第22回「京よりの使者」の感想
 ●『麒麟がくる』第23回「義輝、夏の終わりに」の感想
 ●『麒麟がくる』第24回「将軍の器」の感想
 ●『麒麟がくる』第25回「羽運ぶ蟻(あり)」の感想
 ●『麒麟がくる』第26回「三淵の奸計」の感想
 ●『麒麟がくる』第27回「宗久の約束」の感想
 ●『麒麟がくる』第28回「新しき幕府」の感想
 ●『麒麟がくる』第29回「摂津晴門の計略」の感想
 ●『麒麟がくる』第30回「朝倉義景を討て」の感想
 ●『麒麟がくる』第31回「逃げよ信長」の感想
 ●『麒麟がくる』第32回「反撃の二百挺」の感想
 ●『麒麟がくる』第33回「比叡山に棲む魔物」の感想
 ●『麒麟がくる』第34回「焼討ちの代償」の感想
 ●『麒麟がくる』第35回「義昭、まよいの中で」の感想
 ●『麒麟がくる』第36回「訣別(けつべつ)」の感想
 ●『麒麟がくる』第37回「信長公と蘭奢待」の感想
 ●『麒麟がくる』第38回「丹波攻略命令」の感想
 ●『麒麟がくる』第39回「本願寺を叩け」の感想
 ●『麒麟がくる』第40回「松永久秀の平蜘蛛」の感想
 ●『麒麟がくる』第41回「月にのぼる者」の感想
 ●『麒麟がくる』第42回「離れゆく心」の感想
 ●『麒麟がくる』第43回「闇に光る樹」の感想
 ●『麒麟がくる』最終回「本能寺の変」の感想

2018年:西郷どん

 大河ドラマ『西郷どん』~最終回を終えての感想

2017年:おんな城主 直虎
 
『おんな城主 直虎』~井伊家家老・小野政直
 ●「おんな城主 直虎」と「アシガール」の感想とか

★2016年:真田丸
 ●大河ドラマ「真田丸」の1~2回の感想
 ●
大河ドラマ「真田丸」の感想~青春編
 ●「真田丸」の感想~大坂編~第20回前兆
 ●まさに神回?真田丸、第35回「犬伏」の感想
 ●大河ドラマ「真田丸」~最終回の感想
 ●真田信繁の討死~そして幸村伝説へ…

★2015年:花燃ゆ
 ●謹賀新年~大河ドラマ「花燃ゆ」への期待
 ●「花燃ゆ」~最終回を見終えての感想

★2014年:軍師官兵衛
 ●軍師官兵衛・第1回「生き残りの掟」の感想
 ●後藤又兵衛は黒田官兵衛の実の息子?
 ●黒田一成と岩佐又兵衛と大坂夏の陣図屏風

★2013年:八重の桜  
 ●「生き方が男前」…幕末から昭和を駆けた新島八重
 ●「八重の桜」第1回感想:ならぬことはならぬ
 ●幕末・足利三代木像梟首事件
 ●八重の桜…第20回「開戦!鳥羽伏見」を見て
 ●山本八重の会津戦争
 ●新政府へ物申す…山本覚馬の建白書『管見』
 ●「八重の桜」第43回:鹿鳴館の華 について…
 ●新しい時代を担う後継者を育てたい~新島襄の思い
 ●軍師官兵衛・第1回「生き残りの掟」の感想
 (↑後半に「八重の桜」の最終回の事をチョコッとだけかいてます)

★2012年:平清盛
 ●大河ドラマ「平清盛」第1回:ふたりの父・感想
 ●清盛と日宋貿易~第8回「宋銭と内大臣」を見て
 ●後白河天皇と今様~第9回「ふたりのはみだし者」
 ●600万アクセスの感謝と第24回「清盛の大一番」
 ●700万アクセス御礼!と「平清盛」の見どころ
 ●大河ドラマ「平清盛」…最終回を見て(感想)

★2011年:江~姫たちの戦国~
 ●2011年・大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」への期待
 ●江~姫たちの戦国~第1回「湖国の姫」でちと残念
 ●「江~姫たちの戦国」第3回・信長の秘密に思う
 ●大河「江~姫たちの戦国」第6回・光秀の天下を見て
 ●大河ドラマ「江」に思う政略結婚と女性の役割
 ●大河ドラマ「江」第20回・茶々の恋でひと言
 ●家康の大坂城入りと「大河ドラマ・江」
 ●大河ドラマ「江」と大坂の陣直前の徳川秀忠の手紙
 ●大河ドラマ主役の「江」~謎多き最期
 ●大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」最終回:希望

★2010年:龍馬伝
 ●大河ドラマ・龍馬伝では幼馴染の弥太郎ですが
 ●「龍馬伝」の龍馬にひとこと言いたい!
 ●龍馬伝の「よくわからない」&加尾ちゃんへの手紙
 ●「龍馬伝」~考えがコロコロ変わる龍馬って
 ●いよいよ「龍馬伝」に登場する中岡慎太郎と陸援隊
 ●中岡慎太郎・薩長同盟への決意を語る
 ●薩長同盟の龍馬に疑問?木戸が待ったのは?
 ●何かオカシイ…龍馬伝・第46回「土佐の大勝負」
 ●龍馬伝・第47回「大政奉還」と徳川慶喜の思惑
 ●龍馬伝・最終回「龍の魂」と幕末の日本人

★2009年:天地人
 ●大河ドラマ「天地人」に思う事
 ●大河ドラマ「天地人」にどうしてもツッコミたい
 ●ツンデレ満載の天地人~忘れちゃいけない新発田城
 ●上杉景勝・上洛!・・・の前の一大事
 ●「天地人」での、世にも不思議な真田一家
 ●先の読めない「天地人」から目が離せない
 ●天地人・第35回:「家康の陰謀」より利長が気になる
 ●天地人・第36回:三成はそんなに嫌われていた?
 ●関ヶ原敗戦での毛利の転落と先の読めない天地人2
 ●ここに来て 千も救うか 天地人

★2008年:篤姫
 ●江戸城無血開城~最後まで城に残ったのは・・・
 ●徳川家茂&新撰組の主治医~松本良順
 ●ポッチャリ型が好み?小松帯刀と二人の妻
 ●晩年の篤姫~ドラマでは語られなかった温泉旅行
 ●「天璋院・篤姫展」に行ってきました~

★2007年:風林火山
 ●風林火山孫子の兵法2・始計篇
 ●軍師のお仕事・出陣の儀式

★2006年:功名が辻
 ●土佐・一領具足の抵抗~浦戸一揆

★2005年:義経
 ●鶴岡八幡宮・静の舞

★番外編
 ●こんな所にも影響?~大河ドラマと株価の連動

・‥…━━━☆大河以外のドラマ&映画

★のぼうの城
 ●「のぼうの城」見て来ました!
 ●成田氏長と甲斐姫と「のぼうの城」と

★信長のシェフ
 ●リアル「信長のシェフ」~料理人・坪内某の話
 ●「信長のシェフ」最終回の感想

★女信長
 ●おんなおんなしてる『女信長』の感想

★アシガール
 ●「おんな城主 直虎」と「アシガール」の感想とか

★清須会議
 ●映画『清須会議』の感想(ネタバレ少々あり)

★信長協奏曲
 ●映画「信長協奏曲」~感想です
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