2016年12月20日 (火)

大河ドラマ「真田丸」~最終回の感想

終わりましたね~

大河ドラマ「真田丸」・・・

なかなかに良かったです・・・関ヶ原あたりまでは・・・(^-^;

もちろん、最近あったいくつかのトンデモ大河よりは相当良いとは思いますが、関ヶ原が終わって、父=昌幸さんが亡くなってからは、正直、
「アレ?どーしちゃったの?」
て感じの雰囲気のまま進み、最終回には
「ホント!どーしちゃったの?」
って感じで、そのまま終わっちゃいました(。>0<。)

もちろん、これはあくまで個人の好みの問題です。

巷には
「感動した」
「涙が止まらなかった」
「最高に良かった」
の声も多く、ドラマを見て良い感想を抱いた方々のお気持ちに対して、どーのこーの言う気は毛頭ございません。

そもそもテレビ番組という物は、それを見た人すべてが「オモシロイ」と思う事なんてありえ無いわけですから・・・

なので、このページでは、あくまで私個人が、見てどう思ったかという事を吐露させていただきたいと思いますので、反対のご意見も多々ありましょうが、そこのところをご理解いただければありがたいです。

そんな中で、私は、以前から申しております通り、
大河とは言えドラマなのですから創作はあって当然ですし、セリフに関しても、もし本当にその時代らしくしゃべってしまうと、予備知識無し&字幕スーパー無しではおそらく聞き取れないので軽い口調のセリフ回しもOKですし、三谷作品も好きです。

なのに抱く、この違和感は・・・
勝手な想像ではありますが、おそらく三谷氏は真田信繁(幸村)よりも、父の昌幸の方がお好きだったのか?
あるいは、歴史好き故にノリノリで脚本を書いているうちに時間配分がオカシナ事になり、気が付いたら、あと何回かで最終回に持ち込まないといけなくなっていたか?

結果として、なんだか今年の大河は、まるで草刈昌幸さんが主役だったみたい・・・もしNHK様の公式サイトの記述通り、この「真田丸」というドラマが、信繁が主役であったのなら、もう少し大坂の陣に時間が欲しかったですね。

急ぐあまり、いろんな物をはしょり過ぎながらも、最終的に豊臣の負け=大坂城の炎上&落城に持っていかねばならなかったためなのか?

結果、ドラマの中では、元・信長のシェフ=現・台所のジイチャンの個人的な恨みを、最終回まで見抜けなかった事が大坂方最大の敗因という驚くような展開に・・・

しかも、あの柔和な小日向さん(秀吉)をレイプ犯に仕立ててまで・・・小日向秀吉さんって、そんなキャラでしたっけ?

もし、仮に、小日向秀吉さんが、自分を嫌っている女性にムリヤリ迫ってコトに及んだとしても、その彼女の心が、なんとか癒えるよう思いっきりやさしく、家族含めて厚遇して「結果的に幸せだワ」と思えるようにしてやろうとする・・・そんなキャラじゃなかったでしたっけ?
(確かに、男に対しては容赦無かったですが…ww)

少なくとも、竹内茶々さんの気を惹こうとしてた時は、そのようなキャラに見えましたが、何とも不思議です。

不思議と言えば、最終回における主役の言動にも不思議な部分が・・・

そもそもが市街戦だった大坂の陣ですが、そこは城下町のセット作成の金額の高さを考慮して、安定の野っ原での合戦シーンとなったとしても、
本来は、湿地帯に囲まれた台地(上町台地)で、遠くに生駒金剛や北摂の山々が霞む大阪平野で展開された戦いなのですから、せめて、河原のような場所が良かったと思うのですが、ドラマでは、なんだか間近に小山が迫るその麓にて戦うという・・・

また、本来なら真田隊の他にも、毛利隊渡辺隊が、ほぼ同時に家康本陣を襲ったはずですが、
ドラマのように、大将の信繁が孤軍奮闘的な戦い方で先頭に立ち、まるで、コートの中で集まるバレーボールチームのように、そこだけ固まった10人くらいの家康主従に向かって銃を構える中、家康は家康で「撃て」とばかりにピタリと動かず睨み合うという・・・

これらの描写も、最終回を盛り上げるための演出&予算の都合だという事でヨシとしましょう。

しかし、その最終回における主役の不思議な言動は、納得するには厳しいかと・・・

信繁がおかみ様に
「望みを捨てぬ者にこそ道は開ける」
と言ったワリには、さっさと自害。

それを丸パクリのおかみ様が秀頼に
「望みを捨てぬ者にこそ道は開ける」
「策がある」

と言ったワリには、とっとと自害。

おそらくは、その「策がある」の「策」だと思われる千姫に
「大坂城のすべてがあなたにかかっている」
と言って送り届けたワリには、何の交渉もせず、ただの爺さん&父さん&娘さんの和やかな再会シーン。

おかみ様&信繁の
「策がある」
というセリフ・・・何もしないなら「策」って何?

この不思議な中途半端感は、何か見逃してるのか?
と、VTRを戻して2~3回見ましたが、残念ながら、私には、これらの流れが理解できませんでした。

これなら、歴史通りに、
最後の最後まで戦うも信繁が討死した後に、
「真田殿お討死」の一報を受けてからの
千姫から爺ちゃん&父への「秀頼様の命乞い」が一蹴されたとの返事を聞いてからの
秀頼主従の自害

の方が、よっぽど辻褄が合ってるように思うのですが、あえて変えた意図はどこにあったのでしょうか?

この不思議な中途半端感のおかげで、なんだか大坂城内にいた人が全員アホに見えて来て仕方が無い・・・
もし、この通りなら、とてもじゃないが日本一の兵(ツワモノ)なんて伝説にはならなかった事でしょう。

あの上田合戦での城攻め>>
あの犬伏の別れの神回>>
での素晴らしさは、いったいどこに~(;ω;)

最初が良かっただけに、関ヶ原以降の残念さが浮き彫りになってしまった感が否めません・・・惜しいです。

以上、最終回の感想・・・ですが、
ちょっと毒吐きました~(*_ _)人ゴメンナサイ

造り手の方々が一所懸命やっておられるのに、素直に「良かった」という感想を書けずに、ホント申し訳ないです。

ブログ内の主要な関連ページ
関ヶ原から大坂の陣の徳川と豊臣の関係>>
平野焼き討ち~「みしかよの物かたり」>>
真田丸の攻防>>
大坂の陣に連動した北山一揆>>
家康×淀殿×治長=愛憎の三角関係>>
大蔵卿局について>>
道明寺誉田の戦い>>
毛利勝永の天王寺口の戦い>>
渡辺糺と母・正栄尼の最期>>
大坂城脱出~お菊物語>>
秀頼の子供たちについて>>
大野治胤の最期>>
千姫のその後>>
上記以外にも、大坂の陣に関しては80以上のページを書いていますので、
【大坂の陣の年表】>>
 から興味のある記事へどうぞm(_ _)m

ほとんど史料が残っていない来年の大河は、
果たして吉と出るか?
凶とでるか?
楽しみにしております。
 .

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2016年5月25日 (水)

大河ドラマ「真田丸」の感想~大坂編~第20回前兆

 

なんとかかんとか、
ぼちぼちと調子が戻って参りました~ヽ(´▽`)/

てな事で、本日は、久々に、大河ドラマ「真田丸」の感想など・・・というのも、先日の茶々(後の淀殿)心の描写が実に良かった!!o(*^▽^*)o

この件に関しては、久々のHITな描き方でした(←個人の感想です)

そう、あの茶々様が、豊臣秀吉(とよとみひでよし)側室
(この時代には、未だ「正室は一人」という認識が確定していないと思われ、実際には多分、寧さん&淀殿の二人ともが正室だと思いますが…)
となる決意をする、あの心の描写です。

これまで、時代劇で何度となく描かれて来た場面・・・

戦国時代とまで行かなくとも、ひと昔前までは、お金持ちの実業家や、権力を握った政治家さんなんかには、「お妾(めかけ)さん」と呼ばれる女性がいて、それがバレてもセンテンススプリングに叩かれる事も、ほとんど無かったです。

おそらくは、戦前&戦中&戦後間もなくは、貧富の差も激しかったし、一生馬車馬のように働きながらも飢えに苦しむような生活をするなら、お金持ちに囲われた生活の方が幸せだったりする事もあったわけですし、なんだかんだで、現在の「不倫」とは違う次元の、そーゆー方たちがいた事も確かですし、

なんたって、生まれた子供が、そのまま元気に成人する確率も、戦前&戦中&戦後間もなく位までは低かったわけですし、

もちろん、以前、昨年の大河の話で書かせていただいたように(「花燃ゆ」最終回の感想を参照>>)、そもそもは、結婚そのものが恋愛を伴う結婚では無かったですしね。

・・・で、何が言いたいかと言いますと、そういう時代を知っている人たちが、テレビの視聴者だった時代には、時代劇での側室の存在は、当然の事で、ごくごく普通に描かれていたわけですが、

昭和30年代の高度成長期を経て、一億総中流と言われるようになり、男女平等ジェンダーフリー男も女も共同参画・・・と、ひと昔前の、かの時代の事をほとんど知らない人たちが大半を占めるようになった、今現在の平成の時代は、結婚には愛がなくてはいけないし、愛し合って結婚した以上は不倫なんてもってのほかだし、ましてや、奥さん意外に子供がいるなんて!!!

もはや友達では押し通せないこの状況に、やむなく、ここ何年かの大河では、側室をまったく無視したり、側室が正室のように描かれていたり、側室の産んだ後継ぎを正室の子にしてみたり、今回の「真田丸」でも、早々とお梅ちゃんに去っていってもらったりの苦肉の策をとっているわけで・・・

そんな中でも、最も微妙なのが茶々様の存在・・・彼女が、秀頼(ひでより)という、豊臣家にとってなくてはならない後継者を産む事で、その存在は無視できないし、かと言って、秀吉をずっと支えたゴッドマザー=(ねい=寧々・おね)さんをスルーすることもできない・・・

なので、ここ何年かの大河では、秀吉だけには側室がいる状態で描かれつつも、このへんの茶々様はじめ女性陣の心情が、うまく表現されないままドラマが進んで行く事が多々ありました(特に「姫たちの○○」はスゴかった(^-^;)

しかし、今回の「真田丸」の竹内茶々様の描写はスゴかった(もちろん、「姫たち」とは別の意味でww)

それこそ、その「姫たち」のページ(2011年5月30日参照>>)でも書かせていただきましたが、「強さ」は男の魅力でもあります・・・特に、この戦国の時代には、

そんな中、その命令一つで何万もの軍勢を動かし、その黄金で天下無双の城を建ててしまう男が、たった一人の女=自分のために右往左往し、何とか、その気を惹こうとアノ手コノ手で機嫌をとって来る・・・これを、気持ちよく思わない女性は、なかなかいませんよ!
(山本リンダの♪狙い撃ち♪の世界ですなぁ( ̄ー ̄)ニヤリ)

「なぁ、なぁ、1回だけ…な?」
てな感じで迫られて、ついつい情にほだされてしまう・・・いやはや、お見事な描写でした。

以前、「三谷さんが描く男性は魅力的なんだけど、女性は…」と書かせていただきましたが、なんのなんの、この大坂編になってからは、女性陣が魅力的ですね~イイです(*^-^)

ただ、そのぶん、大坂編での主人公=真田信繁(幸村)影が薄くなってしまっている気がしないでもない・・・

まぁ、そもそも、これまでは、「大坂での信繁は、ほぼ幽閉状態で部屋に籠りっきり」てのが定番だったわけで、やっとこさ最近になって「秀吉の馬廻り」という情報が発掘されたばかり・・・言うなれば、それだけ、大坂における信繁に関する史料は少ないわけで、ムリクリで、茶々様とのほのかな恋心を描いたり、落書き事件に絡ませたりはしてみるものの、それにも限界ありで、そこのところの影の薄さは致し方無い部分もありますね。

本来なら、大坂城の様子を、ただ見てる状態だったかも知れないわけですが、それでは、ドラマとしてはおもしろくないわけですから、そこは主役の特権をフル活用するしか手立てはないです。

それにしても、
あのお姉ちゃんの記憶喪失事件は何だったんでしょうね?

あんなにアッサリ思い出すなら、記憶喪失の設定は無かってもよかった気もしますが、やはり、あの思い出すシーンでの軽妙な家族のやり取りおんぶするとオシッコ+鼻にカニ+ひからびたカエルwwをやってみたかった?て事なのでしょうか?
(アレはアレでオモシロかったかも)

あと、親戚(信幸とは従兄弟)のはずなのに、あたかも他人のように扱われて嫁から侍女になっちゃったお兄ちゃん=信幸(のぶゆき)の奥さん=こうは・・・おそらく、このまま侍女でいくのではなく、結局は夫婦として繋がったままなんでしょうけど、お婆様の草笛とりさんにとっては、信幸もこうも同じ孫なのに、そのこうさんに「帰る場所がありません」と言わせる設定には、ちょっと悲しい思いがしてしまいましたね。

とは言え、なんだかんだで気になる信繁ときりちゃんの関係・・・ひょっとしたらプラトニックなまま最後までいくのかも知れませんね。

後に仙台藩の片倉家に嫁に行く信繁の娘=阿梅(おうめ)ちゃんは、一般的には高梨内記の娘(ドラマではきり)が産んだ事になってるので、てっきり、信繁ときりちゃんは、いずれはくっつく物だと思ってましたが、一説には、信繁の正室である竹林院(ちくりんいん=大谷吉継の娘)さんの子供と言う話もあるそうで・・・そうなると、きりちゃんの恋は実らない可能性も・・・一途なだけに、ちょっと可哀そう(。>0<。)

最後に、豊臣ファンとして、ちと寂しいのは、なんとなく秀吉さんが壊れていく雰囲気が漂い始めてるところ・・・今週は、まさに、その「前兆」でしたね。

このブログでも度々書かせていただいているように、私個人的には、やはり、秀吉さんは、死ぬ寸前までしっかりしてはったんじゃないか?(8月9日参照>>)と思ってます。

今では、秀吉が高野山の僧侶に対して、秀次のための料理人や世話人の手配をしていた事が明らかになり、「秀吉は秀次を高野山に蟄居させただけで切腹の命令は出していない」という見方も登場してますし、あの朝鮮出兵も、当時の世界情勢(10月12日参照>>)を見れば、無謀とは言い切れないわけですし・・・

でも、やはりドラマでは、これまでの一般的な見方のままの、無謀で、ちょっとタガが外れた秀吉さんになるんでしょうねぇ~

いや、でも三谷氏の事ですから・・・アッと驚く伏線があるかも(゚m゚*)

いずれにしても、今後も大いに期待し、大坂の陣のあの日まで・・・楽しみに視聴していきたいと思っておりますので、いつかまた次の感想など書かせていただく機会もあるやも知れませぬ故、よろしゅーお願いします・・・m(_ _)m

Toyotomikioosakazubyoubu
豊臣期大坂図屏風・部分(関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター蔵)

*これまでの「真田丸」の感想は・・・・
 ●大河ドラマ「真田丸」の1~2回の感想
 ●
大河ドラマ「真田丸」の感想~青春編
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2016年4月 9日 (土)

大河ドラマ「真田丸」の感想~青春編

 

恥ずかしながら、不肖私、最近まで知らなかったのですが、聞くところによると、今回の大河ドラマ『真田丸』には、「○○編」という「くくり」があるらしく、先日=4月3日の放送で「青春編」が終了し、次回からは「大坂編」が始まるとの事・・・

ならば、キリが良い・・・という事で、ここらあたりで、その「青春編」の感想など書かせていただきたいと思います。

・‥…━━━☆

全体的な感想としては、以前、初回の感想のページ(1月19日参照>>)でも書かせていただいたように・・・
まずは・・・イイ!o(*^▽^*)oイイです。

かなり三谷ワールド全開なので、「三谷氏の脚本が苦手」という方には不評なんでしょうが、もともと、私は嫌いでは無いので、「こんな大河があっても良いかな?」という感じ・・・

むしろ、昨今の「トンデモ&ファンタジー大河」よりは、「わざとやってる」「知っててやってる」が出てる気がするので、それこそ「あまりにトンデモな事はなさらないだろう」という安心感が、見ている側にあるのかも知れません。

それに、三谷作品では必須となっている、歴史好きの心をくすぐるような小ネタも入ってますしね。

それこそ、以前の初回の感想にも書いた北条氏政湯漬けすすりまくり(2月13日に後半部分参照>>)に、「徳川には裏切り者はおりません」と宣言する石川数正(11月13日参照>>)や、本多正信(9月5日の後半部分参照>>)・・・なんてのもそうですが、何回か前には、イライラしながら爪を噛んでる家康に、阿茶局(あちゃのつぼね=雲光院)(1月22日参照>>)「爪を噛まない!」と言ってたりなんかして・・・

家康の爪を噛むクセは、史料にも書かれていてけっこう知られたエピソードですが、ドラマで見たのは初めてだと思います。。。。伊賀越え(6月4日参照>>)の逃げっぷりもオモシロかったですしね。

ただ、一つ気になったのは、やはり俳優さんとの年齢のギャップですね~
それこそ「青春編」「大坂編」とブロック分けするのであれば、「青春編」は10代の若い俳優さんにお願いした方がシックリきたかも・・・

なんせ、大坂にやって来る時で、信繁(幸村)は、やっとこさ20歳越えたばかりですから・・・最初の頃なんて15~6歳ですが、いくらなんでも42歳の堺さんは・・・頑張って若い感出してはりましたが、演技にも限界ってモノがあるやに思います。

そのために、きりを演じた長澤さん「きりウザイ」「きりジャマ」と、ネットでさんざんに言われてはりましたが、よくよく考えれば、長澤さんのあの役は、おそらく12~3歳?=小学校高学年か中学生くらいの設定のはずので、そのくらいの女の子の、好きな人に対する態度としては、思うようにならないイラだちをぶつけてみたり、邪魔してみたり、イケズしたり・・・と悩める中学生みたいで、ごくごく普通の姿のような気もします。

でも、それを28歳になられる長澤さんがやってしまうと、見てる側は「うっとぉしい女」って感じてしまうんじゃないかと・・・

とは言え、若い俳優さんが演じる期間が、あまり長くなると堺さんや長澤さんの出番も少なくなりますし、そもそも1年間放送予定との兼ね合いなんかもあって、そこのところは作り手の方のみぞ知る・・・スタッフさんとしての1番良い選択が「初回から堺さん」だったのでしょう。

ところで、最初の頃に「高畑さんを中心とした女性陣がコミカルなシーンを演じておられる」と書かせていただきましたが、そのパターンは今も健在ですね。

もともと、三谷さんは、その作品の中で、男性を魅力的に描くのがお得意なようにお見受けしますし、なんたって大河ですから、締めるところは締めないとならないわけで、その引き締める役割をするのが物語を進めて行く男性陣なのですから、男性陣はたいせつに扱わねば・・・なので、ギャグ担当が女性陣になるのは致し方無いところ・・・

に、してもですよ!
敵方の室賀さんの長~くカッコイイ死に方に比べて、お梅ちゃんの亡くなり方には、ちょっとビックリ!です。

そもそも、ドラマの初回に、長女を産むお梅ちゃん(堀田興重の娘もしくは妹)と、後に片倉小十郎(10月14日参照>>)の息子と結婚する三女を産むきりちゃん(高梨内記の娘)が出てた事で、おそらく、この先、嫡男の大助くんを産む新婚ラブリン大谷さんの娘も登場するものと思われ、「おっ!久々の側室アリかい?」と、ちょっとワクワクしたんですが・・・

どうやら、「日曜ゴールデン」という「家族大集合で見ちゃうヨ」枠では、やはり側室の存在はマズイのか?、どうやら、次から次へと亡くなる作戦になったようで・・・まぁ、そこは、平成日本のモラルに合わせて、先に去って行っていただくのも仕方ないのかも・・・

に、してもですよ!(2回目)
合戦序盤からあからさまに立った死亡フラグの中、「お乳が…」「みんなが…」と、跡取り息子の嫁が無防備に戦場をウロウロしまくりで、「もうアカン!」と思ったところをHOT!HOT!佐助に助けられてセーフ・・・と思いきや、知らん間に死んでもてた~って、

確かに、実際の合戦ではそんな感じでしょう。
どこでどう亡くなったかわからない人も多い・・・てか、ほとんどそういう死に方だったと思いますが、それはそこ・・・やっぱりドラマですし、主人公の奥さんですし・・・もうちょっと粘って、感動的な亡くなり方が良かったかな?とも、個人的には思いますが、三谷さんの事ですから、これも何かのフリ、何かの伏線なのかも知れませんから、今は、あまり声を挙げずにおきましょう。

だって、なんだかんだで今回、あの城下での戦いの描き方が最高~ヽ(´▽`)/!でしたからね。

往年の「風雲たけし城」のセットの如き、堀やら柵やら落とし穴やらをほどこした城下に敵を誘いこんで、団子状になった敵を左右の壁に隠れていた兵士が、石つぶてやら熱湯やらで攻撃(さすがにウ●コは無かった(^-^;)・・・って、これまで、軍記物で散々見て来たけれど、アレを映像で再現してくれたドラマは見た事無いです(あったかも知れんけど記憶にないです)

これまでの合戦シーンは、原っぱで騎馬が駆け抜けて雑兵がぶつかって・・・っていう戦闘シーンがほとんどでしたからね。
(これはこれで良いんだけれどもね)

これはこれは・・・茶々としてはメッチャ期待してしまいますヨ!
何が?って・・・最後の最後に描かれるであろう大坂の陣です。

やはり、これまでは、例えそれが大坂の陣の合戦シーンであっても、原っぱで騎馬が駆け抜けて・・・って感じばかりでした。
(大坂の陣には野戦もあるので、「間違い」という事では無いです)

でも、本当は、あの大坂の陣の多くは市街戦・・・大坂の町を、徳川方の軍がグルリと取り囲んで、最終的には、その中で戦闘があったわけですから・・・

Oosakanozinfuzinzu330
↑冬の陣で家康が陣を敷くのが茶臼山…その茶臼山に夏の陣では信繁(幸村)が陣を敷きます。
茶臼山については
2013年4月14日のページで>>

『大坂陣山口休庵咄』によれば、
「町人百姓等城より出候(いでそうら)わば、両手の指を切、はたになし(磔にして)城へ追い入れらるる由(よし)に候(そうろう)
とあり、徳川方が大坂城を包囲した後は、一般人がその包囲をかいくぐって出入りする事ができなかったらしく、取り残された人たちは、やむなく、その包囲の中=戦場で商売をして日銭を稼いでいた事が書かれています。
*さすがにコレはゴールデンの映像にできないでしょうが『みしかよの物かたり』>>もご参考に…)

つまり、城下町で一般人が生活している中での合戦となっていたわけですが、少なくとも、大坂の陣の合戦シーンをそのように描いたドラマを、私は見た事が無いです。

もちろん、私もすべての映画やドラマを見てるわけではありませんが、「知らない」「記憶にない」という事は、「それだけ少ない」という事でもありますから、やっぱり1度は見てみたい・・・

今回の第一次上田合戦=神川の戦い(8月2日参照>>)が、まさに、今までとは一味違う合戦シーンだっただけに、クライマックスの大坂の陣の描き方にも、自然と期待してしまうのです。

とは言え、それはまだまだ先の話として・・・
もちろん、次回からの「大坂編」も楽しみにしてますよ~

なんたって、予告編での秀吉の名乗りが
「かんぱく、とよとみひでよしであ~る」ですからね。

やはり、これも、ほとんどの映画やドラマが
「とよとみひでよし」
ですが、織田や徳川などの苗字ではなく、朝廷から賜った姓(かばね)である豊臣の場合は、本来は
「とよとみひでよし」
ですから・・・
【豊臣姓に秘められた秀吉のコンプレックス】参照>>
【氏・素姓と苗字の話】参照>>

例え大河であっても、三谷ワールドのクスリとする小ネタに期待してます( ̄▽ ̄)

できれば、茶々一押しの逸話=秀吉の遺言だった家康との結婚をドタキャンした淀殿が大野治長と高野山へ逃避行(2010年12月16日参照>>)なんかもねじ込んでいただきたいものですが、やっぱ日曜ゴールデンのファミリータイムに三角関係のゴタゴタはアカンでしょうなぁww(*´v゚*)ゞ

いずれにしても、まだまだこれから・・・楽しみな「真田丸」です。
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2016年2月25日 (木)

映画「信長協奏曲」~感想です

 

公開から1ヶ月経ちましたが、やっとこさ、映画『信長協奏曲(のぶながコンチェルト)を鑑賞させていただいたので、その感想など、お話させていただきます。

・・・・・・・・・・

映画は、まだ公開中ですので、なるべくネタバレしないよう感想を述べたいと思いますが、「ネタバレなして感想を書く」というのは、かなり高度な技術がいると思われます中、もともと文才の無い茶々でございますゆえ、話を進めていくうちに、少々バレてしまうかも知れませんが、そこのところは、ご了承いただきたく存じます。
(注:原作漫画は見ておりませんので、あくまでドラマと、それに続く映画の感想です…あと、ドラマはすでに放送されているのでドラマの内容は完全にバラします)

・・・まず、最初の感想は、
当然ですが、「ドラマを見てオモシロイと思っていた方はオモシロイ」です。

なんせ、俳優さんもろともドラマの続きですから・・・
いや、むしろ、ドラマが、完全に「続きあるヨ」的な終わり方だったので、自身の心の中で、あのドラマを完結させるという意味では、映画も見た方が、完全にスッキリ終われますね。

・・・で、2014年の10月から1クール=3ヶ月間放送されていた映画の前篇となるドラマは・・・

小栗旬さん演じる高校生のサブローがタイムスリップ・・・そこで、自分とソックリの若き日の信長に出会いますが、その信長は、自分が病弱な事や、父親から「大将の器では無い」と叱責された事から自信を失っており、サブローに「自分に代わって信長やってくれへん?」と自身の証となる刀を預けます。

タイムスリップする前にいた場所が映画村(歴史村?)だった事から、(イベントの劇とかで)信長の役をやってくれ」と頼まれていると思ったサブローは「オモシロそう!やってみる!」と引き受けますが、それが、ホンモノの信長だったわけで・・・と、こんな感じで話が進んでいきます。

サブローが信長になった時点で、すでに帰蝶(きちょう=濃姫)と結婚している(2月24日参照>>)、父の信秀(のぶひで)が序盤で亡くなる(3月3日参照>>)から、ドラマの始まりは、天文二十年(1551年)=信長18歳のちょっと前の頃から・・・となっているようです。

第2回の放送で、天文二十二年(1553年)の信長と斉藤道三(さいとうどうさん)との会(4月20日参照>>)が描かれていますので、やはり、そうなんでしょう。

そう、実は、この「信長協奏曲」のオモシロイところは、はじまりが「タイムスリップ」という荒唐無稽な設定ながら、そこに史実をうま~く絡めてくれているところです。

おそらくは、原作者の方が、かなりの歴史好き&信長好きなのでしょう・・・その発想に歴史愛が見え隠れします。

また、原作には無いドラマ版でのオリジナルキャラとして、信長の従兄弟の織田信清(のぶきよ)>>をチョイスして下さる所なんざ、ドラマの造り手さんの中にも、歴史好き&信長好きが感じられるので、お笑い的な要素も、創作丸々な部分も、落ち着いて見ていられるのだと思います。

そんな中で、奇抜なヘアスタイルに奇抜なファッション、変な言葉づかいに突飛な発想は、現代人のサブローなればこそ・・・という路線で物語は進みます。

未だ群雄割拠する戦国で、「天下を取ってやる!」と豪語するのも、「これ以上誰も死んでほしく無い!」「戦争の無い日本にするには全国を一つにするしかない!」という、現代日本の平和を知っている者なら、ごく普通に思い描く部分から来ているのですが、未だ戦国真っただ中の人たちにとっては、それは思いもよらぬ発想・・・そこに、家臣たちも魅かれていくわけで・・・

・・・とまぁ、こんな感じで、未だ、尾張(おわり=愛知県西部)すら統一していない時点の織田家を信長として引っ張っていく事になるサブローが、

その後の・・・
弘治二年(1556年)の斎藤道三の最期>>
永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い>>
永禄九年(1566年)?墨俣の一夜城>>からの
永禄十年(1567年)の稲葉山城・陥落>>
永禄十一年(1568年)の足利義昭を奉じての上洛>>
元亀元年(1570年)に始まった浅井朝倉との戦いでの金ヶ崎の退き口>>から続く、主要キャラの森可成(もりよしなり)が討死する宇佐山城の戦い>>へと、

信長主人公の物語の定番となる様々な場面を、歴史に疎く、戦いに慣れていない現代高校生のサブローの成長ぶりとうまく絡めつつ、ドラマは描いてくれていましたね。

さらに、
元亀二年(1571年)の比叡山焼き討ち>>や、
天正元年(1573年)に将軍を追放する槇島城の戦い>>浅井家の滅亡>>まで・・・

と長々とお話してしまいましたが、この浅井家の滅亡までが、月9で放送されたドラマでの出来事で、映画では、その続き=安土城を完成>>させるあたりから、信長の最期となる本能寺の変>>までが描かれます。

もちろん、本能寺へ至る伏線は、すでにドラマの時から貼られているわけですが・・・

それが、途中から、頭巾で顔を隠した本物の信長が、謎の武将=明智光秀(あけちみつひで)と名乗り、家臣となってサブローをサポートする事・・・

もう一つ、以前、信長(本物の方)が焼き討ちした村の生き残りで、家族を皆殺しにされた恨みを持つ男が、木下藤吉郎(きのしたとうきちろう=後の豊臣秀吉)と名乗って、草履取りから側近となっていく事・・・

最初は、本当にサブローの味方となってサポートしていた光秀でしたが、その冷酷な性格から、信長当時は、心通わす事が無かった家臣たちや妻の帰蝶が、サブローを心底慕っている場面を目の当たりにし、密かに嫉妬の炎を燃やす中、信長⇔サブロー入れ替わりの事実を知った秀吉が、「あなた様こそ信長様…」と、光秀にサブローを暗殺させようと画策し、光秀自身も、信長の座を取り戻したいと思うようになり・・・と、これらが、本能寺への伏線ですね。

天正十年(1582年)6月に
光秀が本能寺で謀反を起こす事・・・
その13日後に、
秀吉が山崎の合戦>>で、その光秀を討つ事・・・
を、知っている私たちから見れば、
なるほど・・・そう来たか~
という感じですね。
(ちなみに、サブローは歴史が苦手で、本能寺の変の事は、まったく知らない設定です)

なので、すでにドラマの終盤で、本能寺への流れが見えている感じですが、果たして映画では、その予想通りの結末となるのか?どうか・・・

それは、映画を見てのお楽しみ・・・それを確かめるためにも、ドラマのファンだった方は、その落とし所を確認しないと、ですね。

もちろん、歴史としてのツッコミどころはありますが、それこそ、時間にも役者さんの数にも限りがありますので、完全スルーで描かれなかった場面があるのも、大人の事情として理解できますし、何より、物語の中での辻褄が合ってるのでOKです。

そして、ウレシイのは、「ここのところはテレビドラマでは派手なのはムリなんだろうなぁ」と思える軍団による戦闘シーンが、ちゃんと描かれているところ・・・

ドラマでは、いまどきの高校生で、刀の扱いも不得手だった小栗サブロー君が、映画ではかなりの戦闘シーンを見せてくれてます。

ドラマの最後である浅井家の滅亡から、映画の始まりである安土城完成までは約3年間・・・そこから本能寺までは約6年間・・・

思えば、タイムスリップした高校生から、「にんげんごじゅうね~ん」の本能寺までの年月=約30年が経っているわけですから、サブロー君も成長したという事でしょう。

あと、ドラマでは、サブローと家臣たちのやりとりや、奥さん帰蝶との掛け合いで笑わせてくれるシーンがふんだんにありましたが、映画では最初のあたりだけで、あとは、どちらかというと真剣なノリでの話が進みます。

また、武田滅亡>>が完全スルーなので、個人的には、この武田とのアレコレを中心に、毛利とのドンパチも描きつつのドラマを、もう1クールやってから、映画での本能寺でも良かったんじゃないか?と思ったりもするのですが・・・

ただ、武田は無かったけれど、一方では、石山本願寺との天王寺合戦>>松永久秀(まつながひさひで)との信貴山城の戦い>>というあまり、ドラマや映画ではお目にかかれないシーンが出て来たのは良かったです。

特に天王寺合戦は、この戦いでのサブローの動きっぷりが、この後のある事のキーポイントとなるので、イイ感じで描かれていましたね。

ティーパーティがウエディングだったり・・・
「敵は本能寺にあり!」と叫ぶのが光秀じゃなかったり・・・
なのに、物語の中では、ちゃんと辻褄が合って成立しているのがオモシロイ・・・
山田孝之=秀吉君の恨み爆発の演技も良かったしね

とにかく、もともと月9のドラマも好きだった私の中では充分満足できました~

ただ、最後の最後がなぁ~
いや、見てるお客さんに対し、その後の事も伝えなけらばならないので、来たばかりのウイリアム・アダムス三浦按針)君が、太陽電池のスンゴイ充電器を持っていたと仮定して、アレはアレで良いのかも知れないけれど、私個人としては・・・
「サブローと松永久秀と、さらにアダムス君までもがナニするなら、帰蝶ちゃんがナニしても良かったんとちゃうん?
てか、そうしてあげて欲しかったワ」

と思うのですが、造り手さんの中では、「往復はあっても片道切符は発行しない」って決まり的な物があったのかも知れませんね。
(ちなみに、史実としてのウィリアム・アダムスが漂着する>>のは慶長五年(1600年)=関ヶ原の直前の事なので信長どころか秀吉も死んだ後ですが…オモシロイので許すww)

んん?って事は、ドラマの序盤に死んだ斉藤道三もナニしてるのか?
という疑問を残しつつも、個人的には見て良かった映画だと思いました。

追記:ネタバレしないために、アレがナニが、という曖昧な表現が多くなってしまった事をお詫びしますm(_ _)m
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2013年12月 5日 (木)

映画『清須会議』の感想(ネタバレ少々あり)

 

先日、映画『清須会議』を見て来ました~

僭越ながら、本日は、その感想など・・・

とは言え、あくまで個人の感想である事とともに、お話するにあたっては少々のネタバレがある事をお覚悟のうえ、お聞きいただければありがたいです。

・・・まずは、ひと言で感想を言わせていただくならば・・・「期待通り」でした。

なので、オモシロイです。

ただ、私の場合、もともと三谷作品が好きなので、いつの間にか期待以上の物を期待していたわけで、そういう意味では、「期待通り」だったけど「期待以上では無かった」というのがホンネです。

なので、あの『のぼうの城』(11月9日参照>>)のような興奮&ワクワク感はなかったわけですが、随所に見られる小ネタの入れ具合は、さすがのウマさを感じ、クスリとする場面もあり・・・

三谷作品ファンの私としては、ドラマ『古畑任三郎』に見るような小気味いい心理戦を期待していたわけですが、そもそも、歴史上の出来事として、そのおおまかな流れを知ってしまっているものですから、「こうしてああしてこうなるんだろうな」と予想していたら、その通り「こうしてああしてこうなる」わけで、そこに、アッと驚くようなサプライズを盛り込む事には、はなから限度があるわけです。
(そこを、三谷さんだから…と期待していた事も確かですが(*´v゚*)ゞ)

すでに、いくつかのページで書かせていただいているように、家臣・明智光秀(あけちみつひで)の謀反=本能寺の変(2008年6月2日参照>>)にて織田信長が死亡し、家督を譲られていた嫡男・信忠(のぶただ)も亡くなってしまった事で、織田家の後継者を決める事になるのが、今回の『清州(清須)会議』ですが、

11人か12人いた信長の息子の中で、なんだかんだで上から順番という事で、次男の信雄(のぶお・のぶかつ)と三男の信孝(のぶたか)との後継者争いになるわけですが、ここは、映画でもあったように、ほぼ同時期に生まれている二人なれど、信雄の母が生駒の方(生駒吉乃)なのに対し信孝の母の身分が低かったために、信長自ら、ちょっとだけ後に生まれた信雄を次男とし、逆に、先に生まれた信孝を三男としています。

ただし、これも映画であったように、武将として優れていたのは信孝の方だったと言われ(と言っても、信雄さんもあそこまでバカ殿ではないでしょうが←あのキャラ設定は、それこそ三谷作品のギャグという事で…)、そこに、後継者はどっちにする??って問題が起き、家臣の筆頭である柴田勝家(しばたかついえ)信孝を推し羽柴(後の豊臣)秀吉信雄を推すという構図になるわけです。

Toyotomihideyoshi600 ・・・で、どっちもどっちの両者の中で、最後の方になって秀吉が、信長とともに死んだ信忠の嫡男・三法師(さんほうし)を引っ張り出して、三法師を後継者に推す・・・

そうです。
先にもお話しましたように、すでに信長は信忠に家督を譲り、後継者と定めていたのですから、その嫡男である三法師が継ぐのは、むしろ妥当な線で、問題は、その年齢が幼い事くらい・・・で、その三法師の後見人に信孝を据える事で、四方丸く収まる・・・

この後の展開を知っている後世の人間から見れば、秀吉が口火を切った三法師が後継者となる事で、何やら、会議の勝利者が秀吉のように思ってしまいますが、この時点では、むしろ、勝家の勝利とも言える形だったというのがホントのところでしょう。

ただ、以前の清州会議のページ(6月27日参照>>)で追記させていただいたように、この会議決定の後に、幼い三法師を手なづけた秀吉が、その三法師を抱きかかえて、家臣たちの前に登場し、「織田家の当主となった三法師様である!頭が高い!」と言ってのけ、波いる家臣たちが、秀吉(に抱かれた三法師)の前にひれ伏す・・・というのがあって、なんだか勝利宣言のような印象・・・

このシーンは映画でも見せ場となってましたが、それが本当にあったかどうかはともかく、ここは歴史好きがやって欲しい名場面ですので、そういう意味でも「期待通り」という事になります。

また、映画では、この三法師の母が、武田信玄(たけだしんげん)の娘・松姫(12月18日の真ん中あたり参照>>)となっています。

私的には、三法師の生母は、別の人のように思っていて、信忠と松姫は1度も会った事が無いんじゃないか?なんて考えてますが、実際に、未だ母親は特定されておらず、生母が松姫だとする説もある(西山家文言覚書秘伝録)ようですので、そこのところは、松姫にする方が映画としてはオモシロイ・・・

映画の中で、三法師が後継者に決定した事を聞いた松姫が、
「これで武田の血を引いた者が天下人となる」
と不敵な笑みを浮かべるシーンは、あまたの歴史好きが「松姫が母なら、こうなるだろう」と妄想するシーンにピッタシカンカンで、これまた「期待通り」の場面を見せてくれるわけです。

なので、冒頭に書かせていただいた感想=「期待通り」だったけど「期待以上じゃ無かった」という事になるわけですが、歴史好きではなく、これらの清州会議の流れを知らない方にとっては、信雄VS信孝だったところに三法師を引っ張り出してどんでん返し、三法師を担いで高らかに笑みを浮かべる秀吉に、ほくそえむ松姫・・・となるのが、それこそ、小気味いい三谷ワールドとなるかも知れません。

ただ、残念なのは、あくまで清州会議が主であるため、そこに至る本能寺の変や山崎の合戦などのシーンがほんのわずかしかなく、ナレーションも無いため、予備知識無く、映画を見た場合に、「なぜに清州会議となったのか?」が、見ている側に理解できるのかどうかがいささか不安・・・

造り手側としては「そこは、これまで、ドラマや映画で何度も描かれているので、もうイイでしょ?」てな事なのかも知れませんが、ここまですっ飛ばしてしまうと、あまりにも人間関係が解り難い気がしました。
(この人誰、という人物名のテロップも出ないので)

つまり、歴史を知ってる人にとっては、歴史の通りに話が流れるだけだし、歴史を知らない人にとっては、会議の展開は楽しめても、周辺の状況がわからないのでは??と・・・
ちょうどええ感じのターゲットが少なすぎる気が(゚ー゚;

ただ、そこかしこに織り込まれるギャグは楽しめます。

(黒人の弥助(2月23日参照>>)がいるので、おそらく)天正九年(1581年)のお馬揃え(2月28日参照>>)に秀吉が出席しているのは計算ずくのツッコミ待ち?としても、

会議に遅れそうな滝川一益(たきがわかずます)(6月18日参照>>)が、供も無しに馬にも乗らずにたった一人で走り続けたり、そこに、あの『金縛り』の更科六兵衛(さらしなろくべえ)さんが出てきたり、

はたまた、堂々と中庭を走って暗殺に失敗する頼りない刺客や、信雄くんのバカ殿っぷりも・・・

とにかく、豪華でスゴイ役者さんたちの、リキ入れまくりの演技は、充分に見ごたえあり・・・長い上映時間にも関わらず、その長さを感じなかったですから、「期待通り」で「期待以上では無い」とは言え、私的には「オモシロかった」「見てよかった」という事になると思います。

PS:映画では、この後に、賤ヶ岳の戦い(4月20日参照>>)がある事を匂わせて終わってましたが、私としては、その賤ヶ岳の前に秀吉主導の信長の葬儀(10月15日参照>>)がある事も推したい(*^-^)
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2013年10月29日 (火)

大河ドラマ「八重の桜」第43回:鹿鳴館の華 について…

 

以前から度々お話させていただいている通り、毎年、大河ドラマの放送内容によって多大な影響を受けるこのブログですが(笑)

今回も、この日曜日の放送以来、以前upした
【戊辰の恨みを越えて~大山巌と山川捨松の愛】
前編>>
後編>>
のページに、多くの方のご訪問があり、NHKさまさま、うれしい限りであります。

・・・が、今回の「第43回:鹿鳴館の華」について少しだけ・・・

と言いますのも、番組が始まった当初や(1月7日参照>>)、途中にも(5月20日参照>>)感想を書かせていただいた通り、無難ではありますが、なかなかに面白く、一昨年のアレのトラウマを見事払拭してくれる良い大河だと思って見ておりましたので・・・

ただ、今回の、あの腕相撲だけは・・・ちょっと??という空気がたちこめましたね。

もちろん、ドラマには主役の特権という物があるので、本来なら、ほとんど入り込む余地の無い出来事に首を突っ込んでいただいても良いのですが、今回ばかりは、何か違和感の残る筋書きになってたような気がします。

以前のページで書かせていただいたように、実際にも、あるパーティで捨松に一目ぼれした大山巌(おおやまいわお)が、山川家に「嫁に欲しい」と申し込みに行き、断わられても断られてめげずにやって来る中、「それならば…」と、実際に彼に会った捨松が、その人柄に魅かれて行く・・・という流れなわけです。

もちろん、以前のブログに書かせていただいた事が、すべて事実であるとは限りませんし、実際がどうだったかなんて事は、ご本人のみの知るところな内容も大いにあるわけですが、少なくとも、捨松が
「家族がどんなに反対しても、私は、アノ人(大山巌)と結婚します!」
と、アメリカの友人に送った手紙は現存するわけで、

そんな中の今回のドラマ・・・

大山さーの気持ちや、結婚に反対する兄の山川浩(大蔵)、さらに捨松の心の変化も、うまく描かれていて良かったのですが、そこに、主人公:八重さんの「腕相撲で決着をつけましょう」の一言です。

不肖私、始めは、捨松の心を見抜いた八重さんが、わざと、そう言ったのかと思いました。

それなら理解できます・・・てか、予告を見た段階ではそうだと思ってました。

もはや説得しきれないほどの山川浩の反対ぶりを見るに見かねて、それを押さえるために、「腕相撲」を言いだし、わざと大山巌に負けてあげるのかと・・・

しかし、先日のドラマを見る限りでは、そうでは無かったようで・・・

途中で、大山さーを応援する捨松の態度で、初めて、その気持ちに気づき、それに動揺して負けた感じに描かれていました。

・・・って事は、捨松の心の内など知らずに「腕相撲で決着を…」と言った事になり、そうなると、なにやら単なる出しゃばりのオバサンような感じになってしまって、とても残念でした。

とは言え、ここ何年かの大河の中では(個人的には「平清盛」も良かったですが…)、安心して見ていられる秀作となっている八重の桜ですので、まだまだみどころは盛りだくさん・・・これからも期待しています。

毎週、楽しんで見ているだけに、今回は、ちょっとだけ、重箱の隅をつつくようなイケズな感想を言ってしまいました。
ゴメンナサイです。
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2013年4月11日 (木)

おんなおんなしてる『女信長』の感想

 

遅ればせながら・・・
先日、フジテレビ系列で4月5日と6日に放送された2夜連続ドラマ『女信長』についての感想など・・・(あくまで個人的な感想ですので、そこのところはご理解をいただきながら…)

とは言っても、フジテレビが数億円の予算を投入して社運を賭けたスペシャルドラマだったワリには、視聴率は1ケタ=9%にも及ばず「危うく同時間帯で最低の視聴率になるところだった」てな事なので、ドラマ本編をご覧になった方は少なく、むしろ、この大コケのニュースの方をご覧になった方の方が多いのではないか?と思いますが・・・

・・・で、見た感想をひと言で言わせていただくなら
「とても残念なドラマでした」

この残念というのは・・・
ここのところ話題の書籍『残念な人の○○』の残念と同じ定義で、この場合の「残念な人」というのは、決してバカとかアホとかという意味ではなく、「本当はデキる人物なのに、何かしらの歯車のちょっとした狂いで残念な結果になっている」・・・つまり「惜しい人」という意味で、この書籍シリーズでは、そのような人の言動や習慣を見聞きして、「そこのところを改善して行こう」というコンセプトなわけですが・・・

このドラマも、やはり「惜しい」という意味での「残念なドラマ」でした。

あらすじとしては、『女信長』という題名でお解りの通り、「もし信長が女だったら…」という設定で、この発想自体は、歴史好きの妄想を膨らませるに充分な、かなり良い発想と思います。
(くわしいあらすじは、公式サイトで>>…別窓で開きます

「織田信長の奇抜な発想は女だからこそできた!」
てなところはオモシロイ
ですし、

さらに、信長最大の謎である本能寺の変・・・(6月2日参照>>)

  • 新参者でありながら最も信長のお気に入りで出世街道まっしぐらだった明智光秀が、なぜ?謀反を起こしたのか?
  • 天下目前の信長が、なぜに?あれだけ無防備で上洛し、あっさりと討たれてしまうのか?
  • 6月2日に信長が、6月13日に光秀が…二人とも遺体が見つからず生存説がある・・・にも関わらず、その後の歴史の舞台には登場しない(光秀=天海説はあくまで噂なので…)

これらの謎を、
信長と光秀が男女の関係にある中、幼い頃から男として育てられた事に苦悩する信長の手かせ足かせを拭い去るために、信長を暗殺=死んだ事にして、信長が一人の女性(劇中ではお長)として生きる道を光秀が開く・・・

そして、それを知った秀吉が、これまた、光秀を討って=死んだ事にして歴史の舞台から葬り去る・・・

その後、二人は、ただの男と女になって異国へ旅立つ・・・(ここは、最後に異国船に乗る二人が映っただけですが…)

この本能寺の変の謎解きには、なかなかおもしろいものがありますが、やはり、これまでの流れがあまりに残念なので、このハッピーエンドにも違和感が漂います。

そもそも、「信長が女」という荒唐無稽な設定のもとに話しを進めて行くのですから、信長最愛の吉乃(きつの=生駒の方)という女性も登場しなければ、彼女が産んだ子供たちも登場しない・・・つまり、物語はフィクション満載でも問題無いはずなのに、意外に、歴史の流れを無視せず、しかも、それを「信長が女だったからそうなった」という感じに、無理やりこじつけてるような???

というのも、このドラマの中で、最初に信長が恋をするのが、北近江浅井長政なのですが、その長政と肉体関係にありながら、自分が表向き男であるために、その関係を妹の御市(おいち)に言わないまま、自分の身代わりとして浅井家に嫁がせ、

しかも、後で、御市が、長政と信長が恋人同士であった事を知って責めると、はっきりと、本人(御市)に向かって「身代わりのくせに!」なんて事をのたまいます。

もちろん、信長が小谷城を攻撃して浅井家を滅亡させる(8月28日参照>>)のは、好きで好きで「私が天下を取ったら、アナタに譲ってあげるワ」と約束していた長政が裏切って朝倉氏についた事への、女としての逆ギレから・・・つまり痴話げんか?

さらに、2番目の恋人となる明智光秀も、本来、昔から濃姫(信長の正室)(2月24日参照>>)が、光秀に片思いをしている事を充分に知りながらの略奪愛、「私の気持ちを知りながら…」と泣く濃姫に「それの何が悪い」と言わんばかりに平気でイチャつきます。

御市と濃姫は、早いうちから信長が女である事を知っていて、男として生きねばならぬ苦悩を和らげてあげようと、陰に日向に親切にしてくれる二人なので、言わば、親友を裏切る行為・・・しかも、行動のほとんどが、恋した男のため・・・

つまり、この『女信長』の信長は、女から見て「ムカつく女」であり「女に嫌われる女」なのです・・・なので、散々まわりを傷つけて振り回した二人が結ばれるハッピーエンドには違和感が漂う・・・

なんか、
この作者の方は、女性をバカにしたいのか?、女性を貶めようとしてるのか?と思うくらい・・・・なんと言うか・・・「おんなおんなしてる」んですね・・・信長が・・・

いや、ひょっとしたら、作者の方には、そんな悪意はなく、逆に、こんな「おんなおんなしてる」女性が好きで、魅力的だ思ってのキャラ設定なのかも・・・
(おんなおんなしてるタイプが好みな男性もたくさんおられますので…)

この「おんなおんな(女女)してる」っていうのは、あんまり他で聞いた事ないので、もしかして大阪弁なのかしら??

わからない方いるといけないので、ちょっと説明しますと・・・
「女々(めめ)しい」というのは男性に使う言葉ですが、この「おんなおんなしてる」っていうのは女性に対して使う言葉・・・まさに、女の中の女で、ものすご~く女っぽい、あるいは女性ならではのキャラが濃い時に使いますが、いわゆる「女らしい」というのとも違っていて、あまり良い意味で使われる事はなく、

たとえば・・・
『優柔不断で決めかね“あなたか決めてよ”と言ったワリには、後で、その決定に文句を言う』みたいな??
男「晩御飯何食べる?」
女「何でもイイ」
男「じゃ、中華にしよう」
女「えぇ~!!ちゅーかぁ?」
男「なんでもええて言うたやないかい!」
っていうアレとか

洋服選びに彼氏を連れて行き、長時間つきあわせて
女「どっちがイイ?」
男「どっちもええやん」
女「あなたに選んでほしいの」
男「ほな、黄色いほうかな?」
女「ええ?趣味悪い~絶対ピンクじゃん」
男「決まってねんやったら聞くなや!」
っていうアレとか

また、休み時間にトイレにまで一緒に行く仲だった親友同志が、片方が別の誰か(女友達)と仲良くしていたというだけで絶交まで行くほど憎しみ合うとか・・・

嫁×姑のじわじわイヤミ言うドロドロ感とか・・・

もちろん、ドラマの中で信長が洋服買いに行ったり中華食べに行ったりしませんが、そんな「おんなおんなした感じ」の性格を匂わせるキャラ設定なのです。

確かに、『歴女』という言葉が一般的になるほど、最近は歴史好きの女性が溢れていますが、それこそ、個人的な印象ですが、歴史を好きになる女性って、たぶん「おんなおんなしてる」女性では無いし、「おんなおんなしてる」女性があまり好きでは無いタイプだと思うのですね(特に戦国好きは…)

もちろん、戦国時代は今と違って女性が生き難い時代だったかもしれませんが、だからこそ強くしたたかに生きたのが戦国女性であり、平素は夫を影になって支えながらも、窮地に立った時には、男顔負けの手腕を発揮する・・・先日から展開させていただいてるアンケート3月31日参照>>…もうすく締切です!)にて候補に挙げさせていただいてるような、いわゆる「女傑」「烈女」と呼ばれる女性が、歴史上には数多くいた事を歴史好きの女性は知っているわけで・・・

女性を主役にするなら、共感できるそんな彼女たちのドラマを見たいのであって、決して「昼メロのような男取り合いドラマ」を見たいわけじゃないと思うのです。

「信長が女だったら」という発想や「本能寺での展開」が良かっただけに、この主人公のキャラ設定が、本当に残念でした。

しかも、何たって主役の天海さんをはじめとする映画を思わせるような豪華な俳優陣が素晴らしい・・・

確かに、タカラヅカ男役感は満載でしたが、それこそ、女の信長を演じられる人など他に思いつきませんし、それは小雪さんの顔のテカテカ感を差し引いても、みなさん良い配役で、見ごたえのある演技だったと思います。

さらに、ステキな衣装に東福寺の緑が美しく・・・スタッフさんの力の入れようも、ひしひしと感じました。

個人的に、特に印象に残ったのは、武田氏が滅ぶ時の「日の丸の旗」ですね。

これ、以前、日の丸のページ(7月9日参照>>)で書かせていただきましたが、今のところ、現存する最古の日の丸の旗は、武田氏の遺品から発見された物・・・しかも、戦場での傷跡つきですから・・・

そんな細かなところにまで気を配って、「良い物を作ろう」と頑張るスタッフさんの姿勢が垣間見えたぶん、例の「おんなおんなしてる」キャラが残念無念・・・

どうせなら、歴史にこだわらず、完全昼ドラのオールフィクションのほうが、笑って見られる娯楽時代劇になったかも知れません。

本当に本当に惜しい・・・残念です!としか言いようの無いドラマでした。
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2013年3月16日 (土)

「信長のシェフ」最終回の感想

 

「いざ参らん!戦国のキュイジーヌ! 」

・・・て、このクールにテレビ朝日系列で、金曜の深夜に放送されていたドラマ「信長のシェフ」が、とうとう終わりましたね~

個人の感想としては・・・
「いやぁ、オモシロかった~ヽ(´▽`)/」です。

以前、番組が始まって何回目かの頃に、歴史上に登場する、おそらく史実の本物・信長のシェフ坪内某(つぼうちなにがし)のお話を紹介させていただいた時に、「なかなかオモシロイですよ」と、その感想をチョコッと書かせていただきましたが・・・(2月3日参照>>)

歴史好きですが、ドラマは創作物と思っている茶々としては、
もともと、平成に生きる現代のシェフが戦国時代にタイムスリップ・・・という時点で、荒唐無稽なのですから、姉川の合戦で焼肉パーティをしようが、帝の目の前で包丁を振り回そうが、調理中に上がった炎を見て将軍様が「ファイヤー!」とつぶやこうが、ぜんぜん気になりません。

むしろ、「よきにはからえ~~」と歌うようにおっしゃる帝役の森本レオさんのエエ声に、久々にウットリなんかして・・・

とは言え、そんな細かな描写にはツッコミ所が多々あるものの、意外に歴史の流れそのものを逸脱する事が無いうえに、あまり他のドラマで扱われる事の無いツウ好みの歴史人物がイイところで登場し、うまく絡んでくれたりするのが、歴史好きの私もハマってしまう、このドラマの良きところ・・・

ちなみに、私は、原作の漫画は読んでいませんので、あくまで、ドラマの話としてお聞きくださいo(_ _)oペコッ

・・・で、深夜枠でもありますので、このドラマを1度もご覧になった事が無い方のために、大まかに、最終回への流れをご紹介させていただきますと、

平成に生きる現代のシェフ=「ケン」が、戦国時代にタイムスリップして、「ケン」という自分の名前と料理の事以外の記憶を失くしまっていたところに、家族を亡くしてたった一人で生きて行くため、男のフリをしている「夏」という女性と知り合い、彼女に助けられながら、ひょんな事で知り合った木下藤吉郎(秀吉)を通じて、織田信長の料理人となる・・・

・・・で、今回の最終回の前には、途中、窮地に立たされた場面で、何度もケンを助けてくれた、心やさしき森可成(もりよしなり)宇佐山城の戦いで失いつつも(9月20日参照>>)、勃発した石山本願寺との合戦(9月12日参照>>)を休戦に持ちこみたい信長の命を受けて、石山本願寺の料理人と料理(今回はスイーツです)対決をする事になる・・・

つまり、「お互いに条件を出し合って、料理対決で勝った方の条件を呑んで休戦する」という展開になるわけですが、この石山本願寺側の料理人というのが、ケンが平成の世で婚約をしていた女性=「瑤子(ようこ)・・・最終回に来て、ケンはその事を思い出す・・・てな感じです。
(最終回をまだご覧になってない方にはネタバレすんませんm(_ _)mですので、ここから先は最終回を見た後に読んでください)

結局は、帝が「どっちもウマイ!甲乙つけがたい」という事で、どちらの条件も無しに休戦する事となり、結果的に、「なにがなんでも休戦したい」信長の思い通りとなって、石山本願寺の顕如(けんにょ)は不満プンプン・・・

そんな中、「日食の夜に行くと人が消える」という謎の『黄泉の祠(よみのほこら)の存在を、明智光秀(あけちみつひで)に教えてもらったケンは「そこに行けば平成に戻れるかも…」と、夏にうながされ、瑤子と手に手を取って向うのですが、結局、瑤子に別れを告げ、この時代でカノジョとなった夏のもとに戻って来る・・・

しかし、その瑤子も、結局は平成には戻っていないもよう(←ここは謎っぽくなってます)

・・・て事で、完全に続編アリアリ丸出しの最終回だったわけですが・・・

まぁ、前回に放送した宇佐山城の戦いが元亀元年(1570年)9月、今回の石山本願寺との停戦は・・・

と、実は私・・・石山本願寺との停戦と聞いて、最初は天正三年(1575年)10月の事を考えていたんですが、そのワリには、その間にある、義昭追放となる槇島城の戦い(7月18日参照>>)も、浅井滅亡の小谷落城(8月27日参照>>)も・・・果ては、長篠・設楽ヶ原の戦い(5月21日参照>>)まで描かれていない・・・

これまでの雰囲気でみると、さすがに、こんな重要事項をすっ飛ばすはずは無いと思いますので、ひょっとしたら、今回の停戦は、武田信玄が仲介した元亀三年(1572年)7月の停戦の事???

信玄がまったく出て来てないので、勘違いしそうになってましたが、たぶんそうですね・・・

だとしたら、天正十年(1582年)6月に起こる本能寺の変(6月2日参照>>)までは、まだまだ先は長い・・・って事で、ここで終わるわきゃ無いですね。

いや、むしろ、是非とも「続編作ってください」とお願いしたい!

なんせ、今回の最終回でも、石山本願寺側の瑤子の作ったスイーツの毒味をするのが本願寺坊官(ぼうかん・世話係の僧侶)下間頼廉(しもつまらいれん)、ケンの作ったスイーツの毒味をするのが秀吉だったのですが、

実は、この頼廉という人・・・信長亡き後に起こる織田家家臣のトップ争い=秀吉があの柴田勝家とあいまみえる賤ヶ岳の合戦(4月21日参照>>)の時に、「なんなら、この本願寺がお味方しまっせ」と、秀吉に囁く人・・・(1月19日参照>>)

ね!!
このように、歴史好きが、クスッとほくそえむような複線が、このドラマには張られているのですよ!

なのでオモシロイ!(゚▽゚*)

深夜枠にしては高視聴率だったこのドラマ・・・ネット上では、早くも続編、しかも、「ゴールデンタイムに進出」なんて噂もありますが、深夜枠の少ない予算で頑張ってはるスタッフさんの雰囲気も大好きだったので、私としては、あの「トリック」のように、堂々の深夜枠で貫いていただきたい気もしないではないです。

ただし、続編があるならば、深夜であろうとゴールデンであろうと、亡くなってしまった可成さんを演じていた宇梶さんに代わるステキな役者さんを、何らかの役でキャスティングしていただきたい・・・

もちろん、秀吉のゴリさんも、家康の竹山さんも頑張っておられましたし、ミッチーはこれまでの誰よりも信長っぽいし、顕如の市川猿之助さんに至っては、空気も引き締まる怪演でしたが、やはり、ワキを固める宇梶さんがいなくなったのが寂しいので・・・

一ファンとして、期待して待っておりますデスm(_ _)m

ちなみに、信長の生きた時代の京都周辺では、天文二十一年(1552年)12月20日の皆既日食と、天正三年(1575年)3月20日の部分日食・・・と、2回の日食があったらしいですが、果たして信長さんは見たのかな??
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2013年2月22日 (金)

幕末・足利三代木像梟首事件

 

文久三年(1863年)2月22日、京都・等持院に安置されていた室町幕府将軍の木像の首と位牌が盗まれ、賀茂川の河原に晒される・・・世に言う「足利三代木像梟首事件」がありました。

・・・・・・・・・・・

ちょうど、このあいだの大河ドラマ「八重の桜」でやってましたね~

とは言え、まずは、大きな出来事をピックアップして、この頃の大まかな流れを見てみましょう。

安政元年(1854年):
 ペリーが江戸湾に再来し、日米和親条約を締結します。
安政五年(1858年):
 13代将軍・家定が病没し、家茂が14代将軍に…
安政六年(1858年):
 大老・井伊直弼安政の大獄を実施。
 (10月7日参照>>)
万延元年(1860年)3月:
 桜田門外の変で井伊直弼が暗殺される。
 (3月3日参照>>)
文久元年(1861年)10月:
 皇女・和宮が下向(公武合体政策)
 (8月26日参照>>)
桜田門外の変の後あたりから、安政の大獄で弾圧された尊王攘夷派の志士たちによる天誅(てんちゅう)と称する報復行動が、幕府の統制が緩んだ京都にて活発となり、佐幕派(幕府寄り)や公武合体派の人物や安政の大獄協力者などがターゲットとして狙われるようになります。

・・・で、治安が最悪となった京都の町を守るべく、新たに京都守護職という役職が設置される事になりますが、すでにある京都諸司代や町奉行を統轄するこの役職には、やはり、強大な武力を持ち、藩内の論調も安定してる親藩(徳川家の親戚)でないと・・・

この条件に当てはまるのは、福井藩と会津藩ですが、福井藩の松平春嶽(しゅんがく=慶永)は、すでに幕府で政事総務職についていたので、この役目は、会津藩主の松平容保(かたもり)に・・・と白羽の矢が立ちます。

最初はお断わりしていた容保でしたが、会津の初代藩主・保科正之(ほしなまさゆき)(12月18日参照>>)「将軍家と盛衰存亡をともにすべし」という家訓を楯に迫られ・・・
文久二年(1862年)閏8月1日:
 松平容保が京都守護職に就任します。
同年の12月24日:
 容保は上洛し、黒谷の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に入ります。
文久三年(1863年)1月2日:
 容保が孝明天皇に拝謁し、天盃と御衣を賜ります。

一方江戸では・・・
同じ文久三年(1863年)2月4日&5日:
 小石川伝通院(でんつういん)にて浪士組を一般募集
これ↑は、この3月に予定されている将軍・家茂の上洛に先駆けて京都に入り、その身辺警護させるための人員を募集した物で、後に新撰組となるメンバーが応募してるアレです。

・・・と、今回の「足利三代木像梟首事件(あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん)は、まさに天誅の嵐吹く京都に将軍がやって来る寸前に起こった出来事なわけですね。

事件の経緯としては、文久三年(1863年)2月22日深夜、室町幕府の初代将軍の足利尊氏(あしかがたかうじ)の墓所として知られる等持院(とうじいん)に安置されていた初代・尊氏、2代・義詮(よしあきら)、3代・義満(よしみつ)の3体の木像の首と位牌が盗まれ、翌未明に、これらの木像の首が、賀茂川の河原に晒されていた・・・という物です。

・・・で、そのそばには
「逆賊である足利尊氏・義詮・義満の像に天誅を加える…けど、今現在、コイツらよりもっとヒドイやつらがおる。
早い事、その罪を反省して正さんと、俺ら有志でいてまうど!」

てな内容の立札が立ててあったと・・・

ちなみに、木像晒し首が発覚した、この2月23日という日は、江戸で募集されたかの浪士組が上洛を果たした日でもあります(2月23日参照>>)

Sanzyougawara1000 三条高札場…現在はスタバの駐輪場です

とにもかくにも、時代劇でよく見る、あの晒し台の上に、木像の首が乗っかってる光景は、いかにも異様・・・てか、これまで、天誅と称するテロ行為で、何人も人が殺され、実際にその生首が晒されていたわけですから、それらを見ている京都の人々にとっても、逆に異様だったかも・・・

ただ、実際に殺人したわけでも無いし、現代の感覚で行けば、ちょっとしたイタズラにも思えるこの行為(もちろん、イタズラではなく窃盗ですし、イタズラでもやってはいけません)・・・

しかし、これには、イタズラでは済まされないポイントが・・・

それは、かの立札にある後半部分にもある事なのですが・・・

そう、このブログを読んでくださっている方々はお解りですね。

昨日もお話した南北朝時代・・・かの足利尊氏は、南朝の後醍醐(ごだいご)天皇に対抗して、前政権の鎌倉幕府が擁立していた光厳院(こうごんいん=北朝初代の天皇)院宣(いんぜん=上皇の意を受けて側近が書いた文書)を賜り(4月26日参照>>) 、その弟で猶子(ゆうし=契約関係によって成立する親子)光明(こうみょう)天皇を北朝の天皇として即位させています(8月15日参照>>)

で、ご存じのように、最後に南北朝が合一する時、なんだかんだで北朝有利に進められてしまった結果(10月5日参照>>)、本来は、北朝・南朝から交代々々でその後の天皇を出すはずだった約束は破られ、その後は、ずっと北朝側の天皇に・・・

つまり、この幕末の時代の天皇であった第121代孝明天皇、そして、その皇子である第122代明治天皇も、北朝の流れを汲む血筋なわけです。

そこを考えれば、足利将軍は逆賊では無い事になる???

これには、以前水戸黄門様の『大日本史』編さんのところ(10月29日参照>>)でもご紹介したように、その『大日本史』で「南朝が正統」としちゃった中、尊王攘夷の思想はその水戸学から来ているので(10月2日参照>>)、大日本史が正統とした南朝に反発した足利将軍は逆賊という事になるわけですが、

一方では、孝明天皇や明治天皇が北朝の流れである事も、当時の人・・・特に武士は皆知っていたわけで・・・

その後、明治時代になっても、そこのところが問題となり、結局は「南北朝の時代に限って南朝が正統」として、その時代以外は、どっちも正統という玉虫色になってるようですが、幕末当時の人たちの心情という物は、どうだったんでしょうかね???

それこそ、あくまで、個人的な想像ですが、
そこに、この事件にとっては、北朝・南朝うんぬんより、「天皇家に反発した幕府」というポイントが重要だったという事があるような気がするのです。

この事件に激怒した容保が、それまで、「言路洞開(げんろとうかい=話し合いで解決)しようという姿勢をとっていたのを、徹底的に始末する強硬路線に切り替えたと言われていますが、そこには、やはり、この事件に「現幕府を倒す」という意味が込められていた事が重要だったという事なのでしょう。

まぁ、今回の事件の犯人は、尊王攘夷思想を持つ平田派国学者の一派・数名だったわけですが、そこに、過激派の志士たちを監視するために会津藩から送り込まれていた大庭恭平(おおばきょうへい)が関与していた事も、容保を激怒させた一因でしょうが・・・

・・・と、ここまで見ていると・・・
そう、今回の大河ドラマ「八重の桜」は、まったく以って、そのまま描かれていますね。
(京都守護職を引き受けた容保が泣いちゃったのには、ちと驚きましたが…)

確かに、歴史好きとしては、あの3年前のように、主人公がどんな重大事件にも関与するハチャメチャな創作を織り込まれても困り物なのですが、あまりにも、その通りだと、「ただ、一般的な歴史をなぞっているだけ」という感がぬぐえないのも確か・・・

何となく、今のところ、その中央での一般的な歴史の流れのドラマと、八重の周辺の出来事との二つのドラマを見せられている感じ・・・

なので、このブログでも、初回の感想以来、ドラマの感想は1度も書いていないのですが・・・

が、しかし、思えば、まだまだ序盤です。

おそらく・・・
サスペンスで言えば、事件に絡む人々の人間関係や背景を紹介している段階で、まだ、肝心の事件は起こっていない・・・この段階で、物申すのは失礼千万!!

という事で、「八重の桜」に関しては、これからが請うご期待!・・・で、もうちょい「その時」を待つ事にいたしましょう。
 .

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2013年2月 3日 (日)

リアル「信長のシェフ」~料理人・坪内某の話

 

この1月から、テレビ朝日系列で、金曜の深夜、「信長のシェフ」というドラマがスタートしました。

現代のシェフが戦国時代にタイムスリップして、織田信長お抱えの料理人になるという設定なのですが、これがけっこうオモシロイ(*^-^)

もちろん、時代考証や史実うんぬんに関してはツッコミどころ満載ですが、もともと、タイムスリップという荒唐無稽な設定ですし、予算の少ない深夜枠では、表現方法にも限りがあり・・・

ミッチー信長がはおる完全に今風の毛皮のコートも、合戦シーンなのに誰も騎馬してない事も、「衣装にもお金かかるやろし、馬の出演料って高いもんな~」と思えて許せるわけで・・・

ものスゴイ予算をかけたゴールデンで、つじつまの合わない戦国恋愛ドラマを見せられるよりは、肩肘張らずに見れるぶん、深く考えずに楽しめますし、そのワリには、森可成(もりよしなり)(9月20日参照>>)北畠具教(きたばたけとものり)(11月25日参照>>) といった、あまりドラマではお目にかかれないツウ好みの人物が登場して来るところは、なかなかの物です。

なので、ここのところ、毎週楽しみに見ておりますです。

て事で、本日は、その見終わったテンションそのままに、歴史上に登場する信長の料理人のお話を・・・
「いざ参らん!戦国のキュイジーヌ! 」
(↑主人公の決めゼリフです)

・‥…━━━☆

亡き13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の弟=足利義昭(よしあき)を奉じて上洛を果たした織田信長・・・(10月18日参照>>)

その後、かつては畿内を制していた三好家を滅ぼした時、その三好家に仕えていた坪内某(つぼうちなにがし)という料理人を生け捕りにします。

しばらくの間、放し囚(はなしめしうど=自由に動ける捕虜)となった坪内は、数年を経て、信長の家臣の菅谷九右衛門(すげのやきゅうえもん)に仕えるようになります。

と、その頃、市原五右衛門なる家臣が信長に進言・・・

「坪内なる者は、包丁さばきも見事ですし、格式の高い儀式や接待料理にも精通してますし、その息子らはすでに、ウチで奉公してますよって、そろそろ、捕虜てな身分を取っ払って、厨房の事を任せはったらどうでっしゃろ」

と、信長は
「ほな、明日の朝、料理させよ…その出来具合で考えとくわ」
との事・・・

早速、その翌日、信長が、その料理を食べる事になりますが、
「なんじゃ。この水臭い料理は…食べられた物やあれへんがな!」
と、怒り心頭・・・

すると、坪内は
「慎んで承りました。
けど、今一度チャンスを…明日、もっかい調理させてください。
それでも、お口に合わへんかったら、その時は、潔う切腹しますよって」

果たして、その翌日出て来た料理は、何とも美味・・・信長は、大喜びで、「何か褒美を与える」と言います。

すると、坪内は
「実は、昨日の味付けは三好家風の味付けでしたが、今朝のこの味付けは、ハッキリ言うて、第三番(三流)の味付けです。
三好家は長輝
(之長の別名)から5代に渡って将軍家の家事を取り仕切り、この国の政務を行って来ましたんで、何事も下品ではありませんのや。 

昨日のは、そんな1流の味付けでお出ししましたさかいに、お口に合わんのも道理やと思いますわ。
一方、今朝の味付けは辺鄙な田舎風味やったので、殿様のお口に合いましたんや」

と言ったと・・・

この話を聞いて、人々は「信長さん、恥かいてしもたな~」と噂したのだとか・・・

・‥…━━━☆

・・・と、このお話は『武辺咄聞書(ぶへんばなしききがき)『常山紀談(じょうざんきだん(1月9日参照>>)にあるお話なので、ご存じの方もおられるでしょうが、

信長ファンの皆さまには「信長をバカにしてる不愉快な逸話」と、
濃い味付け好みの関東の方々からは「都人の上から目線のいやらしさ満載だ」と、
かなりのお怒りをかっている逸話です。

中には、この坪内の発言を聞いた信長が、
「最初から主人好みの味を作らない料理人の方が、三流の料理人やんけ」
と言い返した・・・なんていう続きの逸話を掲載しているサイトもネット上にはありますが、少なくとも『武辺咄聞書』や『常山紀談』では、信長の言い返しはなく、

『武辺咄聞書』では
「「信長公に恥辱を与へまいらせし」と皆人笑ひけるとなん」と、
『常山紀談』では、
「聞く人信長に耻辱をあたへたる坪内が詞也といひあへり」と、
どちらも、「信長さんが恥をかいたのよ」という終わり方で話を閉めくくっています。

ちなみに、『武辺咄聞書』と『常山紀談』は文章は違いますが内容は一緒です。 
また、信長が言い返したという逸話の出典をご存じの方、ぜひ「○○という文献の●●あたりに出てたよ」とお教えいただければ幸いですm(_ _)m

という事で、言い返しの話は、未だ出どころを知らないので、『武辺咄聞書』と『常山紀談』の逸話に沿ってお話を進めさせていただきますが、

上記の「信長をバカにしてる不愉快な逸話」とか「都人の上から目線のいやらしさ満載だ」とかのお怒りの件ですが、私、個人の考えを申させていただきますと、
「おっしゃる通り」だと思います。

いや、むしろ、そのための逸話だと思います。

もちろん、『武辺咄聞書』や『常山紀談』の筆者が、信長をバカにして書いたというのではなく、「信長をバカにしたい」あるいは「都人特有の上から目線の」どこかの誰かが言い始めた話が噂として広がっていて、筆者である彼らが、巷の噂として、この話を書いたんじゃないか?と・・・

と、言いますのも、この話のあったとされる時期・・・
『武辺咄聞書』では「信長公天下を治給ふ砌(みぎり)とあるので、ちょっと曖昧ですが、『常山紀談』では「三好家滅し時」とあります。

信長は上洛の際に三好三人衆を畿内から追い出し(9月28日参照>>)、この時、三人衆は敗走してますが、三好家の嫡流である三好義継(みよしよしつぐ)若江城を安堵されて、むしろ、信長の味方となってますので、この『常山紀談』の「三好家滅し時」というのは、その後に義昭を受け入れた事によって攻撃されて(7月18日の後半参照>>)事実上滅亡した元亀四年(天正元年=1573年)の事と思われます。

そして、この料理の話は、その滅亡から数年を経て(『武辺咄聞書』では「四五年」と表現)とありますので、おそらく天正六年(1578年)前後のお話・・・信長が義昭を奉じて上洛してから、すでに10年経ってます。

それこそ、その数年前に義昭を追放して、柴田勝家北陸(2月9日参照>>)、秀吉に中国(5月4日参照>>)明智光秀丹波など(10月24日参照>>)を攻略させてる最中で、自らは本願寺との合戦に備えて、あの鉄甲船(9月30日参照>>)を建造させているような時期です。

いくらなんでも、そんな頃まで、信長が関西の薄味を知らなかったはずは無いわけで・・・なので、おそらくは、信長の事を快く思わない誰かが流した噂話ではないか?と・・・

ただ、それにしても、濃い味を三流だとか、田舎の好みだとか・・・やっぱり、皆さんお怒りのごとく、失礼な言い方ですよね~

しかし、それが、当時の価値観・・・

今だと、それは、単に味の好みが違うだけで、どちらが上品でどちらが下品なんて事はあり得ませんし、それも、座り仕事の多い京都の公家と、合戦にあけくれる武将とでは、当然、味の好みが違い、運動量が多ければ多いだけ、塩分も多く摂らなきゃいけないし、甘い物も欲するし、味が濃くなって当然だと理解できますが、当時の人には、そんな事はわからない・・・

ですが、そんな当時の価値観を払拭させたのが革新的な信長であり、それに学んだ秀吉であり、二人を引き継いで完成形を作った徳川家康では無かったかと思います。

それまでは、どこよりも賑やかで、どこよりも人が集まり、どこよりも最先端で、どこよりも素晴らしかった唯一無二の存在である都に対し、家康が作った江戸という新しい都市が、そこに匹敵する大都市になるにつれて、唯一無二の価値観は唯一無二では無くなり、新しいもう一つの価値観が、同等の価値観として成長し、いつしか「あっちもイイけど、こっちもイイネ」と思えるようになる・・・

そのような価値観が生まれるまでは、やはり、都の物が一流・・・という考えがあったのだと思います。

ところで・・・
ずいぶん昔に小耳に挟んだだけの話なので恐縮ですが、たしかユダヤの格言?か何かに「恥じをかく事は学ぶ事」というのがあると聞いた事があります。

たとえば、難しい漢字を覚えようとしてもなかなか覚えられないけれど、その文字が読めない事で、何かしらの恥ずかしい思いをした時、その恥ずかしさ度合いが大きければ大きいほど、その人は、1発でその漢字を覚え、一生忘れる事は無い・・・だから、怖がらずにどんどん恥じをかきなさい」みたいな事だったと思います。

もし、今回の料理人との話が、実際にあった話だったとしても、あるいは、信長をおとしめるための噂話だったとしても、信長さんともあろうお人なら、その出来事をバネとし、むしろ、より高みに昇るための原動力にしたのではないでしょうか?

.それに・・・
よくよく考えたら、そうでもなかったかもしれない比叡山焼き討ち(9月12日参照>>)を、全山を焼きつくす悪魔の所業のごとく」との噂を流す延暦寺の僧や、帰依せずにちょとしたカリスマ性を見せただけで、「神になろうとする悪魔的思いあがり」なんて噂を流すイエズス会(4月8日の後半参照>>)のほうが、よっぽど悪意に満ちた信長をおとしめる噂のように、私は感じます。
 .

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