2009年9月10日 (木)

ツウな京都の路地あるき

 

京都観光と言えば、由緒ある大きなお寺や神社に、つい足が向いてしまいますが、その途中途中には、複雑に入り組んだ路地が存在します。

京都の細い道には、それぞれの名前があり、それぞれの歴史があり・・・

道端の小さな祠(ほこら)に手を合わせ、街中なのにゆっくりとした時間が流れる・・・

いつもの京都じゃない、そんなツウなひとときを味わってみませんか?

京都は、ご存知のように、中国・唐の時代の長安にならって、碁盤の目のように道が張りめぐらされていますが、大路小路と呼ばれるそれらの通り沿いには、お店や家が並んでいます。

Kyoutorozicc しかし、その通り沿いだけだと、真ん中に空き地ができてしまいます。

特に、大きな寺院や貴族の邸宅が移転した時などは、ポッカリと空き地になってしまう事もあり、大変もったいない・・・って事で、その奥の空間に入るための細い道がつけられる・・・やがて、その細い道にも、お店や家ができ、さらに町は発展していくわけです。

Kyoutozusicc この細い道は、一般的に路地(ろーじ)と呼ばれますが、厳密には、路地というのは奥に入って行き止まりになっている道の事・・・大路や小路を結ぶ(つまり通り抜けられる)道は、図子(辻子・ずし)と言います。

いずれにしても、つい見落としてしまうくらい細いのです。

Tatumibasi3a800

たとえば、田村はんのビールのCMでお馴染みの、この巽橋(たつみばし)付近・・・ここでは、CMにも写っていた辰巳大明神が目に止まりますが、そのすぐ近くに・・・

Dscn8158a330 今、明神さんの前で、奥様方が談笑されてますが、この写真に、すでに「巽小路(たつみこうじ)という路地が写ってますが、わかりますか?

Dscn8158abc200
写真のココです。
Tatumikouzi200 ホラ!
ありました。

そして、皆様よくご存知の八坂神社の・・・

Dscn8164a200
車がビュンビュン行き交う四条通
ここにも
Dscn8163a170 ビルとビルの間に
こんな感じ

しかも、奥には、創業120年の老舗の和菓子屋さん「甘泉堂」があったりなんかします。
Dscn8162a330
ここは、「四条花見小路東入ル北側八番路地」と言います。

Dscn8223171 また、有名な六波羅蜜寺の角を西へ行き、大黒町通との角のお風呂やさんの横にある「あじき路地」は、一見、普通の路地ですが・・・

奥に入ると・・・

 

 

Dscn8222330jpg 築100年近いお宅が12軒・・・
まるで、幕末にタイムスリップしたみたいです。

そして、最後にご紹介するのは、知る人ぞ知る
「膏薬図子(こうやくずし)

南北は綾小路通四条通をつなぐ図子で、東西は新町通西洞院通の間・・・あの賑やかな四条通を一歩入ると、ここまで空気が変わるか?と、驚くほど人通りがありません。

・・・で、「なんで、知ってる人は知ってるか?」・・・

Dscn3047a200

それは、ここは、その昔、平将門首がさらされていた場所だったという話・・・つまり、ここから首が、東京のかの地に飛んでいったわけですよ。

Dscn3043171jpg

途中には、将門を祀る「神田神社」があります。

あの空也上人が、将門の供養をした事から、空也供養」がなまって「膏薬図子」になったとも・・・

なんたか、今日は写真ばかりの記事になってしまいましたが、大好きな京都・・・清水や金閣も良いですが、たまには、情緒あふれる、こんなまち歩きもアリではないかと提案させていただきました~。

平将門の伝説については2月14日のページへ>>
 

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2009年9月 8日 (火)

京町屋・特別公開「無名舎」と「紫織庵」に行きました

  

現在、特別公開中の「無名舎(むめいしゃ)「紫織庵(しおりあん)に行って参りました。

これは、「第34回・京の夏の旅」という、いわゆる京都観光を盛り上げるイベントの一環で、他にも、東福寺の三門と龍吟庵並河靖之七宝記念館の庭園など、計・5ヶ所の文化財が1ヶ所=600円の拝観料(なぜか紫織庵は500円でした)で、同時に特別公開されるというもの・・・

東福寺と七宝記念館はいずれも東山山麓・・・と、ちょっと距離があるので、今回は、やはり「京町屋が見たい!」という事で、冒頭の2ヶ所に行ってきました。

Mumaisyatizucc 場所は、紫織庵が新町通の六角上ル、無名舎が同じく新町通の六角下ル・・・京都に慣れたかたなら、これで大体の位置がわかるんですが、遠方から来られる方は・・・

とりあえず、地下鉄・烏丸御池駅を降りて、烏丸通を西へ行き、4つ目の新町通を左(南)へ曲がり、ひたすらまっすぐ・・・5~6分ほどで紫織庵、さらに新町通を南に3~4分で無名舎、もちろん四条烏丸からの逆バージョンだと8分ほどで無名舎、その向こうに紫織庵という事になります。

いずれも、普段は中には入れない普通のお宅で、今回は9月30日までの特別公開となります。

・‥…━━━☆まずは無名舎☆━━━☆・‥…

Dscn8100800_2 こちらは、いわゆる典型的な「表屋(おもてや)造り」と呼ばれるタイプの町屋です。

 

Mumeisyamadorizucc 京都に限らず、以前訪ねたならまちの格子の家(ならまちについては姉妹サイトの奈良歴史散歩へ>>もこんな造りでしたが、通りに面した玄関を入ると、表に面した格子の部屋があり、その向こうに中庭、さらに縦に家をつらぬく通り庭(走り庭)と、並行に住まいの空間があり、奥の庭、さらにへと縦長に続く感じです。

表に面した格子のある部屋は、おおむね店舗や私塾など、公に使用される部屋で、この格子は取り外し可能になっており、お店の形態によっては、バーゲンなどの時に、格子を外して大売出しをしたりするのだそうです。

Dscn8113a800 ちなみに、この格子・・・写真でご覧の通り、太い部分が細い何本かを挟む形となってますが、太い木の間に細いのが1本だと米屋や炭屋さん、2本だと呉服屋さんで3本だと糸屋さん、4本だと織物屋さんという暗黙のルールがあるのだとか・・・

現在の無名舎さんの場合は・・・
祇園祭の宵宮や宵々宮あたりに開催される「屏風祭」という、各お宅が、自慢のお宝を披露するという習慣・・・この時に、格子を取っ払って代々受け継いでいる自慢の品を展示するのだとか・・・

先に書いたとおり、普段は公開していない無名舎さんですが、「その時は、玄関まで開けっぴろげになってるので、今度は、ぜひ、祇園祭の時にお越し下さい」との事でした。

ところで、今回の見ものは、何と言っても「夏のしつらえ」です。

夏のしつらえ=つまり、建具から調度品にいたるまでのすべてを夏バージョンに切り替えてあるのです。

京都は、夏は暑く冬は寒いという盆地独特の気候・・・エアコンなんてない頃に、この夏の暑さをしのぐために、様々な工夫がされている・・・今回は、それを目の当たりにできるわけです(それが見たくて行ったんですが・・・(*゚ー゚*))

Dscn8121acc800 まずは敷物・・・と言っても、まぁ、敷物の場合は、現在の一般のお家でも、夏はいぐさのセンターラグ、冬はホッカホッカカーペットと、季節によって変えるわけですが、無名舎さんを含む伝統的町屋の場合は、敷物だけでなく、建具も変わります。

冬場は、ガラス戸や障子だったのが、夏には、葦戸(よしど・葦製)簾戸(すど・竹製)の戸に替わります。
これなら網戸のように風がスースー通り抜けるわけですね。

Dscn8111a800 そして、今回、初耳で驚いたのは、中庭と奥の庭との関係・・・中庭は少し手狭で陽があまり当たらないのですが、奥の広い庭には、常に陽が当たっている・・・これは、考えたあげくに、わざとこうしてあるそうなのですが、夏の暑い日に打ち水をまきますよね。

実は、陽の当たる奥の庭の打ち水はすぐに蒸発し、陽の当たらない中庭の打ち水は徐々にゆっくりと蒸発する・・・この時間差攻撃によって、建物内に風が生まれるのだそうです。

究極のエコですね・・・

Mumeisya4a130 もちろん、玄関から裏まで、一直線に貫く通り庭にも風が駆け抜けます。

ここには、台所がありますから、火を使えばよけいに暑くなるので、暑い空気を上に逃がすよう天井も工夫されています。

また、この通り庭は、お店で仕入れた品が、住居ゾーンを通らず、直接、大八車などで、蔵へと運び込めるという利点も考えての造りで、昔の人の工夫にはホント頭が下がります。
 

・‥…━━━☆次に紫織庵☆━━━☆・‥…

Dscn8040800 こちらは、大正15年に、モダンな洋間を加えて新築された町屋で、表に高い塀があって、家が直接表通りに面していない「大塀造り」と呼ばれる造りです。

Dscn8069a800 茶室あり広間ありの純和風の部屋の隣には、まさに大正ロマンのサロンがあり、「ごきげんよう」と、風とともに去りぬバリな究極のお嬢様がピアノを弾いてそうな雰囲気です。

部屋と部屋の間にある戸は、無名舎と同様の夏仕様の簾戸なのですが、何と言っても、ここの見ものは、美しい庭に面した広い縁側にピッシリと入れられたガラス戸・・・

Dscn8092cc これは、「波打ちガラス」と呼ばれる、表面が波のように歪ませてあるガラスがはめてあり、これは建築当時そのままのもので、現在は復元が不可能なのだとか・・・

室町随一の豪商・井上利助氏の心意気がうかがえますね。
 

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

・・・で、今回は無名舎紫織庵を、このブログで、ご紹介させていただきましたが、わがホームページのほうでは、もっとくわしくご紹介しようと、現在製作中ですので、少々お待ちを・・・

また、「第34回・京の夏の旅」は、まだまだ他にもたくさんのイベントが用意されています。

もちろん、もう9月なので、終ってしまったイベントも多いですが、まだまだ間に合う物もあります・・・この町屋の公開も9月30日までですからね。

皆様、ぜひとも、もう少しの間、行く夏を惜しんでください・・・

くわしいイベント内容は・・・
「京の夏の旅キャンペーン」のページへ>>
 

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2009年4月22日 (水)

京都・大阪・奈良~近畿の史跡巡り集

 

このページは、よりスムーズに記事が探せるようにと、ジャンル別に記事へのリンクをつけたまとめページ=目次です。

今回は、地元・大阪をはじめ、京都・奈良・兵庫などの神社・仏閣を訪ねた【史跡めぐり】をピックアップさせていただきました~

他のテーマと重複している記事もありますが、「このページを起点に各ページを閲覧」という形で利用していただければ幸いです。

また、左サイドバーに【お楽しみメニュー>ジャンル別・索引】としてリンクを表示しておきますので、気になった時はいつでもい見にきてくださいね・・・もちろん、記事を書けば、更新もしていきますよ!

カテゴリーの「京都・大阪・奈良史跡めぐり」と、変わらないと言えば変わらないのですが、冒頭にも、そして、おりに触れて書かせていただいているように、カテゴリーでの表示が非常に遅いので、サクサクと記事がみつけられるようにとまとめさせていただきました。

休日・GWのお出かけの参考にしていただければ幸いです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

★京都

●巽小路(たつみこうじ)・膏薬図子(こうやくずし)
 四条花見小路東入ル北側八番路地・あじき路地
 【ツウな京都の路地あるき】

●京町屋「無名舎」「紫織庵」特別公開
 【京町屋・特別公開「無名舎」と「紫織庵」に行きました】

●嵐山・花灯路2008
 【京都「嵐山花灯路2008に行ってきました】

●今熊野観音寺・来迎院
 【紅葉の穴場・今熊野観音寺と来迎院】

●大豊神社
 【大豊神社の狛鼠~オオクニヌシとねずみの関係】

●京都御所・一般公開
 【京都御所の一般公開に行ってきました!】

●建仁寺・六波羅蜜寺・珍皇寺
 【四条大橋から五条大橋を歩いてみませんか?】

●松花堂庭園
 【涼を呼ぶ松花堂の水琴窟~その音色は?】

●相国寺
 【相国寺・特別公開~鳴き龍】

●退耕庵・勝林寺・伏見稲荷お茶屋
 【三成と恵瓊が関ヶ原の作戦を練った茶室・作夢軒】

●醍醐寺
 【桜花絢爛!醍醐の花見に行ってきました~】

●智積院
 【智積院と長谷川等伯・障壁画】

●梨木神社・廬山寺
 【京都~萩の名所・梨木神社と源氏物語の廬山寺】

●二条城
 【二条城~その動乱の歴史】

●伏見稲荷大社
 【伏見稲荷大社に行ってきました~】

●福知山
 【明智光秀と丹波・福知山の明智藪】

●宝鏡寺
 【和宮ゆかりの紅葉の名所~京都・宝鏡寺の公開】

●保津峡
 【紅葉の穴場見つけた!~保津峡駅in京都】

●八幡の背割堤と木津川・流れ橋
 【八幡・背割堤の桜と木津川流れ橋】

●鴨川の川床
 【秀吉の京都改造計画と鴨川の納涼床】

●嵐電のイベント・妖怪電車
 【今年も運行!京都・嵐電の妖怪電車】
 

★大阪

●大阪城
 【歴史好きのための大阪城観光】

●大阪城・多聞櫓と千貫櫓
 【大阪城~多聞櫓と千貫櫓の特別公開】

●大阪城・特別展「いくさ場の光景」
 【大坂夏の陣図屏風を見てきました!】

●大手橋
 【大阪マイナー史跡~大手橋と近世城下町の町割】

●交野・私市
 【交野・七夕伝説と京阪電車イベント】
 【京阪電車・新車両と七夕イベント】

●旧大阪砲兵工廠・化学分析場
 【大阪マイナー史跡~旧大阪砲兵工廠・化学分析場】

●泉布観
 【泉布観の一般公開】

●つるのはし跡
 【大阪マイナー史跡~日本最古の「つるのはし」】

●文禄堤・守口
 【幻の首都・大阪~明治天皇のおわした守口宿】

●茨田堤
 【最古の治水工事・茨田堤の物語】

●大阪歴史博物館・特別展示「天璋院・篤姫展」
 【「天璋院・篤姫展」に行ってきました~】

●京阪電車・私市駅の七夕イベント
 【今年は違う!京阪電車七夕イベント2007】
 【京阪電車・新車両と七夕イベント2008】
 【京阪電車・七夕イベント2009】
 

★奈良

●今井町
 【戦国にタイムスリップ!環濠集落・今井町】

●奥明日香(奈良県)
 【飛鳥より奥深い~彼岸花が咲き乱れる奥明日香】

●キトラ古墳
 【キトラ古墳の『白虎』を見てきました!】

●なら燈花会とライトアップ・プロムナード
 【なら燈花会とライトアップ・プロムナード】

●法隆寺
 【法隆寺と聖徳太子】

●薬師寺
 【薬師寺・伽藍完成】
 

★兵庫

●竹田城跡
 【天空の城!日本のマチュピチュ~竹田城登城記】

●姫路城
 【姫路城・化粧櫓に千姫を偲んで・・・】

★滋賀

●彦根城・長浜城・佐和山城跡・安土城跡・観音寺城跡
 【彦根城・佐和山城・長浜城・安土城・観音寺城へ・・・】

 
★番外編

●JR・駅からはじまるハイキング
 【JR・駅からはじまるハイキング】
 

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2009年4月 7日 (火)

桜花絢爛!醍醐の花見に行ってきました~

 

豊臣秀吉に思いを馳せながら醍醐の花見に行って参りました~

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

京都伏見近くにある醍醐寺(だいごじ)は、真言宗醍醐派の総本山。

弘法大師の孫弟子にあたる理源(りげん)大師・聖宝(しょうほう)が、山岳信仰の霊山であった笠取山一帯に貞観十六年(874年)に創建しました。

しかし、何と言っても、この醍醐寺の有名どころと言えば、あの天下人・豊臣秀吉の醍醐の花見ですよね。

Daigonohanami800 醍醐の花見

その醍醐の花見が催されたのは、慶長三年(1598年)3月15日の事・・・。

その頃の秀吉は、この国のすべてを手中に治め、まさに、夢のまた夢の生活を送っていた事でしょうが、一方では、前年からおこなっていた2度目の朝鮮出兵(11月20日参照>>)も思うように進まず、イライラもしていたでしょうし、何より、自らの老いをひしひしと感じていたのかも知れません。
この年の8月に亡くなります8月18日参照>>

Daigosidaret600以前、秀吉の吉野の花見でも書かせていただいたように、お花見は見るタマフリ(2月27日参照>>)・・・活き活きと花を咲かせ、今盛りの樹木の発する色の波長を全身に浴び、あるいは、目から体内に取り込む事で、その生命力を分けていただこうというもの・・・。

お祝いというよりは、落ち込んだ時、停滞の時期に、運気を好転させるために行うのがお花見・・・まさに、この時の秀吉は、そういった思いがあったのでしょう。

「こんな時だからこそ盛大にやろう!」

その準備は、かなり前から行われたようです。

当時、ちょうど親交を深めていた義演(ぎえん)が、第80代座主を務める醍醐寺で花見を行う事を決定した秀吉は、自ら下見に赴いたと言います。

しかし、この醍醐寺・・・歴史はあるものの、応仁の乱の戦火に遭い、当時はかなり荒れ果てた状態だったのです。

秀吉は、建物を再建し、庭を整備し、自分のため・・・というよりは、周囲の皆をいかに楽しませるかに重点を置いて、自ら指揮をとりながら、この醍醐寺の修復にあたったと言います。

特に、三宝院の庭園は、基本設計をしたのも秀吉・・・桃山文化の華やかさを今に伝える見事なお庭です。
*お庭は撮影禁止ですので、その目でお確かめください。

かくして3月15日・・・各大名を含む、従者1300人を従えて、盛大に行われた醍醐の花見・・・

Dscn7810at686 北政所・ねねを先頭に、淀殿・・・以下、側室の輿のあとには、あの前田利家の妻・まつの姿もあったとか・・・。

★醍醐寺では、毎年4月の第二日曜に、この時の花見を再現した『豊太閤花見行列』行われています。

当日の秀吉は、多くの女性たちと、多くの家臣に囲まれて、まさに、最後の一花を咲かせたといった感じであった事でしょうが、昨日の醍醐寺も、今盛りの桜が、人々を魅了していましたよ。

最も美しいポイントと言われる仁王門ですが・・・
やっぱり、最も、人の多いところでもあるわけで、平日とは言え春休み・・・人を、写さないように撮影するのは、ほぼ不可能の状態なので、仕方なく、こんなアングルで・・・

Dscn7830a800 醍醐寺・仁王門

秀吉ゆかりの三宝院は、建物内の見物も数珠つなぎで、波に乗って、何がなんやら、ワカラン間に出口のところまで来てしまいました~

三宝院の門内には、CMで有名(関西だけのCMだったらゴメンナサイ)な、クローンの桜と、DNA提供者の桜さんが・・・

Dscn7803a800 手前の左がクローンです

わたしも、従者を従えて盛大に・・・とは、いかないですが、豪華絢爛ならぬ桜花絢爛のタマフリをいただいて英気を養ってまいりました~といっても、昨日は、醍醐寺だけでなく、平重衡輔子さん(3月10日参照>>)を偲んでの日野一帯から奈良街道を通って、小野小町ゆかりの小野まで、全15kmほどを歩いてきましたので、ちょいバテ気味ではありますが・・・
 

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2009年3月 9日 (月)

三成と恵瓊が関ヶ原の作戦を練った茶室・作夢軒

 

京都では、毎年12月頃~3月頃まで、京都市観光協会・主催の『京の冬の旅』というキャンペーンをやってます。

ご存知のように、京都は日本でも有数の観光都市・・・観光客の姿が絶える事がない町ではありますが、春の花の季節、夏の行楽シーズン、秋の紅葉にお正月の伝統行事と、魅力が目白押しの中で、1月半ば~3月半ばまでが、ちょっとだけオフシーズンなわけで、悪く言えば、「そのお客さんの少ない時期にイベントやって来てもらおう」って事なんですが、この『京の冬の旅』の目玉とも言える
『非公開文化財特別公開』・・・

これは、毎年、10箇所くらいの社寺(今回は12箇所)の協力のもと、いつもは非公開な場所を、同一期間に均一の拝観料(今回は1ヶ所=600円)で拝観させていただけるイベントなのですが・・・

これが、ホントにいつも、ものすごい非公開な場所を選んで公開してくださるので、歴史好き&寺社好きの一般人としては、大変ありがたいイベントなのです。

ただ、上記の通り、12箇所とも一日で廻れば、拝観料だけで合計=7200円・・・しかも、離れた場所を行き来すれば、交通費も・・・

もちろん、途中でお会いした遠方から来られた方は、「全部廻る」とおっしゃっていましたし、3箇所以上を制覇すればプレゼントがいただけるスタンプラリーなんかもあるので、そりゃ、私だって、遠い場所で、次にいつ来られるかわからないなら、全部廻りますが、近いだけに、ちょっと・・・

・・・って事で、今回は、どうしても見たがった東福寺塔頭(たっちゅう・本寺の敷地内にある所属する寺)退耕庵(たいこうあん)と、距離的に近い同じく東福寺塔頭の勝林寺、そして、東福寺駅から、JRだと1駅南の稲荷駅、京阪電車なら2駅南の伏見稲荷駅が近い伏見稲荷大社・お茶屋の3箇所の拝観をしてきました~。

東福寺&伏見稲荷への行き方はHPの歴史散歩で・・・
 ・東福寺>>(退耕庵と勝林寺は東福寺の北側にあります)
 
・伏見稲荷大社>>(お茶屋は神楽殿の近くにあります)

先ほど、ものすごい非公開と言いましたが、たとえば、今回行かせていただいた、この3箇所ともが、実は一般公開をまったくしていないのです。

退耕庵も、勝林寺も、境内に入れるのは、檀家さんか先祖のお墓のある人だけ・・・

しかも、勝林寺などは、その檀家さんでも入った事のない建物内を83年ぶりに公開なんです。

以前公開したのは大正十五年で、その時に本堂の襖絵を新しくしたので、そのお披露目としてチョコッと公開しただけなんだとか・・・建物は、あの近衛家の大玄関を移築したもので、「この襖を開けたのも83年ぶりかも・・・」なんておっしゃってました~。

Dscn7679800 勝林寺・本堂

建物内は撮影禁止でしたが、「お庭はいいですよ」とおっしゃるので、外観を思いっきり正面から撮影させていただきました。

天を仰ぐために床が斜めに造られている毘沙門堂には、平安時代の毘沙門天像があり、この仏様は、長く東福寺の天井内に密かに安置されていた秘仏だったのだとか・・・

・・・で、話が前後しましたが、今回、最も見てみたかったのが、退耕庵・・・、ここも、上記の通り、普段は檀家さんと先祖のお墓など、ゆかりのある人しか入れないお寺なのです。

Dscn7671a800 この退耕庵は、小野小町ゆかりのお寺でもあり、有名な彼女の100歳の姿を描いた像や、彼女に送られた多数のラブレターを胎内に収めたお地蔵様がおられるのですが、何と言っても、ここを、現在のような建物に再建したのは、第十一世住持となったあの安国寺恵瓊(あんこくじえけい)・・・。

恵瓊さんについては、9月23日【戦国のネゴシエーター・安国寺恵瓊の失敗】>>でご覧いただくとして、ここには、その恵瓊さんが設計した作夢軒(さくむけん)という茶室があるのです。

実は、あの関ヶ原の合戦の時、恵瓊は、この茶室にて、石田三成や宇喜多秀家、小早川秀秋らと、作戦を練ったと言われているのです。

茶室の中には入れず、上部が丸くなった扉の部分から、1人ずつの見学で、もちろん茶室もお庭の前面撮影禁止でしたので、他のかたの迷惑にならないようチラ見しながらスケッチをとり、何とかイラストで再現できないかと描いてみました~↓。

Taikouantyasitucc330 茶室・作夢軒・・・画像をクリックしてください。
何とか、実際に見ている臨場感を味わえないかと動きのあるイラストを作成してみましたので・・・

手前には、警固の侍が控える2畳の伏侍(ふせざむらい)の間があり、その向こうに4畳半の茶室・・・天井は、隠し天井となっていて、空間に警固の侍が潜めるよう、あるいは、まさかの時の隠れ場所となっているのでしょうね。

今は誰もいない茶室に、恵瓊さんや三成さんの姿を重ね合わせ、わくわくドキドキ・・・「時間よ止まれ!」ではなく、「時間よ戻れ!」って思っちゃいました~。

そして、一言・・・小早川秀秋に向かって「お前、裏切んなよ!」と、釘を刺しておかねば・・・せっかくの作夢軒なのに、アンタおかげで夢が崩れたやないかい!なんてね~

最後に立ち寄らせていただいた伏見稲荷・お茶屋・・・これは、お団子やうずらの焼き鳥を出すお稲荷さんのお土産屋さんではなく、第108代後水尾(ごみずのお)天皇(後水尾天皇については4月12日のページでどうぞ>>)のからの賜物で、御所の古御殿を移築した建物です。

Dscn7718a800_2 門内は、お庭も含めて、すべて撮影禁止ですので、お写真で紹介できないのが残念ですが、稲荷山を借景にした(木が生長しすぎて稲荷山が見えませんでしたが・・・)回遊式の庭園に、そのお茶屋の建物をメインとして、3つの茶室と、松の下屋という、以前、神官さんの居宅だった建物があります。

松の下屋は、そこに長期滞在した棟方志功(むなかたしこう)が滞在中に描いた襖絵が見事です。

Inariotyayaa500 お茶屋は、上の間下の間の二間続きの書院造で、宮廷好みが色濃く出た重要文化財・・・表にあったイベントの看板を写した写真で雰囲気だけでもどうぞ→

ここも、茶会が開かれる時に、その茶道の一門、あるいはゆかりのある人のみが入れる場所で、以前、一般公開されたのは平成六年・・・13年ぶりの今回の公開ですが、もちろん、次は、いつ公開されるかは未定なのです。

以上、今回訪れた3箇所含め、すべてのこの冬の『非公開文化財特別公開』を紹介させていただきますと・・・

  • 仁和寺 金堂・経堂
  • 妙光寺
  • 妙心寺 三門
  • 妙心寺 衡梅院
  • 宝厳院
  • 高台寺
  • 東福寺 退耕庵
  • 東福寺 勝林寺
  • 伏見稲荷大社 お茶屋
  • 安楽寿院
  • 東寺 五重塔
  • 東寺 観智院

以上の12箇所で、3月18日までの公開ですので、今からでも間に合うかも・・・ですよ!

京都観光協会のHPに『非公開文化財特別公開』の特別ページがありますので、詳しくはコチラからどうぞ>>

一般には、撮影禁止の場所の写真や、その他の『京の冬の旅』のイベントも載ってますよ!
 

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2008年12月21日 (日)

天空の城!日本のマチュピチュ~竹田城・登城記

 

早速、昨日行ってきた竹田城のご紹介です。

竹田城は兵庫県朝来市にある山城・・・その歴史は、嘉吉年間(1441年~43年)に始まります。

Takedass900 藤和峠より:upにすれば、手前から2番目右の山上に石垣が確認できます・・・山が美しすぎて・・・。

あの山名宗全(持豊)の命で家臣の太田垣光景が築城しましたが、その時代は、城というより砦に近いもので、現在残っている石垣などは存在しませんでした。

やがて、永禄十二年(1569年)、織田信長の命で但馬(たじま・兵庫県西部)への進攻を開始した羽柴(豊臣)秀吉によって生野銀山をはじめ周囲の支城が次々と落とされ、太田垣氏は毛利の傘下となって、毛利の支援を得て秀吉に対抗しようとします。

Takedahh900 立雲峡より:ここなら肉眼でバッチリ確認できます

しかし、天正八年(1560年)、秀吉の弟・秀長によって城は陥落し、太田垣氏による竹田城の支配は終ります。

秀長が城代として、城の整備をするとともに、桑山重晴が城主となった後、天正十三年(1585年)には、四国征伐に功績のあった赤松広秀が城主となります。

この頃が、竹田城の規模が最も大きく栄えた頃なのですが、その広秀が、あの慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦に西軍として参戦したため、最終的に自刃に追い込まれ、竹田城は廃城となってしまいました。

なので、現在の石垣のほとんどはこの関ヶ原の合戦の頃に、近江穴太(あのう)衆の手によって、穴太流石積み技法(のづら積みの一種)で構築されたものです。

Takedahb900 北千畳から天守台を見上げる感じもなかなかマチュピチュってます。

ただし城跡からは、もっと古い年代のものも発掘されており、この竹田城は、いくつもの時代によって、たびたび構築された複合遺跡であるという事で、他の時代も特定できる、さらなる発見が期待されています。

この竹田城の魅力は、何と言っても、戦国の山城特有の迷路のように張りめぐらされた複雑な侵入路を作り出す石垣の美しさ・・・

Takedazyoutizu そして、円山川から立ち昇る霧によって発生する雲海の中に、石垣が浮かび上がるところから、天空の城とも呼ばれ、その風景は、まさに日本のマチュピチュです。
(マヤのは写真でしか見た事ないですが・・・)

雲海の条件は、秋から冬にかけての昼間と夜間の温度差が激しいよく晴れた日・・・朝8時までくらいです。

観賞ポイントは3箇所・・・

  1. 一つめは藤和峠・・・(上記1枚目の写真)
    北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路の和田山ICから、国道312号を南下、2つ目の信号を右折し、途中にある「竹田城跡←」を左折せずに直進、途中で2手に分かれる道を「藤和」方面へ・・・
     
    こちらは、城跡には少し距離がありますし、朝は完全に逆光になってしまうようで、肉眼では、山の上にシルエットのような感じでしか見られませんでした・・・しかし、高さは、竹田城より高いので、雲海はキレイで、高性能のカメラなら、すばらしく美しい写真が撮れそうです。(峠の頂上に、待機場所のような駐車場あり)
     
  2. 二つめは立雲峡・・・(上記2枚目の写真)
    北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路の和田山ICから、国道312号を南下、4つめの信号を左折(立雲峡の看板あり)、さらに山道を登ると「立雲峡→」の看板があるので指示通りに右折すると10台以上は止められそうな、余裕の駐車場があります。
     
    城跡との距離はだんぜんこっちのほうが近いです・・・ただし、こちらは、駐車場の場所は竹田城より低いので、雲海をバックに上からの景色を見たいなら、徒歩でさらに上まで登らなくてはなりません。
    途中途中で、お城がキレイに見えるポイントがあるので、気に入った場所があれば、そこまででいいのですが、一番上まで行くとすれば約1時間ほど登らなくてはいけません。
     
  3. そして、やっぱり城跡・・・
    ここは、先ほどの藤和峠への道の看板通りの場所を左折すれば、あとは道なりで駐車場に到着します。
    駐車場からは、徒歩10分くらいで城跡に到着します。
     
    中央にある天守台から南千畳を見下ろすのが、最も有名なアングル・・・マチュピチュのように見える箇所です。(下記写真4枚目)

もちろん、時間に余裕があって、足が丈夫なら、城跡へは本来の上り方・・・徒歩での登山がベストな事は言うまでもありません。

その場合は、地図の「文」のマークの竹田小学校から(徒歩50分)と、JR竹田駅から(700m)の二つの登山口があります。

Tekeda1pt900 天守台からの眺め「マチュピチュだ~!」

とにかく、周囲の山々が美しい・・・!

とても感激しました・・・まさに、天空の城、マチュピチュです。

*フォトアルバムには、別アングルの写真を4枚upしています・・・コチラからどうぞ>>(写真の右上の【次へ>>】をクリックすると2枚目の写真に移動します)
 

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2008年12月16日 (火)

京都「嵐山・花灯路2008」に行ってきました

 

昨夜、現在開催中の「京都・嵐山・花灯路2008」に行って参りました~。

毎年行われるこのイベント・・・今年は、12月12日~21日まで、午後5時~8時30分の3時間半・・・嵐山一帯は幻想的な光に包まれます。

私は、先日の保津峡からのハイキング(12月3日参照>>)の時、時間の都合で立ち寄れなかった清涼寺大覚寺を昼の間に廻らせていただいて、その大覚寺でライトアップが点灯されるのを待ちました。

Dscn7323a200_2 夕暮れの大覚寺

大覚寺(入山料:500円)は、「昼と夜の入れ替え無し」なので、明るいうちに広い境内の美しいお庭を拝見しつつ、大沢池の夕暮れを楽しみつつ・・・と、ゆっくりと時を過ごせます。

ちなみに、大覚寺では花灯路の期間中、十二単や狩衣、物詣姿の衣装に変身して花灯路エリアを散策できる(*十二単は境内のみ←そりゃそうだろ・・・アレじゃ散策できねぇ)というお楽しみも展開中・・・私は狩衣姿になってみたかったんだけど、イイ年をして、しかも一人でやる事ではない気がして諦めました(´Д⊂グスン

印象としては・・・

Arasiyamahanatouro2008 そうですね~以前、「東山・花灯路」(東山花灯路の写真はHPの歴史散歩に掲載してます>>)にも行ったのですが、東山と比べると、エリアがかなり広い・・・ライトアップされている場所を全部を制覇しようとすると、ちょっと疲れるかも知れませんね。

事前に、ネットなどで情報を集め、見てみたい場所をチェックしておくほうが良いかも知れません。

個人的なオススメとしては、やっぱり嵯峨野の竹林が良かったです。

Dscn7205a150 Dscn7415ag150

大河内山荘から、野宮神社を通って天龍寺の北門の所に出る、あの有名な竹林が、幻想的かつ美しくライトアップされ、中には、より幻想的になるように工夫された芸術的なライトアップがされています。

それと、やはり渡月橋・・・南側の河岸もライトアップされ、より幻想的に演出してくれます。

Togetukyoudr330

嵯峨野の竹林と渡月橋の2ヶ所は要チェック!・・・あとは、お好みで選ぶんで、それぞれの花灯路を楽しむのがベストです。

081215_17590001a200 今回の私の場合、花灯路としては大覚寺がスタートですので、大覚寺を堪能した後に、「ノンストップ無料ジャンボタクシー」というのを利用させていただきました。

期間中、大覚寺から二尊院まで(もちろん逆もアリ)を、ノンストップで、しかも無料で運んでってくださいます。

081215_18120001a200 光と花の道づたいには、北山杉清水焼など、京都ならではの灯籠が並び、エリア内の8箇所には、「いけばなプロムナード」と称して、美しいいけばなのライトアップもあり、「灯りの美術展」「ナイトギャラリー」などなど・・・イベントもたくさんです。

まもなく、冬本番を迎える京都の街に、色とりどりの思い出を残してくれる「嵐山花灯路」でした~。
 

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2008年12月11日 (木)

ココを見逃すな!歴史好きのための大阪城・観光

 

以前、どこかのブログだったか、掲示板だったか忘れましたが、自称・戦国好きとおっしゃる女性が、「このあいだ、大阪城に行ったけど、天守閣のお宝以外、当時の遺跡もなく、何も見るとこなかったわ」的な言葉が・・・

すると、返信コメントには、やはり歴史好きとおっしゃる男性から「あれはお城の形をした博物館ですよ。期待しちゃいけません」と・・・

確かに、人には興味のある事とない事がありますから、歴史に興味のない人にとっては、天守閣の最上階からの眺望くらいしか見るとこないのはわかります。

私だって、興味のない物を長々と見せられるのは苦痛です。

しかし、地元びいきを含む大阪城大好き少女(もはや少女ではないが・・・)として、歴史好きのかたから「見るとこない」と言われるのは、つらいものがあるなぁ・・・

これは、「見るとこない」のではなく、「見るとこを知らない」に違いない!

見るとこ見れば、絶対大阪城はすばらしいのだ~これは是非とも、地元民として大阪城の見どころを紹介せねば・・・って事で、今日は歴史好きのための大阪城観光をご紹介します。

・・・とは、言っても、私としては、以前も、このブログで書かせていただいた【多聞櫓と千貫櫓】(11月2日を見てね>>)や、【旧工廠化学分析場】(6月7日を見てね>>)などなど、ぼちぼちとご紹介はしているものの、けっこう多いので、今回は石垣に限ってご紹介させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大阪城の石垣と言って、まず思い出すのは、あの巨石の数々・・・

九州や瀬戸内海の島々から船で運んだ石を、当時は、まだ、すぐそばにあった大阪湾から城内へ修羅(しゅら)と呼ばれる道具で運ばれました。
修羅については11月18日【石舞台古墳のあるじは?】に、大阪・道明寺天満宮にある復元展示の写真を掲載しています・・・コチラからどうぞ>>

巨石は、大手門桜門京橋門に集中していますので、その3つの門は是非訪れて下さい。

Oosakazyouisigakituzucc ベスト5は・・・(地図の青色の番号です)

  1. 蛸石  ・・・桜門
  2. 肥後石・・・京橋門
  3. 振袖石・・・桜門
  4. 見付石・・・大手門
  5. 二番石・・・大手門

Higoisi330 秋色の肥後石

次に、やはり歴史好きに見ていただきたいのは、刻印石・・・

これは、誰がその石を寄進したかがわかるように、個々のしるしをつけた石なのですが、それはもう、大阪城の石垣のあちこちに、その刻印石は存在します・・・私の場合は、探して歩くだけでも、まる一日はOKです。

「まだ、刻印石を見た事がない」あるいは「どんなものかよくわからない」というかたは、まず最初に、大阪城・天守閣から坂を下りて北側に広がる山里丸と呼ばれる一帯(地図の番号1)「刻印石公園」というのが設けられていて、どの刻印がどの大名のものなのか?というのが一覧表にもなっていますし、その代表的なものが並べられていますので、ここで、見てからのほうがわかりやすいです。

Kokuinsekikouen330cc 刻印石公園

ついでに、天守閣の前(地図番号4)には、「残念石」と呼ばれる、切り出されたけど石垣に使われなかった石も展示されているので、一応チェック。

Senkankatoukokuincc 加藤忠広・刻印石

また、すでに紹介した千貫櫓を西の丸庭園側から見れば、真正面に、先日のブログで徳川忠長さんとともに改易の憂き目に遭った(12月6日参照>>)あの加藤忠広さんの刻印が、誰がどう見ても確認できます(地図番号7)

Dscn7109330_2

さらに、上の写真は内堀にある桜門の右側、空堀の北壁の写真ですが、実はこの中には、毛利氏の刻印石と、あの細川忠興の九曜星の刻印が入った石垣があります。

Isigakiupa120 排水溝の左下、目立つ石が毛利の○にーの刻印・・・これは、肉眼でもはっきり見えます。
←クリックして大きくすると確認できます
 

その左に九曜星のマーク・・・こちらは、望遠鏡がないとツライかも・・・その日の調子が良い時には、肉眼ではっきり見えるそうです。

刻印石は、まだまだありますが、今日はこのへんで・・・

そして、最後に太平洋戦争の爪あと・・・

以前、【大阪城の不思議な話】(8月18日参照>>)で書かせていただいたように、この大阪城は、徳川の時代が終ってから太平洋戦争まで、東洋一の軍事施設でした。

現在でも、すでに紹介した科学分析場の他に、天守閣前にある以前博物館として利用されていた建物が、大阪砲兵工廠第四支部の建物で、これは、現在の大阪に残る最大の戦争史跡です。

ちなみに、本部は現在の大阪城ホールのあたりにあったそうです。

・・・なので、この大阪城・・・戦争中は、壊滅状態になるほどの攻撃を受けてします。

Dscn6567150jpg その機銃掃射の跡が確認できるのが、先ほどの山里丸から、天守閣のほうへ向かう上り坂の右側にある古い階段のところの石垣です(地図番号2)

 
そして、実は、皆さんが登っておられる天守閣・・・その天守閣の石垣も、太平洋戦争の時の砲撃で、少しズレているんです。

Dscn6563150 そのズレが確認できる場所が、天守閣北側(地図番号3)・・・
ただし、北側から普通に見ただけではわかりません。

そこから、東側を覗き込むように見てくださいね。

これだけの砲撃を受けながらも、倒れなかった天守閣・・・それは、千年の長きに渡り、この石垣が潰れぬように、計算に計算を重ねて設計されているからなのです!

思わず、藤堂高虎・・・バンザ~イ!
小堀遠州・・・えぇ仕事しまっせ~

以上、本日は、石垣だけにこだわってみました。

ちなみに、現在の大阪城は、高虎が設計したこの徳川時代の石垣の下に、豊臣時代の石垣が眠っています。

HPの歴史散歩では、さらに別の刻印石や細川九曜星のズームアップ、豊臣の石垣の事も載せていますので、よろしければコチラからどうぞ>>>
 

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2008年12月 3日 (水)

紅葉の穴場見つけた!~保津峡駅in京都

 

勤労感謝の日を挟む3連休のピークを過ぎたとは言え、秋色に染まる紅葉の京都は、まだまだ人がいっぱい・・・。

何とか、最後の紅葉を楽しもうと、昨日、行ってきました・・・紅葉の嵐山&保津峡へ・・・

そして、見つけました!

これぞ穴場!・・・もちろん、知ってる人は昔から知ってるんだろうし、何となく予想もしていましたが、まさか、ここまで人が少ないとは・・・

Hodukyoutizucc保津川と言えば、トロッコ列車に保津川下り・・・という事で、ほとんどのかたが、嵐山から亀岡まで、JRをノンストップで通り過ぎていかれるのですが、途中に保津峡駅という駅があります。

今回の私は、この保津峡駅で降りて、嵐山まで散策してきました。

なんと、この保津峡駅・・・無人駅です。

Hodukyoueki330 JR保津峡駅・・・降りた人は三人でした

無人駅というところだけみても、いかに人の乗り降りがないかがわかりますが、ご覧の通り、駅を降りた時点で、すでに絶景です。

なんせ、この駅、保津川に架かる橋が、そのまま駅になってるんですから・・・。

Hodukyoueki001800 保津峡駅を上から・・・橋がホームになってます

ポツリと、たった一つのジュースの自動販売機が置いてあるだけの風情ある駅・・・もう、歩くのが面倒な人は、ここで紅葉狩りをしちゃいましょう。

確かに、な~んにもないところですが、あり余る自然があります。

そもそも、その自然を見に来てるんですから・・・。

昨日は、12月という事で、すでに紅葉もピークを過ぎていましたが、全盛期は、これよりスゴイって事ですからね~。

そして、この保津峡駅からまっすぐ、正面に見える赤い橋を渡って、杉木立の中を道なりに約15分ほど歩けば、トロッコの保津峡駅に着くのですが、ここがまたまた絶景・・・

Dscn6730800 トロッコ保津峡駅付近

トロッコ列車が駅につくたびに、タワーに設置された鐘がエーデ ルワイスの音楽を奏で、ムードを盛り上げてくれます。

あの大都会の様相を呈している京都駅から、普通列車でわずか20分+徒歩15分で、これだけの自然が味わえるとは思っても見ませんでした。

わたし的には、大発見です~。

Nenbutuzi001800 化野念仏寺

今回は、その先、さらに保津川に沿って歩き、途中、大きく右に曲がる保津川と分かれて、そのまままっすぐ、清滝川に沿って歩いて行き、バス停・清滝から嵐山方面へ下り(このままさらにまっすぐ行けば高雄へいきます)愛宕神社の一の鳥居がある鳥居本から、化野念仏寺祇王寺二尊院常寂光寺と・・・嵐山の定番かつ紅葉の名所の寺院を巡って、最終的に天龍寺まで行って参りましたが、祇王寺や、常寂光寺の紅葉も、まだ、充分見れました・・・今週末くらいまでは大丈夫かな?

Arasiyama004800 常寂光寺は京都を一望できます

ただ、さすがに、疲れを知らぬ私も、少々バテ気味・・・(疲れた場合は、意地をはらずに清滝からバスに乗りましょう)

今は、写真の整理も、ままならない状況ですが、とにかく、早くご報告をしたくて、本日のブログに書かせていただきました。

行き交うトロッコ列車は、見たところ満席のようですし、川下りの船も、満員のお客さんを乗せてひっきりなしにやってきます。

トロッコも船下りも魅力的ですが、たまには、ゆっくりと歩いて秋山を愛でるのも一興かと・・・これで、紅葉がピークの時にも、この人出なら、まさに別天地です。

ただし、携帯は圏外です。

清滝のバス停の近くになった途端、メールと電話がドヮっと来ました(笑)・・・そういう意味でも、下界とは一線を引く別天地であります。
 

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2008年11月19日 (水)

和宮ゆかりの紅葉の名所~京都・宝鏡寺の公開

 

昨日、「応仁の乱のゆかりの地を訪ねたい」と、京都の相国寺から千本釈迦堂(大報恩寺)までを歩いてきたのですが、そちらのほうは、いずれ、ホームページの歴史散歩のコーナーでご紹介するとして、本日は、途中に立ち寄った宝鏡寺(ほうきょうじ)をご紹介させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この宝鏡寺には、歴史雑誌などでよく紹介される日野富子の木像が安置されているという事でお邪魔したのですが、実は、このお寺は、今年話題の和宮さまゆかりのお寺でもあるのです。

  ●和宮・関連ページ
    
・天下泰平のために・・・皇女・和宮の決意>>
    ・皇女和宮・替え玉説について>>
    ・皇女和宮とガラスの写真>>

・・・と、言っても、ここに来るのは、今回で2度目・・・

Houkyouzihagi2330 一度目は萩の盛りの季節でした

本当は、9月に一度、お邪魔したのですが、ここは、普段は非公開で、門前の広場までしか入れなかったため、その時は断念して、今回の公開の日に合わせて再びお邪魔したのです。

人形供養でも知られる宝鏡寺の公開は、年二回・・・
 ●春の人形展=3月1日~4月3日
 ●秋の人形展=11月の2~3週間
だけなのです。

・・・で、今回は秋の人形展の期間という事で訪問させていただきましたが、今年の秋の人形展は、11月1日~30日まで・・・という事ですので、まだ、間に合います!

・・・というか、むしろ、これから先の2週間ほどが、ベストとも言える季節です。

なぜなら、まだ昨日は、紅葉には、少し早かった・・・

Dscn6589a800_2 お庭はダメでも門ならいいだろうと撮ってしまいました~門に続く塀の向こうに、少し色づいた木々を確認できますか?・・・あそこがお庭です。

実は、この宝鏡寺のお庭は、知る人ぞ知る紅葉の名所・・・穴場中の穴場です。

京都には、嵐山や、以前ご紹介した東福寺(11月13日参照>>)など、紅葉の名所がたくさんあります。

確かに嵐山は全山をあげて見事な紅葉、東福寺も紅葉の波という表現がぴったりのすばらしい眺めの名所ですが、もちろん、こちらはお庭なので、そういった「圧巻」という感じではありませんが、何と言っても、バス停が近くて歩かずにすむ(お年寄りには好評だそうです)、しかも、街の中心部に・・・です。

Houkyouzitizu 「あちらこちらを見回って、少しだけ時間に余裕が出た!・・・けど、遠くへは行けない・・・歩くのも疲れた」という時に、現地のタクシー運転手がオススメするのが、こちらの紅葉なのです。

残念ながら、宝物・庭園を含めた建物内部は、撮影禁止なので、お庭を写真入りでご紹介できませんが、確かに、「ピークの頃は、さぞかし・・・」といった雰囲気のお庭です。

何度も、言いますが、昨日はまだ早かったのです
(;´д`)トホホ…

Dscn6578a800_2 こちらは、唯一撮影が許可されている「使者の間」と呼ばれるお部屋で、お越しになったお客様には、ここでお待ち戴き、許しがあってから、奥へと通されるのだそうです。

現在のお部屋では、十二単の和宮さまを再現したお人形がお出迎えしてくださいます。
 

・・・で、肝心の和宮さまとの関係ですが・・・

上記の「使者の間」で、お許しがないと奥へ行けない・・・つまり、お寺におられる方が特別なかたという事になります。

開山されたのが、北朝・初代の光厳天皇の皇女・華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼であった事から、もともと皇室にはゆかりのあったお寺だったのですが、その後、第108代後水尾天皇(4月12日参照>>)の皇女・久厳理昌(くごんりしょう)禅尼がお寺に入られてからは、より関係が深まり、以後、歴代の皇女が住持を勤められるようになりました。

この宝鏡寺が、人形の寺となったのも、歴代天皇が、この寺に入られた皇女たちのために、折に触れて人形を贈られていた事に由来するのです。

現在も、今年の大河に登場した第121代 孝明天皇のご遺愛のお人形をはじめ、様々な貴重なお人形が保存されています。

つまりは、お寺の尼僧が、元皇室の方・・・という事ですね。

そのような事から、このお寺は百々(どどの)御所とも呼ばれ、幼い和宮さまがたびたび訪れられて、貝合わせやかるたに興じられたほか、、一時は住まわれた事もあるのだとか・・・

境内には、和宮さまが遊ばれたお庭も現存していますし、今回は、ご愛用の品々なども拝見できました。

さぁ・・・
今年話題の和宮さま・・・
11月30日までの公開・・・
これからが紅葉のピーク・・・

Houkyouzi2a330

ここまで条件が揃えば、この秋、是非とも訪れたい宝鏡寺です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

*人形展の開催が近づき、日づけなどの情報が入りました時は、HPのイベント情報のページでお知らせしていますので、コチラでご確認を>>
 

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