2013年2月 1日 (金)

京都の昔話~愛すべき貧乏神

 

いよいよ、今日から2月・・・

春が待ち遠しい季節ですが、一方で、2月1日は、2度目のお正月との見方もある日です。

二月礼者(にがつれいじゃ)と言って、お正月に年始回りをできなかった人が、この2月1日に回礼に回るという風習のある日なのです。

・・・で、本日は、お正月の間に書こうかな?と思っていたのに書けなかったお話をご紹介させていただきます。

それは、京都の丹後地方に伝わる「貧乏神」の昔話です。

・・・・・・・・・

昔、あるところに、大きな酒屋さんを経営するお金持ちの長者さんがおりました。

・・・と言っても、このお話の主役は、その長者さんのお隣に住んでいるメチャメチャ貧乏の一家・・・

とにかく貧乏で、いつもお金が無く、ただただその日一日をなんとか暮らしている夫婦とその子供3人の5人家族のお家・・・

もうすぐ正月だというのに、やはり今年も貧乏真っただ中・・・年の暮れにお金も無く、しかたなく、皆で物乞いに出かける事にします。

「おぉ、皆、お椀と袋持ったか?」
「今日は、皆で、物乞いするさかい。行くで~」
とお父さんとお母さん・・・

と、仕度をして庭へ出ると、どこからともなく、見た事も無い小さな男の子が、チョコチョコっと現われて
「僕も連れてってぇな」
と・・・

「君、どこの子や?」
「ウチは5人でさえ食べていかれへんのに、このうえ君を養う事なんかでけへんで」
と夫婦が言うと、

「僕は、この家の貧乏神やねん。縁の下にいっつもおるねんで」
と・・・

「な~るほど…君がおるさかい、ウチは、いつまでたっても貧乏で貧乏で、食べる事にも困るような生活やねんな。。。納得~」
「って、アンタ
納得してる場合やないがな~
(゜゜ )☆\(^^ ;)☆
と、ふたりで夫婦漫才・・・

そんな夫婦の様子を見ていた男の子・・・

「ちょっとだけ、待っててな」
と、縁の下に入って行って、何やらちょっとゴソゴソ・・・
「タネ・シカケ、ちょぼっとあるよ」(←byゼンジー北京)

と、再び出て来たかと思うと、片手にひとつかみのお米を持って
「このお米を四升鍋で炊いて、ご飯にしてくれへんやろか?」
と言います。

「これを…って、
こんなちょびっとのお米、四升鍋で炊いたかて、おかいさん
(粥)にもなれへん…
米まばらスープみたいなんができるだけやないかい」

「いやいや、オッチャン、そう言わんと、いっぺん炊いてみてぇや」

「おかしな子ぉやなぁ」
と思いながらも、とりあえず、その子の言う通りに、大きな鍋でちょびっとのお米を炊いてみると・・・

ありゃ不思議・・・ピッカピッカのお米が、四升炊きのお鍋いっぱいに・・・

「ありゃま、不思議やこと…あんなちょびっとのお米で、こんなよーけのご飯になったわ」
と、家族皆、大喜びでワッシワッシとご飯を食べまくり・・・

「あ~~満腹なったわ~」
と、とえりあえず、一家5人、一息つきますが・・・

「さぁ、お腹もいっぱいになった事やし、ほな出かけよか」
とお父さん・・・

そう、確かに、今、お腹いっぱい食べましたが、そもそも、明日のお米を買うお金も無い家計火の車状態は変わらないわけで・・・

「ここで、こうしてたって、明日の正月のためのお餅を用意できるワケやなし」
と、再び家を出ようと庭に行くと、

またまた
「オッチャン、もうチョイ…明日まで待ってぇや」
と、男の子が止めます。

実は、ちょうどその頃、正月を迎える準備真っただ中の隣の長者さんの家では、お餅つきが始まっていたのです。

できあがったお餅は、それぞれに形を整えて、明日まで一晩置いておかれますが、その日の真夜中に、コッソリと長者さんの家に忍び込んだ男の子は、そのお餅に、食紅をペッタンペッタンまぎれ込ませていきました。

翌朝、そのお餅を目にした長者は
「あれぇ?えらいこっちゃ!お餅の中に血ぃがまじってしもとるがな!
こんなお餅は食べられへんなぁ…しゃぁない、ほかそ
(捨てる)

と、そこへチョコチョコっと現われた男の子・・・

「オッチャン、これ、ほかすんか?
ほかすんやったら、全部、僕にちょーだいや」

そう言って、そのお餅を持って帰って、貧乏家の皆に分けました。

貧乏一家は、またまた満腹に・・・

そうこうしているうちに、やがて、だんだんと長者さんの家は貧乏になっていき、逆に、貧乏一家には、どんどんお金がたまっていき、いつしか、その隆盛が反対になってしまったのだとか・・・

こんな貧乏神もいてるんやね~

・‥…━━━☆

と、お話は、ここで終わりますが・・・

う~~ん・・・これは、貧乏神やなくて福の神ですね~。

実は、これ以外にも、各地に残る貧乏神のお話には、今回のように、毛嫌いせずにやさしく対応したり、丁寧に祀る事で、貧乏神が「家の神」に転化して福をもたらすというパターンが多く残ります。

まぁ、一般的には、貧乏神は、豆粒ほどの小男だったり、貧相な老人の姿だったりする事が多く、今回のような子供の姿というのは少ないように思いますが、現われる時期が年の暮れというパターンは多いです。

なので、、おそらく、この貧乏神は、お正月とともにやって来る年神(としがみ)(12月20日参照>>) の性格も持っていたのでしょうね。

いずれにしても、各地に残る貧乏神のお話は、どれも憎めないほのぼのした雰囲気で、貧乏神という存在が、昔の人にとっても、「ちょっと厄介だけど愛すべき神様」であった事がうかがえますね。

きっと、今回の男の子貧乏神も、毎日、縁の下から貧乏一家の生活を見ているうちに、この一家の事が大好きになったのでしょう。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (6) | トラックバック (0)
|

2012年11月30日 (金)

火の神・カマド神~ひょっとこと竜宮童子のお話

 

いよいよ明日から12月・・・

すでに寒いですが、師走に入ればもっと寒くなるんやろなぁ~・・・てな事を考えていたら、何やらあったか~い話がしたくなったので、本日は「火の神様=カマド神」のお話をしましょう!

・・・・・・・・・・・

カマドと言えば、「おクド(火処)さん」・・・関西では「へっつい(戸津火)さん」なんて呼ばれて、「三つべっつい」「五つべっつい」火口が複数あるカマドが一般的で、大きなお屋敷なんかは、その数の多さを誇った物ですが、関東では火口が一つで二つの鍋を乗せる「二つべっつい」が一般的だったそうです。

Dscn2100a900 複数の火口がありますね~(奈良県今井町・米谷家のカマド)…今井町については2008年7月4日のページでどうぞ>>

とにもかくにも、このカマドは、今で言うところのコンロなわけですが、昔の人から見た感覚は、単なる調理をする場所というだけでなく、おいしい料理や、明るさ&温かさを与えてくれる火という物が大切で、その恩恵に預かれる事への感謝、また、毎日おいしい料理が食べられるとは限らない庶民にとっては、そこは神聖に扱わねばならない場所で、言わば、家そのものを表す象徴的な場所でもありました。

地方によっては、破産する事を「カマドを返す」と言ったり、分家する事を「カマドを分ける」と言ったりするそうですが、それこそ、カマドという物が家そのものを表していたからなのでしょう。

なので、当然、そんな神聖な場所には「火の神様」がいると考えられ、全国各地、様々な名前を持つ火の神が、カマド神として祀られる事になります。

近畿地方の古いお家では、「三宝さん」を神棚に祀っているお家も、多いんじゃないでしょうか?

かく言う私の実家も、母が毎日、神棚の三宝さんに水やご飯をお供えしておりましたが・・・

この三宝さんは、仏教や修験道とくっついて「三宝荒神」とも呼ばれ、ちょっと前までは、僧や山伏が各家を訪れて、清めのお祓いをするなんて事もありました。

荒神はその名の通り、荒ぶる神ですが、とても便利な火という物が、一つ取り扱いを間違えれば、火事になったりヤケドをしたりする・・・そんな火という物に対して、昔の人が、そこに荒ぶる神の存在を感じるのは、現代の我々でも納得ですね。

荒ぶる神は崇り神でもあり、そこに、神聖なる物への感謝の気持ちとともに、大切に扱わねば・・・という引き締まった気持ちが共存するのがよくわかります。

・・・と、近畿や西日本では三宝さんですが、東北や東日本のカマド神・火の神と言えば、あの「ひょっとこ」ですね。

Hyottoko200 火に空気を送る(ふいご=金属製錬などで火力を強めるために用いる送風装置)を吹いている時の顔をした、ちょっとおどけたお面で有名な「ひょっとこ」ですが、もともとは火男で、火を守る火の神様だったと言われています。

どの地方に伝わるお話かという事は失念してしまいましたが、そのひょっとこの起源となる『竜宮童子』という昔話があります。

・‥…━━━☆

あるお爺さんが竜宮へ行き、そこで、柴をプレゼントしたお礼にと言って「ヒョットク」という名の小汚い童子をもらい受けます。

しかし、家に連れ帰っても、その童子は何をするという事もなく、ただ、自分のヘソをいじくり回すばかり・・・

あきれたお爺さんが、ちょっとしたイタズラ心で、ヒョイッと、その童子のヘソを火箸でつっついてみると、なんと、そこから、小粒の黄金がポロリとこぼれ落ちて来ました。

それから、毎日3度ずつ、チョイッとヘソ突いて、ちょびっとずつ黄金を取り出していたお爺さんでしたが、それを見た欲ばり婆さん・・・

お察しの通り、
「もっとつつけば、もっと沢山の黄金が出るに違いない!」
とばかりに、一気に突っつき、哀れ、童子は死んでしまいます。

やさしいお爺さんは、童子の死を悲しんで、それからしばらくは、涙々の日々を過ごしていましたが、ある夜、夢の中に童子が現われて
「僕の顔に似たお面を造って、カマドのそばの柱に飾っといたら、自然に富が舞い込んで来るで~~」
と告げたのです。

早速、その通りにしたお爺さんは、やがて村1番の長者になったという事です。

・‥…━━━☆

長者話の定番と言えば定番ですが、やはり、ここでも、火の神様であるカマドの神様=火男は、その荒ぶる力で邪神を追い払い、家を守ってくれる神様だったのですね。

1年の終わりには、カマドにお礼をする「カマドジメ」なる行事を行う地方もあるそうです。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (2) | トラックバック (0)
|

2012年2月15日 (水)

釈迦の入滅~涅槃会と涅槃図の見どころ

 

紀元前383年?の旧暦2月15日、仏教の開祖である釈迦が入滅しました。

・・・・・・・・・

今から2500年ほど前、ご存じ、仏教の開祖釈迦(しゃか)が、最後の教えを残して80歳の生涯を閉じました。

日本では、その日を旧暦の2月15日とし、釈迦の教えや徳に感謝する『涅槃会(ねはんえ)という法会が、各お寺で行われます。

旧暦の2月15日という事なので、月遅れの3月15日に、この行事を行う寺院も多いです。

涅槃とは、煩悩(ぼんのう)煩悩の数え方は除夜の鐘のページで>>)すべて取り払った悟りの境地の事を言いますが、ご存じのように、お釈迦様が亡くなる時は、その悟りの境地に達していたわけですから、この涅槃会の場合の涅槃は、「お釈迦様が亡くなった」という意味で使われます。

この日は、各寺内に、お釈迦様が亡くなった時の姿を描いた『涅槃図』を掲げて、僧が、お釈迦様の最後の説法を記したとされる『遺教経(ゆいきょうぎょう)を読み、参拝者が礼拝します。

頭を北に、西に向いて横たわるお釈迦様の姿を描いた涅槃図は、究極の悟りの世界を表していると言われ、この時のみ公開される涅槃図を拝みに、多くの善男善女が集まるのです。

日本での記録としては、天平勝宝(749年)頃から始まっていた奈良興福寺の記録が最古の物で、貞観二年(860年)には、尾張(愛知県西部)出身の僧・寿広が、舞楽などを交えて盛大に行った事から、「涅槃会と言えば興福寺」と言われるほど有名になりますが、その人気とともに、行事そのものも全国各地に広まっていったのだとか・・・

ちなみに、元祖の興福寺の涅槃会は、毎年2月15日10時から、本坊の北客殿で行われ、誰でも参拝できるうえ、甘酒の接待もしてもらえます(゚ー゚)
(興福寺への行き方は本家HP・奈良歴史散歩「東大寺・春日野めぐり」へ>>

あと、さすがに、今日の2月15日のには、間に合いませんが、冒頭に書かせていただいた通り、3月15日に行われる所もありますので、本家HPの「京阪奈・歳時記」でチェック>>

・‥…━━━☆

では、京都・東福寺の涅槃図を例に、「涅槃図の見どころ」をご紹介しましょう!
ちなみに、この東福寺の涅槃会は毎年3月14日~16日です。

Nehant1a750c (←画像はクリックすると大きくなります)

まずは上部にある
沙羅双樹(さらそうじゅ)の木
この沙羅双樹の「双樹」というのは、お釈迦様が亡くなった時に、その四方に沙羅の木が2本ずつ計8本あったという意味で、沙羅双樹という木ではないわけですが、その花が、お釈迦様が亡くなると同時に、季節外れの花を咲かせたり、すぐに散っては、その花びらでお釈迦様の遺体を覆ったと言われています。
青の点線で囲んだ部分が枯れているのに、まだ青々としている木もあります。

●お釈迦様
中央の宝台の上に、頭を北にして横たわるお釈迦様が描かれていますが、これが、「北枕」の由来とされ、右脇を下にしているのは、西方浄土に向かうという意味だとされています。

●薬袋(やくたい)
これは、お釈迦様の母・摩耶夫人(まーやぶにん)が、病気の我が子のために天から投げたとされる薬の入った袋・・・しかし、残念ながら、沙羅双樹の木に引っ掛かってお釈迦様のもとには届きません。
これは、例えお釈迦様であろうと誰であろうと、死ぬ事は免れないという事を意味していると言われます。
現在でも、薬を与える事を「投薬」と言うのは、ここから来ているそうです。

●動物
お釈迦様の周囲に描かれた弟子や、見守る人たちとともに、図の下の方には十二支をはじめとする様々な動物たちが描かれます。
これは、もちろん「動物たちも、お釈迦様の死を悲しんでいる」という意味で、人だけでなく、生きとし生ける物すべてに慈悲の心を持ったお釈迦様の徳を表しています。
ちなみに、東福寺の物は50種類以上の動物が描かれているのだとか・・・ただし、鼠がお釈迦様の使いとされている事から、猫が描かれた涅槃図は非常に少ないらしいです。

.

・・・と、ご紹介しましたが、もちろん、涅槃図そのものは、それぞれのお寺によって大きさも画風も違います。

ただ、上記のようなポイントは同じですので、もし、ご覧になる機会がありましたら、参考になさってみてください。

ところで・・・
涅槃会では、正月飾りに使った鏡餅に砂糖や醤油をかけて炒ったあられが授与される事があります。

これを『花供御』または『花御供』と書いて「はなくそ」と呼ぶことから、関西では、『お釈迦さんの鼻糞』なんて言われたりしますが、「これを食べると1年間無病息災でいられる」という、ありがた~いシロモノですので、大事に食べてくださいね。

では、本日は、お釈迦様に思いを馳せながら・・・ちょっぴり静かに過ごしましょう。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています

人気ブログランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (4) | トラックバック (0)
|

2011年2月 8日 (火)

初午の日と稲荷信仰

 

今日は初午(はつうま)ですね。

初午とは、毎年2月の初めての午の日に行われる稲荷神社の祭礼・・・この日に稲荷神社に参拝する事を初午詣と言い、場所によってはお稲荷さんに小豆粥を供えて食べる習慣もあります。

ところで、なぜ、この初午の日にお稲荷さんなのか???

Dscn6026a600 全国に分布する稲荷神社の本源は、ご存じ、京都伏見区稲荷山に鎮座する伏見稲荷大社なわけですが、その信仰はあまりにも古く、祭神に関しても、古来から諸説あります。

ただ、現在の祭神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ・倉稲魂命)で、稲の精霊とされる神様・・・この神様が稲荷山の三ヶ峯に降臨したのが元明天皇の和銅四年(711年)の2月の初めての午の日(和銅四年では7日)と伝えられ、現在も、この日が祭礼というわけです。

『山城風土記』では、(はた)の祖先である伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)が稲で富を成したにも関わらず、調子に乗って、その稲で作った餅を的としたところ、餅が白鳥になって空高く飛び、山の峯に舞い降りて伊禰奈利(いねなり)という神が生まれたという逸話があり、それ以来、代々の秦氏一族が禰宜(ねぎ・神官)などとして祭祀に奉仕する・・・つまり秦氏の氏神であったとされています。

こうして稲の神様として祀られる事になった伊奈利(いなり)なので、この神様の姿は、稲の束を天秤で担いだおじいさんとして描かれ、稲を担ぐ→稲荷という文字が当てられたと言われています。

しかし、一方で、『稲荷大明神縁起』には、ずっと昔から、この山には竜頭太(りゅうとうた)という山の神が住んでいて、昼は稲を刈り、夜は薪を取った事から、「荷田(かだ)と称し、代々、雄略天皇の末裔とされる荷田氏が、その神を守って来たというお話もあります。

こちらの神様は、巫女のような姿をした美しい女性として描かれます。

つまり、もともと、あの伏見の稲荷山には、秦氏の伊奈利と、荷田氏の稲荷の2柱の神様が祀られていたのですね。

なので、神像も2種類あり、稲荷山の参道も2本ありました。

現在では、頂上でつながり、グルッと一回り・・・稲荷山を回るようにある表参道と裏参道の2本の参道は、もともと、別の神様にお参りする別の参道だったらしいのです。
(伏見稲荷の稲荷山散策については、本家ホームページの「歴史散歩・伏見稲荷」>>でご紹介しています)

しかし、やがて平安遷都のあと、秦氏の財力を政治力によって隆盛を極める事になった稲荷信仰は、同じく登り調子の空海=弘法大師と手を結び、空海の建立した東寺鎮守神となる事で更なる全盛期を迎える事になります。

そして、一方で、農業の神様である稲荷は、五穀豊穣を願う農民たちの信仰の対象となり、津々浦々・・・日本全国に、その信仰が広がっていったのです。

おいそれと稲荷山に詣でる事にできない各地方の農民たちは、地元に稲荷社を建てて、この初午の日には、ワラで作った入れ物に稲荷の好物の油揚げや寿司などを、祠や神棚にお供えして、笛や太鼓ではやしたてながら舞い踊ったと言います。

こうして、江戸時代頃には、庶民の最も親しみを覚える身近な神様となった稲荷・・・

Dscn5977800 伏見稲荷大社のお狐さん

ところで、このお稲荷様の使いとして有名なのがキツネです。

これには、
春に山から下りてきて田の神様となり、秋の収穫を終えて山にお帰りになるという古代の稲作の神様のイメージと、やはり冬に山に籠って姿を見せなくなるキツネの習性が結びついた物と言われていますが、あの『今昔物語』にも、
真言密教では(口へんに乇です)吉尼天(だきにてん)の別号を白晨狐菩薩(びゃくしんこぼさつ)とも称し、稲荷の神体…」
とある事から、やはり空海とのコラボのあたりから、すでに定着していたようですね。
 ,

内容が「おもしろかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (4) | トラックバック (0)
|

2009年5月30日 (土)

神様・仏様&昔話・伝説集

 ;

このページは、よりスムーズに記事が探せるようにと、ジャンル別に記事へのリンクをつけたまとめページ=目次です。

今回は、重なってる部分が多い【神様・仏様】【昔話・伝説】をピックアップさせていただきました~

他のテーマと重複している記事もありますが、「このページを起点に各ページを閲覧」という形で利用していただければ幸いです。

・‥…━━━☆

★神様・仏様

●稲荷信仰
 【初午の日と稲荷信仰】

●神様が留守になる神無月
 【留守番役の神様は?】

●四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)
 【究極の魔界封じの都・平安京誕生】

●七福神
 【いい夢見ろよ~初夢と七福神のお話】

●鬼子母神
 【鬼子母神のお話】

●スサノヲのミコト
 【茅の輪くぐりのお話】

●コノハナサクヤヒメ
 【異常気象と富士山信仰】

●大物主神
 【運命の赤い糸の伝説・・・その由来は?】
 【オオクニヌシとネズミの関係】

●金毘羅
 【「金毘羅?」「金刀比羅?」~こんぴらさんのお話】

●愛宕神社
 【愛宕神社のお話】

●味噌天神
 【お味噌の歴史と味噌天神の話】

●観音
 【観音様のお話】

●閻魔大王
 【半年に一度・地獄の釜開き】

●不動明王
 【不動明王のお話】

●達磨大師
 【ダルマさんのご命日】

●千手観音
 【千手観音の手は千本あるの?】

●お地蔵様
 【お地蔵様のお話】

●吉祥天
 【吉祥天女と結婚?~古本説話集より~】

●庚申講・庚申待ち
 【思いは遥かシルクロードへ…古き良き「庚申待ち」】

●火の神・カマド神・ひょっとこ
 【火の神・カマド神~ひょっとこと竜宮童子のお話】

●角大師&おみくじの元祖
 【延暦寺・中興の祖&おみくじの元祖…慈恵大師良源】

●天理王命
 【中山みきと天理教】
  

★伝説・昔話・説話

●浦島太郎(京都府丹後地方)
 【浦島太郎の変貌~開けてびっくり玉手箱】
 【丹後風土記の「浦の島子」の物語】

●海幸・山幸
 【針供養の期限と針のお話】

●河童
 【河童忌なので、河童のお話】

●両面宿儺
 【異形の怪物・両面宿儺の正体】

●余呉の羽衣伝説(滋賀県・余呉地方)
 【余呉の羽衣伝説】

●雀の瓢箪~「腰折雀」「舌切り雀」(滋賀県・湖北
 【滋賀県・湖北の昔話~「腰折雀」と「舌切り雀」】

●比良の八荒(滋賀県・琵琶湖)
  【比良八講荒れじまい~近江の昔話】

●亀井の尼(今物語)
 【天王寺七名水と亀井の尼の物語】

●跡かくしの雪(京都府・兵庫県丹波地方)
 【今夜は丹波に雪が降る~弘法大師の伝説】

●桃太郎(岡山県吉備地方)
 【昔話・桃太郎と製鉄の関係】

●田中広虫女(日本霊異記)
 【牛になった女房~田中広虫女の話】

●一寸法師(大阪府住吉)
 【本当はオトナの一寸法師】

●星月夜の織姫(大阪府高槻市)
 【七夕によせて~大阪・池田の民話】

●竹取物語(今昔物語より)
 【竹取物語は社会派風刺小説】

●鉢かづき姫(大阪府寝屋川市)
 【大阪の昔話~ちょっと色っぽい「鉢かづき姫」】

●天稚彦物語(御伽草子より)
 【日本の七夕伝説・天稚彦物語】

●南西諸島の七夕伝説(奄美・沖縄地方)
 【天降子と天人女房】

●良弁杉(奈良県)
 【東大寺・二月堂にまつわる奈良の昔話~良弁杉】

●大井子の力石伝説(古今著聞集より)
 【気はやさしくて力持ち…大井子の力石伝説】

●うば捨て山
 【「うば捨て山」は本当にあったのか?】

●或る殿上人の家に忍びて名僧の通ひし語(今昔物語より)
 【春の陽気に浮気がバレた??…「今昔物語」より】

●八百比丘尼
 【不老長寿は幸せ?人魚伝説・八百比丘尼】

●貧乏神(京都・丹後地方)
 【京都の昔話~愛すべき貧乏神】

●長柄の人柱(雉も鳴かずば・大阪府)
 【父は長柄の人柱~大阪の昔話より】

●はりぼての野田城(大阪府)
 【千早城攻防戦・秘話~はりぼての野田城】

●楠の木の秘密(奈良・大和高原地方)
 【奈良の昔話「楠の木の秘密」…金閣寺・建立にちなんで】

●吉崎鬼面伝説(福井県)
 【吉崎の鬼面伝説…「嫁威し肉附きの面」】

●一夜官女(大阪府)
 【岩見重太郎のヒヒ退治と一夜官女のものがたり】

●彦八ばなし
 【庚申の夜の昔話~彦八ばなしin京都】

●大坂城の虎(大阪府)
 【大阪城に生きた虎が?~大阪の昔話・大坂城の虎】

●酒呑童子(京都府)
 【排除された邪教の神~酒呑童子の叫び】

●茨木童子(大阪府・茨木市)
 【鬼の目にも涙??茨木童子のお話】

●牛方と山姥
 【山姥はサバが好き?~「さばの日」にちなんで…】

●雪鬼(大阪府・枚方市)
 【雪鬼~在原業平と交野の君の話】

●ゆきちゃん(奈良県・大和高原地方)
 【冬の夜の昔話~奈良の「ゆきちゃん」】

●福の神の福助(大阪府・和泉地方)
 【ウソも方便…遠めがねの福助さん】

●灯明守の娘(大阪府三島郡)
 【真夏の夜の怪談話6…灯明守の娘in山崎】

●夜歩き地蔵と遊女の話(大阪府枚方市)
 【枚方宿~夜歩き地蔵と遊女の話】

●出っ歯の出刃包丁(大阪府・堺市)
 【出っ歯の出刃包丁~刃物の日にちなんで…】

 .
あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (2) | トラックバック (0)
|

2008年1月28日 (月)

1月28日は「初不動」、不動明王のお話

 

毎月28日は『不動明王の縁日』です。
中でも、1月28日『初不動』という事で、今日は『不動明王のお話』を・・・。
(1月は「初○○」が多いな・・・(^o^;))

・・・・・・・・・

そもそも、明王というのは、国や人民、仏法や信者を守る天の仏神で、大日如来の命を受けて、悪を退治するところから、多くは怒りの形相をしています。

不動明王・降三世明王・軍茶利夜叉明王・金剛夜叉明王・大威徳明王五大明王と呼ばれ、その中でも、大日如来の化身(裏側)とされて、一番有名なのが『不動明王』です。

サンスクリット語のお名前は阿修羅(アシュラ・Acala)で、これが「動かない」という意味なので訳して不動です。

『不動』とは、「道心の大にして寂(しず)かなるの義」だそうで(なんでこんな難しい表現のしかたするかな~(汗))「見ため穏やかに微動だにせず、それでいて心の中は道心(正しい道を求める心)を大きく」という事らしいです。

『大日経』という仏典では、仏教の守護神として、明王の中でも最高位の位置に、不動明王を置いています。

顔が四面あったり、手が4本あったりという異形のお不動さんもおられますが、多くは、左手に絹索(けんさく・縄)を持ち、右手に剣を持っています。

これは、左手の縄で悪しき心を縛り、右手の剣で悪しき心を断つためです。

右手に持つ剣は『黒龍の剣』で、この剣が不動明王の化身として独立したのが倶利伽羅(くりから)竜王・・・倶利伽羅竜王が剣に巻きついた像は倶利伽羅不動として、不動明王とは別に祀られている事もあります(2月21日参照>>)

不動明王はその髪を七つに結んで垂れさせていますが、これは古代インドの奴隷の髪型で、その身にまとった衣も奴隷の姿をしています。

その意味は、外見の醜さをものともせず、内面の美しさを重視しなければならないという事を教えるとともに、奴隷が荷物を運ぶように、迷える人々を悟りの岸(彼岸)へ導く事を現しているのだとか・・・。

後ろに火を背負っているのは、火生三昧(かしょうざんまい・火渡りのような捨て身の行の事)に入っても不動である事を象徴し、座っている石に水が流れているのは、その清らかな水で、人々の火のような苦しみを流し消すという意味が込められているそうです。

悪しき悪魔を断ち切るため、恐ろしい形相の不動明王は、人が道を踏み外した時に、すべてを包み込むように諭す大日如来に対して、叱咤激励して正しい道に導いてくれる・・・その表の顔と裏の顔は別々でも、心の内は同じなのです。
 

Fudoumyououcc 久しぶりにイラストを書いてみました~。

今日は、もちろん『不動明王』で・・・。

仏像ではなく、人物として描いてみましたが・・・
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (4) | トラックバック (0)
|

2008年1月24日 (木)

1月24日は「初愛宕」、愛宕神社のお話

 

毎月24日『愛宕の縁日』・・・中でも、今日1月24日『初愛宕』という一年で最初の愛宕の縁日。

・・・という事で今日は『愛宕神社』について書かせていただきます。

・・・・・・・・・・

あの十返舎一九『東海道中膝栗毛』にも、そして、『浄瑠璃・糸桜本町育(いとざくらほんちょうそだち)にも、
「伊勢へ七度ななたび)、熊野へ三度(みたび)、愛宕様へは月参り・・・」
と、まったく同じフレーズが登場します。

どうやら、これは江戸時代の当時、今で言うところの流行語大賞となるような大ヒットのフレーズらしい・・・。

もちろん、フレーズが流行っただけではなく、実際に愛宕へお参りするのも、かなりのブームだったようです。

Atagozinzyatizucc 愛宕・愛当・愛太子・阿多古・愛宕護・・・と書いて、すべて「あたご」と読みますが、これら日本の各地に点在する愛宕神社のおおもとは、京都市右京区嵯峨愛宕町愛宕山の山頂にある愛宕神社です。

古くから『愛宕権現』の名で親しまれ、多くの信仰を集めた愛宕山は、比叡・比良・伊吹・神峰(しんぽう)・葛城・金峯(きんぷ)とともに『七高山』と呼ばれていた霊山でした。

あの桓武天皇が、怨霊から身を護りたい一心で究極の魔界封じをほどこした京の都(10月22日参照>>)では、東の比叡山とともに、西の愛宕山が王宮守護の神とされていました。

あの徳川家康も、慶長八年(1603年)に江戸城に入ってすぐ、城の西方、芝の小山に、京都の愛宕大権現を分霊して愛宕神社を建立し、江戸の護りを固めています
(江戸の場合の東の護りは、東叡山寛永寺となります)

明治の始めの神仏分離によって、お寺を廃し、本宮の祭神は稚産日科(わくむすびのかみ)伊弉冉尊(いざなぎのみこと)で、若宮には雷神(いかづちがみ)火之迦具土命(ほのかぐづちのみこと)を祀って、名称も愛宕神社となりましたが、それ以前は、真言宗の白雲寺を別当寺として、勝軍地蔵泰澄大師不動明王毘沙門天竜樹菩薩の五尊をお祀りし、奥の院には、役行者宍戸司前(ししどしぜん)太郎坊栄術を祀り、愛宕山大権現と呼ばれていました。

先の五尊の中でも、本尊とされていた勝軍地蔵は、冥界と現世の境界線に立って、人々を護ってくれるという菩薩で、以前、『左義長の由来』のページ(1月14日参照>>)でも書かせていただいた日本古来の「さいの神」と同じ性格を持つ神様だと言われています。

やはり、昔は丹波との国境であったこのあたりに祀られたというのも、ここで、災いをくい止める・・・災難除けの意味合いが大きかったのでしょうね。

その頃は、お山には六つの宿坊があり、京都・嵯峨の大覚寺が管理する修験の道場でもありました。

今も、毎年9月28日の愛宕神社の例大祭に行われる、お神輿の大覚寺参拝は、この名残だそうです。

その他にも、京都では、3歳になった子供が、この愛宕山にお参りすると、一生涯、火からの災難に遭わないとされていたり、7月31日の『千日詣り』の日に参拝すると、日頃の千日分の御利益があるとして、現在でも多くの信仰を集めています。

大和朝廷が成立する以前から、そして、仏教が伝来する以前から、日本にあった神々への信仰・・・あらためて京都の長い歴史と伝統を感じさせてくれますね。
 ,

「なるほど」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (6) | トラックバック (0)
|

2008年1月18日 (金)

観音様のお話

 

毎月18日は、観音さまの縁日です。

その中でも1月18日が、新年になって初めての縁日という事で『初観音』と呼ばれ、各地の寺院は大いに賑わいます。

・・・という事で、今日は観音さまのお話をさせていたきます。

・・・・・・・・・・・

昔、あるところに、早離(そうり)即離(そくり)という幼い兄弟がいました。

しかし、ふたりの両親は、彼らの成長を見る事なく、亡くなってしまいます。

途方に暮れている兄弟に、ある男が「両親に会わせてやろう」と声をかけます。

その幼さゆえ、悪人の言う事を真に受けてついて行った先は無人島・・・。

騙されたふたりは、この無人島に置き去りにされてしまいます。

疲れと飢えに絶えながら何日か暮らしますが、幼いふたりは、何も無い無人島でどうする事もできず、もう死を待つ事しかできません。

「僕たちは、なんて不幸なんだ!
両親を亡くして、人に騙されて、このまま、人知れず死んでいくなんて・・・」

嘆き悲しむ弟に、兄が語りかけます。

「僕も最初はそう思ったよ。
でも、嘆いても仕方ないじゃないか。

僕たちは、こうして、親と別れる悲しさ、人に騙される悔しさ、そして、飢えと疲れの苦しさを、他人の何倍も知る事ができた。

どうだろう?
今度、生まれてくる時は、この経験を生かして、同じ悲しみに泣く人々を救っていこう。

他をなぐさめる事で、自分もなぐさめられるんだよ。」

兄の言葉を聞いて、弟の心の中にも何かが目覚めました。

死を前にして、悲しいという気持ちはなくなり、なにやら晴れ晴れとした気分・・・兄弟は、ともに誓いをたて、ほどなく、静かに息をひきとります。

その死顔は、とてもおだやかで、静かなほほえみをたたえていたと言います。

この兄が観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
弟が勢至菩薩(せいしぼさつ)です。

・・・・・・・・・・・

もちろん、これは『華厳経(けごんきょう)という経典の中にある仏教説話です。

観音さまのもともとは、インドアバロキテーシュバラという神様が中国に伝わり、あの『西遊記』でお馴染みの玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)法師が、『観自在菩薩』と訳したとされています。

しかし、上記の説話は、観音さまがどのような仏様なのか?という事が、すごく理解しやすいので、あえて、ご紹介させていただきました。

観音さまと勢至さまは、阿弥陀如来の両側に立ち、今も、その時の兄弟の誓いを貫くためにおられるのです。

勢至さまは、単独で信仰の対象になる事はほとんどなく、大抵、阿弥陀如来の右側に・・・そして、左側のお兄さんとともにおられます。

しかし、観音さまはご存知のように、「○○観音」という様々な名前がついて、単独で信仰されている事が多くあります。

それは観音さまが、ありとあらゆるものに変身・変化されるからです。

観音さまは、性別を越えた存在で、すべての生き物を越えた存在。
ときには馬や魚や蛤などの姿で現される事もあります。

もちろん、別の形をした仏様にも・・・

十一面観音は・・・
東西南北の四方と、東南・東北・西南・西北の四維(けい)と、天と地の二方・・・全部で十方向に自分という者をプラスして十一面・・・つまり、「すべて」という事を現しています。

千手観音は・・・
千というのは無数・無量・いっぱいを現していて、その一本一本の手には目がついていて、「物を見極める」「実行する」事を現しています(8月19日参照>>)

不空羂索(ふくうけんさく)観音は・・・
羂は鳥獣を捕える網、索は魚を釣る糸の事・・・
これで、苦しみの山野や悲しみの海にいる人々を救うのです。
不空とは、失敗しない・・・必中という事です。

如意輪(にょいりん)観音は・・・
如意とは思いのままという事、輪は、そのものズバリ始めも終わりも無いという事。
この如意輪で、心にやすらぎを与えるのです。

・・・と、とりあえず有名どころをご紹介しました。

まだまだ、色々な観音さまがおられますが、悲しむ人を救うという基本は同じです。

このように、観音さまは、ありとあらゆるものに変身するのです。

ときには獣に、ときには仏の姿に・・・
そして、ときは人に・・・

「他をなぐさめる事で、自分もなぐさめられる」
この心を感じる事があれば、その人が観音さま。

人にやさしくしてあげたい・・・と思うその瞬間、あなた自身の中に、観音さまがおられるのです。
 

Kannonsamacc 今日のイラストは、
一応、『観音さま』を書いてみましたが・・・

いやぁ~難しい・・・
ほのかに微笑んで、そして気品にあるお顔・・・

なかなか描けません・・・
 .
 

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (4) | トラックバック (0)
|

2008年1月 2日 (水)

いい夢見ろよ~初夢と七福神のお話

 

今日は、『初夢』のお話です。

初夢とは、年が明けて、初めて見る夢ですから、本来、1月1日の夜明け前か、その夜から2日のかけての睡眠中というのが、本当の「初」となるのでしょうが、一般的には1月2日・・・つまり、2日の夜から3日の朝にかけての睡眠中に見る夢の事を言うそうです。

2日の夜・・・というのが一般的になったのは、江戸時代頃からで、これは、初荷、初売り、書初め・・・等等、民間の事始が2日に多い事から、「1月2日が最初の日」という考えに基づいてではないか?と言われます。

やはり、江戸期の町民文化の発展とともに、「2日の夜=初夢」というのが一般的になったようですね。

一般的と言えば、「夢判断」で、最もめでたいとされる吉夢の種類は・・・
「一富士・二鷹・三茄子」
というのが、一般的ですよね。

このあとに、
「四扇・五煙草・六座頭」
と、続くそうですが、全国的に知られているのは、先の「三なすび」まで・・・。

しかし、これが、由来となると、まったくもってお手上げ状態・・・様々な説があるものの、どれも、あとづけ、こじつけっぽい雰囲気です。

一説には、あの徳川家康が隠居した後に・・・
「俺の国で、1番高いのは富士山。
 2番目が足高
(愛鷹)山。
 値段が高いのは初茄子だ」
と、言ったから
・・・というのがありますが、「なんで、3番目だけ値段の高さなの?」という違和感残りまくりです。

よく似た説では、家康が言った言わないに関わらず、これが駿河の「三大名物だ!」とするのもありますが、これも「山・山・野菜」となる事の不可思議さは同じです。

「三大仇討ち説」というのもあります。
以前、このブログでも登場した「日本三大仇討ち」・・・

・建久四年(1193年)5月28日の
 曽我兄弟の仇討ち(5月28日参照>>)
・元禄十五年(1702年)12月14日の
 赤穂浪士の討ち入り(12月14日参照>>)
・寛永十一年(1634年)11月7日の
 伊賀上野鍵屋の決闘(11月7日参照>>)

これが、その三大仇討ちなのですが・・・
富士の裾野の宴会場に突入した曽我兄弟は100%ヨシとしても、「赤穂浪士の紋が『鷹の羽』なので」というのは、ちょっと・・・って感じです。

それでも、何とか五分五分で許される範囲内としても、最後の「三に名を成す(茄子)伊賀上野」は苦し過ぎます。

「名を成す」「茄子」が当てはまるなら、何だって当てはまりますからね。

単に「縁起が良いから」という説でも、日本一で雄大な富士山と、勇猛果敢に獲物を捕え、空高く滑空する鷹は、何となくわかりますが、やっぱり3番目の茄子は、なぜ?たくさんある野菜から茄子が選ばれたのかが、今一つ納得できませんよね。

やっぱり謎です。

ところで、そんな良い夢を見るための方法として、昔から言い伝えられているのが・・・
「枕の下に、七福神の乗った宝船の絵を入れて眠る」
という、おまじないのような物・・・。

絵には、
♪ながきよの とおのねふりの みなめざめ
  なみのりふねの おとのよきかな♪

という、「上から読んでも下から読んでも同じ」=「回文」の歌が書かれていて、寝る前に、この歌を3回唱えて寝ると、良い夢が見られるという言い伝えです。

宝船以外にも、七福神と(ばく)が書かれた物もあるのですが、これは、獏が「悪い夢を食べてくれる動物」とされていた事に由来するもので、昔は、旧暦の正月・・・つまり、節分の夜に、枕の下に入れて寝ました。

七福神というのは、ご存知・・・

恵比須:蛭子尊と同一視(10月2日参照>>)
大黒天:大国主命と同一視(12月21日参照>>)
弁財天:音楽・弁才を司るインドの神様。
福禄寿:北極星のこと。
寿老人:中国の福寿の神様。
毘沙門天:四天王で十二天の一つ別名・多聞天。
布袋和尚:禅僧・契此(かいし)のこと。

以上の七神で、この七福神の信仰は室町時代・末期・・・商業が盛んになった頃から始まったとされています。

由来は、『仁王般若波羅密経(におうはんにゃはらみきょう)の下巻にある「七難即滅、七福即生」という言葉から七人の神様が創りだされたそうです。

そんな七福神を、最初に絵にしたのは、狩野派の3代目・狩野松栄(しょうえい・1519~1592年)で、あの桃山文化の代表的絵師・狩野永徳のお父さん・・・家康が、あの天海僧正から七福神の話を聞いて描かせたとも言われています。

この中で、福禄寿と寿老人は、ともに北極星を神格化した神様で、同一視されるところから、江戸時代の元禄の頃には福禄寿の代わりに吉祥天を入れて七福神とされていたそうです。

現在の7人が不動のメンバーになったのは、江戸も末期になってからの事だそうで、神社への七福神詣でなども生まれ、七福神信仰が最も栄えたのがこの頃。

初夢の宝船の絵の話も、どうやらこの頃に生まれたようです。
 

Hatuyumetakarabunecc 今日のイラストは、
やっぱり、『宝船と七福神』ですよね~。

枕の下に入れれば、今夜はいい夢が見られそう・・・かな?
 .

「なるほど」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (2) | トラックバック (0)
|

2007年12月21日 (金)

大豊神社の狛鼠~オオクニヌシとねずみの関係

 

Ootoyozinzyatizucc  ♪もう、いくつ寝ると~♪
新年には、やはり初詣・・・

京都・銀閣寺から南禅寺まで続く、琵琶湖疏水沿いの哲学の道にある大豊神社・・・

この大豊神社の中にある末社の大国社の両脇には、狛犬ならぬ、かわいい狛鼠(こまねずみ)がいるのです。
Ootoyozinzyacc 向かって左のねずみはを持ち、向かって右のねずみは巻物を持っています。

Ootoyokomanezumicc 玉ねずみは、安産・長寿・豊穣。
巻物ねずみは学問成就のご利益がある
そうです。

来年はねずみ年・・・なんだか、いつも以上にご利益がありそうですね。

ところで、この大国社・・・
その名前でおわかりの通り、あの大国主命(おおくにぬしのみこと)を神とする神社です。

そこに「狛鼠」がいるわけで、このねずみは、大国主神の使いという事になるのだそうです。

オオクニヌシと言えば、あの『因幡の白うさぎ』を思い出してしまいますが、意外にも、このねずみとも関係か深いのです。

それは、『古事記』の中・・・その「因幡の白うさぎ」のお話の後に出てきます。

♪大きな袋を肩にかけ~大黒(大国)様が来かかると
  そこに因幡の白うさぎ~皮を剥がれて赤裸♪

最近は、あまり歌われなくなった「だいこくさま」の歌ですが、有名な神話なので、歌を知らなくても、このお話は、よくご存知だと思います。

そもそも、オオクニヌシが因幡(鳥取県)に大きな荷物を持ってやって来たわけというのは、80人(多い・・・)のお兄さんの荷物持ち(一人で持てんやろ)

その80人のお兄さんたちは、「因幡にヤカミヒメ(八上比売)というメッチャ美人がいる」というのを聞きつけて、80人全員が彼女に結婚を申し込むために、因幡へ旅をする事になります。

・・・で、日頃から、この兄貴たちにいじめられていたオオクニヌシが「荷物持ちとして着いて来い!」と言われてついて来て、例のうさぎに出会って、うさぎを助けたというわけです。

そして、その後、80人の兄さんたちは、ヤカミヒメにプロポーズしますが、姫の返事は・・・
「アンタたちなんてキラ~イ!私は、男前のオオクニヌシと結婚する~!」
と、ピシャリとフラれてしまいます。

激怒した兄貴たちは、「アイツさえいなければ・・・」と、一斉にオオクニヌシを攻撃!

死にかけ・・・いや、一旦、死んでしまったあと、母の愛で快復したオオクニヌシは、「このままでは危険だから(相手80人やもんなぁ)、おじいちゃん所へ行きなさい。きっと良いアイデアをくれるわよ。」という母の助言に従って、祖父・スサノヲノミコト(須佐之男命・古事記では6代前の祖先)のいる黄泉(よみ)の国へと逃走します。

もちろん、ヤカミヒメと結婚の約束をして・・・。

根国(ねのくに・黄泉の国の別名)に着いたオオクニヌシは早速、スサノヲの宮殿へ・・・。

すると、出迎えてくれた宮殿の受付嬢・スセリビメ(須勢理毘売)が、メッチャかわいいじゃあ~りませんか!

スセリビメとしても、人も寄りつかないような辺ぴな場所での受付業務に、いいかげん飽き飽きしていた所へ、目の前に現れた男は80人の兄貴の上をいく、超イケメンのオオクニヌシ・・・久々の大ヒットですから、これまた一目惚れ。

ふたりは、その場で恋に落ち、その場で一発・・・・
(ヤカミヒメの立場は・・・?)

そして、スッキリしたオオクニヌシは、そもそもの目的だったスサノヲに会うのですが、なぜか、スサノヲはオオクニヌシを蛇だらけの部屋に一泊させます。

だって、スセリビメはスサノヲの娘ですから、オヤジに挨拶する前に、手ぇつけるなんざ・・・そりゃ、オヤジもカンカン。

スサノヲの仕打ちも、わからんでもありませんが、もう、すでに、彼まっしぐらのスセリビメは、「このままでは、彼氏の命が危ない!」
と、ばかりに、蛇を追い払う「魔法のひれ」を手渡します。

そのひれに助けられ、翌朝、無事に部屋を出てきたオオクニヌシでしたが、2日めの夜、今度はムカデと蜂の部屋に泊まらされてしまいます。

しかし、またもやスセリビメの渡したムカデと蜂用の魔法のひれで助かります。

そして、次ぎにスサノヲは、矢を一本、果てしない野原の中に射込んで「あれを取って来い!」と命令します。

健気にも、その命令どおり、野原へ向かうオオクニヌシ。
期を見計らって、彼のまわりに火を放つスサノヲ。

気がつけば、オオクニヌシは360度の火に囲まれてしまっていました

さすが、のオオクヌヌシも今回ばかりは絶体絶命・・・諦めかけたところに、現れたのが一匹のねずみでした。(やっと出た~)

「内はほらほら、外はすぶすぶ・・・」と、洞穴なら安心だと教えてくれます。

草を掻き分けて見ると、そこには、うつろな洞穴が・・・
そこに、身をひそめていると、炎は上を通りすぎて行き、オオクニヌシは助かったのです。

しかも、オオクニヌシが持って帰らなければならない、あの矢を・・・ねずみたちの親が矢の鏑(かぶら)の方を、子が羽根の方を持ってきてくれたのです。

一方のスサノヲは、あまりの激しい炎に「さすがにこれでは生きていないだろう」と思いながら・・・そして、スセリビメも葬式の道具を持って泣きながら、その焼け焦げた野原へとやってきます。

しかし、そこには、命じられた矢を高々と差し出す爽やかイケメンヒーローの姿が・・・カッコイイ~。

・・・て、事は、ねずみは大国主神の使い・・・というよりは、恩人・・・いや、恩鼠ですやん!
という、疑問は置いといて、こういう経緯で、オオクニヌシとねずみには密接な関係があるのです。

結局、この後、スサノヲの眠っているすきに、おじいちゃんの宝物コレクションの数々を手に、スセリビメと駆け落ちするオオクニヌシ君。

気づいて追ってきたスサノヲは、咎めることなく「幸せに暮らせよ~」とお見送り・・・おじいちゃんの数々の意地悪は、かわいい孫に与えた試練・・・って事なんでしょうか?

しかし、本当の試練はここからです。
そう、国に戻れば、結婚の約束をしたヤカミヒメがいるじゃあ~りませんか!
どうするんです?オオクニヌシ君。

・・・と、ここで、帰宅したオオクニヌシ君、早速、何事もなかったかのように、ヤカミヒメと寝所でシッポリ・・・。(えぇ?!!(゚ロ゚屮)屮)

でも、何事もなかった事にできないのが女の嫉妬という物で、当然のごとく激怒するのは、スセリビメ。

結局、スセリビメのしつこいまでの嫉妬に嫌気がさしたヤカミヒメは、オオクニヌシとの間に生まれた子供を隠して、実家に帰ってしまったとさ。

燃え盛る炎から脱出した爽やかヒーローが、一転、ドロドロまみれの昼ドラヒーローになっちゃいましたね・・・。

とにかく、来年はねずみ年・・・狛鼠に願いをかければ、満願成就も夢じゃない!・・・かも
 .

内容が「おもしろかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (2) | トラックバック (0)
|