2017年3月 2日 (木)

大河ドラマ「おんな城主 直虎」~信長役に海老蔵さん

 

NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」に、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが織田信長役で出演!

Odanobunaga400a 本日=3月2日のお昼前・・・こんなニュースが飛び込んできました~

不詳わたくし・・・この1日・2日、大河ドラマに関して少々言いたい事があり、感想を書こうか書くまいか、少し悩んでいたんですが・・・あぁ、待ってて良かった~~ヽ(´▽`)/

そう、実は、その言いたいことは、この織田信長がドラマに出るのか?出ないのか?に関しての事・・・

なんせ、もう次回は桶狭間なんですから・・・

本来なら、今川家の方々や徳川家康などを演じる俳優さんたちと同時期に、主役を張れるほどの有名演者さんの名が発表されてもおかしくないほどの重要人物のはずなのに、ここまで発表が無いという事は・・・

もしかして・・・
平成十九年(2007年)の「風林火山」のように、シルエットだけのナレーションスルーになるのか?
もし、そうなら、ちょいと言いたい事を言っちゃうヨ(`ε´)
と、思ってたんですが、

ただ・・・
前回のドラマの中で、桶狭間へ向かう今回の行軍について、井伊家を含む今川方の面々が、あまりにも「当然の勝ちイクサ」とか「負ける気がしない」とかを連呼しはるもんですから、ひょっとして(今川から見ると)織田なんか眼中に無い」=「信長小物感」を出したいがために、あえて、ここまで無視してるのではなかろうか?

と、引っかかったものですから、
もう1週間待ってみよう
桶狭間が過ぎても出てこなかったら言おう

と、思って待ってたら、この「海老蔵さんが織田信長役で…」の発表ですよ~

もちろん、本格的に、重要な役どころとしての出演かどうか?は、作家さん&スタッフさん次第でしょうが、たとえ、セリフのほとんど無い特別出演的なもので、結局は、ほぼナレーションスルーと変わらなかったとしても、主役を張れる俳優さんが演じられる事で、その存在感が違いますからね。

そう・・・
実は、前回が、主役の次郎法師(直虎)の幼馴染の井伊直親(おおなおちか)しの夫婦に「子供ができるの」「できないの」昼ドラさながらの嫁×姑×小姑バトルもどきのドロドロ展開に、丸々一回ぶんを使ってしまった事で、巷では、
「これが大河か?」
「そんなんは朝ドラでやってくれ」

という声も多数聞きました。

かくいう私も、以前の感想(1月12日参照>>)で、韓流時代劇っぽい雰囲気と三角関係のラブストーリー感が気になる」と書いております通り、今回の大河は、女性が主役であるためか?少々、話題がこじんまりしてる感は拭えないないなぁ~と思っている派なのですが、

ただし・・・
この「子供ができるorできない」は、よくよく考えれば、今回の直虎に関しては、かなり重要な事ではあります。

なんせ、この時の井伊家に男子がボコボコ生まれて、後継ぎ選び放題な状況なら、直虎が女だてらに当主になる事は無かったわけですから・・・「おんな城主 直虎」と称する限りは、なかなか子宝に恵まれずに後継ぎ選びに苦労した事を重要事項に持ってくるのもアリかも知れません。

ただ、それより私が気になったのは、前回が、その「子作り」の話題に終始してしまい、今回の桶狭間に至る出兵に関しての事がほとんど語られ無かった事でした。

先にも書いた通り、「当然の勝ちイクサ」や「負ける気がしない」というセリフとともに、「出陣する」という事ばかりで、なぜ出陣するのか?が、主人公の次郎法師が、瀬名姫(後の築山殿)からの手紙から得た知識を、大叔父の南渓(なんけい)和尚に披露する程度でしか語られていませんでした。

もちろん、歴史としては、今回の桶狭間に至る出兵についても、様々な説があって・・・
少し前までは、この時点で、最も天下に近い男であった今川義元(いまがわよしもと)による上洛目的の行軍であったという説が主流でしたが、現在では別の見方も出ています。

私も、以前、このブログで書かせていただいているように、上洛ではなく、「寸前に(今川方へ寝返った武将がいたため)これまでの織田と今川との境界線に変化があったので、あらためて現時点での境界線をハッキリさせる」みたいな感じだったと思っています(2009年5月1日参照>>)

ただ、ドラマは史実がどうこうではなく、作者の方が思うように持って行ってくださって結構ですので、どの説をとるかは自由・・・いや、なんなら独自の考えで以って出兵の理由を語ってくださっても良いのですが、前回のように、「子作り騒動」の合間の伝言めいたよくわからないままの出兵に終始してしまっては非常に残念だな~と思っていたわけで・・・

なんせ、ほとんど史料の無い方が主人公の今年の大河では、数少ない歴史的大事件なわけですからね。

もし、次回の桶狭間の回を以ってしても、信長の登場がなければ、上記のようなウヤムヤな感じになってしまうような予感がしていたのですが・・・

冒頭に書いた通り・・・出はるんですね、信長さん、
それも、海老蔵さんが演じはるのですね~良かったです

やはり、「信長なんか眼中に無い」感を出すための演出だったのですね(◎´∀`)ノ

これで、おそらく、なぜに出兵し、なぜに合戦となり、なぜに死ななければならなかったのかが、ドラマの中で徐々に語られていく事になるのでしょう。

プラス・・・
信長が出る事で、阿部サダヲさん演じる家康と、菜々緒さん演じる瀬名姫の、オモロイ夫婦の掛け合いも、思う存分描かれる方向になるのだとしたら、個人的にウレシイです。

ホント、あのお二人のキャラ設定はおもしろいです。
(逆に、後でロスになるのがコワイ)
これからも、楽しみですね。

関連ページもどうぞ↓
【戦国リボンの騎士~女城主・井伊直虎】>>
【今川義元・出陣の理由は?】>>
【一か八かの桶狭間の戦い】>>
【二つの桶狭間古戦場】>>
【桶狭間で名を挙げた毛利良勝と服部一忠】>>
【桶狭間の戦い~その時、家康は…】>>
【築山殿~悪女の汚名を晴らしたい】>>
【戦国・群雄割拠の時代の年表】>>
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (9) | トラックバック (0)
|

2017年1月12日 (木)

大河ドラマ『おんな城主 直虎』~井伊家の家老・小野政直とは?

始まりましたね~大河ドラマ『おんな城主 直虎』・・・

いやはや・・・
それにしても、番組の感想を書く系のネット掲示板がオモシロイの何のってww

昨年の『真田丸』が「オモシロイ」という方からは
「メリハリなくて全然つまらない」
「ダラダラと見る気失せる」

との意見が飛び交い、
昨年の『真田丸』が「ツマラナカッタ」という方からは
「昨年は初回からコントを見せられてウンザリしたけど今年はやっと大河が見られた」
「トンデモな女性ばかりだった昨年から、やっとちゃんとした戦国女性が出て来た」

と、見事に分かれた感想の数々に、
思わずクスリ(*≧m≦*)

そもそも、万人がオモシロイと思うなんて事はあり得ないですから・・・ホント、作り手さんは大変ですね~

私は・・・ハイ、初回を見た限りでは、良かったと思いますよ~

私は、昨年のようなぶっ飛んだ感じも「挑戦しはったな~」てな感じでオモシロイと思いますし、今年のような、しずしずと話が進んで行く感じも好きです。

ちょっと韓流時代劇っぽい雰囲気なのと、三角関係のラブストーリー感は気になりはしますが、何年か前の『姫たちの妄想』のように、「途中で書く人代わった?」って思うほどの変貌ぶりが無い限りは、なかなか期待できると思います。

『寛政重修家譜』にある井伊谷(いいのや)八幡の神主さんが井戸の中から男の子を見つける話や、家老の小野政直(おのまさなお=道高)の讒言で井伊直満(いいなおみつ)が殺されて、息子の亀之丞(かめのじょう)くんピ~ンチ!も出て来ましたしね。

・・・にしても、1回目で、そんなに史実をやっちゃって大丈夫なのか?
残ってる史実は、どんどん少なくなるゾ!
と、ちと心配になってしまいますが、そこは秀逸な創作で埋めていただく事を期待しつつ・・・

ところで、この初回からヒールな香りをプンプン撒き散らしている吹越満さん演じる小野政直って何者?

今年の大河は次郎法師(井伊直虎)が主役なので小野政直さんは、完全なる敵役・・・かくいう私も、未だ大河の主役になるなど、米粒ほども思っていなかった6年前に書かせていただいた【戦国リボンの騎士~女城主・井伊直虎】>>のページでは、やはり、直虎さんが主役なので、小野政直を、駿河(するが=静岡県東部)今川義(いまがわよしもと)に告げ口した「チクリ政直」と呼んでました(*´v゚*)ゞ

とは言え、ドラマでは、あの倍返し半沢さんの大和田常務のように、ヒール役が憎たらしければ憎たらしいほど、物語は面白くなるので、その点では怪しい雰囲気を醸し出す吹越さんの演技に大いに期待ですが、実は、お察しの通り、史実とされる小野政直さんのイメージは、そこまで悪人では無いようです。

もちろん、義元へのチクリから直満が死んで亀之丞が逃げて・・・のくだりは史実のようですが、そもそも、この頃の井伊家は、上り調子真っただ中の今川の傘下という立場ですから・・・

Iinaotorakeizu 井伊直虎の家系図→(クリックで大きく)

もうすでに、大河の予備知識としてご存じの方も多かろうと思いますが、この井伊家が今川の傘下になるにあたっては、ドラマの主人公=次郎法師の曽祖父である井伊直平(なおひら)が、自身の娘を人質として今川に差し出して臣従していて、その娘さんが義元の妹(養妹・義元の側室だったとも)という名目で、今川の家臣である関口義広(せきぐちよしひろ=親永)の奥さんとなり、その二人の間に生まれたのが、後の徳川家康(とくがわいえやす=当時は松平元康)の正室になる築山殿(つきやまどの=瀬名姫)(築山殿については8月29日参照>>)だとされています。

直平が自らの娘を今川への人質として差し出して傘下になったのがいつ頃かは不明ですが、おそらくは家康と同い年くらい、もしくは1~2歳年上だったと思われる築山殿の生まれた年から考えると、だいたい天文六年か七年頃?(1538年頃?)・・・

とにもかくにも、もし、ドラマのように、直平と井伊家にとっては、弱小であるが故の不本意かつ悔しさ満載の臣従であったとしても、今川の傘下となった以上は、とりあえず表向きはその指示に従い、協力して行かねばならない立場であったはずですから、そこの家老が今川と仲良くするのは、むしろ自然な事です。

一方、その頃の今川家では、世に河東一乱(かとういちらん)と呼ばれる北条氏との争いが勃発中でした。

ご存じのように、もともとは自らの姉(もしくは妹)が側室となっていた今川義忠(よしただ=義元の祖父)に協力して盛り上げたのは、北条氏の初代となる北条早雲(ほうじょうそうううん=当時は伊勢新九郎)(10月11日参照>>)でしたから、本来、北条と今川の仲は、悪くは無かったはず・・・同盟も組んでましたしね。

しかし、その後、今川氏輝(うじてる=義元の兄)の時代になって、今川家は、両者ともに敵とみなしていた武田信虎(たけだのぶとら=信玄の父)と和睦したばかりか、その息子の義元が信虎の娘=定恵院(じょうけいいん)を正室に迎えて更なる同盟の強化を計った事に怒った北条が、駿河へと侵攻して来たのが河東一乱・・・河東というのは富士川より東の地域という意味です。

ところが、そんな北条氏に井伊が協力していたとおぼしき記録があります。

それは、3月29日付けの北条氏綱(うじつな=早雲の息子)による三河(みかわ=愛知県東部)の国人領主=奥平貞昌(おくだいらさだまさ)宛ての手紙・・・
「遠州本意之上…(略)で始まる手紙には、
「遠江(とおとうみ=静岡県大井川西部)が思い通りになったんで、ご褒美あげるね~なので、今後は井伊と談合して早々に行動を起こす事が大事やで~」
とあります。

当時は、この奥平も今川の傘下でしたから、ともに今川配下の奥平と井伊を寝返らせて、西の彼らと東の北条で今川を挟み、孤立させようという作戦なわけです。

残念ながら、この手紙に年号が書いて無いので、いつの手紙がはっきりしないのですが・・・
この河東一乱が天文五年(1536年)頃と天文十四年(1545年)の2度激しくなる時期がある中で、差出人の氏綱が天文十年(1541年)に亡くなっている事から(奥平貞昌の死亡は不明)、当然、手紙はそれ以前という事になります。

もちろん、この手紙の中の「井伊」が井伊家内の誰なのか?という事は不明ですが、この河東一乱に合わせて、今川ではなく、北条に通じ、北条に味方しようとしていた人物が井伊家内にいた事は確か・・・

そして、今回の大河ドラマの第1回にあった今川義元による直満殺害事件(実際には弟の直義もともに殺害)があったのは天文十三年・・・関連を匂わせる史料は今のところ無いので、あくまで時期だけの推察ですが、

当時の井伊家内には、今川派と北条派がいて、おそらくは、北条側についた者が、この河東一乱の連動して動きを見せた・・・

となると、直満兄弟は、それに関連して義元に殺害された可能性は無きにもあらずで、ならば、ここでの、家老=小野政直の義元への告げ口も、「個人的に嫌いな直満の息子が当主となる事に反対」だけでは無い「井伊家を守る」という意味もあったように思えますね。

ところで、少しネタバレにはなりますが、史実として語られている事なので、今後ドラマで描かれるであろう、ちと先のお話をしますが、今回の第1回で、父の直満を殺され、追われる立場となって逃走する息子の亀之丞くんが、この井伊谷に戻って来れるのは、かの小野政直が死んだ後の12年後・・・

つまり、家老が当主である井伊直盛(なおもり=直虎の父)を飛び越えて、直接、義元に讒言したうえに、そのせいで、叔父の直満を殺されても、何もできなかった当主=直盛がおり、しかも、その後、身を隠した亀之丞が戻って来れるのは、その家老が死んでから・・・って事になるわけで、どんだけ家老が権力持っとんねん!と思ってしまいますが、

実は、この直満事件の10日ほど前に、全国を旅して廻っていた連歌師の宗牧(そうぼく)なる人物が、この井伊谷を訪れている事が記録されているのですが、
その『東国紀行』によれば
(略)…抑留に及ばずとて、使僧して樽肴贈らる、
馬上盞の体なり、
初夜の過に和泉守所へ落ち着きたり、 
次郎殿やがて光儀、明日一座の懇望、又
太山にも やどや桜の 雪の山…
(略)
…十四日、引馬まで急いだ、次郎殿自身、
其外同名中、都田といふ所まで送りゆく
、又盃…
(略)

かねてより約束していた事もあって、かなり手前の場所まで井伊家の者が出迎えに来てくれていた中
「そんなに長居はしませんから…と伝えると、使いの僧にお酒や肴を持って来させてくれたんで、馬に乗りながら飲み食いしてるうちに和泉守(いずみのかみ=小野政直の事)の屋敷に到着したんやけど、それから、そこに直盛さんがやって来て、「明日、連歌会を開いてほしいわぁ」と言うので、♪太山にも~…って歌を詠んだんや~(略)
14日
(12月14日)は引馬(ひくま=静岡県浜松市)まで急いだんやけど、直盛さん自らが仲間を連れて都田まで見送りに来てくれて、そこでまた1杯引っかけたわ」
と・・・

これって、客人が滞在するのが家老の屋敷で、帰る客人を見送りに行くのが領主???
何か、逆のような気がしないでもないけど、それだけ小野政直が力を持っていたって事なのか??

実は、江戸時代になって封建制度が確立されるまでは、主従の力関係が微妙な事がよくあったのです。

南北朝時代を描いた『太平記』巻三十七の有名な言葉に
「君は舟、臣は水、水能(よく)浮船、
水又覆船也
(なり)
臣能
(よく)保君、臣又傾君といへり」
というのがあります。

これは
「主君は船で家臣は水…水は、船を浮かべる事もできるが、同時に、船を転覆させる事もできる」
つまり、家臣が主君を倒す事もあるよ!って事ですが、この時代の戦国武将の中には、この一文を引用して、堂々と主君と渡り合った家臣もいました。

そもそも戦国の世という物自体が下剋上ドップリな世界・・・上杉謙信(うえすぎけんしん)の父=長尾為景(ながおためかげ)は、上司であった守護の上杉を倒して(8月7日参照>>)のし上がった、もともとは守護代だったわけですし、あの織田信長(おだのぶなが)の父ちゃん(2014年1月17日参照>>)もそうです。

って事は、井伊家だって、例え今川の傘下にあったとしても、北条と通じてもOK・・・ただし、それを実行する前に、事が露見すれば、そりゃ、ヤラれますわな。。。

おそらくは、小野政直には今川という強い後ろ盾がある事により、当時は主君に匹敵するような力を持っていて、当然、彼は、これからも今川の後押しを以って、未だ弱小の井伊家を維持して行こうと考えていた・・・

しかし一方では、今川とは手を切って、独立したいと思っていた一派もいて、おそらくは、前者も後者も、ともに井伊家の未来の事を考えての立ち位置だったはずで、この段階では、どちらが正義で、どちらが悪かは、わからない状況という事になります。

とは言え、今回の大河の主役である次郎法師=直虎は後者の立場・・・しかも、結果的に井伊家は残り、いや、むしろ大藩として江戸時代を生き抜くのですから、当然、ドラマでは前者の小野政直はヒール役を演じる事になります。

後々、またまた対立する事になるであろう、この小野政直の息子を演じるのが、これまた、悪役もこなせる魅力的な高橋一生さんという役者さんなので、益々楽しみですね。

期待してます!
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (28) | トラックバック (0)
|

2017年1月 6日 (金)

真田信繁の討死~そして幸村伝説へ…

2017coco
明けましておめでとうございます。

新たな年に、新たな気持ちで、
本年も、どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m

と言いながら、新年一発目は真田信繁(のぶしげ=幸村)のお話・・・

思いっきりの『真田丸ロス』を引きずりながら・・・というワケでは無いですが、今年の大河ドラマが始まって、脳内が井伊直虎(いいなおとら)に切り替わる、その前に、以前から思っていた事を、チョコッと吐露させていただきたいと思います。

それは、昨年の大河の主役=真田信繁の最期について・・・

もう、タイトルにしちゃってますので、先に結論を言わせていただきますと、私、個人的には、この信繁の最期が「討死」であった事こそが、後に伝説のヒーローと化していく大きな要因だと思っております。(もちろん、それだけが要因ではありませんが…)

残念ながら、昨年の大河では、安居神社っぽい場所で、信繁が腹に刃を当て、佐助が介錯するべく刀を振り上げる場面からの、別シーン・・・となっていて、自刃したのやら?してないのやら?が曖昧で、おそらくは「その後は想像してみてね」てな事なのでしょうけど・・・

あ・・・くれぐれも誤解の無いように、またまた言わせていただいときますが、私は、ドラマはドラマなので創作は大いにあって良く、大河ドラマとて史実に忠実である必要は無いと思っております。

そもそも、その史実自体が、どこまで真実に近いのか?、誰も確認する事ができませんし、その史実という物も、あくまで「こうであろう」という「現段階での最も納得のできる仮説」でしか無いわけですから・・・

しかも、史実の通りだとテンションだだ下がりになるエピソードもあるので、そこは文字通り、ドラマではドラマチックに描いていただきたいです。

たとえば、今回の大河で、
「総大将の豊臣秀頼(とよとみひでより=秀吉の息子)の出馬をうながす命を帯びて、信繁の息子=真田大助(だいすけ=幸昌)が大坂城内へと向かうも結果的に秀頼とともに自刃する」という『大坂御陣覚書』等に残るエピソードがありましたが、一方では(信繁は息子を大坂城へ)人質として差し出したる」と、信繁が裏切らないように、大坂方が人質として取っていたとする文書も複数あります。

また、信繁が、道明寺・誉田の戦い(4月30日参照>>) での戦いぶりで、その器量の大きさを感じた伊達政宗(だてまさむね)に、娘の阿梅(おうめ)を託すシーンがありましたが、これも、実は、阿梅は逃げる途中で伊達家の片倉重長( しげなが=片倉景綱の息子)の家臣からの「乱取り(戦時における略奪)」に遭って連れ去られ、そこで下女として働いていたところ、後日、信繁の娘である事が発覚したので、重長の後妻となったという話が有力です。

だいたい、なんの盟約も無い中、戦場にて「その戦いぶりを見て信頼を置く」からの「(戦いのあった日の夜に)阿吽の呼吸でその敵の娘を預かるもしくは預ける」なんて事は、実際問題として、かなりハードル高いですから、おそらく史実は後者=「乱取り」であろうとの見方が強いんです。

いずれにしても、何が史実に近いのかはわかりかねるものの、やはりドラマでは、大助は父の命を受けて颯爽と大坂城へ戻っていて欲しいし、阿梅ちゃんはやさしい独眼竜が保護してくれた方が、見てる側はウレシイです。

なので、ドラマに対してどーのこーの言う気は毛頭ございませんが、今回の大河の場合・・・
ドラマの主人公の名を、有名な幸村ではなく、あえて「信繁」にした事や、逸話の端々に、新説やマニアックなシーンを織り込んだ事などで、「今回の大河は史実に近い」あるいは「これこそ史実だ」と思っていらっしゃる方も多いと聞きます。

そもそも、ドラマや小説などでは、秀逸な創作ほど「本当の事だ」と思ってしまう視聴者&読者が多く、いまや完全に小説のイメージがついてしまった坂本龍馬(さかもとりょうま)を見て、晩年の司馬遼太郎氏が「私は読者をミスリードしてしまったかも知れない」とポツリとつぶやかれた・・・なんて噂も耳にします。

この噂は、とある歴史系雑誌で読んだだけなので、どこまで正しい話かは不明ですが、もしも本当に司馬氏が、そのような事をおっしゃたのだとしたら、注意しなければならないのは読者の方ですよね?

司馬氏は、あえて本当の坂本龍馬本人が、その生涯で1度も使用しなかった「坂本竜馬」という表記(「龍馬」「良馬」「りょうま」の表記は使用してます)の人物を、自らが理想とする主人公として最高にカッコよく描いただけなのですから・・・

そういう意味でも、小説やドラマと歴史は分けて考えないといけないと思います。

てな事で、やっと本題に入りますが・・・(←今まで、本題ちゃうかったんかい!!(゚ロ゚屮)屮)

Ca3e0007a900
信繁の最期の地とされる安居神社(大阪市天王寺区)…くわしい場所は本家HP「京阪奈ぶらり歴史散歩」上町台地で>>

今回の大河ドラマの中での信繁最期のシーン・・・確か、ドラマ内では、その場所は特定されていなかったように思いますが、上記の安居神社の写真と、ドラマの信繁最期のシーンを見比べていただければお解りの通り、セットの雰囲気はどっからどう見ても、完全に、この安居神社です。

もちろん、実際に、この安居神社は「信繁最期の地」と言われていますので、ドラマのスタッフさんも、その点を意識してセットを作られたのでしょうが、もし、本当に、ドラマ内の設定でも、ここが安居神社なのだとしたら、「安居神社で信繁が自害」という流れは、史実としては多分無いように思います(←個人の感想です…安居神社では無く別の場所なら、もう少し可能性高いかも)

信繁最期のシーンの可能性としては・・・
1、安居神社で討死
2、別の場所で自害
3、遠くに逃げた

この中の「1」については、先日の【日本史の新発見&発掘…2016年総まとめ】のページ>>にも書かせていただいた通り、2016年の10月に福井県立図書館にて、「自分が槍を交えて討ち取りました」と記した本人の手紙の写しが発見されて、以前からあった説を後押しする形となっていますが、
それが・・・
「戦いに疲れた信繁が安居神社で休憩していたとこに偶然通りがかった、松平忠直(まつだいらただなお=家康の孫で後の越前藩主)の家臣=西尾宗次(にしおむねつぐ=仁左衛門)によって討ち取られたという説。

上記の通り、討ち取ったご本人の手紙の写しが発見されたのは昨年ですが、「西尾が安居神社で討ち取った話」自体は、『大坂御陣覚書』『落穂集』、合戦報告として記録された『越前兵首取状』諸将の手紙など、他にも数多くの史料に登場・・・てか、信頼できる史料としては、ほぼほぼ、この「西尾が安居神社で討ち取った話」しか出て来ません(希少ながら討死した場所が生國魂神社近くとの史料あり)

なので、現在のところ、この「安居神社で討死説」が突出して有力なのですが・・・
なら、なぜ?「2」や「3」の説が出て来るのか?と言えば・・・実は、「誰も信繁の顔を知らなかった」=つまり、なかなか本人確認できなかった、プラス、討ち取った西尾という人が有名人じゃ無かったために、「ホンマかいな?」という雰囲気ムンムンだったのですよ。

なんせ『武邊咄聞書』には、
「西尾が、たまたま討ち取った武者を鼻にしよう(大きな合戦の場合、討ち取った武将の首を持ってるとかさばるので耳や鼻を落として討ち取った証拠として持ち帰る)としていたところ、近くを通りがかった真田信尹(のぶただ=信繁の叔父)が「それ、僕の甥っ子の信繁かも知れん…前歯2本抜けてるやろ?近くに兜は無かったか?」と聞くので、歯を確認し、そばにあった兜を見せたところ、「この兜!やっぱ信繁や!」となって、首ごと家康の所へ持って行ったとあります。

また『落穂集』では、
「絶対、まともに戦って無いて…仁左衛門ごときが討ち取れる相手やないやろ!
と言われ、

合戦の1週間後の5月15日付けの細川忠興(ほそかわただおき)の手紙では、信繁の戦いっぷりを「古今無之大手柄」と褒めちぎった後に、
「アイツ(西尾)、絶対、もう倒れて動けんようなってる所に近寄って首取ったに違いないわ!そんなん手柄として認めたらアカンで!」
と散々な言われよう・・・

さらに『真武内伝追加』には、
「西尾が首を差し出した時、周囲はもちろん、家康自身も信繁の顔を知らなかったため、それが信繁かどうか確認できず、例の真田信尹を呼んで来ますが、「いやぁ、僕、生きてる時の信繁しか知らんので、死んだ顔ではよーわかりませんわ」との言い訳に、家康は激おこだった\(*`∧´)/」
とか・・・

なので、安居神社で討たれたのは別人・・・もしくは(兜がホンモノとの事なので)影武者ではないか?

・・・となって、「2」と「3」の説も可能性はあるとなるわけですが・・・

とは言え、上記の通り、安居神社にて誰かが討ち取られた事は確かなようなので、もし、信繁が自害しているとすれば別の場所という事になるのですが、不肖私、「自刃かも」という説もあるとは聞いておりますが、その出典が何なのか?どの文献に記されているのか?を存じ上げませんので、その事について、今ここで言及する事は避けさせていただいときます。

・・・で、「3」は皆様ご存じの、鹿児島への逃亡説

これは、やはり『真武内伝追加』に、例の
♪花のようなる秀頼様を
 鬼のようなる真田がつれて
 退きものいたり加護
(かご・鹿児)島へ♪
の歌とともに、船に乗って逃げる様が記されています。

また『先公実録』にも、
「鹿児島の南の谷山村という所に秀頼公の子孫がいる」
てな事が書かれています(2007年5月8日の後半部分参照>>)

とは言え、やはり「2」と「3」は、あくまで噂の域を越えないわけで、かくいう私も「安居神社で討死説」だと思っているわけですが・・・

そうなると、ふと思うのは、大坂の陣における、いわゆる「七人衆」などと呼ばれる大坂方の有名武将の中で、慶長二十年(1615年)5月7日最終決戦=天王寺口・岡山口の戦い(2015年5月7日参照>>)で討死したのは、信繁だけだという事・・・上記の通り、歴史上は未だ謎がありますが、少なくとも、当時の徳川方の武将は討ち取ったと思っていたはずなので…

七人衆(-信繁で=残り6人)のうち
後藤又兵衛基次(またべえもとつぐ)木村重成(しげなり)は、それぞれ前日の、又兵衛は上記の道明寺誉田の戦いで、重成は若江の戦い(5月5日参照>>)で戦死しているので、この最終決戦の時にはいない・・・

で、残った4人のうち、毛利勝永(かつなが)は、その日、信繁と同じく家康本陣に突入しながらも、その後の撤退戦で殿(しんがり)を努めて大坂城へと戻り、秀頼や、その母=淀殿(よど=茶々)、主将格の大野治長(はるなが)ほか、城中の皆々とともに自刃(4月24日の後半部分参照>>)・・・

大坂城炎上のドサクサで城を脱出した長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)は後に捕縛され処刑(5月15日参照>>)・・・

同じく、大坂城から秀頼の息子を連れて脱出した大野治長の弟=大野治房(はるふさ)途中で捕まって処刑(【秀頼の二人の息子】参照>>)・・・

唯一、死亡が確認されていない行方不明の明石全登(あかしたけのり・てるずみ=景盛)(2012年5月8日参照>>)・・・

もちろん、5月7日の最終決戦は多くの戦死者が出てますから、信繁以外にも、あの仙石秀久(せんごくひでひさ)(9月18日参照>>)の息子の仙石秀範(ひでのり)や、結城秀康(ゆうきひでやす)の元家臣=御宿政友(みしゅくまさとも=勘兵衛)などの有名どころも、この日の最終決戦で討死してますが、やはり、七人衆とはインパクトが違う?(←ファンの方スンマセンm(_ _)m個人の印象です)

先ほどの細川忠興の手紙なんかでも、「木村・後藤・薄田(隼人=道明寺で討死)・明石…いづれも比類無き働き」と褒めながらも、彼らとは別の場所に「真田左衛門佐、古今無大手柄」と例の一文を記していますし、信繁ageの代名詞とも言える「真田日本一の兵(つわもの)(6月11日参照>>)島津忠恒(後の家久)の手紙などに代表されるように・・・何となく別格の雰囲気を醸し出してる感ありますよね?

当然ですが、信繁には例の真田丸の攻防(12月4日参照>>)をはじめとする数々の比類なき武功があった事は確かで、私自身も、それらの功績を絶賛する者の一人ではありますが、やはり、彼ら徳川方の「古今無之大手柄」「真田日本一の兵」という、別格のような褒め言葉が、後世の私たちの「真田スゴイ!」の印象に拍車をかけているような気がするのです。

しかし、そんな徳川方の武将たちによる褒め言葉・・・
イケズな見方をさせていただくと・・・
そのウラには「そんな強いヤツに、俺らは勝った」=「討ち取った」という気持ちが見え隠れしているんじゃないか?と・・・

厳しいようですが、やはり生き馬の目を抜く戦国乱世・・・
そこには、「本拠に戻って自刃した」のと「逃亡後に捕縛されて処刑された」のとは違う、「戦場で討ち取られた」という最期があったのだと思います。

それ故に、諸将から称賛された信繁像が、年月が経つうち、戦場に散った潔さとともに、さらに美しくカッコ良く軍記物に描かれ、猛将=信繁は、英雄=幸村へと変化していき、そして、伝説となったと・・・

なので、私の個人的な思いではありますが・・・
やはり、信繁には、
「最後の最後まで生きる事を諦めない」
「槍の、刀の、最後の一振りまで戦う」
武将であってほしい
と・・・

そして、その討死の姿があったからこそ、日本一の兵=真田幸村なのだと思います。

年始早々の長文、最後まで読んでくださってありがとうございましたm(_ _)m
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (20) | トラックバック (0)
|

2016年12月20日 (火)

大河ドラマ「真田丸」~最終回の感想

終わりましたね~

大河ドラマ「真田丸」・・・

なかなかに良かったです・・・関ヶ原あたりまでは・・・(^-^;

もちろん、最近あったいくつかのトンデモ大河よりは相当良いとは思いますが、関ヶ原が終わって、父=昌幸さんが亡くなってからは、正直、
「アレ?どーしちゃったの?」
て感じの雰囲気のまま進み、最終回には
「ホント!どーしちゃったの?」
って感じで、そのまま終わっちゃいました(。>0<。)

もちろん、これはあくまで個人の好みの問題です。

巷には
「感動した」
「涙が止まらなかった」
「最高に良かった」
の声も多く、ドラマを見て良い感想を抱いた方々のお気持ちに対して、どーのこーの言う気は毛頭ございません。

そもそもテレビ番組という物は、それを見た人すべてが「オモシロイ」と思う事なんてありえ無いわけですから・・・

なので、このページでは、あくまで私個人が、見てどう思ったかという事を吐露させていただきたいと思いますので、反対のご意見も多々ありましょうが、そこのところをご理解いただければありがたいです。

そんな中で、私は、以前から申しております通り、
大河とは言えドラマなのですから創作はあって当然ですし、セリフに関しても、もし本当にその時代らしくしゃべってしまうと、予備知識無し&字幕スーパー無しではおそらく聞き取れないので軽い口調のセリフ回しもOKですし、三谷作品も好きです。

なのに抱く、この違和感は・・・
勝手な想像ではありますが、おそらく三谷氏は真田信繁(幸村)よりも、父の昌幸の方がお好きだったのか?
あるいは、歴史好き故にノリノリで脚本を書いているうちに時間配分がオカシナ事になり、気が付いたら、あと何回かで最終回に持ち込まないといけなくなっていたか?

結果として、なんだか今年の大河は、まるで草刈昌幸さんが主役だったみたい・・・もしNHK様の公式サイトの記述通り、この「真田丸」というドラマが、信繁が主役であったのなら、もう少し大坂の陣に時間が欲しかったですね。

急ぐあまり、いろんな物をはしょり過ぎながらも、最終的に豊臣の負け=大坂城の炎上&落城に持っていかねばならなかったためなのか?

結果、ドラマの中では、元・信長のシェフ=現・台所のジイチャンの個人的な恨みを、最終回まで見抜けなかった事が大坂方最大の敗因という驚くような展開に・・・

しかも、あの柔和な小日向さん(秀吉)をレイプ犯に仕立ててまで・・・小日向秀吉さんって、そんなキャラでしたっけ?

もし、仮に、小日向秀吉さんが、自分を嫌っている女性にムリヤリ迫ってコトに及んだとしても、その彼女の心が、なんとか癒えるよう思いっきりやさしく、家族含めて厚遇して「結果的に幸せだワ」と思えるようにしてやろうとする・・・そんなキャラじゃなかったでしたっけ?
(確かに、男に対しては容赦無かったですが…ww)

少なくとも、竹内茶々さんの気を惹こうとしてた時は、そのようなキャラに見えましたが、何とも不思議です。

不思議と言えば、最終回における主役の言動にも不思議な部分が・・・

そもそもが市街戦だった大坂の陣ですが、そこは城下町のセット作成の金額の高さを考慮して、安定の野っ原での合戦シーンとなったとしても、
本来は、湿地帯に囲まれた台地(上町台地)で、遠くに生駒金剛や北摂の山々が霞む大阪平野で展開された戦いなのですから、せめて、河原のような場所が良かったと思うのですが、ドラマでは、なんだか間近に小山が迫るその麓にて戦うという・・・

また、本来なら真田隊の他にも、毛利隊渡辺隊が、ほぼ同時に家康本陣を襲ったはずですが、
ドラマのように、大将の信繁が孤軍奮闘的な戦い方で先頭に立ち、まるで、コートの中で集まるバレーボールチームのように、そこだけ固まった10人くらいの家康主従に向かって銃を構える中、家康は家康で「撃て」とばかりにピタリと動かず睨み合うという・・・

これらの描写も、最終回を盛り上げるための演出&予算の都合だという事でヨシとしましょう。

しかし、その最終回における主役の不思議な言動は、納得するには厳しいかと・・・

信繁がおかみ様に
「望みを捨てぬ者にこそ道は開ける」
と言ったワリには、さっさと自害。

それを丸パクリのおかみ様が秀頼に
「望みを捨てぬ者にこそ道は開ける」
「策がある」

と言ったワリには、とっとと自害。

おそらくは、その「策がある」の「策」だと思われる千姫に
「大坂城のすべてがあなたにかかっている」
と言って送り届けたワリには、何の交渉もせず、ただの爺さん&父さん&娘さんの和やかな再会シーン。

おかみ様&信繁の
「策がある」
というセリフ・・・何もしないなら「策」って何?

この不思議な中途半端感は、何か見逃してるのか?
と、VTRを戻して2~3回見ましたが、残念ながら、私には、これらの流れが理解できませんでした。

これなら、歴史通りに、
最後の最後まで戦うも信繁が討死した後に、
「真田殿お討死」の一報を受けてからの
千姫から爺ちゃん&父への「秀頼様の命乞い」が一蹴されたとの返事を聞いてからの
秀頼主従の自害

の方が、よっぽど辻褄が合ってるように思うのですが、あえて変えた意図はどこにあったのでしょうか?

この不思議な中途半端感のおかげで、なんだか大坂城内にいた人が全員アホに見えて来て仕方が無い・・・
もし、この通りなら、とてもじゃないが日本一の兵(ツワモノ)なんて伝説にはならなかった事でしょう。

あの上田合戦での城攻め>>
あの犬伏の別れの神回>>
での素晴らしさは、いったいどこに~(;ω;)

最初が良かっただけに、関ヶ原以降の残念さが浮き彫りになってしまった感が否めません・・・惜しいです。

以上、最終回の感想・・・ですが、
ちょっと毒吐きました~(*_ _)人ゴメンナサイ

造り手の方々が一所懸命やっておられるのに、素直に「良かった」という感想を書けずに、ホント申し訳ないです。

ブログ内の主要な関連ページ
関ヶ原から大坂の陣の徳川と豊臣の関係>>
平野焼き討ち~「みしかよの物かたり」>>
真田丸の攻防>>
大坂冬の陣に連動した北山一揆>>
大坂夏の陣に連動した紀州一揆>>
家康×淀殿×治長=愛憎の三角関係>>
大蔵卿局について>>
道明寺誉田の戦い>>
毛利勝永の天王寺口の戦い>>
渡辺糺と母・正栄尼の最期>>
大坂城脱出~お菊物語>>
秀頼の子供たちについて>>
大野治胤の最期>>
千姫のその後>>
上記以外にも、大坂の陣に関しては80以上のページを書いていますので、
【大坂の陣の年表】>>
 から興味のある記事へどうぞm(_ _)m

ほとんど史料が残っていない来年の大河は、
果たして吉と出るか?
凶とでるか?
楽しみにしております。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 

| コメント (30) | トラックバック (0)
|

2016年9月 6日 (火)

まさに神回?大河ドラマ真田丸、第35回「犬伏」の感想

 

いやはや・・・

あくまで、個人的な感想ではありますが…
実は、先週までは「どーした?真田丸!」と心の底では思っていて、あまりよろしくない感想を書き連ねようかと思っていた不肖茶々でありますが、

どうしてどうして、今回の「犬伏の別れ」の描き方で、心の中が一気に挽回されました~まぁ、女心と秋の空と言いますから・・・ww

もちろん、これらの感想は、あくまで個人の好みによる物です。

そもそも、万民の好みに合うドラマなど作れるはずは無いわけで、誰かに好かれれば、誰かに好かれないというのが世の常でありまして、私が悶々とした一年を過ごした昨年の大河だって、予想の斜め上をいく展開で何度もコケそうになった姫たちの妄想だって、好きな人にとっては良きドラマであったわけで、その事自体をどーのこーの言うつもりは毛頭ございません。

なんせ、逆に、私が「良かった」と思っている「清盛」は一般的には酷評なわけですので、それこそ、「好み」は人それぞれ・・・いや、むしろ、そうだからこそ、社会が成り立っているわけで・・・てな事で、あくまで個人の趣味のブログで素人が放つ個人的な感想とご理解くださいませ・・・

・‥…━━━☆

で、なぜ、ここ最近まで「どーした?真田丸!」と思っていたのかと言いますと、やはり創作のチョイスですかね~

それこそ、ドラマは創作物なので、創作が入ってるのは大いに歓迎すべき所ですが、なんか、その「創作が肌に合っていなかった」感が拭えませんでした。

主役の特権として、大きな出来事に関与しまくりなのはドラマの常としても、ちょっと関与し過ぎの感じがあるのと、緩急つけるべく、ところどころに挿入されるお笑い部分の担当者が、ほぼほぼ女性だったという事・・・

厳しい戦国の世の中で緩急つけるためには、合戦や調略に関与しない女性をお笑い担当に・・・という事なのでしょうが、おかげで、出て来る女性出て来る女性が皆、バカップルの片割れのようになってしまっていて・・・

はじめは、そのKYぶりがカワユクもあった茶々(淀)殿も打掛をはおった途端に魅力薄となり、実際には秀吉の側でその領国経営を一手に引き受けて(特に留守の時は=9月6日参照>>いたであろうおね(寧々)様までもが現実を見据えない人となり、きりちゃんに至っては初回から邪魔ばかりするうっとぉしい女に描かれ、主人公の母のさんはただただ保身ばかりを気にし、奥さんのさんまでもが思いが通らないと「キーッ」と逆上する豹変キャラとは・・・何とも悲しいです。

また、一方で、創作の挿入に関しては、歴史好きだと言われる三谷氏であるからこその難しさもあったと思います。

例えば、大坂の陣以前の史料の少なさもあってか、真田信繁(のぶしげ=幸村)が秀吉の馬廻(うままわり)という設定は、ドラマとしては今回が初めて?(すべてのドラマを見てるわけでは無いのでアレですが…)ではないかと思うのですが、それは最近発見された史料で確認された新説による物。
(秀吉なら馬廻もかなりの数いたと思いますが、ドラマで信繁一人に見えたのは役者さんの出演料という大人の事情として理解しますww)

また、あの豊臣秀次(とよとみひでつぐ=三好秀次・羽柴秀次)自刃のくだりも、秀次自ら高野山へと行き、自ら死を選んだという、これまでのドラマとは違う、今話題の新説を採用し、

あの第1次上田合戦も、ドラマ定番の原っぱでの騎馬同志のぶつかり合い合戦では無い、往年の「風雲たけし城」を思わせるようなセットでの、熱湯掛けたり、石投げたり・・・と、たぶんコッチが史実に近いんじゃないか?と、歴史好きをも唸らせる仕上がりとなってました。

なので、そこにブチ込んだ、三成による家康暗殺未遂までもが、「本当の事」のように思えてしまうという現象に・・・

もちろん、私も、その時代に生きてたわけじゃないし、すべての史料を知ってるわけでは無いので「絶対に無かった」とは、言いきれませんが、少なくとも史料として残っている一般的な見方としては、「家康を暗殺しよう」と提案する島左近に対して、「今は、その時では無い」と冷静に判断する三成のイメージです。

だって、あの時点で先に手出しちゃダメでしょ?
おかげで、私としては、ドラマの中での三成の株が大暴落しちゃった感が否めませんでした。

なのに一方では、秀吉の晩年は・・・そこは、豊臣ファンとしては、これまでに無いしっかりした秀吉さんでいてほしかったですが、結局、ドラマの定番通りに、朝鮮出兵も無謀で無茶苦茶な出兵のように言われ、哀れで老いさらばえたように描かれてましたね(つд⊂)エーン
●私個人的なイメージ
 秀吉の晩年:【豊臣秀吉の遺言と徳川家康の思惑】>>
 朝鮮出兵:【地球分割支配と秀吉の朝鮮出兵】>>

とは言え、それらこれらを覆して余りある見事な描き方だったのが、今回の『犬伏(いぬぶし)の別れ』・・・

ドラマの中には、父子3人で戦々恐々と作戦を練る中でケンカ別れをしたように描かれた場合もあるようですが、やはり、私としては、以前にも書かせていただいたように(7月21日参照>>)家と血筋の存続を1番に考えた「どっちか生き残り作戦」だと思っています。

これは、真田家だけではなく、けっこう多くの武将がやってます。

以前、前田利政(まえだとしまさ)さんのご命日のページで、前田家を例に出して【「親兄弟が敵味方に分かれて戦う」という事】>>を、お話させていただきましたが、真田家、前田家以外にも、ザッと見ただけで、毛利(もうり)(9月23日参照>>)九鬼(くき)(10月12日参照>>)蜂須賀(はちすか)(12月30日参照>>)生駒(いこま)小出(こいで)に・・・と、関ヶ原本戦以外の前後も含めて、ちゃんと調べたら、たぶん、もっといるでしょう。

それだけ勝敗の行方が見て取れなかった戦いであったのでしょうが、やはり、この「どっちか生き残り作戦」は、ドラマの中の戦国武将には戦場に花と散るカッコ良さを求めてしまう現代の私たちから見れば、「二股かけた」あるいは「保険をかけた」ように見えてしまい、なんとなく、せこくてコスイ手段に思えてしまう物で、これをカッコ良く描くのは、なかなかに難しい・・・

そこを、今回の「真田丸」は見事に、感動的かつカッコ良く描いてくれはりました。

お兄ちゃん=信幸(のぶゆき)の大泉さんの「絶対に守る」の見事なセリフに、父=昌幸(まさゆき)の草刈さんが「最善の策じゃ!」と賛同するくだりは、これまで、何かややこしい事がある度に、「ワカラン」と悩んだり、昨日言った事が今日変わっていたりという優柔不断な感じだった草刈昌幸さんの態度が、このシーンへのフリだったのか?と思わせるほどの、見事なまとめ方だったと思います。

なにやら、巷では、この第35回「犬伏」は「神回」と呼ばれているとか・・・私も、もうちょっとで「どーした?真田丸!」を書くところでしたが、1週間待って良かったです。

しかも、予告編を見たところでは、どうやら来週は、あの稲姫(小松姫)の名シーン(2009年7月25日参照>>)をやってくれはるようです。

その真田の嫁のページのコメント欄でもご指摘があったように、最近の研究では、その時の稲姫は大阪城に人質になっていたはずとも言われていますが、一方では、家康が勝手に、妻子が領地に戻る事を許可していたとの話もある・・・とは言え、やはり、ドラマではやって欲しい名シーン・・・

どうするのかな?と思っていたら、
なるほど・・・細川ガラシャ(玉)さんの死(7月17日参照>>)に危険を感じた稲姫が自ら大坂城を脱出したというテイで、お父ちゃんと弟のご帰還に間に合わせるわけですね~まさに、「そう来たか」という感じ・・・これなら、「大坂城にいたはず」からの「稲姫の雄姿」にも、一応の辻褄合ってますね。

これで、今までは、怒ってばかりの稲姫も、一気に好感度アップですな~

それを匂わせる今回は、やはり「神回」でしたね。

今後の流れとしては・・・
この稲姫の逸話と同じ日に、東では家康の小山評定(おやまひょうじょう)(2012年7月25日参照>>)伊達政宗(だてまさむね)白石城(しろいしじょう=宮城県白石市)攻略(2015年7月25日参照>>)がありますが、その後は、いよいよ本チャンの関ヶ原に向けて・・・
(くわしくは【関ヶ原の合戦の年表】で>>)

一足早く、真田父子は、第2次上田合戦(9月7日参照>>)となりますね。

ドラマも一つの山場を迎えそうです。
楽しみですヽ(´▽`)/
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (14) | トラックバック (0)
|

2016年5月25日 (水)

大河ドラマ「真田丸」の感想~大坂編~第20回前兆

 

なんとかかんとか、
ぼちぼちと調子が戻って参りました~ヽ(´▽`)/

てな事で、本日は、久々に、大河ドラマ「真田丸」の感想など・・・というのも、先日の茶々(後の淀殿)心の描写が実に良かった!!o(*^▽^*)o

この件に関しては、久々のHITな描き方でした(←個人の感想です)

そう、あの茶々様が、豊臣秀吉(とよとみひでよし)側室
(この時代には、未だ「正室は一人」という認識が確定していないと思われ、実際には多分、寧さん&淀殿の二人ともが正室だと思いますが…)
となる決意をする、あの心の描写です。

これまで、時代劇で何度となく描かれて来た場面・・・

戦国時代とまで行かなくとも、ひと昔前までは、お金持ちの実業家や、権力を握った政治家さんなんかには、「お妾(めかけ)さん」と呼ばれる女性がいて、それがバレてもセンテンススプリングに叩かれる事も、ほとんど無かったです。

おそらくは、戦前&戦中&戦後間もなくは、貧富の差も激しかったし、一生馬車馬のように働きながらも飢えに苦しむような生活をするなら、お金持ちに囲われた生活の方が幸せだったりする事もあったわけですし、なんだかんだで、現在の「不倫」とは違う次元の、そーゆー方たちがいた事も確かですし、

なんたって、生まれた子供が、そのまま元気に成人する確率も、戦前&戦中&戦後間もなく位までは低かったわけですし、

もちろん、以前、昨年の大河の話で書かせていただいたように(「花燃ゆ」最終回の感想を参照>>)、そもそもは、結婚そのものが恋愛を伴う結婚では無かったですしね。

・・・で、何が言いたいかと言いますと、そういう時代を知っている人たちが、テレビの視聴者だった時代には、時代劇での側室の存在は、当然の事で、ごくごく普通に描かれていたわけですが、

昭和30年代の高度成長期を経て、一億総中流と言われるようになり、男女平等ジェンダーフリー男も女も共同参画・・・と、ひと昔前の、かの時代の事をほとんど知らない人たちが大半を占めるようになった、今現在の平成の時代は、結婚には愛がなくてはいけないし、愛し合って結婚した以上は不倫なんてもってのほかだし、ましてや、奥さん意外に子供がいるなんて!!!

もはや友達では押し通せないこの状況に、やむなく、ここ何年かの大河では、側室をまったく無視したり、側室が正室のように描かれていたり、側室の産んだ後継ぎを正室の子にしてみたり、今回の「真田丸」でも、早々とお梅ちゃんに去っていってもらったりの苦肉の策をとっているわけで・・・

そんな中でも、最も微妙なのが茶々様の存在・・・彼女が、秀頼(ひでより)という、豊臣家にとってなくてはならない後継者を産む事で、その存在は無視できないし、かと言って、秀吉をずっと支えたゴッドマザー=(ねい=寧々・おね)さんをスルーすることもできない・・・

なので、ここ何年かの大河では、秀吉だけには側室がいる状態で描かれつつも、このへんの茶々様はじめ女性陣の心情が、うまく表現されないままドラマが進んで行く事が多々ありました(特に「姫たちの○○」はスゴかった(^-^;)

しかし、今回の「真田丸」の竹内茶々様の描写はスゴかった(もちろん、「姫たち」とは別の意味でww)

それこそ、その「姫たち」のページ(2011年5月30日参照>>)でも書かせていただきましたが、「強さ」は男の魅力でもあります・・・特に、この戦国の時代には、

そんな中、その命令一つで何万もの軍勢を動かし、その黄金で天下無双の城を建ててしまう男が、たった一人の女=自分のために右往左往し、何とか、その気を惹こうとアノ手コノ手で機嫌をとって来る・・・これを、気持ちよく思わない女性は、なかなかいませんよ!
(山本リンダの♪狙い撃ち♪の世界ですなぁ( ̄ー ̄)ニヤリ)

「なぁ、なぁ、1回だけ…な?」
てな感じで迫られて、ついつい情にほだされてしまう・・・いやはや、お見事な描写でした。

以前、「三谷さんが描く男性は魅力的なんだけど、女性は…」と書かせていただきましたが、なんのなんの、この大坂編になってからは、女性陣が魅力的ですね~イイです(*^-^)

ただ、そのぶん、大坂編での主人公=真田信繁(幸村)影が薄くなってしまっている気がしないでもない・・・

まぁ、そもそも、これまでは、「大坂での信繁は、ほぼ幽閉状態で部屋に籠りっきり」てのが定番だったわけで、やっとこさ最近になって「秀吉の馬廻り」という情報が発掘されたばかり・・・言うなれば、それだけ、大坂における信繁に関する史料は少ないわけで、ムリクリで、茶々様とのほのかな恋心を描いたり、落書き事件に絡ませたりはしてみるものの、それにも限界ありで、そこのところの影の薄さは致し方無い部分もありますね。

本来なら、大坂城の様子を、ただ見てる状態だったかも知れないわけですが、それでは、ドラマとしてはおもしろくないわけですから、そこは主役の特権をフル活用するしか手立てはないです。

それにしても、
あのお姉ちゃんの記憶喪失事件は何だったんでしょうね?

あんなにアッサリ思い出すなら、記憶喪失の設定は無かってもよかった気もしますが、やはり、あの思い出すシーンでの軽妙な家族のやり取りおんぶするとオシッコ+鼻にカニ+ひからびたカエルwwをやってみたかった?て事なのでしょうか?
(アレはアレでオモシロかったかも)

あと、親戚(信幸とは従兄弟)のはずなのに、あたかも他人のように扱われて嫁から侍女になっちゃったお兄ちゃん=信幸(のぶゆき)の奥さん=こうは・・・おそらく、このまま侍女でいくのではなく、結局は夫婦として繋がったままなんでしょうけど、お婆様の草笛とりさんにとっては、信幸もこうも同じ孫なのに、そのこうさんに「帰る場所がありません」と言わせる設定には、ちょっと悲しい思いがしてしまいましたね。

とは言え、なんだかんだで気になる信繁ときりちゃんの関係・・・ひょっとしたらプラトニックなまま最後までいくのかも知れませんね。

後に仙台藩の片倉家に嫁に行く信繁の娘=阿梅(おうめ)ちゃんは、一般的には高梨内記の娘(ドラマではきり)が産んだ事になってるので、てっきり、信繁ときりちゃんは、いずれはくっつく物だと思ってましたが、一説には、信繁の正室である竹林院(ちくりんいん=大谷吉継の娘)さんの子供と言う話もあるそうで・・・そうなると、きりちゃんの恋は実らない可能性も・・・一途なだけに、ちょっと可哀そう(。>0<。)

最後に、豊臣ファンとして、ちと寂しいのは、なんとなく秀吉さんが壊れていく雰囲気が漂い始めてるところ・・・今週は、まさに、その「前兆」でしたね。

このブログでも度々書かせていただいているように、私個人的には、やはり、秀吉さんは、死ぬ寸前までしっかりしてはったんじゃないか?(8月9日参照>>)と思ってます。

今では、秀吉が高野山の僧侶に対して、秀次のための料理人や世話人の手配をしていた事が明らかになり、「秀吉は秀次を高野山に蟄居させただけで切腹の命令は出していない」という見方も登場してますし、あの朝鮮出兵も、当時の世界情勢(10月12日参照>>)を見れば、無謀とは言い切れないわけですし・・・

でも、やはりドラマでは、これまでの一般的な見方のままの、無謀で、ちょっとタガが外れた秀吉さんになるんでしょうねぇ~

いや、でも三谷氏の事ですから・・・アッと驚く伏線があるかも(゚m゚*)

いずれにしても、今後も大いに期待し、大坂の陣のあの日まで・・・楽しみに視聴していきたいと思っておりますので、いつかまた次の感想など書かせていただく機会もあるやも知れませぬ故、よろしゅーお願いします・・・m(_ _)m

Toyotomikioosakazubyoubu
豊臣期大坂図屏風・部分(関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター蔵)

*これまでの「真田丸」の感想は・・・・
 ●大河ドラマ「真田丸」の1~2回の感想
 ●
大河ドラマ「真田丸」の感想~青春編
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (16) | トラックバック (0)
|

2016年4月 9日 (土)

大河ドラマ「真田丸」の感想~青春編

 

恥ずかしながら、不肖私、最近まで知らなかったのですが、聞くところによると、今回の大河ドラマ『真田丸』には、「○○編」という「くくり」があるらしく、先日=4月3日の放送で「青春編」が終了し、次回からは「大坂編」が始まるとの事・・・

ならば、キリが良い・・・という事で、ここらあたりで、その「青春編」の感想など書かせていただきたいと思います。

・‥…━━━☆

全体的な感想としては、以前、初回の感想のページ(1月19日参照>>)でも書かせていただいたように・・・
まずは・・・イイ!o(*^▽^*)oイイです。

かなり三谷ワールド全開なので、「三谷氏の脚本が苦手」という方には不評なんでしょうが、もともと、私は嫌いでは無いので、「こんな大河があっても良いかな?」という感じ・・・

むしろ、昨今の「トンデモ&ファンタジー大河」よりは、「わざとやってる」「知っててやってる」が出てる気がするので、それこそ「あまりにトンデモな事はなさらないだろう」という安心感が、見ている側にあるのかも知れません。

それに、三谷作品では必須となっている、歴史好きの心をくすぐるような小ネタも入ってますしね。

それこそ、以前の初回の感想にも書いた北条氏政湯漬けすすりまくり(2月13日に後半部分参照>>)に、「徳川には裏切り者はおりません」と宣言する石川数正(11月13日参照>>)や、本多正信(9月5日の後半部分参照>>)・・・なんてのもそうですが、何回か前には、イライラしながら爪を噛んでる家康に、阿茶局(あちゃのつぼね=雲光院)(1月22日参照>>)「爪を噛まない!」と言ってたりなんかして・・・

家康の爪を噛むクセは、史料にも書かれていてけっこう知られたエピソードですが、ドラマで見たのは初めてだと思います。。。。伊賀越え(6月4日参照>>)の逃げっぷりもオモシロかったですしね。

ただ、一つ気になったのは、やはり俳優さんとの年齢のギャップですね~
それこそ「青春編」「大坂編」とブロック分けするのであれば、「青春編」は10代の若い俳優さんにお願いした方がシックリきたかも・・・

なんせ、大坂にやって来る時で、信繁(幸村)は、やっとこさ20歳越えたばかりですから・・・最初の頃なんて15~6歳ですが、いくらなんでも42歳の堺さんは・・・頑張って若い感出してはりましたが、演技にも限界ってモノがあるやに思います。

そのために、きりを演じた長澤さん「きりウザイ」「きりジャマ」と、ネットでさんざんに言われてはりましたが、よくよく考えれば、長澤さんのあの役は、おそらく12~3歳?=小学校高学年か中学生くらいの設定のはずので、そのくらいの女の子の、好きな人に対する態度としては、思うようにならないイラだちをぶつけてみたり、邪魔してみたり、イケズしたり・・・と悩める中学生みたいで、ごくごく普通の姿のような気もします。

でも、それを28歳になられる長澤さんがやってしまうと、見てる側は「うっとぉしい女」って感じてしまうんじゃないかと・・・

とは言え、若い俳優さんが演じる期間が、あまり長くなると堺さんや長澤さんの出番も少なくなりますし、そもそも1年間放送予定との兼ね合いなんかもあって、そこのところは作り手の方のみぞ知る・・・スタッフさんとしての1番良い選択が「初回から堺さん」だったのでしょう。

ところで、最初の頃に「高畑さんを中心とした女性陣がコミカルなシーンを演じておられる」と書かせていただきましたが、そのパターンは今も健在ですね。

もともと、三谷さんは、その作品の中で、男性を魅力的に描くのがお得意なようにお見受けしますし、なんたって大河ですから、締めるところは締めないとならないわけで、その引き締める役割をするのが物語を進めて行く男性陣なのですから、男性陣はたいせつに扱わねば・・・なので、ギャグ担当が女性陣になるのは致し方無いところ・・・

に、してもですよ!
敵方の室賀さんの長~くカッコイイ死に方に比べて、お梅ちゃんの亡くなり方には、ちょっとビックリ!です。

そもそも、ドラマの初回に、長女を産むお梅ちゃん(堀田興重の娘もしくは妹)と、後に片倉小十郎(10月14日参照>>)の息子と結婚する三女を産むきりちゃん(高梨内記の娘)が出てた事で、おそらく、この先、嫡男の大助くんを産む新婚ラブリン大谷さんの娘も登場するものと思われ、「おっ!久々の側室アリかい?」と、ちょっとワクワクしたんですが・・・

どうやら、「日曜ゴールデン」という「家族大集合で見ちゃうヨ」枠では、やはり側室の存在はマズイのか?、どうやら、次から次へと亡くなる作戦になったようで・・・まぁ、そこは、平成日本のモラルに合わせて、先に去って行っていただくのも仕方ないのかも・・・

に、してもですよ!(2回目)
合戦序盤からあからさまに立った死亡フラグの中、「お乳が…」「みんなが…」と、跡取り息子の嫁が無防備に戦場をウロウロしまくりで、「もうアカン!」と思ったところをHOT!HOT!佐助に助けられてセーフ・・・と思いきや、知らん間に死んでもてた~って、

確かに、実際の合戦ではそんな感じでしょう。
どこでどう亡くなったかわからない人も多い・・・てか、ほとんどそういう死に方だったと思いますが、それはそこ・・・やっぱりドラマですし、主人公の奥さんですし・・・もうちょっと粘って、感動的な亡くなり方が良かったかな?とも、個人的には思いますが、三谷さんの事ですから、これも何かのフリ、何かの伏線なのかも知れませんから、今は、あまり声を挙げずにおきましょう。

だって、なんだかんだで今回、あの城下での戦いの描き方が最高~ヽ(´▽`)/!でしたからね。

往年の「風雲たけし城」のセットの如き、堀やら柵やら落とし穴やらをほどこした城下に敵を誘いこんで、団子状になった敵を左右の壁に隠れていた兵士が、石つぶてやら熱湯やらで攻撃(さすがにウ●コは無かった(^-^;)・・・って、これまで、軍記物で散々見て来たけれど、アレを映像で再現してくれたドラマは見た事無いです(あったかも知れんけど記憶にないです)

これまでの合戦シーンは、原っぱで騎馬が駆け抜けて雑兵がぶつかって・・・っていう戦闘シーンがほとんどでしたからね。
(これはこれで良いんだけれどもね)

これはこれは・・・茶々としてはメッチャ期待してしまいますヨ!
何が?って・・・最後の最後に描かれるであろう大坂の陣です。

やはり、これまでは、例えそれが大坂の陣の合戦シーンであっても、原っぱで騎馬が駆け抜けて・・・って感じばかりでした。
(大坂の陣には野戦もあるので、「間違い」という事では無いです)

でも、本当は、あの大坂の陣の多くは市街戦・・・大坂の町を、徳川方の軍がグルリと取り囲んで、最終的には、その中で戦闘があったわけですから・・・

Oosakanozinfuzinzu330
↑冬の陣で家康が陣を敷くのが茶臼山…その茶臼山に夏の陣では信繁(幸村)が陣を敷きます。
茶臼山については
2013年4月14日のページで>>

『大坂陣山口休庵咄』によれば、
「町人百姓等城より出候(いでそうら)わば、両手の指を切、はたになし(磔にして)城へ追い入れらるる由(よし)に候(そうろう)
とあり、徳川方が大坂城を包囲した後は、一般人がその包囲をかいくぐって出入りする事ができなかったらしく、取り残された人たちは、やむなく、その包囲の中=戦場で商売をして日銭を稼いでいた事が書かれています。
*さすがにコレはゴールデンの映像にできないでしょうが『みしかよの物かたり』>>もご参考に…)

つまり、城下町で一般人が生活している中での合戦となっていたわけですが、少なくとも、大坂の陣の合戦シーンをそのように描いたドラマを、私は見た事が無いです。

もちろん、私もすべての映画やドラマを見てるわけではありませんが、「知らない」「記憶にない」という事は、「それだけ少ない」という事でもありますから、やっぱり1度は見てみたい・・・

今回の第一次上田合戦=神川の戦い(8月2日参照>>)が、まさに、今までとは一味違う合戦シーンだっただけに、クライマックスの大坂の陣の描き方にも、自然と期待してしまうのです。

とは言え、それはまだまだ先の話として・・・
もちろん、次回からの「大坂編」も楽しみにしてますよ~

なんたって、予告編での秀吉の名乗りが
「かんぱく、とよとみひでよしであ~る」ですからね。

やはり、これも、ほとんどの映画やドラマが
「とよとみひでよし」
ですが、織田や徳川などの苗字ではなく、朝廷から賜った姓(かばね)である豊臣の場合は、本来は
「とよとみひでよし」
ですから・・・
【豊臣姓に秘められた秀吉のコンプレックス】参照>>
【氏・素姓と苗字の話】参照>>

例え大河であっても、三谷ワールドのクスリとする小ネタに期待してます( ̄▽ ̄)

できれば、茶々一押しの逸話=秀吉の遺言だった家康との結婚をドタキャンした淀殿が大野治長と高野山へ逃避行(2010年12月16日参照>>)なんかもねじ込んでいただきたいものですが、やっぱ日曜ゴールデンのファミリータイムに三角関係のゴタゴタはアカンでしょうなぁww(*´v゚*)ゞ

いずれにしても、まだまだこれから・・・楽しみな「真田丸」です。
 .

内容が「おもしろかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (22) | トラックバック (0)
|

2016年2月25日 (木)

映画「信長協奏曲」~感想です

 

公開から1ヶ月経ちましたが、やっとこさ、映画『信長協奏曲(のぶながコンチェルト)を鑑賞させていただいたので、その感想など、お話させていただきます。

・・・・・・・・・・

映画は、まだ公開中ですので、なるべくネタバレしないよう感想を述べたいと思いますが、「ネタバレなして感想を書く」というのは、かなり高度な技術がいると思われます中、もともと文才の無い茶々でございますゆえ、話を進めていくうちに、少々バレてしまうかも知れませんが、そこのところは、ご了承いただきたく存じます。
(注:原作漫画は見ておりませんので、あくまでドラマと、それに続く映画の感想です…あと、ドラマはすでに放送されているのでドラマの内容は完全にバラします)

・・・まず、最初の感想は、
当然ですが、「ドラマを見てオモシロイと思っていた方はオモシロイ」です。

なんせ、俳優さんもろともドラマの続きですから・・・
いや、むしろ、ドラマが、完全に「続きあるヨ」的な終わり方だったので、自身の心の中で、あのドラマを完結させるという意味では、映画も見た方が、完全にスッキリ終われますね。

・・・で、2014年の10月から1クール=3ヶ月間放送されていた映画の前篇となるドラマは・・・

小栗旬さん演じる高校生のサブローがタイムスリップ・・・そこで、自分とソックリの若き日の信長に出会いますが、その信長は、自分が病弱な事や、父親から「大将の器では無い」と叱責された事から自信を失っており、サブローに「自分に代わって信長やってくれへん?」と自身の証となる刀を預けます。

タイムスリップする前にいた場所が映画村(歴史村?)だった事から、(イベントの劇とかで)信長の役をやってくれ」と頼まれていると思ったサブローは「オモシロそう!やってみる!」と引き受けますが、それが、ホンモノの信長だったわけで・・・と、こんな感じで話が進んでいきます。

サブローが信長になった時点で、すでに帰蝶(きちょう=濃姫)と結婚している(2月24日参照>>)、父の信秀(のぶひで)が序盤で亡くなる(3月3日参照>>)から、ドラマの始まりは、天文二十年(1551年)=信長18歳のちょっと前の頃から・・・となっているようです。

第2回の放送で、天文二十二年(1553年)の信長と斉藤道三(さいとうどうさん)との会(4月20日参照>>)が描かれていますので、やはり、そうなんでしょう。

そう、実は、この「信長協奏曲」のオモシロイところは、はじまりが「タイムスリップ」という荒唐無稽な設定ながら、そこに史実をうま~く絡めてくれているところです。

おそらくは、原作者の方が、かなりの歴史好き&信長好きなのでしょう・・・その発想に歴史愛が見え隠れします。

また、原作には無いドラマ版でのオリジナルキャラとして、信長の従兄弟の織田信清(のぶきよ)>>をチョイスして下さる所なんざ、ドラマの造り手さんの中にも、歴史好き&信長好きが感じられるので、お笑い的な要素も、創作丸々な部分も、落ち着いて見ていられるのだと思います。

そんな中で、奇抜なヘアスタイルに奇抜なファッション、変な言葉づかいに突飛な発想は、現代人のサブローなればこそ・・・という路線で物語は進みます。

未だ群雄割拠する戦国で、「天下を取ってやる!」と豪語するのも、「これ以上誰も死んでほしく無い!」「戦争の無い日本にするには全国を一つにするしかない!」という、現代日本の平和を知っている者なら、ごく普通に思い描く部分から来ているのですが、未だ戦国真っただ中の人たちにとっては、それは思いもよらぬ発想・・・そこに、家臣たちも魅かれていくわけで・・・

・・・とまぁ、こんな感じで、未だ、尾張(おわり=愛知県西部)すら統一していない時点の織田家を信長として引っ張っていく事になるサブローが、

その後の・・・
弘治二年(1556年)の斎藤道三の最期>>
永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い>>
永禄九年(1566年)?墨俣の一夜城>>からの
永禄十年(1567年)の稲葉山城・陥落>>
永禄十一年(1568年)の足利義昭を奉じての上洛>>
元亀元年(1570年)に始まった浅井朝倉との戦いでの金ヶ崎の退き口>>から続く、主要キャラの森可成(もりよしなり)が討死する宇佐山城の戦い>>へと、

信長主人公の物語の定番となる様々な場面を、歴史に疎く、戦いに慣れていない現代高校生のサブローの成長ぶりとうまく絡めつつ、ドラマは描いてくれていましたね。

さらに、
元亀二年(1571年)の比叡山焼き討ち>>や、
天正元年(1573年)に将軍を追放する槇島城の戦い>>浅井家の滅亡>>まで・・・

と長々とお話してしまいましたが、この浅井家の滅亡までが、月9で放送されたドラマでの出来事で、映画では、その続き=安土城を完成>>させるあたりから、信長の最期となる本能寺の変>>までが描かれます。

もちろん、本能寺へ至る伏線は、すでにドラマの時から貼られているわけですが・・・

それが、途中から、頭巾で顔を隠した本物の信長が、謎の武将=明智光秀(あけちみつひで)と名乗り、家臣となってサブローをサポートする事・・・

もう一つ、以前、信長(本物の方)が焼き討ちした村の生き残りで、家族を皆殺しにされた恨みを持つ男が、木下藤吉郎(きのしたとうきちろう=後の豊臣秀吉)と名乗って、草履取りから側近となっていく事・・・

最初は、本当にサブローの味方となってサポートしていた光秀でしたが、その冷酷な性格から、信長当時は、心通わす事が無かった家臣たちや妻の帰蝶が、サブローを心底慕っている場面を目の当たりにし、密かに嫉妬の炎を燃やす中、信長⇔サブロー入れ替わりの事実を知った秀吉が、「あなた様こそ信長様…」と、光秀にサブローを暗殺させようと画策し、光秀自身も、信長の座を取り戻したいと思うようになり・・・と、これらが、本能寺への伏線ですね。

天正十年(1582年)6月に
光秀が本能寺で謀反を起こす事・・・
その13日後に、
秀吉が山崎の合戦>>で、その光秀を討つ事・・・
を、知っている私たちから見れば、
なるほど・・・そう来たか~
という感じですね。
(ちなみに、サブローは歴史が苦手で、本能寺の変の事は、まったく知らない設定です)

なので、すでにドラマの終盤で、本能寺への流れが見えている感じですが、果たして映画では、その予想通りの結末となるのか?どうか・・・

それは、映画を見てのお楽しみ・・・それを確かめるためにも、ドラマのファンだった方は、その落とし所を確認しないと、ですね。

もちろん、歴史としてのツッコミどころはありますが、それこそ、時間にも役者さんの数にも限りがありますので、完全スルーで描かれなかった場面があるのも、大人の事情として理解できますし、何より、物語の中での辻褄が合ってるのでOKです。

そして、ウレシイのは、「ここのところはテレビドラマでは派手なのはムリなんだろうなぁ」と思える軍団による戦闘シーンが、ちゃんと描かれているところ・・・

ドラマでは、いまどきの高校生で、刀の扱いも不得手だった小栗サブロー君が、映画ではかなりの戦闘シーンを見せてくれてます。

ドラマの最後である浅井家の滅亡から、映画の始まりである安土城完成までは約3年間・・・そこから本能寺までは約6年間・・・

思えば、タイムスリップした高校生から、「にんげんごじゅうね~ん」の本能寺までの年月=約30年が経っているわけですから、サブロー君も成長したという事でしょう。

あと、ドラマでは、サブローと家臣たちのやりとりや、奥さん帰蝶との掛け合いで笑わせてくれるシーンがふんだんにありましたが、映画では最初のあたりだけで、あとは、どちらかというと真剣なノリでの話が進みます。

また、武田滅亡>>が完全スルーなので、個人的には、この武田とのアレコレを中心に、毛利とのドンパチも描きつつのドラマを、もう1クールやってから、映画での本能寺でも良かったんじゃないか?と思ったりもするのですが・・・

ただ、武田は無かったけれど、一方では、石山本願寺との天王寺合戦>>松永久秀(まつながひさひで)との信貴山城の戦い>>というあまり、ドラマや映画ではお目にかかれないシーンが出て来たのは良かったです。

特に天王寺合戦は、この戦いでのサブローの動きっぷりが、この後のある事のキーポイントとなるので、イイ感じで描かれていましたね。

ティーパーティがウエディングだったり・・・
「敵は本能寺にあり!」と叫ぶのが光秀じゃなかったり・・・
なのに、物語の中では、ちゃんと辻褄が合って成立しているのがオモシロイ・・・
山田孝之=秀吉君の恨み爆発の演技も良かったしね

とにかく、もともと月9のドラマも好きだった私の中では充分満足できました~

ただ、最後の最後がなぁ~
いや、見てるお客さんに対し、その後の事も伝えなけらばならないので、来たばかりのウイリアム・アダムス三浦按針)君が、太陽電池のスンゴイ充電器を持っていたと仮定して、アレはアレで良いのかも知れないけれど、私個人としては・・・
「サブローと松永久秀と、さらにアダムス君までもがナニするなら、帰蝶ちゃんがナニしても良かったんとちゃうん?
てか、そうしてあげて欲しかったワ」

と思うのですが、造り手さんの中では、「往復はあっても片道切符は発行しない」って決まり的な物があったのかも知れませんね。
(ちなみに、史実としてのウィリアム・アダムスが漂着する>>のは慶長五年(1600年)=関ヶ原の直前の事なので信長どころか秀吉も死んだ後ですが…オモシロイので許すww)

んん?って事は、ドラマの序盤に死んだ斉藤道三もナニしてるのか?
という疑問を残しつつも、個人的には見て良かった映画だと思いました。

追記:ネタバレしないために、アレがナニが、という曖昧な表現が多くなってしまった事をお詫びしますm(_ _)m
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (8) | トラックバック (0)
|

2016年1月19日 (火)

大河ドラマ「真田丸」の1~2回の感想

 

始まりましたね~

今年の大河ドラマ「真田丸」!!

なんだかんだで、「真田丸」が始まってからの我がブログアクセス数が約2割増しwwとなっており、本年も、不肖茶々にとってはNHK様々・・・

てなワケで、本日は番組の感想など、チョコッとだけ書かせていただきたいと思いますが、まだ、始まって2回めですので、あくまで、ここまで見みただけの、しかも個人的なツッコミのような感想である事をご理解くださいませm(_ _)m

そんなこんなで、
まずは・・・イイ!o(*^▽^*)oイイです。

頑張って、16~7歳の真田信繁(さなだのぶしげ=幸村)を演じている堺雅人さんもですが、なんたって武田勝頼たけだかつより)愚将に描かれなかったところが断然イイです。

これまでは、身内や家臣に見放されたあげくの負け組の将として、特に織田信長(おだのぶなが)が主役のドラマなんかでは、悪く・・・いや、敵としてラスボスのような悪人に描かれるならまだしも、けっこう軽く扱われる事が多かった中で、今回は、愚将扱いされなかったばかりか、平岳大さんの名演技により、かなりカッコイイ最期でしたね。(勝頼の最期は2008年3月11日参照>>)

私としてはステキな奥さんが出て来なかったのがちと残念でしたが・・・(奥さんについては2010年3月11日参照>>)

さらに、三谷作品独特の、わかる人にはわかる小ネタ&伏線も入っていて、思わずクスリとする場面もありましたね~

チョコッとだけの回想シーンではありますが、高嶋さん演じる北条氏政(ほうじょううじまさ)は、味噌汁の2度かけ逸話(2月13日に後半部分参照>>)を思わせる湯漬けを食べながらのご登場・・・

徳川家康(とくがわいえやす)穴山梅雪(あなやまばいせつ)は恩ある武田を裏切った」(3月1日参照>>)と嘆けば、「徳川には、そんな裏切り者はおりません」と高らかに宣言する石川数正(いしかわかずまさ)・・・(11月13日参照>>)

そんな数正を冷ややかな目で見る本多正信(ほんだまさのぶ)のそばには、いつも鷹がいる・・・(9月5日の後半部分参照>>)

何かにつけて考え方や立ち位置が違う兄と弟・・・(7月21日参照>>)

三谷ワールドですね~ただ全体の雰囲気としては、そんな三谷ワールド全開なぶん、「賛否両論あるだろうなぁ」と感じてます。

まず、セリフがかなり現代風・・・てか、ほぼ現代語。

これを受けつけない大河ファンは少なく無いでしょうね~

まぁ、私としてはOKなんですけどね。

それは、以前にも、別のページ(2月25日参照>>)で書かせていただいているように「言葉は変わる」という事・・・

しかも、日本語という物は「話し言葉」と「書き言葉」が違うので、実際には明治の頃以前の「話し方」が垣間見えるのは狂言歌舞伎くらいですから、もし、本当に、その時代に話していたであろうと推定される言葉で時代劇をやれば、おそらく視聴者は能や狂言や歌舞伎を見ている感覚で、中には何を言ってるか解らない場合もあるんじゃないかと・・・

それに、言葉(セリフ)というのは、怒った時は怒った雰囲気、悲しい時は悲しい雰囲気が出る物で、ただ単に単語を並べるだけでは無い感情が伴う物・・・「好きだ」と言ったから好きとは限らないし、「嫌いだ」と言っても嫌いだとは限らない、同じ単語でも別の意味がこもってる場合もあるわけで、それを見ている現代人の我々に、よりうまく伝わるようにするためには、ある程度現代風の言葉の方が良いのではないか?と・・・
(実は、私がブログを書く際に、登場人物のセリフ等が、普段自分が使っている大阪弁になってしまうのも、言葉のウラにある気持ちを生き生きと伝えたいがためである事を、この機会にご理解いただければ幸いです)

それは、一部の所作にも言えると思います。

第2話で、本拠の岩櫃城(いわびつじょう=群馬県吾妻郡)へと向かう真田一家がピンチに陥った時、駆けつけて来た草刈さん演じる真田昌幸(まさゆき)に、安堵した奥さんの高畑さんが抱きつくシーンがあり、ネット上では「戦国の女性はあんな事しない」なんて意見も見受けられましたが、私としては、奥さんの「怖かったわぁ~」という感情が、セリフ無しで表現されていたので、これくらいならアリなのでは無いか?と・・・

もちろん、これもセリフと同様に「ある程度」の暗黙の了解の範囲を守ってという条件がつくとは思いますが・・・

また、その高畑さんのシーンを見てもわかりますが、今のところ、高畑さんを中心とした女性陣がコミカルなシーンを演じておられるようです。

おそらくは、まだ2回目という事で、未だヒロインと呼べる役どころの女優さんが出ではいらっしゃらないので、そのような感じになっているのでしょうが、何やら女性ばかりが笑われているようで・・・

そんな中で、一つ気になったのは、その高畑さんに真田側に斬られた敵兵士が倒れ込み、高畑さんがものすご~くオーバーに驚くシーンがあったのですが、コレって、笑うとこなんですかね?

すんません・・・多分、笑いのツボが違うみたいな事なんでしょうが、例え敵であっても、人が斬られて死ぬシーンで、私は笑う事ができませんでした。

ひょっとしたら
「本当に斬られてるわけじゃない=斬られてる人も演技」
なので笑えるでしょ?

って事なのかも知れませんが、それだと、後々、感動的なシーンが出てきても、「結局は役者さんが演技してるだけ」ってなって感情移入し難くなるんじゃないか?と・・・

思うに、シリアスな場面とコミカルな場面を45分の一つのドラマの中にれるのは難しいんだろうなぁと・・・

未だ、そんなシリアスとコミカルが噛みあっていないようにも感じますが、まぁ、まだまだ序盤なので、本番はこれからという事でしょう・・・

もともと三谷作品ファンの私ではありますが、残念ながら、昨年公開された「宇宙モノ」系の笑いは苦手でありますので、是非とも、次回からは、往年の「刑事モノ」系のような、品のある笑い、小気味良い伏線で、よろしくお願いします。

もちろん大河なので、感動的なシーンも・・・

とにもかくにも、久々に合戦シーンなどもやってくれそうな雰囲気ですので、ここのところ低迷気味で苦戦中の大河に一石を投じるような一年を期待しておりますゾ!
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (30) | トラックバック (0)
|

2015年12月15日 (火)

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」~最終回を見終えての感想

 

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」最終回を迎えました。

結局、今年は1度も書かなかったドラマの感想ですが、やはり、最後ですから、あくまで、一視聴者としての個人的な感想を、チョコッとつぶやかせていただこうかな?と思います。

今回のドラマの主役であった楫取美和子(かとりみわこ)さん・・・旧姓名は杉文(すぎふみ)さんですが、本日はややこしいので美和さんとお呼びします。

自ら「歴史好き」と言っておきながら恥ずかしい限りでありますが、不肖茶々、大河の主役に抜擢されるまで、この方の事を、まったく存じ上げませんでした。

なので、ほとんど知らなかった歴史人物の事を、今回の大河をキッカケに知る事ができたのは、大変良かったです。

が、いかんせん史料が少なすぎた感じが否めませんでした。

史料が少ないという事は創作のし甲斐があるという事で、ドラマにはかなりの創作が入っていたようですが、どーも個人的には、この創作の内容が、自分の肌に合わなかった気がしています。
(↑個人の感想です)

一昨年放送された「八重の桜」で、幕末維新の敗軍である会津の女性を描いた事から「今度は勝ち組の女性が主役になるのでは?」の噂があった事は確かでした。

もちろん、この噂は根拠の無い物だったのかも知れませんが、そんな流れの中で2014年に富岡製糸場が世界遺産となって・・・で、どこからともなく彼女=美和さんの名が挙がったのかも知れません。

「幕末維新の雄藩=長州に…
吉田松陰
(よしだしょういん)(11月5日参照>>)の妹で、
久坂玄瑞
(くさかげんずい)(7月19日参照>>)の妻で、
富岡製糸場のある群馬県の県令=楫取素彦
(かとりもとひこ=小田村伊之助)と再婚した女性がいる!」と・・・

おそらく、この3条件(1=松陰の妹、2=玄瑞の妻、3=楫取との再婚)変えてはならない史実として、それ以外は、彼ら3人や松下村塾の塾生やらを通じて、彼女と幕末維新の重大事項とを、うまく創作で絡めていく感じだったのかも知れません。

もちろん、ドラマなので創作はOKです。
何事にも、主人公が首を突っ込んで、しかもスーパーマンのように見事に解決して
「美和さんのおかげだぁ~(by群馬の女性陣)
「美和がおるとオモシロイ(by毛利の銀姫)
「美和、またやったなww(by楫取)
「テヘペロ(by美和)
てなシーンも、今回ばかりはヨシとしましょう。

それよりも、もはや、私の中では、歴史うんぬんよりも大きくなってしまっていた、1年間ず~っと絶えなかったモヤモヤした不思議な感じ・・・

それは、上記の、どうしても変えてはいけない史実のNo.3=楫取との再婚関連です。

条件の1と2は、そのまま普通に描けますが、この3だけは・・・そう、この楫取が、もともとは姉=寿(ひさ=久子)さんの旦那さんだったという点です。

姉が亡くなった後に、その妹が嫁に入る(あえて結婚とは言わないでおきます)・・・これは、昔は、そこまで珍しくなかった事です。

いや、昔とまで行かなくても、ほんの6~70年前=太平洋戦争の頃でも、新婚間もなくで出征した旦那さんが戦死して、その弟さんと再婚した、なんて話も聞いた事あります。

なぜなら、今のような恋愛結婚が主流になるのは、戦後の高度成長期=昭和三十年頃(1960年代)くらいからですから・・・もちろん、恋愛結婚がまったく無かったというわけではないですが(現に、源頼朝と北条政子、豊臣秀吉とおねさんも恋愛結婚です)、主流は、やはり、親や長兄が、家と家との繋がりの事を考えて決めたり、親戚などが、両家のつり合いを考えて紹介するのが一般的だったのです。

だからこそ、松陰は、自らが信頼を置く同志である楫取素彦や久坂玄瑞に妹を託したんだと思います。

なので、寅兄ぃ(松陰の事)の意思を継ぐのであれば、まことに結構なご縁談なわけですが、やはり、そんな考えは21世紀の平成の世にはそぐわないわけで・・・

そのために、造り手の方は大きな賭けに出た??

つまり、第1回の放送で、後に結婚する楫取を、美和さんの初恋の相手だった事にしちゃったわけですが、これが雰囲気的に楫取も美和に好意を持っている感じで、しかも後々の事を考えてか、この後、ず~と二人はラブラブ光線出しっぱなしなのです。
(セリフではなく、目線でラブラブ感を出す役者さんの演技がウマかった事は確か)

口ではお互いの伴侶の事を「大事に思っている」と言いながらのラブラブ光線出しっぱなしは、むしろ、スキあらば姉の夫に色目を使うエロ妹と、事あらば嫁の妹に手を出そうともくろむ浮気夫に見えてしまい、なんだか不倫ドラマを見ているような感覚に・・・

しかも、お互いの伴侶はその事に気づいていないので、哀れ感満載・・・そうなると、逆に主人公の二人が悪人に思えて来るのです。

おそらく、造り手の方々の思いとしては、第1回の初恋を秘めたまま、永きに渡って純粋な愛を貫いた二人が、最後に結ばれ、最終回にして鹿鳴館(ろくめいかん)で舞い踊る!!ここに感動も極まれり~というダンドリであったのかも知れませんが、もしそうなら、お互いの最初の伴侶(寿と久坂)を悪い妻&悪い夫に仕立て上げねば、物語は成り立たないし視聴者の共感も得られないわけですが、この、寿と久坂は主人公の協力者であるべきイイ人なので、そうもいかない感じ?だったのでしょうか・・・

なので、結局は、永きに渡って、お互いの妻&夫を騙すように不倫して来たカップルが結ばれるだけなので、むしろ、鹿鳴館でのダンスが、いかにも勝ち誇ったラスボスの勝利の舞いに見えてしまいました。
(↑スミマセンm(_ _)mきっと、私の心が悪に染まっているのです)

病気になって、自らの死を予感した寿さんが、「私が死んだら、夫の嫁に美和を…」というのは、実際に寿さんが長兄の民治(みんじ=梅太郎)さんへの手紙に書いている史実ですので、私としては、できれば、「あくまでお互いを意識するのは寿さんが亡くなってから」というストーリー展開にできなかったのかな?と残念でなりません。

あと、もう少しだけ言わせていただければ、美和さんageのために、他者sageをするところが好きになれませんでした。

たとえば・・・(最近の回のエピソードで言えば)

富岡製糸場の工女らしき少女が3人・・・「私たちも女性の学びの場に入りたい」と言って美和のもとにやって来ますが、その女の子たちがいかにも田舎者風で、読み書きもできず、まるで世間知らずのように描かれていましたが、富岡製糸場で働く工女たちのほとんどは士族の娘さんたちで、言わば、各地を代表して最新の技術を学びに来ていた少女たちです。

なのに、なぜ、あんな風に描かれたのでしょう?

さらに言えば、その富岡製糸場には、同じ長州の長井雅楽(ながいうた)(2月6日参照>>) の娘さんも働いていました。

長井雅楽と言えば、幕末の動乱の中で藩の姿勢がコロコロ変わった時に、久坂らによって自刃に追い込まれ長州内での負け組となった人物(←これはドラマでもやってました)・・・元夫が死に追いやった人物の娘さんが、現夫が県令を務める群馬県の富岡製糸場で働いている事を、彼女は知ってか知らずか・・・とにかく、ドラマでは、完全スルーでした。

慈悲・慈愛という事はステキですが、一つ間違えば、上から目線の偽善的な哀れみ&ほどこしと捉えられかねません・・・いや、なんだか、工女さんの代表を貧乏人の少女のように描く事&長井雅楽の娘さんをスルーした事で、むしろドラマではそんな上から目線の美和に見えてしまったような気がします。

できれば、これからは、主人公ageはあっても、そのために周囲を貶めるような描き方は避けていただきたいです。

大河ドラマは特別なドラマです。

例え、それが面白くて素晴らしい内容のドラマであったとしても、以前他局でやっていた「仁-JIN」を見て、「へぇ~幕末にペニシリンがあったのか~」と思う人がいるでしょうか?

「信長のシェフ」を見て、「ふ~ん、姉川の戦いで兵士たちは焼肉喰ったんだぁ」と思う人がいるでしょうか?

いませんよね?・・・でも、大河ドラマで描くと、それを「本当の事なんだ」と思う人が数多くいるのです。

それこそが、大河が特別である証拠・・・これまでのドラマの造り手の皆さんが、永きに渡って紡いできた「大河ドラマ」が持っている「大河ドラマ自身の歴史」ゆえなのだと思います。

ここ何年かは、「今度の大河はホームドラマ」とか「今度は青春群像劇」とかって話を聞きますが、私は大河ドラマが見たいのです。

ホームドラマや群像劇を見たいなら、そんな感じの別のドラマで充分です・・・でも日曜8時には、やっぱり大河が見たいのです。

あくまで個人的な意見ではありますが、是非とも、大河らしい大河を・・・せっかく先人のスタッフさんが、第1作めから紡いで来た大河の糸なのですから、これからも末長く紡いでいっていただきたいと・・・

来年も期待しておりますm(_ _)m
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 

| コメント (22) | トラックバック (0)
|

より以前の記事一覧